懐旧
>532氏

生まれて初めて見た国家錬金術師は思いのほか小さな生き物だった。
ふれるとばらばらに崩れてしまいそうで、どういうふうに接すれば良いのか俺はずいぶんと悩んだものだった。

規則正しい呼吸がくぐもってきこえる。
胎児のように小さく体をおりたたみ、ハボックの腕の中で安寧な睡眠を貪っていた。
きつい瞳が隠れるとこの上官は信じられないほど幼く見える。

つい数時間前の熱く爛れた行為の痕跡はその寝顔からは片鱗もうかがえなかった。
額にかかったクセのない黒髪をはらいうっすらと汗の浮き上がった生え際にチュっと音をたてて口付ける。

ロイ子の肩がぴくりと震えた。一瞬だけ震えた体がもぞもぞとハボックの胸へすがりついてくる。

「目、覚めちゃった?ねえ、大佐?」
その問いに応えるようにううんと小さく首を横にふる。夢現を彷徨っているのか何かを探すように迷うロイ子の手をハボックはそっと握った。



あの頃。あのイシュバール内乱の当時、ハボックは士官学校に入ったばかりの学生だったが前線に動員されていた。
即時卒業の扱いになり同期のやつらもそれぞれの任地へ向かった。
入学式のあと慌しく教練を受けるとそのまま前線へ送り込まれる。
貧乏くじをひかされたとずいぶん愚痴っていた。
そんな学生気分の抜けない新任准尉がどんなに邪魔だったか今なら良くわかる。
それでも、任地は牧歌的な風情を残す場所で争いなどどこか遠い地の出来事だと思える程平和な場所だった。

黒い髪と黒い瞳を持った焔の国家錬金術師が現れるまでは。
軍服の上に黒い外套を羽織ったその人に表情はなく睨みつけるようなきつい目元と白い手袋だけが印象に残った。

その人は中央からついてきた戦術参謀を引き連れて箱庭のようなイシュバールの集落を高台から望むと白い手袋をはめた右手を目の
高さまであげると、一度だけパキンと指をはじいた。
その瞬間、爆音が響き爆風があたりを襲った。高熱の空気が質量をもっておもちゃのような箱庭を一瞬で駆け抜ける。

すげえ

自分の生み出した焔がどんな結果をもたらすのかその人は充分すぎるほどわかっていたのだろう。
瞬きすることなく焼き払われていく集落を凝視していた。
その様に満足気に頷くと戦術参謀たちは中央へと引き返して行った。

背筋を伸ばし敬礼で彼らを見送る。砂煙が見えなくなるまで微動だにすることなくその人は彼らを睨みつけていた。
「もう、良いでしょう。行きましょうか、少佐。少佐?」
ぐらりと自分より一回りは小さな体がゆらりと傾いだ。とっさにその腕をとり体を支える。
「いやだ、離せ」
力なく囁く声にハボックは驚いた。ハスキーでも、あきらかに女の声だと
わかるかぼそい声。
「あんた、女。だったのか?」
「だから、どうしたと言うのだ」
気持ち悪い、吐くと搾り出すようにつぶやくとロイ子はハボックの腕をふりほどき地面に手をついた。
げえげえと吐き出されたそれはすでに吐く物もないのだろう胃液のようだった。
言葉もなくハボックはぜえぜえと上下する肩を抱き取ると背を労わるように撫でた。

「少佐。宿舎に戻りましょう」
ハボックの言葉にロイ子は頷いた。
佐官と言う事もありロイ子の宿舎は比較的ゆったりとした造りになっていた。ベッドの縁へ腰掛けさせると汚れた軍服の上着に手をかけようとして困ったような笑みをロイ子へ向ける。
細められた青い瞳を不思議そうに見上げるロイ子の頬にさっと朱がはしった。
「すまなかった准尉」
「お湯持ってきますからその間に着替えておいてください」
こくんとロイ子が頷いた。
しばらくしてお湯を抱えて戻ってきたハボックを迎えたのは一糸纏わずベッドの上にぽつんと座り惚けたように中空を見つめるロイ子の姿だった。
持ってきたお湯を危く落としそうになったハボックにロイ子は消え入りそうな微笑みを向ける。
「准尉。面倒かけついでに頼みたいのだが……」
体を拭いてくれるか?と首を傾げた。
しみ一つない真っ白な体は砂糖菓子のようでふれるととけて無くなってしまうような錯覚にとらわれた。
ごくりとつばを飲み込むとハボックは覚悟を決める。
熱い湯にタオルを浸すと固くしぼり、ロイ子の背にあてた。
俯いたロイ子の項が真っ赤にそまる。
それには気がつかないふりをしてハボックはゆっくりとタオルを動かした。
やがてロイ子の背がゆれて、シーツにぽたぽたと水滴が落ちた。
「少佐?」
ハボックはタオルをおくと少しだけ戸惑ったが意を決してロイ子の前にまわると跪いてロイ子を見上げる。
ロイ子は手で顔を覆って泣きじゃくっている。

やばい

見上げたハボックの視線の先に顔を覆った手の肘があたりちょうど中央に寄せられるような形になった胸が上下している。

ハボックは気づかれないように大きく息を吸い込むと己の動揺を鎮めようとするが、体の一点に血液が集中するのをとめようもなかった。

「少佐、あとは自分で……」
あたふたと立ち上がりロイ子の宿舎をあとにしようとするハボックに信じられない言葉がふりかかった。
「ダメだ。行くな」
ハボックの軍服のすそをロイ子は掴んだまま離さない。
「少佐、この状況は。ちょっとまずいです」
ハボックの動揺はすでに隠しようも無いほど大きく膨らんでいる。
「ダメか?准尉?私だとダメか?」
涙のあとの残る頬にむりやり笑顔を浮かべ潤んだ瞳でロイ子はハボックをまっすぐ睨みつける。
「俺、誘われてるんですよね?」
いわずもがなことをハボックは口走る。
「俺、初めてですよ。って、言うよりどうしたんですか?少佐」
「安心しろ、准尉。私も初めてだ」
すっかりパニックに陥ったハボックを少しだけ余裕を取り戻したロイ子は面白そうに眺める。
「俺なんかからかって面白いですか?」
「からかってなどいない。本当にダメか?准尉」

神様、ごめんなさい。ハボックは心の中で十字を切ると軋むベッドに膝をのせた。
ロイ子の体をゆっくりとベッドへ押し付けると、器用に軍靴を足だけで
脱ぐ。ハボックの金色の頭をロイ子は胸に抱き寄せた。

翌朝、目覚めたハボックが見たものは真新しい軍服をきちんと着こんでベッドの縁にこしかけて、自分を覗き込んで微笑むロイ子だった。

あわてて起き上がろうとするハボックを制すると、寝癖のついた髪をそっと梳いた。
金色のハボックの髪をロイ子は眩しそうに見つめている。

「すまなかったな、准尉。悪いとは思ったが利用させてもらった」
その静かな物言いからハボックはすべてが終わったと理解した。
ベッドの中でハボックに抱かれながら、うわごとのように喘いでいた禁忌と言う言葉。

創るな殺すなと熱に冒されてとぎれとぎれに紡がれる言葉は愛のささやきとはかけ離れていた。

「准尉、名前は?」

ああ、そうか。この人は俺の名前も知らなかったんだ

「ジャン・ハボックです。少佐」
その人はうんと頷くとベッドを離れた。
「申し訳ないが、ハボック准尉。ここは片付けておいて欲しい」
扉の前で立ち止まると振り向いた。
「准尉、死ぬなよ。もし、私も運良く生き残る事ができれば、そうだな名前くらいは覚えておこう」
その人は教本のお手本のような敬礼を残すと、朝の光の中へと消えて行った。



「ねえ、大佐。覚えています?」
まだまどろみの中を彷徨っているロイ子の耳元でハボックはささやいた。









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