不倫
>9氏

雨が、降っている。
夜の闇の中、幾筋もの細い線を描きながら、それは一枚のベールのように彼女と外の世界とを遮断する。
一瞬の閃光が、辺りを昼間のように明るくした。彼女の白い顔が、闇の中に浮かび上がる。
カーテンをそっと持ち上げ、エド子は闇の中に目を凝らした。
―――彼が来る。

一歩、また一歩、ぬかるんだ土の上にその確かな痕跡を残しながら、激しく降る雨の中、彼はここへと訪れる。
今夜、俺を奪うために。

ドアの向こうにかすかな気配を感じ、エド子は呼吸を整えた。
扉に向かい、ゆっくりと手を伸ばす。これを開けてしまえば、もう後戻りはできない。
ほんの少しの躊躇いが、彼女の動きをふと鈍らせる。だが胸の奥に燻り続ける情念は、彼女のそんな良心など簡単に焼き尽くしてしまうほどに熱い。
これまで自分が自分であると信じて疑わなかったもの。
彼女を支えてきた良識という名の嘘。
その全てを打ち砕くものが、この扉の向こうにある。
エド子はドアノブを握りしめる手に力を込め、ゆっくりとそのドアを開いた。
途端に、雨交じりの風が室内になだれこんできた。
その冷たい感触に頬を晒したまま、彼女は目の前に立つ男を見つめる。
「・・・・・ロイ・・・・・。」

男は雨に濡れた外套を剥ぎ取った。
それが、湿った音をたてて床に落ちる。
そして無言のまま、エド子を抱きしめた。漆黒の髪から滴り落ちる雨の雫が、彼女の首筋を伝う。
危険であればあるほど、惹きつけられる。
その甘美な誘惑に抗うことすら忘れ、ただ恍惚として自ら足を踏み入れてゆく。
物語の中、美しい吸血鬼へとその身を委ねた乙女の気持ちは、こんな感じかなのかもしれない・・・・・。
彼の逞しい胸に頭を凭せ掛けながら、エド子はぼんやりと思った。
マントルピースの奥に燃えさかる炎を、エド子が膝を抱えてじっと見つめている。
その小さな背中を、ロイが抱きすくめた。

「後悔しないか?」
「今更・・・・・もう遅いよ」
呟くようにそう言ったエド子に、ロイは少しからかうような笑みを浮かべる。
「抵抗すればいい。君は今夜、力ずくで私に犯される哀れな人妻だ。皆同情する」
「同情なんて・・・・・するわけがないだろう?」
含み笑いをして、エド子が答える。
「アンタの為に装って、明かりを消して、ドアの鍵を開けた俺を・・・・・。
一体何処の誰が哀れだと思ってくれるっていうんだ?」
「・・・・・そうだな」
ロイはぐいとエド子の細い顎を上向かせ、その唇を貪る。
息が苦しくなるほどの激しい抱擁と口づけに、エド子はかすかに身悶えた。

が、ロイはその腕を決して弛めようとはしない。
空気を求めて離れようとする唇に、なおも熱い想いを押しつけてくる。
「ロイ・・・・・、待って・・・・・まだ・・・・・」
やっとそれだけ言ったエド子だったが、それはロイの内なる炎をますます煽り立てただけだった。
「まだ・・・・・何だ?こんなに甘い香りで俺を誘っておきながら、心の準備ができて
いないとは言わせないぜ。」
ロイはエド子の身体を強い力で床に押し付けると、夜着の胸元から右手を滑り込ませた。
そのまま押し包むように白い膨らみを揉みしだく。
暗い、炎―――。
エド子はロイの瞳にそれが揺らめくのを見た。
彼女は知っていた。
その業火にまかれ、身を焼き尽くすまで狂っていく自分を。
「君にまだ良心が残っているというなら・・・・・私を今すぐ殺せばいい・・・・・。」

耳元に息を吹きかけながら、ロイが囁く。エド子は喘ぎながら、うわ言のように繰り返す。
「できない・・・・・そんなことできない・・・・・。」
ロイはふいにエド子の頬を両手で挟み、その瞳を覗き込んだ。
「なぜだ・・・・・?なぜ私を殺せない?」
唇が触れ合うほど近くに顔を寄せ、ロイは囁き続ける。

「・・・・・言ってくれ。愛していると。私を愛しているから、殺せないと。」
「あ・・・・・。」
ロイの熱い右手がエド子の夜着の裾から滑り込み、足の付け根からウエストのくびれを撫でさする。その痺れるような甘い感覚に、エド子は次第に身体の力が抜けていくのを感じた。
「だめ・・・・・言えない・・・・・。言いたくない・・・・・。」
ロイの指が、下着の隙間からエド子の秘唇をまさぐる。
「身体は・・・・・こんなに欲しがってるのに・・・・・?」
「あ・・・・・うんっ・・・・・!」
ぐいと差し込まれた指に、エド子が思わず声を上げる。
「俺は・・・・・本気になんてならない・・・・・あんたは・・・・・俺があの人のものだから欲しがってるだけ・・・・・俺があんたに全てを与えてしまったら、あんたはきっと俺か ら興味を失う。
だから・・・・・心はやらない。身体は与えても、俺の心までは・・・・・。」
「エド・・・・・」
ロイの吐息が、エド子の首筋にかかる。その瞬間、エド子が失ったのは理性というものだったのかもしれない。気がつくと、彼女はロイの逞しい首を抱きかかえるようにその身を押しつけ、自ら唇を求めていた。
身につけているものを全て剥ぎ取られる。暖炉の炎と蝋燭の明かりが、その白く華 奢な裸体を浮かび上がらせた。
ロイの舌が、エド子の首筋から肩、胸元へと這うように移動する。
その生暖かい感触に身体を震わせながら、エド子は熱い吐息を漏らす。

淫らな女。卑怯な女。
エド子はロイの愛撫に身をまかせ、ただその言葉を繰り返し胸の奥で 呟いていた。
自分に、こんな大それたことができるとは思ってもみなかった。
夫を愛してはいても、夜毎自分を苛む身を切られるような寂しさと、身体の奥から沸き上がる欲望の火照りを静めることはできない。
いや、愛しているからこそ、こんなにも追いつめられるまで俺は自分を押さえてきたのかもしれない。
こんな俺を・・・・・ただ肉欲のみに支配され、男の肉棒さえ嬉々として口に含む俺をあの人は知らないのだ・・・。
そう思うと、エド子の身体に新たな快感が走る。

・・・・・目の前にいるこの男は、自分にとって何なのだろう。
相手の全てを食らい尽くし、一つになりたいと渇望するこの想いも愛というのなら―――俺は確かに、この男の事も愛している。
彼の、闇夜を思わせる黒髪、冷たい黒曜石の瞳、そし て汗の臭い。
腕の中に掻き抱けば、干上がった喉にごくごくと冷たい水を流し込んだように、満たされる。
自分の中で欠けていたものを、彼がぴったりと埋め合わせてくれると同時に、
それまで自分をがんじがらめにしていた日常という呪縛を全て 解き放ってくれる・・・・・そう信じていた。
だがエド子は感じていた。
部屋の隅に、ランプシェードの影に、ダイニングテーブルの傍らに。
あの頃から純朴な自分を愛し続ける男の、虚ろな暗い瞳を。

肉の快感は、罪の意識までもその暗い淵に引きずり込んでさらなる増幅を果たす。
共にその業火に身を焼こうと願い出た男は、エド子という人間に惹かれているのか、それともこの罪の淵に惹かれているのか・・・・・彼女にはわからなかった。

わかっているのはただひとつ。

この男は、清らかな俺を求めているのではないということ。
この男が抱きたいと思ったのは、その内に猛り狂う程の欲望を秘めた、罪深い女。
あの人の、女。
あの人が愛する俺も、この男が愛する俺も、同じ俺であることには変わりないというのに。
身を二つに割こうとするこの感情が、一つになることなど永遠にありはしないのだと最初からわかっていながら、足を踏み入れてしまった。
もう、引き返すことなどできはしない。

窓の外で、降りしきる雨。
波打つように突き上げる感覚に声をあげながら、エド子はその雨の狭間にいた。
己を刺し貫こうとする銀の矢を一身に受けながら、それでも僅かな身の置き所を求めて、エドは自分の肩を抱く。
たった一人、その小さな肩を抱く。
いつ止むとも知れぬ雨に晒され、いつかこの身は腐り果て、溶けてしまうかもしれない。
それでもきっと、この孤独は癒されることはないのだ。―――永遠に。

暖炉の炎に重なり合う、二つの影。

雷鳴が、轟いた。







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