遠くに貴方を想う
>41氏

「大佐…」
「ホークアイ中尉」
さっきからずっとロイ子はそこに佇んでいる。もう葬儀の参列者はとっくに帰ったというのに。
「風が冷たくなってきましたから」
そう促すホークアイの言葉にもロイ子は反応しなかった。

「中尉」
暫くの間、2人の間には沈黙が流れる。それを破ったのはロイ子であった。
「私は、何であいつの手を掴めなかったのだろう」
ロイ子とヒューズの間に何があったのかホークアイは知らない。そのまま黙っているとロイ子はぽつりぽつりと語り始めた。
「私はね、中尉…あいつにプロポーズされた事があるよ」
それは驚くべき告白だった。あの愛妻家として知られていた故マース・ヒューズの思いがけない姿。
「それを受け入れなかったのは私だ」
そして…と自嘲気味に続ける。

「あいつと私は愛人関係にあったんだ」

ゴロゴロ…頭上で雷の音がする。


マース・ヒューズと出会ったのは士官学校の時だった。その頃からロイ子は1人で居る事が多かった。
そんなロイ子の様子を心配して、声をかけてきてくれたのがヒューズだった。
「よう!」
「何ですか?」
「いつも1人で居るだろ?」
そう言ってヒューズはロイ子の事を強引に引っ張っていった。
ヒューズに連れられて、ロイ子はいろいろな場所に顔を出すようになっていた。いつもヒューズと一緒に居るので、学友の中にはヒューズとロイ子が付き合っているのではないかと思うものも大勢居た。
だが、2人の間にそんな関係はなかった。…少なくてもその時は。
ヒューズには故郷に許婚が居たし、ロイ子は間近に迫ってきていた国家錬金術師試験の準備に忙しかった。
「なあ、マスタング…お前は何で錬金術師になったんだ?」
ある日ヒューズはそう聞いてきた。ロイ子はその理由を考えてみる。当たり前のように錬金術師になろうと思っていた。
「母様が、錬金術師だったんだ」
ロイ子に父親は居ない。錬金術師であった母は、何かあるたびに呼ばれていた。そしてその母の許にやってくる人々の尊敬に満ちた目が忘れられない。
それをヒューズに話す。ヒューズは1つ溜息を付いた。
「けど…何故国家錬金術師なんだ?」
そんな母親に憧れて錬金術師になるのを目指したなら、国家錬金術師になろうという気持ちがわからない。
「国家錬金術師がなんて呼ばれているか知っているんだろう?」
錬金術よ、大衆の為にあれ。その錬金術を軍事国家に売り渡す国家錬金術師は、錬金術師としての尊敬の対象となる事とは無縁だ。
「知っている。けど、そうだな…それ以上に私は錬金術が面白いんだ」
だから、とロイ子は続けた。
「今となっては母も居ないし、錬金術を続けるには国家錬金術師になるしかないから」
そんなロイ子の事をヒューズは眩しげに見つめる。自分がやりたい事を明確に持っているロイ子は美しかった。
「まあ、頑張れ」
ありきたりの言葉しかかけられない自分自身に苛立ちを感じる。だが、ヒューズのその言葉にロイ子は微笑んだのであった。
そしてロイ子は国家錬金術師になった。
その知らせを待機先のホテルで受けた時、真っ先に知らせたいと思ったのはヒューズだった。
我慢出来ずに、通りにある電話ボックスに駆け込む。そこから士官学校の寮の外線に繋いで貰った。時間的にはもう授業が終わった頃だ。恐らくヒューズも部屋に居るだろう。
「ヒューズ?」
「ロイ子か」
その声にどきりとする自分が居るのに、今初めて気が付いた。
「そう」
動揺を声に出さないようにロイ子は冷静さを装って返事を返す。そう言えば…と思った。ヒューズがロイ子の名前を呼んでくれたのは初めてだ。いつもは『マスタング』と呼ぶ。それにヒューズは気が付いているんだろうか。
「どうだった?」
「ばっちり、1週間後には任命証が届く」
「そうか、良かったな!」
ヒューズのその声に胸が高鳴る。明日、士官学校に戻る事を告げて電話を切った。
電話を切った後も、胸がどきどきしている。今までどうやってヒューズと普通に話していたのだろう。
明日になればヒューズに会える。今夜は中々眠れそうに無かった。
「『焔の錬金術師』か…」
任命証と銀時計が届き、二つ名が与えられる。それを聞いたヒューズは感慨深げに呟いた。
「お前、後悔していないのか?」
ヒューズは心配そうに聞いてくる。今、東部の情勢がよくない。国家錬金術師の投入も噂されていた。そうしたら、ロイ子は最前線に出なければならない。
「心配してくれるのか?」
ロイ子はそれが嬉しかった。国家錬金術師の試験結果を知らせた日、ロイ子は自分の気持ちをはっきりと自覚した。
私はヒューズの事が好きなのだ。彼に愛されたいと思ってしまったのだ。彼には故郷に許婚が居るというのに。
「何か、お前は危なっかしいからな」
ヒューズはそう言って笑った。そんな一つ一つの仕草にどきどきしている。
「マース」
ああ、とうとう…言ってはいけないと思っていたのに。それなのに名前で呼んでしまった。
「ロイ子」
気持ちが通じたのだろうか。ヒューズもロイ子の事を名前で呼んでくれる。言っても良いか?迷惑ではないか?けれども、この機会を逃したらもう絶対に言えない。
「マース…好きなんだ」
言葉にするとたったこれだけ。けれども、この言葉を言うのにどれだけの勇気が必要だっただろう。
国家錬金術師の試験を受ける時もこんなに緊張しなかった。ロイ子はヒューズの言葉を待った。
だが、ヒューズから答えは無い。ロイ子は恐る恐る顔を上げる。突然がばりと抱きしめられた。
「痛い…」
強い力で抱きしめられて、ロイ子はそう訴えた。
「初めてか?」
ヒューズはロイ子の事をそっと抱き上げてベットに下ろす。
その間ロイ子はずっとヒューズの首にしがみついていた。
「ロイ子?」
ヒューズの声、ヒューズの瞳。
こくりと頷く。それは先ほどの疑問に答えたものなのか、それともこれから先の行為を容認するものなのか。
「ヒューズ」

ゆっくりと手を伸ばす。少し邪魔になっている眼鏡を外すと、ガラスに阻まれないヒューズの瞳がそこにあった。
ヒューズは丁寧に包装されたラッピングを外すようにして、ロイ子の服を脱がしていく。
いつもは制服の下にある白い肌、ほっそりした腕や足を見るだけで、下半身に熱が溜まっていくのがわかった。
「んっ…」
下着も全て取り去り、ロイ子の秘められた部分に指を這わせる。するとロイ子の唇からは甘い吐息が漏れた。
そのままくちゅりと音を立てて、ロイ子の中に指が入り込む。
「あっ…あぁ…っ!」
ロイ子の唇からは止め処も無い喘ぎ声が漏れていた。
「ああっ…!」
ぴちゃりと濡れた音がする。ヒューズは指だけではなく、舌も使ってロイ子の秘部を貪っていた。
「ん…ヒュー…ズ…」
ロイ子がヒューズの陰茎に触れる。それはびんびんに張り詰めていて、今にも爆発してしまいそうだった。
「ヒュー…ズ、わたし…も…」
ロイ子は体勢を変えてヒューズのものを口に含んだ。
亀頭をすっぽりと咥え、裏の筋に沿って舌を這わせる。
「ロイ子…」
ぐっと口の中にあるヒューズが大きくなり、次の瞬間には精液がロイ子の口の中に放たれた。
こくりと音を立てて、ロイ子はそれを全て飲み干す。口の端から飲み込みきれなかった精液が一筋、顎に伝った。
それからヒューズのほうを見るロイ子の視線はうっとりとしていて、まるで誘っているようにしか見えない。ヒューズはロイ子の頭を撫でる。
「良いか?」
ロイ子はそれに頷き、ぎゅっとしがみついた。
「ああっ…ん…」
ロイ子の中にヒューズが入ってくる。最初は苦痛しか感じなかった。けれども、ヒューズは優しくロイ子の事を扱ってくれた。
「マース…マース…」
うわ言のようにヒューズの名前を繰り返し呼んだ。その度にヒューズはロイ子の唇にキスをしてくれたのであった。
「ひっ…も…う…」
ロイ子がぴくん、と身体を強張らせる。中がぎゅっとヒューズの事を締め付けてきた。
その瞬間、ヒューズはロイ子の中に熱いものを注ぎ込んだのであった。

「ロイ子…大丈夫か?」
事が終わった後、ヒューズは丁寧にロイ子の身体を清めていく。その掌の感触に、ロイ子はまた熱を持ちそうになった。
「…ん」
こくりとヒューズに向かって頷く。ヒューズはロイ子の身体にシーツを巻きつけた。そして、ぽんぽんと頭を撫でてから部屋の外へと姿を消したのであった。
ロイ子はそんなヒューズの優しさに、涙が出そうになった。
だが、ヒューズには許婚が居るのだ。その事を思い出すと、その見た事も無い許婚に対して罪悪感が募ってくる。
ヒューズはどう思っているのだろうか。自分とその許婚とどちらのほうが大切だと思っているのだろうか。
そう思いながら、ヒューズが出て行った扉のほうをロイ子はじっと見つめていた。
あの後も、ヒューズとロイ子は暇があれば行為を行っていた。ヒューズはロイ子の葛藤を知ってか知らずか、故郷に居る許婚の事を話そうとはしなかった。
そして、士官学校を卒業し、それと同時にロイ子は国家錬金術師として最前線へと赴くことになった。
その隣にヒューズの姿は無かった。ヒューズは中央の作戦部で、後方支援のデスクワークを行うことになっていた。
ロイ子がイシュヴァ−ルに向かう時に、ヒューズは駅まで見送りに来てくれた。
「帰って来い」
ヒューズが言ったのはたったそれだけの言葉だった。
けれどもロイ子はヒューズのその言葉を支えにして、過酷な戦場を生き延びたのであった。
1年後、ヒューズは移動になりそれと共にイシュヴァールに赴く事になった。
「マスタング!」
1年ぶりに会ったヒューズの姿にロイ子は泣きそうになった。
「良く、生きていたな」
ヒューズは別れた時そのままの笑顔で、ロイ子の額にキスをする。
ヒューズに会えたのは嬉しかった。けれども、ヒューズまでこの地獄に来てしまった事にロイ子は悲しみを感じていた。
その日、2人は久しぶりに抱き合ったのであった。

それから何ヶ月かは、戦いも劇的な変化は無かった。
ヒューズは情報部員として、情報収集に当たり、ロイ子は言われれば最前線に赴く。そんな2人の姿に変わりは無かった。
だが、ヒューズは知っていた。情報部というのは機密情報も1番に教えられる部署だ。
即ち、国家錬金術師による最終殲滅線の事を。
それをロイ子に言う事が出来たら良かった。しかし、自分の隣で安心したように眠るロイ子にそれを伝える事が出来なかった。
そして、運命のその日。ロイ子は作戦本部に呼ばれる。そこに集まっているのは全て国家錬金術師であった。
「これより、我ら国家錬金術師はイシュヴァールの最終殲滅戦に向かう!」
国家錬金術師部隊の最高責任者であるグラン大佐がそう告げる。その内容の残酷さに、ロイ子は絶句した。
作戦を聞き、明日までの時間を自由にして良いとの許可が出たので、ロイ子はヒューズのところへと向かう。
ヒューズは黙ってロイ子の事を受け入れた。
「ヒューズ…私は…」
それから先は言葉にならない。これまでも、何人ものイシュヴァール人を殺した。こんな血塗られた手なのに、ヒューズはいつも優しくしてくれる。
「ロイ子…」
ヒューズは優しくロイ子の事を抱きしめる。そして、ずっと考えていた事を口にした。
「ロイ子、結婚しよう」
それはロイ子がずっと望んでいた言葉だった。けれども、ヒューズの許婚の存在がいつもロイ子の頭の片隅にあった。
「マース…お前には故郷に許婚が…」
それを聞いて、ヒューズは少し苦しげに、けれどもはっきりとロイ子に告げる。
「あいつの事は大切だ。いつも近くに居た兄弟のような感じだった。けど、俺が今…支えてやりたいと思うのはお前だ」
ロイ子はそれに即答出来なかった。待ち望んでいた言葉なのに、こんな自分で良いのかと思う。明日には、もっともっと人を殺す。自分だけこんなに幸福で良いのだろうか。
「返事は、お前が帰ってきたときにしてくれれば良い」
ヒューズはそう言って、ロイ子の事を抱きしめた。
その日の行為は、何時にもまして激しいものであったが、その事についてヒューズは何も言わなかった。

そして、次の日…ロイ子は最終殲滅戦へと向かったのであった。
黒いコートを翻して、宿営地を出発するロイ子の姿を、ヒューズは痛ましい思いで見送ったのだった。
賢者の石のレプリカの指輪は、昨日渡された。それをはめて、指を擦り合わせるといつも以上の火柱が立ち上る。
ロイ子はそれを涙を流しながら見つめていた。自分が消し去った命を。
もうどれだけの命を奪ったのだろう。そんな自分が幸せになる権利なんて無いのだ。けれども、ヒューズの近くには居たい。
程なく、最終殲滅戦は終わりを告げた。
だが、ロイ子はまだヒューズの待つ宿営地に戻る事は出来なかった。残党狩りと評した、裏切り者の処罰が待っていたのだ。

そこに居たのは、医者の夫婦だった。発火布は、もう使い物にならないほど血に濡れていた。
「撃て!」
グラン大佐の命令には逆らえない。だが、ロイ子はすぐに撃つ事が出来なかった。
ちくり、とお腹に痛みが走る。そんなロイ子の様子を見て、グラン大佐は再度命を下した。
「何をやっているんだ、撃て!」
その言葉にはじける様にして、ロイ子は銃を構えた。そして、ぶるぶると震えながらもその引き金を引く。

パンパンパン…

銃声と共に、その夫婦は倒れ伏した。その場に血だまりが出来上がっていく。お腹の痛みはさっきから強くなるばかりだ。
「何て事を!」
バン、と音を立てて扉が開かれ、そこからマルコーが姿を現した。
だがロイ子の耳にそれは届かない。マルコーはグラン大佐と何かを言い合っているようだった。その言葉がいやに遠くに聞こえる。
ただ呆然と血だまりを見つめているだけだった。その間にも、お腹の痛みはどんどん強くなっていく。
遂に、我慢出来なくなってロイ子はその場にしゃがみこんだ。
「マスタング少佐!」
マルコーの声が遠くで聞こえていた。それを最後にして、ロイ子は気を失ったのであった。
気が付くと、そこは暗い部屋だった。辺りを見回すが誰も居ない。白いシーツが目に痛かった。
「気が付いたのか…」
かちゃりと扉が開き、入ってきたのはマルコーであった。
「すまなかった」
マルコーはロイ子に向かって謝った。だが、ロイ子には何故マルコーが謝っているのかがわからなかった。
そんなロイ子の様子を見て、マルコーは溜息を付く。
「赤ちゃんは、流れてしまったよ…助けられなかったのは私の力不足だ」
信じられない言葉であった。無意識のうちにロイ子は下腹部に手をやる。全然気が付いていなかった。
そう言えばずっと生理が来ていなかったけれども、戦場に居る緊張感で遅れているのだとばかり思っていた。
「気が付いていなかったんだね?」
マルコーの言葉にロイ子は呆然と頷いた。ヒューズの子だ。大切なヒューズの子を宿していた事に私は気が付かなかった。
知らず知らずのうちに涙が頬を伝う。何で気が付いてあげられなかったのだろう。
「ごめん…ごめんなさい…」
ロイ子は謝ることしか出来なかった。だめなお母さんだった、あなたが居る事に気が付いてあげられなかった。
「私は、もう行かなければならないけど…気を落とさずに」
マルコーがそう言って、部屋を出て行く。
「待って下さい!私も…私も連れて行って…」
ロイ子はマルコーにそう懇願する。ここに居て何になるのだろう。ヒューズに会わせる顔が無い。
「君はまだ若い。まだ、やり直せる」
マルコーは首を振ってそう答えた。彼もまたこの戦いで傷ついた人間の1人なのだ。
やり直せる?やり直せるはずが無い。この身体にヒューズの子はもう居ない。取り戻せないのだ。或いは、禁断と言われる人体練成で子供を取り戻す事は出来るのだろうか。
「何を考えたのか知らないが、命を粗末にしてはいけない」
マルコーはそう言って部屋を出て行った。ロイ子はマルコーを引き止める術を持たなかった。黙って、彼が出て行くのを見つめているだけであった。
その言葉の意味は明白だった。たとえ人体練成で、あの子を取り戻してもそれは違うのだ。
ヒューズに言う事は出来ない。それならば、ロイ子が取れる方法はたった1つであった。
「無事だったか…」
ロイ子が宿営地に戻ったのは、体力が回復した1週間後の事だった。情報部は既に大半が中央に帰還していたが、ヒューズはロイ子の事を待っていた。
「ヒューズ」
ヒューズの顔を見ると泣きそうになった。私は、お前の子供を殺してしまったんだ…まともにヒューズの顔を見るのが辛かった。
今こそ、お前に答えを返そう。
「ごめん…あの話、無かった事にして…」
ヒューズの瞳が驚愕で見開かれる。
「何で…」
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
ロイ子はただ謝るだけであった。ヒューズはそんなロイ子の姿を見て、理由を聞くのを諦めた。もうどんな言葉をかけても、ロイ子から話を聞く事は出来ないだろう。
ヒューズはただ黙って、ロイ子の頭を撫で続けた。

その日の夜は、何もしなかった。
「私は、上に行く」
ロイ子は強い瞳でそう言い切った。上を目指し、この国を変える。そんな野望を持つ事しか、この喪失感を埋める事は出来ない。
「傍に、居てくれるか?」
家族になる事は出来なくても、ヒューズが傍に居ないのは寂しかった。
「ああ…」
ヒューズはロイ子の事を抱きしめる。だが、それ以上の行為はしようとはしなかった。
「妻にはなれないけど、愛人にしかなれないけど…」
この温もりを手放すことは出来そうに無かった。けれども、ヒューズには家族を持って幸せに暮らして欲しかった。それには自分では役不足だ。ヒューズの子供を、知らなかったとはいえ殺してしまった自分には。
「わかった」
それがロイ子の望みだと。妻ではなくて、愛人としてヒューズの傍に居たいのだというのが望みなのだとわかったから。ヒューズはそれ以上は何も言わなかった。

そしてヒューズは暫くしてから、故郷の許婚と結婚し、家庭を持ったのであった。
ロイ子も時折、ヒューズの家族と会っていた。ヒューズの妻となったグレイシアは、女性らしい暖かな人だった。彼女に会う度に、ロイ子はすまないという思いに捕われた。
だが、それでもヒューズを手放すことは出来なかった。もしかしたら、グレイシアもそれに気が付いていたのかもしれない。
結局ヒューズが亡くなるまで、その関係は崩れる事がなかったのだった。


「…と言う訳さ、中尉」
ロイ子はホークアイに全てを話し、話し終わった後にまたヒューズの墓を見下ろす。
「大佐…」
「なあ、あいつは私に何を伝えたかったんだろうな」
そして、ロイ子は跪いて冷たい墓石の碑銘をなぞった。
「M・a・e・s・H・u・g・h・e・s…」
ロイ子は墓石を抱きしめて、ぽつりと呟く。
「冷たいな、ヒューズ」
ホークアイは何も言う事が出来ない。
「何で、逝ってしまったんだ…マース…」
何で、何で?と何度もロイ子は呟いていた。
「・・・冷たいよ…マース…」
墓石を抱きしめたまま暫くじっとしていたが、やがて立ち上がってぽつりと言った。
「雨が…降ってきたな」
今にも雨が降ってきそうな天気だったが、それでもまだ雨は降っていない。
ホークアイは雨は降っていないと言おうとした。だが、その言葉は言えなかった。
ロイ子は静かに涙を流していた。ホークアイがロイ子の涙を見るのはそれが初めてだった。
「そう…ですね」
ロイ子の肩に黒いコートをかける。ざあっと風が吹いた。

その後、ロイ子とホークアイは東方司令部に戻った。ロイ子は列車の中でも一言も話をしようとはしなかった。
どこか遠くを見つめている、その姿をホークアイはただ見ていることしか出来なかった。
東方司令部に戻ると、いつもと変わりが無い日常が待っていた。
くだらない事から、重要な事まで司令部は休む暇が無いほどだ。
だが、そんな日常の中でロイ子の様子が何だかおかしい事にホークアイは気が付いていた。
いつも白い横顔が、今日はもっと白く見える。何だかぼうっとしている事も多くなった。
「大佐、具合が悪いのでは?」
ロッカールームで着替えている時に、ホークアイは思い切って聞いてみる。司令部のデスクでは聞けなかったからだった。
ロイ子は少し考え込むようにしたが、やがて首を振った。
「何でもない…大丈夫だ。それより来週からはいよいよ中央だぞ」
そして、着替えに手を伸ばそうとした。だが、その身体がふわりと倒れこんだ。
「大佐!」
ホークアイは咄嗟に腕を伸ばして、その身体が床に激突するのを防ぐ。だが、ロイ子の顔色は蒼白で冷たい汗をかいていた。
そのままホークアイはロイ子をロッカールームのソファに寝かせる。それから医務室に走った。
「先生!」
「どうした?」
「大佐が…」
その言葉に、医務室に居た女医は白衣を翻してロッカールームに走った。
「大丈夫か?」
ロイ子の様子を見るが、相当具合が悪そうだった。ホークアイに車を回してもらうように指示をする。
ホークアイが車を回してきたのを確認して、2人でロイ子の身体を支えた。そして車の中に運び込む。
「病院に」
出来る限りのスピードで、ホークアイは車をとばした。
「3ヶ月ですね」
病院の医師は、目が覚めたロイ子にそう告げた。
「…?」
ロイ子は咄嗟にその意味がわからずに困惑する。すると、医師はにっこりと笑ってもう1度告げた。
「ご懐妊ですよ」
ロイ子は思わず目を見開いた。
「あいつの…」
無意識に下腹部に手を当てる。今度こそ、ちゃんと産んであげたい。そう思いながら。
そのまま暫くじっとしていると、ホークアイが病室に入ってきた。
「中尉」
ロイ子の姿を見て、ほっとしたように溜息を付く。
「無理しちゃだめですよ、大佐…」
「すまない、中尉」
これからどうすれば良いのだろう。司令部の部下には話さなければなるまい。今、この中央に移動になる大事な時にどうすれば良いのだろうか。
けれども、どうしてもこの子は産みたかった。中央に移動してから、産休を取るべきなのだろうか。
そこまで考えて、ロイ子ははっとした。中央にはグレイシアが居る。ヒューズの妻だったグレイシアが。
グレイシアにこの子の事がわかってしまったら、彼女はどう思うだろうか。
「中尉…私はどうするべきなんだろう?」
思わず傍に居たホークアイに聞いてしまった。聞いたところで、自分が決断しなければならない事なのに。
「思うとおりになさって下さい。私たちはどんな事があっても、貴女について行くでしょう」
ホークアイのその言葉に、ロイ子は少しだけ肩の力を抜いたのであった。
翌日、出勤したロイ子は司令部の皆を集めて話をした。
「すまない…こんな大切な時に」
ロイ子が謝る事なんて今まで無かった。そして、それにも増してお腹の子の父親についての憶測が司令部を駆け巡った。
だが、ロイ子は決して父親の事を言おうとはしなかった。その口の堅さに、司令部の中でもいつしかその事を聞く者は居なくなった。

「それでは、イーストシティに?」
ホークアイは、ロイ子に呼ばれて話をされる。自分は暫くの間は中央には行かずに、このまま産休を取ると。
「何故ですか?産休を取るのはもう少し先でも…」
「今度こそ大切にしたいし、それに…中央にはグレイシアが居る」
ロイ子はそう言って、目を伏せた。暫くの間、沈黙が流れる。
「わかりました」
そう言って、ホークアイは立ち上がった。
「貴女の事ですから、私達の身の振り方は決めていらっしゃるのでしょう?」
ホークアイは、部屋を出て行くときにこうロイ子に言葉を残した。
「何時までも、お待ちしておりますから」

ホームで中央に向かう部下達を送り出す。これから1人で子供を産み、育てる事への不安が増していく。
家に帰っても、やる事が無い。今までの研究費も忙しくて殆ど使っていないし、貯めていた給料もある。
生活への不安はないけれども、何だか落ち着かなかった。
ふと、目に付いた店に入る。
「いらっしゃいませ」
そこは、マタニティ用品の店だった。そう言えば、何の用意もしていない事に気が付く。
「何ヶ月ですか?」
店員が聞いてくるのに答えながら、ロイ子は周囲を見渡した。
ピンク色の、ほんわかとした色ばかりだ。この色を見ていると優しくなれるような気がした。
薦められるままに、何着かマタニティドレスを買う。こんなふわふわしたのを着ている自分なんて、何だか想像できない。
ロイ子はくすりと笑った。それは、もしかしたらヒューズが亡くなってから初めての笑い声だったかもしれなかった。
それから何ヶ月かが経ち、ロイ子の腹もぽっこりと目立ち始めている。
「マース」
士官学校時代の写真。思えばこの頃が1番幸せだったのかもしれない。
「お前は、喜んでくれるのだろうか」
ロイ子は写真に向かって語りかける。この頃の日課はそれになっていた。
その時、玄関のチャイムが鳴る。ロイ子はゆっくりと玄関へと向かった。
「グレイシア」
そこに居たのは、ヒューズの未亡人であるグレイシアだった。ロイ子は気まずそうに視線を伏せる。
「お久しぶりね、ロイ子さん」
グレイシアと会ったのは、ヒューズの葬儀以来だ。何故、今になって尋ねて来たのだろうか。
「少し、良いかしら?」
ロイ子はその言葉にはっとし、家の中へとグレイシアを案内したのであった。

紅茶を淹れ、グレイシアの目の前に置く。そして、そのまま2人とも何も喋ろうとはしなかった。愛人と本妻、どうして話をすれば良いのだろうか。
「…今日は、これを渡したくて」
暫くたった後、グレイシアは傍らに置いてあったバックから封筒を取り出した。そこにはヒューズの筆跡で『ロイ子・マスタングへ』と書かれていた。
「あの人の遺品を整理していたら、出てきたのよ」
グレイシアは紅茶を一口飲む。
「私、貴女とあの人のことをずっと知っていたわ」
そして静かに言葉を続ける。
「あの人は隠し事が苦手だから」
ロイ子は黙って、机の上に置かれた封筒を見つめた。
「あの人の…子供でしょ?」
そう言って、ロイ子のお腹を見る。それからまた言葉を続けた。
「私ね、実家に帰ろうと思うの…だから、貴女も気にしないで」
中央で、ホークアイに会ったと言った。貴女の部下はずっと、貴女が帰ってくるのを待っているから。グレイシアはそう言って立ち上がった。
「元気な子を産んでね」
それからこう付け加える。
「私は、貴女の事を愛しているあの人を愛したのよ…」
その言葉に、ロイ子はただ立ち尽くすだけであった。叶わない、そう思いながら。
グレイシアが帰り、ロイ子はヒューズが残したという封筒を手に取る。暫しの躊躇いの後、ペーパーナイフで封を切った。
-----------------------------------
ロイ子へ

これがお前のところにあると言う事は、俺は死んでしまったのだろう。

俺は何故、あの時にお前に理由を聞かなかったのだろうか。
この前、俺は偶然にマルコー少佐に会った。
全てを聞かされた。彼は、お前の子の父親が誰なのかは知らなかったようだが。
お前に罪があるなら、俺にも罪がある。
お前の中に新しい生命が宿っていた事に気が付かなかったのは、俺の罪だ。
どうやってお前に詫びれば良かったのだろうか。
何故、あの時に俺は諦めてしまったのだろうか。
もうあの時には帰れない。
けど、どんな時にでも俺は…お前のことを1番に思っているから。
どうか、悲しまないで生きて欲しい。

ありがとう。
俺を愛してくれて。

マース・ヒューズ
-----------------------------------
ぽたりと涙が零れる。
「・・・マース…マース…」
ロイ子はその手紙をかき抱いた。こんな手紙があっても、お前はここに居ないじゃないか。
何で私たちはあの時にすれ違ってしまったのだろうか。封筒を取り上げる。するとそこからことんと硬いものが出てきた。
「…!」
それはシンプルなプラチナの指輪だった。裏を返してみると、そこにはヒューズとロイ子の名前が彫られていた。
ロイ子はそれをしっかりと握り締めた。指にはめてみると、あつらえたようにぴったりだ。
「…マ……ス…」
その指輪の上にも、ぽたぽたと涙が零れた。
2ヵ月後、ロイ子は元気な男の子を産んだ。
「ほら、元気な男の子ですよ?」
看護婦が生まれたばかりの息子を連れてくる。
「マース…」
黒い髪、瞳の色はまだ目を開いていないからわからない。ロイ子は愛しそうに息子を抱きしめた。
くうくうと寝息を立てる息子に、どうしようもない愛しさを感じる。
「貴方は幸せになってね?」
優しく、ロイ子は息子に向かって語りかけた。

数年後、2人の人影が小高い丘を登っていた。
「おかあさん、どこまでのぼるの?」
「もう少しよ」
ロイ子は、息子の頭を撫でる。
「着いたわ」
そこはヒューズの墓の前であった。
「最後に来てから、随分経ってしまったけど…」
息子は不思議そうに母の顔を見上げる。
「おとうさんよ」
ロイ子は息子にそう語りかけた。
「今、幸せだから…貴方が居れば、もっと幸せだったかもしれないけど、幸せだから」
そう語りかけながら、白い花束を墓石の上に置く。
「もう少しで、真実がわかるわ」
ぽんぽん、と膝の上の埃を払う。ここ何年かの調査で、やっとヒューズを殺した者の正体を突き止めた。
ホムンクルス…人造人間。どうして、彼らがこの国の暗部に居るのかはわからないけど。

「マース」
彼女の愛しい息子の名前を呼ぶ。
「おかあさん」
小さな息子の事をロイ子は抱き上げた。
この子の為にも、真実を必ず突き止めるとロイ子は心に誓ったのであった。

−Fin−















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