いつか
Sion.Mochizuki
大きな物音に、祐希は目を覚ました。
寝ぼけ頭をぼりぼり掻いて起き上がると、カーテンの向こうから低くうめく声が聞こえてきた。
「なにやってんだよ。」
カーテン越しに言う。
と、一瞬驚く気配がして、
「祐希、おはよう。起きてたのか。今朝ご飯の支度するから…。」
辛そうな声。
祐希はベッドを降りると、乱暴にアコーディオンカーテンを開けた。
「何やってんだって聞いてんだよ。」
見れば、ベッドにすがりつくようにして、昴治が床に座り込んでいる。
苦笑して見上げる昴治の顔は、少し赤かった。
「ちょっと力が入らなくて…。」
「ベッドから落ちたのか。」
「降りようとしたんだよ。」
文句を言う昴治だが、語気が弱い。
祐希は目を眇めると、昴治の前に片膝をついてその顔を覗き込んだ。
「祐希?」
不思議そうに見上げる昴治の額に手をやる。
じんわりと伝わってくる熱。
よく見れば、その肌は張り付くように汗ばんでいた。
「バカ兄貴。」
悪態を吐くと、昴治を支えてベッドに戻す。
「祐希…朝ご飯…。」
「そんなん気にしてる場合じゃねえだろ。熱ある奴が。」
言われた昴治は目をぱちくりさせた。
「熱?」
祐希は黙って頷く。
「ないよ。」
笑う昴治には、全く自覚がない。
祐希は舌打ちをすると、昴治の机の引出しから体温計を取り出した。
それは昔、祐希が熱を出したときに昴治が買ってきた物だ。
ここに入れておくから、頭が痛いときは熱を測るんだよ、と言った昴治の言葉を祐希は忘れていない。
体温計を差し出すと、昴治は渋々といった様子でそれを脇に挟んだ。
計測時間は1分。
漂う空気は少し重い。
ピピッと鳴った瞬間、祐希はひったくるように、体温計を奪った。
表れた数字に、祐希はピクリと眉を動かす。
戸惑うように見上げる昴治に、体温計を見せた。
37.5℃
その数字に、昴治はベッドに沈み込んでしまった。
「言っただろ。」
「うん…。」
体調の悪さを自覚した昴治の声は弱々しい。
「少し待ってろ。」
そう言って部屋を出る祐希を、昴治は無言で見送った。
(一人…。)
昴治は汗ばむ額を手で拭って天井を見上げた。
リヴァイアスを降りてから、祐希は少し変わった。
きっと言葉どおりすぐ戻ってくるだろう。
それでも…
(寂しい…かな…)
ふとそんな風に思って、昴治は目を伏せた。
「まぁ、慣れてるけど。」
声に出すと、余計に寂しくなる。
昔を思い出すから…。
ふふ、と昴治は笑みをもらした。
(だめだな…少し具合が悪いだけで、すぐ気が弱くなる。)
大きく息を吐く。
でも、それはきっと傍にいてくれる人がいるからかもしれない。
本当に誰も頼れないのなら、弱音を吐くことすらできないのだから。
「兄貴。」
顔を向けると、祐希がトレイを持って立っていた。
「何笑ってんだよ?」
「いや…。」
微笑む昴治に少々いぶかしげな目を向けて、祐希は溜息をついた。
トレイを下に置いて、昴治が体を起こすのを手伝う。
黙って薬を手渡すと、昴治ははにかむような笑みを浮かべてそれを受け取った。
「おい?」
受け取っても飲まず、自分を見ている兄に声を掛ける。
昴治は優しく目を細めてから薬を飲んだ。
「頭おかしくなったのかよ?」
頭をぼりぼりと掻いて、祐希は舌打ちする。
何を考えているのかよくわからない。
わからないけれど、それはとても暖かかった。
寝かしつけ、丁寧に毛布を掛ける間も、昴治は祐希を見つめつづけていた。
タオルを絞り、熱い額にのせてやる。
気持ちよさそうに、昴治は目を細めた。
「祐希…」
問い掛ける昴治に目で答える。
「なんで看病してくれるんだ?」
祐希はうつむくと、それには答えずトレイを持って立ち上がった。
「祐希…。」
「何か…。」
振り向かずに、兄の言葉を遮る。
「何か、食えるか。」
「…祐希が…作るのか?」
「…。」
「じゃあ…おかゆ…。」
それを聞いて、祐希は部屋を出た。
一人になった昴治は静かに目を閉じる。
苦しい…でも、嬉しくて、くすぐったい。
そのまま引き込まれるように、昴治は眠りに落ちていった。
祐希がおかゆを持って部屋に戻ってきたのは、それからゆうに3時間を数えたあとだった。
作ろうとしたのは良いのだけれど、良く考えるまでもなく、祐希は料理なんてしたことがなくて。
料理の本と睨みあいながら、どうにか作ってみたのだが…。
こんなもの食わせられるかと、祐希は思った。
しかし、買ってきたりしたら確実にばれるに違いない。
仕方なく祐希はそのおかゆになるはずだったものをトレイに乗せて持ってきた。
無残な姿のおかゆを見れば、昴治も努力くらいは認めてくれようというものである。
しかし、部屋を覗くと昴治は眠っていた。
その横に座って、祐希は思う。
昔、喧嘩をする前のもっと幼い頃、 よく熱を出して寝込んでいたのは祐希の方だった。
不安で、不安で…。
兄を呼び続ける弟に、昴治は「大丈夫だよ」と言っていつも傍にいてくれた。
目を覚ませばベッドの横には兄の姿。
祐希と呼ぶ声に、どれだけ安心したことだろう。
けれど。
3年前の喧嘩以来、それは変わってしまった。
すぐ寝込むのは昴治の方で。
カーテン越しに苦しげな息遣いが聞こえても、祐希は見向きもしなかった。
昴治は一人で苦しんでいた。
その心細さや不安は、自分が一番よく知っていたはずなのに。
(兄貴はずっとそばにいてくれた…。でも俺は…。)
ひどいことをしたな、と思う。
それは驚くほど素直に浮かんだ思いだった。
タオルを絞り直そうと手を伸ばす。
そして祐希は異変に気付いた。
触れた昴治の額は異常に熱かった。
熱が上がっている…?
祐希はうろたえた。
なぜ!?
薬は飲んだのに!
毛布から覗く手を取る。
力なく投げ出されたその手はひどく汗ばんでいて、そして熱かった。
「兄貴…!」
痛い、痛い。
「兄貴!」
呼んでも返事はなく。
怖い。
「あにき…。」
浅く苦しげな呼吸が響くだけ。
祐希は苦労してタオルを絞り、昴治の額に乗せた。
それからずっと、祐希は昴治の傍についていた。
しかし夕方になっても熱は下がらず、昴治は辛そうに眠っている。
流れる汗を拭き、タオルを額に乗せた。
祐希はじっと昴治を見る。
「兄貴…。」
どうしよう、どうしよう…
ふと心に浮かぶ不安。
もし、このまま昴治が死んでしまったら…?
「そんなの、冗談じゃない!!」
胸を占める恐怖に、祐希はひどく怯えた。
やっと、わかりそうなんだ。
とても大切なこと。
はっきりわかったら、きっと仲直りできる。
素直に謝ることができるはず。
「死ぬな、兄貴…死ぬなよ…………死なないで………。」
不安で、悲しくて…祐希は泣いた。
兄の手を握り締めて。
泣いて
泣いて…。
頬に触れる暖かい感触に、祐希は目を覚ました。
どうやら、あのまま眠ってしまったらしい。
そうだ、兄貴!
がばっと体を起こすと、驚いた顔の昴治と目が合った。
「祐希ごめん、起こし……!」
「あにきっ!!」
体を起こし、優しく祐希の頬に触れていた昴治は、 祐希がものすごい形相で迫ってくるため、思わず固まってしまった。
「熱は!体は!?」
すがりつくように腕を掴んで、額に手をやる。
まだ少し熱っぽいものの、ほぼ平熱近くまで下がっているようだった。
「よかった…。」
ほっと息をつくと、昴治が微笑む。
「ありがと、祐希。」
「あ?何がだ?」
本当にわからない祐希は、兄を見上げて問う。
「ずっと、いてくれたんだろ…?」
「…。」
「嬉しかった。」
優しく微笑んで、昴治は祐希の目元に触れる。
泣いたまま眠ったせいで、そこは真っ赤になっていた。
「ばっ…見んじゃねー!」
真っ赤になって袖口で目元を拭う祐希に苦笑しつつ、昴治は言う。
「祐希、俺お腹すいちゃった。」
「…。何か買ってく…」
「それ、おかゆだろ?」
ごまかす祐希を無視して、机の上に置かれたトレイを指差す。
「ちがう。」
祐希は言った。
アレはもう食べ物ですらない。
「買ってくるから。」
「ヤだ。俺は今食べたいんだ。」
珍しく昴治がわがままを言う。
でも…と口ごもる祐希に、昴治はいたずらっぽく笑った。
「仕方ないな、やっぱり俺が作るか。」
昴治はクスクス笑ってベッドを出る。
「バカか。まだ治ってねえだろ。」
「だから祐希も手伝えよな。」
昴治は優しく微笑む。
「少し料理覚えてさ、今度はちゃんと作ってよ。」
「…ちっ、仕方ねえな!」
言いながらも、祐希の心は満たされてゆく。
傍にいてもいいんだよね?
「ほら、行こう。」
「ああ。」
立ち上がり、兄の後について歩く。
今はまだぎこちないけれど、
こうして少しづつ互いの距離を縮めていって、
そしてきっといつか昔のように
笑い合える日が来ることを
信じてみようと、思った。
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