LOU REED ルー・リード
◆ BIOGRAPHY ◆ 2001年9月11日、ニューヨークで世界を震撼させるテロ事件が発生した。 愛するニューヨークに巻き起こった未曾有の 大事件を目の前にして、ニューヨークの詩人、ルー・リードは一体何を思ったのであろう。 ルー・リードを語る時、アンディ・ウォーホルやデヴィッド・ボウイ、ジョン・ケイル、ニコ、ひいてはヴェルヴェット・アンダーグラウンドといった彼と 関わりの深い人々について触れないわけにはいかない。彼らについて触れないことは、ルー・リードを語ることを放棄したのに近い暴挙だろう。 ここではそんな彼らにも少し言及しながら、ルー・リードという人物像に迫っていきたいと思う。 ルー・リード (本名ルイス・アラン・リード)は1942年、ニューヨーク州ロングアイランドで会計士の父親のもとに生まれた。 シラキュース大学で英文学と演劇を専攻し、64年に卒業。 いったんレコード会社にソングライターとして就職するものの、どうやらルーには肌が合わなかったようで、65年の夏には会社を辞めている。 同年にウェールズから音楽留学していたジョン・ケイル(ピアニスト兼ヴィオラ奏者)らとヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成した。 こうして誕生したニューヨークのアンダーグラウンド・バンドに目をつけた一人の人物がいた。 その人物が何を隠そう、ポップアートの巨星で当時、時代の寵児だったアンディ・ウォーホル。 アンディはそのマルチな才能で活発な創作活動を続けながらも、このバンドを積極的にプロデュース。 その成果もあってヴェルヴェット・アンダーグラウンドは、強烈な楽曲やパフォーマンスで次第に話題を集めるようになった。 アンディの後押しでモデル出身の女性・ニコを加え、1967年に 「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ」 としてデビュー・アルバムを発表。 (アンディの描いたバナナ・ジャケットはあまりにも有名) しかし、ニコが音楽性の違いなどを理由に脱退。バンドは翌年にセカンド・アルバムを発表したが、69年に今度はジョン・ケイルが脱退。 (その後、ジョン・ケイルはパティ・スミスやストゥージズのプロデューサーとしてやソロ・アーティストとしても活躍する) 3枚目のアルバムを発表した後、マネージメント面のトラブルによるレーベル移籍を経て、4枚目のアルバム「ローデッド」を発表。 だが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはルーがこの 「ローデッド」 の強引な発売に反発して脱退したことで実質的にその生命を失う。 (ニューヨークもう一つの巨星、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは1973年に正式な解散の憂き目を見ることになった) ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを脱退したルーは、1971年から生まれ故郷・ロングアイランドで隠遁生活を送る。 そして翌年にルーはソロ・デビュー。パンチの利いたギター・テクニックとグラマラスなメイクで存在感をかもし出し、 新たにノイズ・ミュージックなどにも積極的に挑戦したりもしながら、ヴェルヴェット時代からそのまま受け継がれた退廃的なソングライティングや オリジナリティーあふれる表現技法をベースとし、さまざまなテーマのもと、都市を舞台に繰り広げられるまさにロックンロール・ミュージカルともいうべき 物語性豊かなアート・ミュージックで世界一クールで知性的な伝説的シンガーとして世紀をまたいだ今もミュージック・シーンに君臨し続けている。 1987年にアンディ・ウォーホルが心臓発作で急死すると、ルーとジョンはアンディの生涯や思い出をともに歌い、20年ぶりの復縁を果たした。 2003年には彼自身のヒストリーを振り返る2枚組のグレイテスト・ヒッツ・アルバム 「NYC Man」 をリリースした。 ◆ DISCOGRAPHY ◆
LOU REED (1972) ◆ LOU REED LINKS ◆ ルー・リードの国内唯一のファンサイト。 詳細なアルバム解説からジャケットやビデオなどの映像作品に至るまでまさにルーづくし。 ◆ MY FAVOURITE SONGS ◆ |