bisiness hours



……どうも近ごろよく眠れない。
仕事で疲れているのだからぐっすりと眠れてもいいだろうに、いざ仕事が終わって寝台に横になってもなかなか眠りが訪れぬ。
この忙しいときに睡眠が足りないのはよくないとはわかっておるのだが……眠れぬのだから仕方があるまい?
しかしなぜ眠れぬのだ…寝付きはいいほうだと思っておったのだが……。
まてよ、目を閉じても頭の中にはその前まで見ていた書簡の文字や数字の羅列。そしてそのまま仕事のことを考えているせいか?
確かにこれでは眠れぬのう。
……どうせ仕事が気になって眠れぬのであれば話は早い。
眠らずに仕事をすればよいのだな。
なあに、たかが一日か二日のことよ。そのうちにまた眠れるようになる。
それまで仕事に励むとするか。
しかし、仕事が気になって眠れぬなどと……わしも神経が細かくなったものだのう。



 
「ふああ……」
草木も眠る丑三つ時……には少し早いような時間。
ここは西岐…今まさにその名称を改め、「周」という国としての準備に追われているところである。
城の執務室では、その新しい国の軍師になる男がそんな夜遅くまで政務についている。
彼のついている卓の上には山のように高く積まれた書簡。
その山の向こう側には彼と同じように書簡に目を通している人影が一つ。
彼の片腕として仕事を手伝っていたその男が、大きなあくびを聞きとがめたように口を開いた。
「太公望師叔……そろそろ休まれたらどうです?」
さっきから何度目ですか、そのあくび?とため息をつきながら付け加える。
「むう…まだわしは大丈夫だよ。それより楊ゼン、おぬしこそ休まぬともよいのか?」
見ていた書簡から顔をあげ、太公望は彼の片腕…天才道士と呼びならわれている者へと視線を移す。
「僕は先程仮眠をとりましたから……」
と、見終わった書簡を巻きながら楊ゼンは向かいに座る彼の上司を見た。
…楊ゼンがその仮眠をとる前からずっと、彼がこの執務室から動いた様子はない。
「…少しはお休みにならないと」
「少しも何も、わしだってしっかりと休んでおるわい」
だから大丈夫だと言っておるだろうが…と、また手元の書簡に目を落とす。
その言葉に楊ゼンはまたため息をついた。
……そうなのだ。さっきからずっと太公望はこの調子なのである。
あくびをして、それを聞きとがめるとのらりくらりと逃げかわす……そんなことを繰り返してもう何刻たったのかもう楊ゼンにはわからなくなっていた。
どうみても今の太公望は寝不足である。
目の下にはうっすらと隈がかかり、顔色もはっきり言っていいとは言えない。
…このままではいつ倒れても不思議ではないかもしれない。
そこまで考えてしまい、楊ゼンはますます心配を強くした。
「師叔」
「なんだ楊ゼン」
手が止まっておるぞ、と顔を上げずに太公望は非難する。
「いい加減寝ませんか?」
「大丈夫だといっておろう」
取りつく島もないとはこういうことを言うのだろうか…と楊ゼンは途方にくれる。
何とか休んでもらいたいのに、一筋縄では自分の意志を曲げようとしない太公望相手では無理もないことだ。
自分の意思を相手に認めさせるのを楊ゼンは得意としていた筈だが…いつもいつも、太公望に対してだけはそれは無理であった。
だがこんなときに譲ってはいけない。
くじけずに何とかまた説得を試みた。
「今大丈夫でも後々に支障をきたします」
「仕事が進まないほうが支障をきたすと思うがのう」
急がねばならない仕事ばかりであるし……とまたもや煙にまかれそうになる。
口先は誰よりも達者な彼のこと。
だからといって引き下がる訳にはいかない、と楊ゼンはあきらめずに口を開く。
「一度休んだほうが効率は上がりますよ」
「…休んでも休まなくても同じだよ」
はふう、とため息をつく。
「師叔?」
「おぬしもしつこいのう…」
わしのことなどほっとけばよかろうに…ということばは胸の奥で噛み潰し、太公望は書簡から手を離す。
「休めばよいのであろう?休めば」
いかにもしぶしぶ…といった感じでそう言われ、楊ゼンはかちりと頭にきた。
「何ですかその言い方」
「う、そう睨むでないわ…」
整った顔の美しい紫の目に睨まれると、何とも言えない迫力があり、太公望は思わず身を引きかける。
対する楊ゼンは、いかにも不満だという態度を顕にして言った。
「せっかくこの僕が心配してあげているというのに」
「そっちこそ何だその言い方は!」
さすがにその態度には腹が立ったのか、聞き捨てならんぞ…と、太公望も負けずに睨みかえす。
だが隈のついた目で睨まれても恐いものではなく…楊ゼンはふと目の前の人が本当に寝不足であることを思い出した。
……説得しているうちに本来の目的のことを忘れてしまっていたのだ。
とにかくこの人に自分の言うことを聞いてもらいたくて。
「すいません……怒らせるつもりは無かったんです」
ふ…と、表情を改め、頭を下げる。
「な、なんだ…拍子抜けするのう」
突然の相手の変化に驚いたように目をぱちくりさせる太公望。
そんな彼に熱心に楊ゼンは語りかけた。
「でも心配しているのは本当です……だって師叔、ここしばらくきちんと寝ていないでしょう?ウソなんてついても無駄ですよ」
「………」
「仕事も大切ですが、少しはご自分の体も大切になさって下さい」
「…………大切にしたくても……」
珍しく静かに相手の話を聞いていた太公望が、つと呟いたのを楊ゼンは聞き逃さなかった。
「何ですか?師叔?」
仕方がない…という様子で太公望は口を開いた。
「大切にしたくても、大切にできぬのだから仕方がなかろう」
「はあ?」
どういうことです?と首を傾げる相手に向かって、またもやしぶしぶ…といって様子で話を続ける太公望。
だが今の様子は先程のように人の心を逆撫でするようなものではなかった。
「眠れぬのだよ、床についても」
「眠れない……?」
「目を閉じても頭の中は仕事のことばかり…こんな調子で全く寝付けぬ。それなら起きて仕事をしていた方がましであろう?」
自分に言聞かせるように相手に語る太公望。
そんな彼の様子を見て、楊ゼンはふいに自分の席を立ち、太公望の傍まで歩み寄った。
「楊ゼン…?」
怪訝そうに彼を見あげた太公望は、次の瞬間何が起こったのかすぐには理解できなかった。
体に力が加えられたかと思うと、視点がいきなり高くなった。
脇の下には力強く暖かな感触。
「は…あ!?」
我に返ったときには流石に、自分がどういう情況にあるのかは理解していた。
つまりは楊ゼンに抱き抱えられていたのである。まるで婦女子のように。
「な、何をするのだ楊ゼン!」
暴れようにもバランスを崩しそうで暴れられず、言葉だけは勢い良く相手に投げ掛ける太公望。
そんな彼に向かって至近距離から美形と言われる男はにこやかに微笑んだ。
「眠れないのでしょう?だったら眠れるようにして差し上げます」
「はあ!?」
なにを言っとるのだ!という抗議は完全に無視され、楊ゼンは太公望を抱えたまま仮眠室へと入っていった。




「下ろさぬかいい加減!」
寝台の傍に行くやいなや、太公望は噛み付くように楊ゼンに言った。
暴れてはいないが、今の状態に非常に不満を抱いているのがありありと見て取れて楊ゼンは自然口をほころばせる。
「よぉうぜん……」
もちろんそんな笑い方をされていい気分でいられるほど太公望は心が広くはない。
すみません、と形ばかりの謝意をあらわし、楊ゼンはそっと太公望を寝台に下ろした。
「全く……おぬしの行動はときどき訳がわからん……」
ぶつくさ言いながら掛布をひっぱり上げ、寝る態勢を整える太公望。
その間、楊ゼンは黙って太公望を見ているだけである。
そんな彼を気味悪そうに見上げ、太公望は掛布の下から手を出し、立ち去るように手で合図する。
「ひどいですね」
「ひどいも何も、おぬしの方がひどいわ」
そう言ってぷいっと横を向いた太公望の手を、そっと楊ゼンはとった。
「……?」
何をするのかと太公望は楊ゼンの方に寝返りをうつ。
楊ゼンはそのまま寝台の傍に腰を下ろし、とった手を軽く握りしめた。
「これでよし、と」
満足気に笑う彼を見て太公望は眉をひそめた。
「……何をしておるのだ…?」
「あなたが眠れるように、と」
真剣な…ふざけている様子ではないという意味で…表情を崩さずに握った手を軽く上げて示す楊ゼン。
「手を握っておるのか?」
「はい」
「………」
「何ですか、その不服そうな顔は」
失礼ですね、と頬を膨らませる目の前の天才道士にたまらずに笑いが込み上げる。
「本当におぬしの行動はよくわからん…」
くつくつと笑いながら太公望は言った。
「第一こんなことで眠れる訳がなかろう?」
「……こんなことぐらいしかできませんよ。それに……」
「それに?」
つと顔をそらした楊ゼンを不思議に思って太公望は先を促した。
「……これ、よく効くんですよ。僕が小さいころ…眠れない夜によく師匠にこうしてもらってたんです………」
そう言いながら顔が少し赤らんでいる楊ゼンがまた無償に可笑しくて。
堪え切れずに太公望は吹き出してしまった。
「……そう笑わなくても」
「す、すまぬ……」
ひーひーと涙目になりながらも笑い続ける太公望に困りながらも、楊ゼンは握った手を離そうとはしない。
「だって……つまりは子供をあやす術であろうに……」
わしは子供ではないぞ、と言いながらもまだ笑いはおさまらない太公望。
「子供も大人も関係ありませんよ。人というのは幾つになっても変らないものです」
「ならばおぬしも今でもこうされぬと眠れぬのか?」
冗談混じりで問うた太公望だが、相手の思いがけない反応に驚かされることになる。
「……不安なときは、そうかもしれませんね」
紫の瞳が、一瞬揺れた気がした。
「ふあん……?」
相手の雰囲気に飲まれ、どこか茫然としたようにことばを紡ぐ太公望に楊ゼンは軽く微笑んだ。
「そうです。……きっと、あなたも不安だったんじゃないですか?」
「わしも……か?」
言われてみると、確かにそれは頷ける。
どうして自分がこれほどにまで仕事のことが気になるのか………。
それはつまり、押さえることのできない不安からくるのかもしれないと。
確かに見ることなどできない、将来への不安。
「…いつ、犠牲がでるかわからない」
思わず、ことばが口をついて出る。
「そうですね」
「だから、今、できる限りのことをやっておかないと……」
「はい」
楊ゼンがほんの少し、太公望の手を握る力を強くした。
「でも、今のあなたに必要なのは休息です。…仕事はみんなで頑張れば大丈夫、きっと何とかなりますよ」
「しかし…」
「大丈夫」
そう言って、楊ゼンは太公望の碧い瞳を見つめた。
少しは僕のことを信じて下さいよ。
「……人って、手を握っていると安心するんですよ」
「…そういうものなのかのう?」
今だに腑に落ちない様子で首をひねる太公望。
だが…
「ま、ダメでもともとだと思って信じてみるとするか」
そう笑って言うと、太公望は目を閉じた。
「師叔…」
まるで、自分の考えが伝わったかのようなことばに、驚きとも喜びともとれない感情が楊ゼンの胸を満たす。
どうせ、鼻で笑われるのが関の山だと思っていたので。
「ああ、そうだ、楊ゼン」
目を閉じたまま太公望は楊ゼンに向かって言った。
「心配かけて、すまなかったな」
重なった手に、少し力が込められる。
「どういたしまして…ゆっくりお休み下さい、太公望師叔」
「うん……」
まるで子供のような返事に、楊ゼンは思わず顔をほころばせた。






まったく子供扱いしおって……。
大体こんなことで眠れたら苦労はせぬわい。
手を握るだのと……母親の手を探す赤子か?
…まあ確かに不思議と落ち着くのう…。
ふうむ……こやつの手はなかなか大きいのだな……。
む?つまりはわしの手が小さいということか?
むむむ……なんだか釈然とせぬな……。
……それにしても、あたたかい手だのう……。





太公望の寝息が聞こえるまで、それほど時間はかからなかった。






fin.





同人誌として発行したものの再録その一。
初めて書き上げた封神パロディ小説でもあるので、個人的には思い出深い作品です。
……出来はともかく(汗)

この小説に代表される(と自分では思っている)のですが、私の小説のオチはパターン化しているようです。
……何故か最後は寝ます。
比喩は一切無し。ただ眠るだけです(汗)
友人には「寝オチ」と評されました……
………駄目ですか?(聞くな)





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