>831氏

山梔子の甘ったるい香りが夜気の中に漂っていた。
強い香気が息を詰まらせそうにする。
闇にぼんやり光る幾つもの白い花――すでに黄色く枯れかけているものが混じっているのに、生き物のような香りはねっとりと重く肌に纏わりつく。
「……いつまでも匂うものだな……」
何日か前に同じ道を通った時には、その香りはもっと軽やかにすがしかった。
開きかけたばかりの花も真っ白で。

『この花は、何処となく鋼のに似ている気がするな』
折り取った一輪を髪に挿してやってそう言うと、少女は頬を染めて照れ臭そうに笑った。
見上げてくる澄みきった大きな金色の瞳。
無条件の信頼を映したきらきらと輝く明るい目――。

男は枯れかけた花の一つを毟り取り、地に捨てた。
「…まったく、鬱陶しい……」

その呟きはいかにも忌々しげに、苦く耳に残った。たとえば、部屋で語らう時。
共に、木陰の下を歩いた時。
ふわりと風が輝くその髪を揺らす瞬間。
何ということもない、ふとした折りに生じる不条理な感情。

――何故、この娘はこんなにも眩い輝きを纏っていられるのだろう?――


少女の滞在する宿の部屋を訪ねてみれば、丸いテーブルの上には硝子花瓶に生けられた抱えるほどの山梔子の枝。
「……鋼の、これは?」
「アルが摘んで来たんだ。そろそろ時期も終わるけど、まだ綺麗に咲いてるから泊まっている部屋に飾ればいいよって。いい香りだろう?」
大佐がこの間くれたのと同じ花、と続けた少女が差し出したカップから立ち上る珈琲の香りが花の匂いと入り混じる。
「あぁ、でも…この辺はもう駄目だな」
活けられた束の中から、花弁の端が黄色く変色しかけた花の一つを摘む少女の細い指先を甘い匂いが染めるのがまるで目に見えるようで、逸らした目に映るもうひとつの花瓶。

「…こちらも、取り替えたらどうだ? 完全に萎れている」
「ん、それはいいよ」
窓辺の一輪ざしを取り上げようとした彼の手を少女が止めた。
「これは、まだ暫く取っておくんだ。だって、初めて……」  
意識の深淵の縁にゆらりと立ち上がる黒いもの。
「…初めて、あんたに貰った花だから……」

朱に染まった頬を隠すよう、少し俯き加減で小さくそう呟いた、少女の姿に眩暈がした。
何故だ?
戯れに与えた道端のあんな花ひとつで、何故そんなにも喜べる?
己の信じた未来を真っ直ぐに見据えて歩く、
この健気でひたむきな少女が寄せる純粋な想いに縛られる。

――どれほど汚してやれば、この娘の信頼が砕けるのだろう?
芽生えた感情を消しもせず。
育つがままに放置する。
そして、小昏い意識が花を開く。
花はいずれ枯れる。醜く萎れる。

―――枯れるのを見たくないなら―――
聞こえたのは誰の声だ?
―――その前に手折ってしまえばいい―――
手折って、踏みにじって、壊してしまえと誘う声。

何処で誰が話しているのかはわからない、構わない。
開いた花から振りまかれる誘いの甘い香りが男の脳髄を麻痺させた。
花弁を摘む少女の手首を掴む。

「……大佐?」
きょとんと見返す少女の目には問いかけの色はあっても、すぐに浮かぶであろう驚きと怯えの色はまだない。
「あの……どうかしたか?」  
がたん、と椅子の倒れる音が室内に響く。
「や、止めっ…大佐っ……!!」  
力を入れるまでもなく容易く押さえ込める華奢な躯。
止め紐を解かれ、淡紅色の絨毯に乱れ広がった金糸の髪。
シャツを引き裂き、飾り気の無い下着をたくし上げて、汚れを知らないその柔肌をあらわにさせた。
抗う躯を抑えつけて、手加減なしに2、3度頬を打ち据える。
それだけで 少女の抵抗の意思が萎えるのを感じ取って、準備も出来ていない躯に圧し掛かった。
唇から掌から伝わる少女の恐怖を力尽くで捻じ伏せることへの歪んだ悦びが男を変える。
 
蹂躙して貪るだけの只の獣に。
噛みつくような口づけなど、けして少女の望むものではないと知っていたのに。
花が、血に染まる。
「嫌ぁ―――っ!!」


己の下で叫んだ少女の声が耳から離れる日が来るのだろうか。
汗ばんで硬直していた躯。
どうにかして逃れようと無駄なあがきを続けていた少女の瞳にどんな表情が浮かんでいたのかは、見なかったので知らない。
ふと見上げると、積乱雲が空の端にかかっている。
雨、か――。
それは、焔の練成を得手とする己にとって最も忌むべきモノである。

しかし、今は激しい雨に打たれたいと、この身に纏わる花の移り香を流し落としたいと、
心の底から願った。









テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル