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陽が暮れかけた街中を、ゆっくりと太公望は歩んでいた。 
街中の視察……という名目の散歩。 
はっきり言えばサボリだ。 
仕事はとりあえず方をつけておいた。ちょっと残っているごたごたは誰かがきちんと終わらせていることだろう。 
いつも傍にいる四不象と武吉は天祥の遊び相手で手一杯。だからこそ、こうして上手く城から脱走してこれたのだが。 
何の目的も無く、ただぶらぶら歩く。 
手に持った袋には途中で買ったあんまんが一個。 
繁華街からは少し離れた通りのためか、道ゆく人はまばらであったが、時折彼を認めたものが挨拶をしていく。 
掛けられる声は、どれもこの夕陽の中にふさわしい穏やかさで。 
あんまんを袋から取り出して頬張る。 
程よく熱が取れて食べやすくなっていたそれは非常に甘く、思わず顔が綻んだ。 
「甘い……むう、さすがは丼村屋よ」 
上機嫌でまた一口。 
食べたところが外気に触れて少し冷まっていて、中心の暖かさとの温度差がまた良かった。 
歩きながらだんだんと冷まっていくそれを歩みに合わせて食べていく。 
最後の一口など冷えに冷えきっていたが、それもまたそれで違う味があって実にいい。 
「……理解は、得にくいだろうがのう」 
誰ともなく呟いて、空になった袋をくしゃっと丸めた。 
角を曲がると、月が空に浮かんでいた。






暮れゆく街は本当に趣があり歩いていて飽きることなど全く無い。 
ふと前を通り掛かった民家では夕飯の支度をしているのか、白い湯気が立ち上っていた。 
ふあ、と鼻を擽った匂いが何だか妙にこそばゆい。 
とおい昔にかいだことがあるようなないような……記憶を辿ってみるが思い出すことはできなかった。 
「何だったか……」 
首をひねりつつ通り過ぎる。 
以前に通ったことのある場所でも、違うときにくるとまた面白いものだ。 
景色が変わった訳では無いのに、違った印象をもつときがあったりする。 
……まあそんなのは暇つぶしでもない限り普通は気付かないのだろうが。 
先を急いで通り過ぎるのでは回りを見る余裕とてない。 
「だから、視察はゆっくりとせぬとな」 
自己弁護をしつつ、のんびりと進んだ。






また角を曲がろうとしたら、つんざくような声が耳を打った。見ると、ちょっとした広場があり、三人の子供たちが追い駆けっこをしている。 
同じ年頃の男の子が二人、それより幼い女の子が一人。 
追い駆けっこの何が楽しいのか甲高い声を上げて…いや、彼らにとっては楽しいには違いない。どの子供の顔も輝いていて、見ているだけで嬉しくなってくる。 
思わず立ち止まって彼らを眺めた。 
だが、陽がかなり傾いているのにちと不用心ではないか……などと太公望が不安に思ったところで、すぐ傍の家から誰かの母親と思しき人影が出てきた。 
名を呼ばれた男の子が元気よく返事をし、他の二人と別れを告げてその戸へと走り、入っていく。 
白い湯気が、閉じられた戸から少し出て消えていった。 
「じゃ、うちに帰ろう!」 
残された二人…男の子と小さな女の子…のうち男の子が、そう言った。 
「かえろかえろー!」 
無邪気にことばを繰り返す女の子。 
二人は兄妹だったのだろうか……兄が妹の手をとり広場を走り去っていった。 
後には太公望一人が残された。 
「……うち…か…」 
小さく呟く。 
「……まあ、家が近いようだからよかったのう」 
そろそろ暗くなってきた空を見上げ、安堵のため息をつく。 
「いかに治安のよい街とはいえ……」 
「夜は少々気をつけないといけませんからね」 
「…うむ」 
太公望はそう呟くと、声が聞こえてきた方向…後に向かって勢い良く丸めた紙袋を投げ付けた。 
ぱしっ。 
「くぬぅ……」 
「何するんですかいきなり」 
「いきなり、の割りにはよく受けとめたのう」 
感心して、目の前まで来た男……楊ゼンを見上げる。 
彼の手には先程自分が投げた紙くず。 
「その顔に当たればさぞ面白かろうと思ったのに」 
「……まあ、いいですけどね」 
ふう、と楊ゼンはため息をつく。 
「しかし……仕事を途中で僕に押しつけるのは止めてもらいたいですね」 
じろ、と非難を含んだ目で見下ろされ、悪怯れずに肩をすくめる太公望。 
「……よいではないか、ほんのちょっとだぞ?」 
「そのほんのちょっとでこれだけかかったんですよ?」 
太公望が姿を晦ましてから今こうして迎えに来るまで。 
…普通の『ほんのちょっと』で済まされる仕事量でなかったことは確実である。 
「あなたが一緒に仕事をしてくださればもっと早く終わったのに………」 
「済んだことを今更どうこう言っても仕方あるまい?」 
「……それはそうですけど」 
納得がいかないように首をひねる楊ゼンを軽くこづく。 
「……それに…解って、おるだろうに」 
に、と悪戯小僧のような笑みを浮かべた。 
その笑顔を見て楊ゼンも破顔する。 
「……まあ、そうですけどね」 
言って、太公望の手をとった。 
「さ、帰りましょうか」 
太公望は楊ゼンを見上げて、満足気に首肯いた。






二人で城への道を歩く。 
通り過ぎる人は皆笑顔で…家路へとついている。 
会話もどことなく明るく聞こえる。 
次々と店が閉められていく中で、未だに客がいる店先があるかと思うと、そこでは真剣な面持ちで商品を見つめている男性たち。 
「…何を売っているのだ?」 
「ええと……ああ、子供向けの菓子のようです」 
「おお」 
「寄り道は駄目ですよ、師叔」 
「ああコラ!手を離さぬかー!!」 
ずるずると楊ゼンに引きずられながらその店から遠ざかる。 
悔しげにそれを見つめて歯軋りする。 
「くぬう……わしの菓子……」 
「城にもありますから」 
そっけなく言い切る楊ゼンに恨めしげな視線を送って、太公望はため息を一つ吐いた。 
歩き続けながら後を振り返ると、客の一人がようやく選んだであろう菓子を包んでもらっているところだった。 
遠目にも彼の表情はよく読み取れて……買うものを決定した満足感と果たしてこれで良かったのかという不安感が見て取れる。……本人に自覚は無くとも、その表情は他人から見るとおしなべてしあわせそうな笑顔なのだが。 
「…のう楊ゼン」 
「?」 
「あのものたちは何故菓子を買っているか解るか?」 
遠くなった店を指差し、楊ゼンを見上げる。 
「あれはのう……子供たちへのみやげなのだよ」 
「…なるほど、おみやげですか」 
「?」 
ふ、と目を細めて……懐かしいです、と楊ゼンは微笑んだ。 
「師匠はどこかに出掛けると必ず……何かおみやげを持ってきてくれましたから」 
「…玉鼎が、か?」 
「はい…僕がまだ幼い頃はやはり菓子とかで、それなりに大きくなった頃には書物とか……」 
「……………もうよい」 
「あれ、どうかしましたか師叔?」 
太公望は楊ゼンから視線をずらし肩を小刻みに震わせていた。空いた手で口元を押さえて必死で何かを堪えている様子。 
彼の状況を理解し、楊ゼンは憮然として言う。 
「……笑いたければ、どうぞ」 
「ぷ、く……ああもう駄目だっ!!」 
遠慮のない爆笑が開始された。 
暮れの空を切り裂くような大音声に、道行く人が何事かという視線を送ってくるが…薄暗いので軍師とその片腕の天才道士というのには幸運ながら気が付かない。 
ひいひいと苦しげに息をしながら、太公望は楊ゼンの腕にしがみつくようにして歩いていた。 
しばらくして……太公望はようやく大きく息を吐いて落ち着いた。 
「……苦しいではないか…どうしてくれるのだ」 
「僕のせいですか」 
「うむ」 
ぶすっとした顔の楊ゼンを見て、また込み上げてきそうな笑いを押さえる。 
また振り返って…随分と小さくなった店を眺めて、太公望は顔を綻ばせた。 
「いやしかし…おかげで解ったことがあるぞ」 
「…何のことですか?」 
不思議そうな声をあげて見てくる楊ゼンに緩く首を振って正面に向き直る。 
段々と大きく見えてくる周城を見上げて、息をはいた。 
「おぬしのうちとは、金霞堂なのだな」 
「…うち……?」 
「ほら、先程の子供が言っていただろう……『うちへ帰ろう』、とな」 
ちら、と楊ゼンを見てことばを続ける。 
「うち、とはそのものが暮らしてきた建物のことであろう?……わしは遊牧の民の出だからそういう感覚はちと解らぬが……」 
遊牧民は家畜の餌を求めて移動しながら生活をする。一定の場所に留まり続ける……ということはないのだ。 
「帰る場所はそのときどきによって異なった……それで思ったのだよ、わしにとっての『うち』とはどこなのだろう、とな」 
す…と目を閉じる。 
それでも昔はこんなこと考えずに妹や友に「帰ろう」と声をかけたものだったのだ。 
…どうも年をとると理屈っぽくなっていかんのう…。 
心中で呟くと、繋いだ手に力が込められたのに気が付く。 
「…楊ゼン?」 
目を開けて隣の彼を見上げると、小さく笑っていた。 
「…なぜ笑う」 
「…だって…あなたらしくもない……」 
「ぬう?」 
「簡単ですよその答」 
「……ならどこだというのだ」 
太公望の問いに、楊ゼンは微笑んで応えた。 
「あなたを待つ人がいるところ」 
違いますか?と呟いてくる笑みを呆然として見つめる。 
「…………なるほど」 
目から鱗が落ちるような気がした。 
「ね、簡単でしょう?」 
「……そうだのう」 
太公望の態度に満足したのか、少し自慢げに言う楊ゼンを小さく睨んで太公望は声を張り上げた。 
「さて!今日の夕飯は何だろうのう?」 
「…さぁ…でもあなたは食後に桃が出ればいいのでしょう?」 
「まぁな……それが食事でもかまわぬよ」 
くすくす笑いながら二人は通りを歩き始める。 
陽はすでに沈み…空に軽くその名残があるだけとなっていた。その空を見ると、星屑が瞬き始めている。 
街には段々と明かりが灯ってきた。 
「…きれい、ですね…」 
「うむ…」 
歩きながらぽつ、と呟かれたことばに応えを返してそのきれいだと言われた街を見る。 
光が散っている空と家々。その隙間を縫うように立ち上っていく白い煙。 
「ゆっくりと帰ろうな」 
「はい」





 
あたたかな光に包まれた街中をゆっくり歩く。 
帰るべき、ところへと。






fin.







ヲマケ
「ねぇ師叔……」 
「んー?」 
「やっぱり、あなたの帰る場所は、」 
「?」 
「僕の腕の中ってどうですか?」 
「……だあほ……」 
馬鹿げた台詞を臆面も無く言い切る楊ゼンに冷たい視線を送りながら太公望はふかいため息をつく。 
「あれ、やっぱり駄目ですか」 
戯けるように肩をすくめて言う楊ゼン。 
そんな彼を一瞥する。 
「駄目も何も、当たり前のことを言うでない」 
「……そうですね」 
ふっと冷たい風が通り過ぎる。 
「おお、寒……やはり早く帰るぞ」 
「どっちに?」 
「ああもう、両方だよ」 
「…正直ですね」 
ふわ、と彼に自分の肩布をかけて肩に手を回して、二人で笑いながら…身を寄せるようにして足を早めた。 
「……あとそういう意味でなら…」 
「?」 
「僕の帰る場所も、あなたの腕のなかだったら光栄なのですが」 
「ふ、野暮なことを言う…自信家のおぬしらしくもない、はっきりそうだと言い切ればよかろう」 
「…ありがとうございます」






fin.





「no title」と同じ本に掲載したものです。持っている方すみません。
書いた時期はやはり一年以上前…もちろんフッキショックの前です。
なのでまたまた今読み返すと色々考えさせられます……(涙)

そして某シチューCMソングをイメージして書いたものでした。
あのシンガー好きですし、その曲も暖かくてとても好きで。
少しでもそんな雰囲気が伝わっているといいと思います。





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