胡蝶の夢 2
>825氏

【注意】アル死にネタ含

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白い部屋の中で、彼女はずっと眠り続けている。
もともと色素の薄い彼女は、そのまま白に溶けてしまいそうだ。
「エド。エドワード」
ロイはその手を握り締めながら呼びかける。反応はない。
それでもずっと呼び続ける。それしか、できないからだ。
眠ったままの彼女の顔はひどく穏やかだ。微笑んでいるようにさえ見える。
きっと、しあわせな夢を見ているのだろう。
こんな、彼女を哀しませ苦しませている現実とは違う、
彼女が望んだままの、しあわせな夢を。
だがそれとは裏腹に、その顔色はひどく悪く、
標準よりも細かった腕は、さらに細くなってしまっている。
(このままでは、非常に危険な状態です)
告げられた、医師の言葉を思い出す。
(このまま目覚めないようであれば、お腹のお子さんにも、母体にも影響が出ます)
眠っている間は、食事を摂ることができない。
その代わりに点滴を打ってはいるが、それでは足りないのだ。
そしてさらに彼女の中にはもうひとつの命があって、普段よりも栄養を必要としている。
(もしこのままなら……最悪の状況も、覚悟しておいてください)
何をもって『最悪』と定義づけるのか、ロイには分からない。
エドを助けるために子供を殺して胎から取り出すのか、
それとも、軍の命令によって、胎の子を助けてエドを犠牲にするのか──。
どちらにしろ、このままではどちらかあるいは両方が犠牲になることは間違いなかった。
「目を覚ましてくれ、エド」
彼女が眠り続ける原因は、わかっている。身体的な理由ではなく、精神的なものだと。
医者に診断を下される前から分かっていた。ロイ自身がその原因であるから。
弟を亡くした彼女は、ひどく傷ついていた。
そんなときに、無理矢理犯され、無理矢理孕まされたのだ。しかも、信頼していた人間に。
今は閉ざされている金の瞳が、絶望に彩られていたのを、ロイははっきりと覚えている。
無理矢理抱いたとき、そして、子供を身篭ったとき、望まぬ式を挙げたとき。
いつも力強く輝いていた瞳は、暗く濁り、目の前にあるすべてを拒絶していた。
エドを孕ませ、妻にするという話は、軍の上層部から持ちかけられたものだ。
軍から言われなければ、ロイは、弟を失って哀しみに暮れる、
後見している少女を抱こうなどとは思っていなかった。
彼女が立ち直るのを影から支えながら、時が哀しみを癒してくれるのを待つつもりだった。
だが軍の黒い思惑は、哀しみを癒す時間すら与えてくれなかった。
弟の人体錬成に失敗した彼女は、もう必要もないと、国家資格を返上しようとした。
けれどそれを軍は許さなかった。
彼女の錬金術の才能は、よく知られている。最年少で国家資格を取れるほどの天才だ。
それを失うことは軍にとって非常に惜しいことだった。
また、彼女の精神状態も危惧されたのだ。
弟を失って自暴自棄になっている少女が、国家反逆組織に加担しないとも限らない。
彼女自身に反逆の意志がないとしても、精神的に不安定なとき、
そこにつけこまれ、利用されてしまうこともある。
どちらにしろ、エドを手放す気は軍にはなかった。
国家錬金術師としてではなくとも、常に目の届くところに、
首輪をつけてつないでおきたかったのだ。
そのために、軍は彼女を軍人と結婚させることを画策した。
(鋼の錬金術師を、なんとかして軍に)
(そのために、子供を)
(もし彼女と結婚したなら、階級を1つ上げることを約束しよう)
その話がまず自分の所へ回ってきたのは幸運だったと思う。
実のところ、軍には、『彼女を縛り付ける』ということの他に、
もうひとつ目的があったのだ。
それは、より優秀な、錬金術師の遺伝子を継ぐ子供を作るということ。
錬金術の才能が遺伝的なものだなどと証明されていない。
だが、学問であれ芸術であれ、親の才能を子供が継ぐことは誰でも期待してしまう。
彼女は優秀な錬金術師だ。
その彼女に、同じく優秀な錬金術師の男の遺伝子を掛け合わせれば、
きっと素晴らしい才能の子供が生まれるのではないかと期待したのだ。
だからこそ、相手にロイが選ばれた。彼も、優秀な錬金術師であったから。
ロイへ持ちかけられたその話は、強制ではなかった。断る権利も与えられていた。
だが、ロイがそれを断れば、彼女がどうなるか、彼には分かっていた。
軍は、思う以上に悪辣なところだ。
もちろん、穏やかに事が運ぶならそのほうがいいが、
そうでないなら、どんなことをしてでも事を運ぶのが軍のやり方だった。
彼女につりあう年齢の国家錬金術師が、そう何人もいるわけではない。
たまたま手近にロイというちょうど条件に合う男がいたから、
まずは『結婚』という穏やかな手段が持ちかけられたが、
それがうまくいかないと分かれば、彼女を軍の施設に監禁拘束し
孕むまで何人もの男に犯させるということくらいやりかねない。軍とはそういうところだ。
彼女をそんな目には合わせたくなかった。だからロイは、その話を承諾した。
後見人であり、信頼していた男に抱かれることに、
彼女が傷つくだろうことも、彼女に恨まれるだろうことも、承知の上だった。
自暴自棄になっている彼女を抱くのは簡単だった。
錬金術にも体術にも長けている彼女は、
普通なら不埒な考えで近づく男など一瞬で蹴散らしていただろう。
だが、生きる意味さえ見失いかけている少女は、程なく男の手に落ちた。
もう自分なんてどうでもいいと思っている彼女を、
押さえつけて、貫いて、何度も胎内に精液を吐き出した。
手管に長けた男にとっては簡単なことだった。
可哀相に無理矢理孕まされた少女は、自分の妊娠を知ったとき、ひどく戸惑っていた。
それはそうだろう。昔の聡明な彼女なら、軍の思惑などすぐに見破っていただろうが、
自棄になり半ば考えることを放棄していた彼女は、
男に抱かれても『妊娠』ということまで考えていなかったに違いない。
望んだことでもなく、自分の身の振り方すら考えられるような状況でなかったというのに、
突然降りかかった事態に戸惑う彼女に、ロイはたったひとこと言ってやればよかった。
(──君は、子供を、殺すつもりか?)
弟を失ったばかりの彼女に、その言葉がどんな効力を持つか分かっていた。
彼女に子供を殺すことはできない。
そして、生まれる子供には庇護が必要だ。
彼女の父親は子供たちを置いて家を出て行った。
母親が心から愛してくれたとはいえ、父親のいない寂しさを彼女はよく知っている。
同じ思いをさせるつもりかと問われれば、彼女は、男のものになるしかなかった。
左手の薬指にはめられた銀の指輪は、
彼女にとってはまさに軍に縛り付けられる首輪でしかないのだろう。
「エド」
彼女を抱いたのは、軍の命令だったということもある。
だが、もうひとつ、子供が出来たなら、
それが彼女の新しい希望になるのではないかという期待もあった。
母を亡くし、弟を亡くした彼女に、新しい命ができることで、
それが生きる希望になってくれないかと。
だが、ダメだった。
彼女は現実を拒絶し、現実から逃げた。もうずっと、目を覚まさない。
言い訳をするつもりはない。許されるとも思わない。
でも、目を覚まして、罵って欲しいのだ。
おまえなど嫌いだと、顔も見たくないほどに憎んでいると、殴りつけて欲しいのだ。
「エド。目を覚ましてくれ、エドワード」
何度も呼びかける。何度も何度も。その声が枯れ果てても。
────それでも彼女は、目を覚まさない。


【続】





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