BERNARD BUTLER バーナード・バトラー
◆ BIOGRAPHY ◆ イギリスを代表する若手ギタリストの一人。1970年、ノース・ロンドンで生を受ける。 幼少の頃からバイオリンやピアノといったクラシック音楽に親しむ。13歳の時にジョニー・マーに憧れ、ギターを始める。 1989年、大学生の時に 「ギタリスト募集」 の告知を見てスウェードのギタリストに応募。見事加入を果たし、スウェードのギタリストとして活躍する。 ヴォーカルのブレット・アンダーソンとのコンビは、1990年代初頭のイギリスのミュージック・シーンを席巻した。 しかし、1994年夏にバーナードはセカンド・アルバム 「Dog Man Star」 がほぼ完成していたにも関わらず、スウェードを脱退。 バーナードはこの頃、誌上においてさまざまなブレット・アンダーソンへの批判を口にしている。 バーナード脱退の原因はさまざまな理由が重なってのものと思われるが、最大の理由は音楽性の違いかもしれない。 それはともかくとして、バーナードはスウェードを脱退後、さまざまなセッションを繰り返したのちに、元シールズのヴォーカリストだった デイヴィッド・マッカルモントと 「マッカルモント&バトラー」 を結成。 95年11月には 「THE SOUND OF MCALMONT & BUTLER 」 をリリースする。 既存のUKバンドとはまた違ったソウルフルなサウンドはバーナードの音楽的才能を改めて示した。(もちろんマッカルモントの貢献も大きい) この作品はセールス的にも成功を収めたものの、今度はこのユニットにおいてマッカルモントが痛烈なバーナード批判を開始する。 お互いに激しい中傷を繰り返したのち、ついにデビュー翌年にも関わらずバーナードとマッカルモントは決別する。 その後、97年にはザ・ヴァーヴへの加入も一時伝えられたが、わずか1週間で脱退。 スウェードの脱退からこのマッカルモントの決別、ヴァーヴ不参加に至るまでの間で、バーナードはその才能を多くの人々に認められながらも、 メディアによって 「エゴの強いミュージシャン」 というレッテルを貼られてしまうことになる。 98年にはクリエイションと契約。「People Move On」 でついにソロ・デビューを果たす。 クリエイションのボスでバーナードのことを以前から高く評価していたアラン・マッギー (クリエイションはオアシスやTFCを世に送り出した伝説的なレーベル)に、 「われわれのニール・ヤングを見つけた」 と惚れ込まれ、このソロ作品で初めてヴォーカルをとる。 99年には、セカンド・アルバム 「 Friends And Lovers 」 をリリース。しかし、クリエイションの消滅によってバーナードは所属レーベルを失う。 2000年にはクリエイションの終焉という問題を抱えたまま来日を果たしている。 01年には、マッカルモントが 「2人で一緒にやることはもう2度とないだろう」 と宣言してから6年ぶりにスタジオ入り。 02年9月、「マッカルモント&バトラー」 として2枚目となるニュー・アルバム 「Bring It Back」 をリリースした。 SUEDEが活動休止状態に陥った2004年には、ついにかつて袂を分ったブレット・アンダーソンと 「The Tears」 を結成した。 ◆ DISCOGRAPHY ◆ <SOLO> <MCALMONT
& BUTLER > ◆ BERNARD BUTLER LINKS ◆ akihitoさんのバーナード・バトラーファンサイト。バーナード関係のサイトでは、最も充実した情報量を誇るサイト。 ◆ MY FAVOURITE SONG ◆ 「Change Of Heart」 (from 『People Move On』, 1998) バーナードのマイ・フェイヴァリット・ナンバー。優しい声にいやされてしまうし、PVも良かった。 「Not Alone」 (from 『People Move On』, 1998) 「君も一人じゃないんだよ。」 そう歌ってくれているような、バーナードの歌声に果たして何度癒されたんだろうか。 「Falling」 (from 『Bling It Back』, 2002) マッカルモントと再びリリースした 「Bling It Back」 からのキラーチューン。 |