目がさめたら
>87氏
目を閉じて横たわる姿は全くいつも通りだった。
今にも目を覚ましそうに見えたのに。
「……なにやってんだ…」
ばか、と。続いた言葉は少しだけ湿り気を帯びていた。
投げつけられた手榴弾を焔で弾き飛ばしたのだと聞いた。
その際に部下を庇って爆風で飛ばされて全身を強打したのだとも。
アメストリスの頂点に立ったというのに、相も変わらずこの男は前線に立とうとするのだ。
それでもし怪我を負えば部下や護衛の立つ瀬は無いし、余計な仕事も増えると言うのに。
「早く起きろよ」
落とすのは触れるだけの口付け。童話や昔話なら、これでとっくに『めでたしめでたし』で終っている筈。
だが
男は未だ、目覚めない。
この国の若き指導者の現状は、公式にはただ『負傷療養中』とされた。軍病院関係者でも、実際の容態を知るものはごく僅かだ。
人の口に戸は立てられぬという理由から、彼の世話のほぼ全ては未だ幼さを残すその妻に一任された。
一週間。泣く事も出来ずにただ懸命に動き回って――真夜中、眠る顔をただじっと見つめていると、ぽろりと一粒涙が頬を伝った。
限界だった。
堰を切ったようにあとからあとから溢れる涙がシーツと男の顔を濡らす。
起きて、はやくおきてただ名前を呼んで欲しい。
震える指先をそっと男の唇に伸ばす。触れた瞬間、電撃が走ったようにびくり、と身体が揺れた。
それが何なのか自覚する間も無く、思わず自らの身を抱くように這わせた腕の、奥。
早まる鼓動と持て余す熱に、ようやく彼女は理解した。涙の訳を。
自分は欲情しているのだと。心も躰も、この男だけが足りなくて身も世も無く悶えているのだと。
篭もる熱を鎮める方法などただ一つしか知らないのに。それが出来る唯一の人物は微動だにせず横たわったままだ。
どうしたらいいか分からず体温だけが上がっていく。
……自分で?
浮かんだ思考に慌てて首を振る。そんな事出来る筈がない。
性的な知識や興味を持つ前に、自慰など覚える以前に教え込まされたのだから―――目の前の男を。
躊躇いながらも意を決したように、エド子は羽織っていたカーディガンを床へと落とした。その下に着ているのは白と淡い水色のストライプの、七部袖のワンピースだった。
前開きの釦を、上からゆっくりと外していく。時折、指が震えて上手くいかなくなり舌打ちを挿みながら。
「……っ、ちっきしょ……」
下まで釦を外し、完全に肌蹴られたワンピースの下から現れたのは紅潮して薄く染まった肌とスノウホワイトのブラとショーツ。そっと下肢に手を伸ばしてみれば布越しにすら濡れた感覚を感じ、居た堪れなさに泣きたくなった。
病院のものにしては広すぎる寝台に乗り上げ、両膝を付く姿勢で男を見下ろす。(少なくとも見かけ上は)暢気な寝顔が酷く腹立たしい。
そういえば以前一度だけ、男の手に導かれて自らの指でここを弄った事があった。
『一人でした事は?』
訊ねられた意味がわからなくて首を傾げれば、苦笑と共に左手を取られ
『ここに』
熱が抜けたばかりの入り口に触れさせられて。予想だにしなかった展開に目を見開いて男の顔を見れば。
返ってきたのは人の悪い笑みと
『自分の手で触れたことは?』
揶揄するように、わざと声を落として、耳朶を舐るように告げられた言葉。
『あ、あるわけないだろっ!!!』
憤死しそうな思いで怒鳴り返しても、男の様子は何処吹く風で『やはりそうか』と呟くと、そのままエド子の身体を抱えてバスルームへと向かった。
後始末をしてくれるのかと思いきや。バスタブの淵、備え付けの鏡の前に降ろされ、恥部が見えるように無理矢理に脚を開かされる。
『なにすんだっ!』
男の手から逃れようと身を捩れば、腰を下ろした淵から滑り落ちそうになり、逆に男の腕に縋りつく羽目になってしまった。くすりと笑う気配に睨み上げると、ひどく楽しそうな色を浮かべる黒い瞳が見下ろしていた。
寒気にも似た、ぞくりとした感覚が背を撫でる。コイツがこういう顔をしている時は碌な事はない、と経験上わかっているのに。それから逃れられない、という事も同時にわかってしまっていた。
『やり方を教えてあげよう。淋しい時には自分で慰めなさい』
『そっ……そんな事にはなんねーから!いらねーよ。放せっ!!―――っ』
不意に再び手を取られて指を突き入れられた。ぬかるんだような感覚を纏って沈む指、それだけで容易に熱の上がる躰。されるが侭の自分が悔しくてたまらない。
『旅先で不用意にこんな表情を晒して……』
顎を掬われ額がぶつかりそうな距離で見つめられる。男の黒い瞳の中に、呆けたような表情の自分の顔が見えた。
『―――見ず知らずの男に喰われやしないかと、心配しているのだよ?私は』
『そんな、こ…とっ……』
あるわけがない。見くびって貰っては困る。
誰彼ともなく、欲情するとでも思っているのか?この男は。
上がる息にまともに答えが返せないのが悔しい。こんな姿を晒すのはアンタ以外に居るわけないだろうと怒鳴りつけてやりたかった。
『君にその気は無くとも、周りが放って置かない。という事もある』
内心を読んだかのような言葉にどういう意味だと問い返す前に。取られた手がすう、と動かされて柔らかい突起のようなものに当たった。
『!!!やっ―――』
知らず、びくりと躰が揺れる。痺れるような感覚に耐え切れず足の指先がタイルの床を掠めた。
『お喋りは終わりだ』
こちらに集中しなさい。
黒い瞳に射竦められて、まるで催眠術にでもかけられたかのようにこくりと頷いてしまった。
満足したように、男がにっこりと微笑んだ事を覚えている。
――が、そこから先ははっきり言って、熱に浮かされたような感覚に翻弄されてよく覚えていない。
確か卑猥な言葉だとか、恥ずかしい場所の呼び名だとかを散々耳元で囁かれて。導かれるままその場所を弄ったのだけれど。
終いにはイク前に思わず泣き出してしまい、途端おろおろとしだした男に宥めすかされて、涙が止まるまでただ抱きしめていてもらったのだった。
(後にしみじみと『あれは拷問だった…』と言われた。自業自得だ。)
実は
泣いてしまったのは嫌だったからではなくて、感じすぎてどうしようもなくなってしまったからだったのだけれど。
そんな事を告げたら調子に乗るので、今後も絶対に本当の事を話すつもりはないが。
思い出して余計に躰の芯が熱くなってしまった。
震える指を恐る恐るショーツの中に伸ばす。
指の腹に湿り気を帯びた肉の感触を感じて、そこから先はどうしたらいいのかわからずに、エド子の指は止まってしまった。
(……えーと…)
困ったように視線を泳がせて、思わず眠る男の顔を縋る様に見てしまい、自らの浅ましい様にため息が零れる。
もし、こんな痴態を見たら……男はなんと言うだろうか?
『はしたない子だ』
(………っ…!)
幻聴まで聞こえてしまい、真っ赤な顔でエド子はぶんぶんと首を振った。その拍子に留めたままの指先がじんわりと染み出てきた愛液を纏って奥へと滑る。
「―――ぁっ!!」
その指がある部分に触れた瞬間、躰に走った痺れのようなものと、耐え切れずに零してしまった嬌声に潤んだ目を瞬く。
(なに…今の?)
ここか?と再び今度は意識的にそこに触れる、と甘い痺れを確かに感じた。
確か男の指もここに触れていた気がする。指だけではなく、時には舌で。
「や、……ぁ……」
ぬめりを帯びた指が前後に動く。無意識のうちに腰が揺らめいた。
膝立ちで支えきれなくなった身体がゆっくりと傾き、男の身体に覆いかぶさるように倒れた。
唇に、噛み付くように口付ける。舌を伸ばしかけて、唾液が流れ込んだら窒息するかもしれないと考えて止まった。
こんなに乱れておきながら、変な所で冷静な自分の思考を可笑しく思う。
エド子は口元を弧に歪め笑みを浮かべた。それはもし目撃するものがいたとすれば『娼婦のような』と形容するであろう、壮絶に蠱惑的なものだった。
喉元に緩く歯を立てる。舌を這わせれば汗の味がし、鼻腔を抜ける男の匂いにまた躰の熱が上がった。
それなのに
目も眩みそうな快感を感じているのに、あと少しのところで高みにまでは上りつめることが出来ない。
「あっ…っ……もう、やぁ…ぁ……」
蠢かせる指はそのままに。空いているもう一方の手を男の手に絡めた。縋り付くように。
「も、……どうにか、しろ……ばか…たすけろ……この、むのう」
舌足らずな声が、必死に懇願する。
「―――ロイ…」
意識してした事ではないと思う。
本能が、求めていて、それしか方法がないと知っていたから―――恐らくは。
「ん…っ……」
指を引き抜けばそれは分泌された液でてらてらと光っていた。
もはや羞恥心になど構っている暇はなく、ぐっしょりと濡れてしまったショーツを床に脱ぎ捨てると、エド子は眠るロイの身体に跨る様に腰を下ろす。
力なく身体の横に置かれているロイの腕を両手で取ると、その指に舌を這わせた。
たっぷりと唾液を含ませて、人差し指、中指、薬指、と順番に舐る。
ロイの大きな手を、エド子の小さな両手が掴んだ。それを入り口にあてがった時は流石に少し躊躇ったけれど…もう後には引けなかった。
「…あぁっ……」
半ば飛んだ理性の中で、エド子は必死にその手を動かした。
どうしようもない罪悪感のようなものを感じながらも、ロイの指が先程感じた部分を掠める度に脳髄を灼くような甘い痺れが爪先まで駆け抜ける。
受ける刺激は同じはずなのに。
ロイの指、と言うだけで快楽を追う躰はいとも簡単に上りつめてしまい弛緩して倒れこんだ。
(足りない)
(まだ、足りない)
この先にあるものを知っている躰は熱を収めてはくれなかった。
ごくりと、唾液を嚥下してエド子はその手をロイの下肢に伸ばす。
今までに片手で数えられるくらいしかやったことがない行為だったし、やらされた時も半ば強制だったのだけれど。
「んっ……」
おずおずと舌を出してロイのそれに舌を這わせながら両手で包み込みようにして擦る。
意識はなくとも身体的に問題はないのでちゃんと反応した。エド子は思わずほっと息をつく。
「不能にはならなくてよかったな」と、当の本人が聞いたら盛大に落ち込みそうな言葉を呟き、硬度を増したそれを片手で支えて腰を浮かせる。
これもまた、数えられるくらいしかした事がないものだった――いわゆる騎乗位という奴だが。
ずぶり、と
ロイのものが呑み込まれていくと、媚肉が悦びに打ち震えているのがわかる。
全て収めきって、エド子はロイの名を呼ぶと愛おしげにその頬を撫でた。
こうして躰は慰められても、心まではどうにもならない。ぐずぐずと熱を持つ躰とは裏腹に、心は冷えたままだった。
「…ロイ」
切なさを滲ませた声が男の名を呼ばう。
鼻がツンとして、目の奥が痛んで。また涙が零れそうになり、エド子は瞳を伏せる。
その為に、
―――眠る男の瞼がぴくりと動いたことに、彼女は気付かなかった。
続く