MANIC STREET PREACHERS マニック・ストリート・プリーチャーズ James Dean Bradfield(vo/g),Nicky Wire(b),Sean Moore(ds)
◆ BIOGRAPHY ◆ マニック・ストリート・プリーチャーズは、南ウェールズのブラックウッド出身の幼なじみ4人が1988年に結成した、世界で最もインテリジェンスなバンド。 翌年、自主制作で 「Suicide Alley」 をリリース。生まれ育った街を飛び出し、ロンドンでのライヴ活動をスタートさせる。 90年にはダメージド・グッズ・レーベルから 「New Art Riot」 でデビュー。 その後、彼らは新たにヘヴンリー・レコードと契約を結び、「ジョン・レノンが死んだときは笑っちまった」 という歌詞が物議をかもした 「Motown Junk」 をリリース。さらに 「ファーストアルバムを1600万枚売り、世界中でNo.1にして解散する」 といった過激な言動で、一躍話題のバンドに。 91年5月には、NMEの記者のインタビューに苛立ったリッチーが、自分達の 「本気度」 を証明するために記者の目前で自分の左腕に 「4 Real」 とカミソリで 刻みこむという強烈な事件が発生した。 しかし、そんな派手なニュースとともに92年2月にリリースされたデビュー・アルバムは、メディアからは高い評価を受けながらもセールス的には全英13位に終わる。 当然、周りの注目は 「いつマニックスは解散するのか」という一点に注がれることになる。 だが、93年にマニックスは解散宣言を撤回。(この声明は日本に向けて出されたものだった) ここから、4人と世界との飽くなき戦いがスタートすることとなる。 同年、マニックスは2ndアルバム 「Gold Against The Soul」 をリリース。この作品は多くのシングル・ヒットを飛ばし、全英8位に。 「Generation Terrorists」 で消化し切れなかったものを全てぶつけたこの 「Gold Against The Soul」 は、初期のマニックスを代表する作品となった。 94年には3rdアルバム 「The Holy Bible」 を発表。バンド内に恍惚のケミストリーが生じ、4人の個性が見事に解き放たれたこの作品は、彼らのその後を 予言するような作品となる。そして、その日はついに訪れることとなってしまう。 全米ツアーへの出発前日の1995年2月1日、ロンドンのホテルからソングライティングを手がけていたリッチー・ジェームズが 「I Love you」 というメッセージを残し、 突如失踪するという事件が発生する。 実は、3rdアルバムリリースの1ヶ月前、リッチーは精神のバランスを崩し、緊急入院していた。 2週間後、ブリストル近郊のセヴァーン川の橋のたもとで、彼が放置した車が発見されているものの、未だ消息は不明のまま。 バンドはリッチーの死を認めておらず、今でもバンド活動から得られた利益を彼を含めて4分割し、預金し続けている。 残された3人は心に傷を負い、半年間活動休止を余儀なくされ、解散するのではという噂さえ囁かれた。 しかし、彼らは話し合いの末、バンド活動を続けることを選択。12月にはストーン・ローゼスの前座として活動を再開する。 このリッチーの失踪後、彼らのサウンドはよりポジティブな生の喜びをバックグラウンドとするものへと次第に変化していく。 もしかしたらリッチーの魂が、彼らを国民的バンドの地位へと導いたのかもしれない。 1996年、そのリッチー抜きのマニックスの運命を変えることとなるシングル 「A Design For Life」 がリリースされる。 「Libraries gave us power. Then work came and made us free. (図書館で得た知識で権力を手に入れ、勤勉な労働によって自由を得た)」 という意味深い一文で始まるこの曲は、イギリス中の人々に支持され、全英2位に輝く。 この 「A Design For Life」 を収録してリリースされた4thアルバム 「Everything Must Go」 で、彼らはついに念願の全英チャート1位をゲットする。 翌年のブリット・アウォードでマニックスはベスト・アルバム、ベスト・ブリティッシュ・バンドをダブル受賞。 続く5thアルバム 「This Is My Truth Tell Me Yours」 も全英チャート初登場1位を飾り、1年以上にわたる長い間沸かせ続けるロング・ヒットに。 1999年12月には地元・ウェールズのカーディフに戻り、6万人のオーディエンスを前にミレニアム・ギグを敢行sし、故郷のファン達を熱狂させた。 (このギグは翌年にDVDとしてリリースされた) かつて英国中からバッシングを浴びたマニックスは、ついに英国で最も愛される国民的バンドとなった。 2年半の活動休止を経た2001年2月には、西側のロック・バンドとして初めてキューバ(首都のハバナ)でのライヴを開催した。 同年、マニックスはアルバム 「Know Your Enemy」 から2枚のシングルを同時リリース。 この2枚のシングルを全英チャートベスト10に送り込む。 翌年には彼らの10年にわたるバンド活動を総決算したベスト・アルバム 「Forever Delayed」 をリリース。 03年にB面ベスト 「Lipstick Traces」 をリリースし、04年には待望の7thアルバム 「Lifeblood」 を発表した。 ちなみに、マニック・ストリート・プリーチャ−ズは、恥ずかしながらマスターが世界で最も愛するバンドである。 ◆ DISCOGRAPHY ◆ GENERATION TERRORISTS (1992) ◆ MANIC STREET PREACHERS LINKS ◆ マニック・ストリート・プリーチャーズのオフィシャルサイト。ニュース、ディスコグラフィー、バンドヒストリーなど。 バンドヒストリー、作品紹介からマニックスの詞の出典についてまで、ホントに深くマニックスを掘り下げているすごいサイトです。 マニック・ストリート・プリーチャーズのファンサイト。ディスコグラフィーやヒストリー、メンバー紹介、人気曲投票、ライブリポなど。 マニック・ストリート・プリーチャーズの情報を掲載。マニックス関連記事も読むことができます。 ◆ MY FAVOURITE SONGS ◆ 「The Everlasting」 (from 『This Is My Truth Tell Me Yours』, 1998) マスターがマニックスの曲の中で最も愛する曲。楽しい時、辛い時、悲しい時、自分を原点へと引き戻してくれる曲です。 「Life Becoming A Landslide」 (from 『Gold Against The Soul』, 1998) ジェームスの歌唱力が如何なく発揮されている名曲。一番好きな曲はこの曲かな。 「You Love Us」 (from 『Generation Terrorists』, 1992) ファンの方ならご存知、ライブの定番ナンバー!この曲のときが一番熱狂します。 「Cardiff Afterlife」 (from 『Lifeblood』, 2004) 夏に行ったカーディフを思い出してしまいました。晩年はカーディフで過ごしてみたい。 「Out Of Time」 (from 『Lifeblood』, 2004) B面ベスト 「リップスティック・トレイシーズ」 に収録されているストーンズのカバー。感動的な1曲ですよ。 |