letter
何かと忙しい日々が続いているが、そんな中でも少しはゆっくりとできる時間というものがあるものだ。 手元に置いていた湯呑みを手に取り、ずずっと啜りながら太公望はそんなことを考えていた。 湯呑みを置き、書簡に一筆入れて仕事を何とか一段落させ、昼食を取るために部屋を出た。 今日のように天気のいい日は、外に設えられた卓に皆が集まっているはずだ。 「いー天気ですね!お師匠さま!!」 「そうだのう……」 元気良く声を上げる武吉に軽く応えを返し、のんびりと歩いていく。横をふよふよと飛んでいる四不象もどこか機嫌が良さそうである。 空は青々と広がっており、白い雲が控えめに地平辺りに浮いている。 風は時折吹くだけで、それも決して強いという訳でもない。そよそよと気持ち良く髪を揺らすくらいであった。 「ぬう……仕事なぞサボって昼寝でもしておれば良かったわい」 不満を顕にして言うと、すかさず四不象が反論してくる。 「何を言ってるっスかご主人!!そんなことしたら周公旦さんに大目玉食らうっス!!」 「ハリセンも飛んできますしね」 いきなり後から聞こえてきた声に振り向くと、蒼髪の道士が微笑みを浮かべて立っていた。 「あ、楊ゼンさん!!」 「やあ、武吉くん」 楊ゼンはにこやかに武吉とことばを交わし、そっと太公望の横に歩み寄る。 「仕事の方は?」 「ちょうど一段落ついたところだ……おぬしのほうはどうだ?」 「とどこおりなく進んでますよ」 「そうか」 ゆっくりと歩を進めながら、太公望は簡単に現状を把握した。 楊ゼンに現在任せている仕事は彼ならば手際良く間違いもなく進めるであろうもので、どうやらその期待は当たっていたらしい。 そのことに満足を覚えながら太公望が横を歩く楊ゼンを見上げると、彼が口を開いた。 「これから食事でしょう?ご一緒しても宜しいですか?」 「ああ、かまわぬよ」 もちろん、と首肯いて歩を進めた。
ちょうど昼時、ということもあり…卓は程よく人で埋まっている。 一行が空いていた円卓に席をとると、すぐに給仕役の女官が注文を聞きにきた。 仙道用の料理を数皿……あとは、武吉が肉料理を注文する。 彼らの卓の傍で、四不象は幸せそうに草を食んでいる。 しばしの歓談のあと、女官が二人ほどで料理を運んできた。 目の前に広げられる料理の品々を見て、太公望は満足気に微笑む。 ちら、と楊ゼンの方を見ると……彼の傍で皿を並べている女官の姿が目に入った。 (……おお。ゆでだこのようだ) かの美形道士の傍近くにいるということで緊張でもしているのだろう……。 顔を真っ赤にしながらも、懸命に自分の仕事をしようとしている女官がとても微笑ましい。 そのまま見ていると、ふと、何かが視界に引っ掛かった。 よく見ると、楊ゼンの前に置かれた皿の下に何かが見える。 「?」 太公望が訝しげに見ているうちに、女官たちは一礼して去っていった。 「それじゃ、いただきます!」 その女官の姿が見えなくなった頃、武吉が元気よく言って肉にかぶりついた。 そのままはぐはぐと食べているのを尻目に、太公望はその皿を指差す。 「……楊ゼン、何だそれは?」 「え?」 気が付いていなかったのか、楊ゼンは一瞬戸惑った。 「…あ、これですか…?」 だがすぐに指の示す先に気が付き、それを取り上げる。 それは一片の紙だった。 楊ゼンは二つ折りにされたそれを開き、中を見る……。 「………」 そしてため息を一つついて太公望にその紙を渡した。 武吉も料理を食べるのを止め、興味深そうに見ている。 太公望は無言で紙切れをぱら、と開いた。 目を通し……がっくりと項垂れる。 持っていたその紙を楊ゼンの方に押し退けるようにして渡し、深くため息をついた。 「何が書かれていたんですか、おっしょーさま?」 武吉の問いに……太公望は項垂れながらも、しっかりと答えてやる。 「恋文」
読んでいる方が頬を赤らめたくなるような、そんな勢いと、想いが感じられる文。 一語一句丁寧にしたためられた文字。 よく観察すると、紙にはうっすらと香が焚き染められていた。 「……すごいですねー……」 その紙を楊ゼンから見せてもらった武吉は、感嘆のため息をつく。 太公望ははぐはぐと料理を詰め込むように食べている。 「すごかろうが何だろうが……んぐぐ」 「師叔、もっとゆっくり食べないと」 「うるさいわい」 口のなかのものを何とか飲み込んだ太公望を楊ゼンは気遣ったが、軽くあしらわれる。 「とにかく、どうするのだ?楊ゼン?」 「……どうしましょうか……」 軽く菜に箸を付けながら楊ゼンは首を傾げた。 どこか、この状況を楽しんでいるようにも見える。 それもそうだろう……何せ、 「……何回目で、あったかのう……?」 「数え切れません」 こんな調子なのだから。 美形で、強くて、頭も良くて……これで女性にもてない男がいるとしたら、お目にかかりたい。 ……誰から見ても最低最悪な性格をしているというのなら話は別だろうが。 幸か不幸か、楊ゼンの性格は……人によって判断の違いはあろうが……女性たちの許容範囲内だったようだ。 恋文、贈り物、正面からの告白、などなど。 本人自ら数え切れないと言うしかないような状態が、周軍に参加して以来続いていた。 「誰からか解るか?」 桃をまくまくと食べながら太公望が問うと、楊ゼンはあっさりと答えを返す。 「先程の女官でしょう?でしたら、まだ顔を覚えてますよ」 ふう、とため息をつく。 「送り主が解っているだけ、まだいい方ですよ……たいへんなのは、差出人が誰か解らない贈り物でしょうか」 「そうなんですか?」 武吉が言う。 「もっとたいへんなものがありそうですけど……」 「贈り物の場合は高価なものが多いんだ。だから……」 「きちんと断らねばのう」 瞬く間に桃を一つ平らげ、もう一つへと手を伸ばしながら太公望は言った。 それに楊ゼンは無言で首肯く。 「……また断るっスか?」 ひょい、と卓のしたから顔を出した四不象が言った。 「うん……そうだけど」 「どうしてですか?」 疑問を顕にした武吉も問う。 「どうしてって………」 楊ゼンは首を傾げ、ちら、と太公望の方を見た。 太公望は未だ無心に桃を食べ続けている。 皿の上には桃の種が三つ。 それらを見て、くすりと笑って視線を戻した。 「どうしてだろうね」 微笑み交じりに言う。 「自分でも、よく解らないんだ」 「はあ……そうなんですか」 武吉はそう言ってあっさりと引き下がったが、四不象はどうも釈然としない様子。 「おかしいっスよ!せっかく告白されたんだから付き合ってあげるっス!!」 短い腕を振り上げて抗議する。 それを見た太公望が、ぷっと種を吐き出して言った。 「では四不象……おぬしが好きな相手に告白したとしよう?」 「?」 「それでその相手がおぬしのことを好きでもないのに付き合ってくれるとしたらどうする?」 「それは……」 口篭もる四不象。 「ほらのう……相手のことを考えると、好きでもないのに付き合う方が失礼であろうが」 太公望はそういってからからと笑い、武吉が差し出した布で口の回りを拭った。 「さて!仕事に戻るぞ!!」 がたん、と席をたつ。 皆もそれに賛同し、席をたった。
食事後に楊ゼンはすぐに女官に断りを入れに行った。 その丁寧な物腰を見た女官はそれだけで満足してしまい………後腐れ無く、今回もけりが付いた。
「そういえば……この間の、例の文、どうした?」 数日後。 太公望と楊ゼンがともに仕事をしているとき……ふと思い出したように太公望が言った。 「それなら、返しました」 「ほう、徹底してるのう……」 ふむふむ、と首肯く太公望。 それを見て、楊ゼンは満足気に微笑んだ。 そして小さく呟く。 「ええ、これからのためにも禍根はたっておかないと」 「?何か言うたか?」 「別に?」 きょとん、とした顔の楊ゼンを見て、太公望は首を傾げながらも仕事を再開した。
しばらくして、ぽつりと呟く。 「まあ、わしの場合はそんな面倒なことはせずともよいからのう」 「何か言いました?」 「何のことだ?」
二人で首を傾げ、また、仕事を再開した。
fin.
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