微妙な関係
>66氏
病室の、隣のベッドで眠るロイ子の姿を、ハボックは見つめた。
時刻は既に深夜で灯りは消されているが、夜目は効くほうだ。
「なんだハボック。眠れないのか?」
不意にロイ子に声をかけられた。
「起きてたんですか」
「いや、今目が覚めた」
寝返りを打って、ロイ子はハボックの方に顔を向ける。
暗い病室の中でも、その黒髪はいっそう深い色で、肌の白さを際立たせていた。
「大佐、怪我してかわいそうな部下のお願い、ひとつ聞いてくれませんかね」
「なんだ?」
「こっち来て、一緒に寝てくれませんか?」
「おまえ、ここをどこだと思っている」
「何にもしませんよ。添い寝して欲しいだけです」
「……わかった」
極力音を立てないように、そして腹の傷に響かないように、
そっとロイ子はハボックのベッドの方へ移ってきた。
本当は、隣のベッドまで移動するだけでも傷がひどく痛んでいるだろう。
できるならハボックがロイ子のベッドに行きたかったが、動かない足では無理だった。
そして、まだそれをロイ子に悟られたくないのだ。
ハボックの隣に横になったロイ子は、幼子にするようにハボックをその胸に抱きしめた。
元気のない部下を彼女なりに慰めようとしてくれているのだろう。
ハボックとロイ子は日常的にセックスをしたが、
その関係は、恋人同士などという甘いものではない。
上司と部下であり、絶対的な信頼と忠誠があるけれど、それ以上でもそれ以下でもない。
それなら何故そんな相手と抱き合うのかといえば、
一番正しい答えを言うなら『性欲処理』なのだろう。
ハボックにとっても、ロイ子にとっても。
他に相手がいないわけではないが、
仕事柄、その相手に望む時に望むように会えるわけでもないし、
手近にいて、気心の知れた遠慮の要らない相手というのは色々都合が良かったのだ。
それでももちろん肉欲だけでなく、精神的な安堵も求められた。
ロイ子の豊満な胸に顔をうずめているとハボックは赤子のように安心できたし、
またロイ子もハボックの優しい腕に癒しを求めていた。
恋人でもない相手に、セックスという手段でしか安らぎを与えられない、
愚かしい──けれど何より大切な絆だった。
ロイ子のプロポーションは完璧だった。
豊満な胸に、引き締まった腰、すらりと伸びた手足は男どもの目を引いた。
けれど軍服を脱いだその肌はお世辞にもキレイとは言えなかった。
腕にも足にもいくつも銃創があったし、背中には散弾銃の破片がまだ残っていて、
表面の皮膚の下には黒い痕が見えた。いくつかの手術痕もある。
そして、胸には明らかに煙草を押し付けられて出来た火傷の痕がいくつもあった。
それはどうしたのかと問えば、昔、上官に夜伽を命じられ、
慰み者にされているときに面白がって付けられたのだとなんでもないことのように答えた。
それ以来、ハボックはベットで煙草を吸うのをやめた。
そんな気遣いを、ロイ子は健気な男だと笑った。
軍にいる女性にとって、『そんなこと』は、日常茶飯事とはいわずとも、
あたりまえのようにあることなのだろう。
あの潔癖に見える中尉だって、暴行を受けたことくらい、二度や三度といわずあるのだろう。
戦場にいたのならなおさら。
『その程度のこと』で挫けるくらいなら、軍にいる資格はないのだ。
それに一方的にやられるだけではなく、
ロイ子は出世のために自ら身体を使うこともあった。
上官に取り入るためだったり、情報を引き出すためだったり、理由は様々だ。
だがそれが必要と判断したとき、ロイ子は身体を使うことをためらわない。
当然のように狒々ジジイのイチモツを咥え、いやらしく腰を振ってみせた。
本当の意味で『軍』も『戦争』も知らない者から見たら、
きっとロイ子は『醜く汚い女』なのだろう。
戦場で多くの者を殺した過去も、身体中の傷跡も、誰にでも足を開くその性癖も。
実際、影でロイ子を悪く言う者は多くいる。
だがハボックはそんなふうに思ったことは一度もない。
こんなに美しく高潔な者はいないと思っている。
だからハボックは、ロイ子を抱くとき、まるで宝物のように抱きしめ、
その傷の一つ一つに恭しく口付けを落とした。
それを見て、ロイ子はまた、やっぱりおまえは馬鹿だなと笑うのだ。
人造人間との戦いで、もともと傷だらけだった体には、さらに大きなケロイドができた。
腹部を半分覆うほどのその傷は、引きつり盛り上がり変色していた。
痛々しさよりも、人間の皮膚とは思えないその形状に、人々は眉をひそめるだろう。
だがロイ子自身はそれを気にしたふうもなかった。
傷とひきかえに、部下を1人も死なせることなく人造人間に勝つことが出来た。
それが重要だと言う。
ハボックは、ロイ子に殺された人造人間を思い出した。
ソラリス、と名乗っていた。本名は結局分からないままだ。
美しい女だった。ソラリスの肌には、傷ひとつなかった。
それは人造人間ゆえの再生力のせいだったと今なら分かるが、
それでも、その傷ひとつない滑らかな肌よりも、
この傷だらけの、ひどいケロイドを負った身体の方が、
比べることも出来ないほどキレイだと思った。
人造人間の強さを、再生力を、羨ましいと思ったこともある。
だが、今なら分かる。彼らは、カワイソウな生き物だ。
哀れな、キレイなだけのお人形だ。
だって彼らは、こんな強さも、こんな美しさも持っていない。知ることもない。
「大佐」
「ん、なんだ?」
「……なんでも、ないです」
感覚のない己の両足を恨めしく思う。
歩けなくなった、そのこと自体が哀しいのではない。
エドのように錬金術が使えるわけでもなく、
ブレダやファルマンのように頭脳が卓越しているわけでもない。
ハボックにとってはこの肉体しか武器はないのに、それを失ってしまった。
彼女の傍にいる資格を失ってしまった。
それを告げたら、彼女はどんな顔をするだろう。
肉体に与えられるどんな傷も、彼女を打ちのめしはしないけれど、
その心に与えられる傷は、何よりも彼女を痛めつける。
ロイ子を傷付けたくなんてないのだ。
願わくば、使えなくなった玩具を捨てるように、捨ててもらえればいいと思う。
後悔とか懺悔とか憐憫とかそんなことを感じることなく、
なんのためらいもなく捨ててもらえればいい。
使えない部下はもういらないと、振り向くことなく立ち去ってくれたなら、
きっと、悔し涙のひとつでも流したあと、この動かない体でそれなりに生きていける。
軍を辞め、どこか田舎の片隅でひっそりと暮らしながら、
新聞の片隅やラジオから漏れ聞こえる女性将軍の活躍に、
ふと昔を懐かしみながら生きていくのだ。
明日。明日になったら、この足が動かないことを伝えよう。
いつまでも引き伸ばしても仕方ない。
だからせめて、今夜くらいはこの胸に抱きしめられたまま、
優しい夢を見たいと思った。
終