大切な人
愛する人
ずっとずっと傍にいて
愛し合える甘い日々を
信じている
なーんちゃって
シンと静まり返った部屋で、祐希は一人それをじっと睨みつけていた。
ピンクの包装紙に薄い水色のリボンで可愛らしくラッピングされた小さな箱。
それはどこからどう見てもプレゼントだった。
カレンダーを見上げ、今日の日付を確認して溜息をつく。
何度見ようと日付は同じ。
今日は4月5日。そう兄の昴治の誕生日だ。
もう一度、プレゼントに目をやって、祐希は困ったように頭を抱えてしまった。
実は。
2週間くらい前。
ネットをしていた時になんとなく目に止まったそれを、
昴治が喜びそうだと思い、勢いで買ってしまったのだった。
しかし、自分と昴治は前のように仲が悪いとまでは行かないが、
まだちゃんと仲直りをしたわけでもない。
昴治はあんまり気にしていないようで、会えば話し掛けてくれたりするのだが、
祐希はといえば、どうにも自分からは話し掛けにくくて、
昴治から近づいて来てくれるのを待っているのが現状なのだった。
本当は、もっとたくさん話をしてみたいし、
今まで知らなかった兄の事をもっと知りたいと思うのだが、
今までの自分を振り返るとそれもしにくくて、今のところなんら進展はない。
それではいけないとわかってはいるのだけれど、
何のきっかけもなしに、いきなり態度を改めることもできなくて。
だから、祐希は決心したのだ。
これを渡すときに、ちゃんと今までの事を謝って、
素直に気持ちを伝えてもう一度新しい兄弟関係を築こうと。
だが、そう思うとなおさら緊張してしまって、
なんだかかえって渡しにくくなってしまったのだった。
今までずっと、誰に対しても反発していたから、
そんなの当然だと言われても、
祐希にとって「おめでとう」とか「ごめんなさい」を言う事は並大抵のことではない。
ここ何年も使っていなかった単語を頭の片隅から引っ張り出し、
組み立て、並べ替えてはまた崩す。
そんな事を繰り返しているうちに、あっという間にその日が来てしまった。
時計を見れば、時刻は正午。
もうすでに4月5日は半分を過ぎ、残すところあと半日しかない。
一度深く呼吸をしてから、祐希はポケットにプレゼントをそっと入れて部屋を出た。
外に出てから、祐希は昴治のいそうな所を考えてみた。
この時間だったら、きっと昼食を取るために食堂にいるに違いない。
考えがまとまって、祐希はその足を食堂へと向けた。
と、案の定、食堂へ入る前の通路で昴治の姿を見つけた。
「兄貴。」
と、かけようとした言葉は、
しかしごった返す人の波と、兄の隣に立つ人物を認識して、
音を発することなく喉の奥へと嚥下される。
「相葉くん。今日お誕生日なんですって?おめでとう。」
「ありがとうございます。」
二人に近づいてきた人物に、昴治が照れたように笑いかける。
たしかあれはツヴァイのユイリィ・バハナだ。
弟の自分が掛けられないでいる言葉を、他人がアッサリ口にしてしまう。
見ているだけで、歯痒くて逃げ出したい気持ちになった。
「せっかくの誕生日なのに、昴治くんったら、何もしなくていいって言うんですよー。」
「なんだよそれ、別に何もすることなんかないだろ。」
昴治の隣に当然といった顔をして立っているイクミが、
昴治の肩に肘をかけて大仰に溜息をつく。
昴治が少し疲れたようにイクミを見やると、イクミはにゃははと笑った。
どうしてだろうと思う。
本当は、自分が兄にいちばん近いはずなのに。
それなのに、自分はこんなに離れたところから兄の姿を見るしかない。
「嫌だわー、昴治くんったら!皆昴治くんのお誕生日お祝いする気満々だったのにぃ。」
「?なんだよ、それ?」
「ぶー。なんでもないですぅー。」
「はあ?…なんなんだよ、もう。」
ぷんぷんですよ、なんてふざけて怒ってみせるイクミに、
昴治は意味がわからず困った顔をしている。
「そうねー。でも、みんな昴治くんの誕生日を喜んでるのは本当なのよ。」
「そうなんですか?」
「ええ。まあ、それに乗じてちょっと騒ぎたいっていうのもあったかもしれないけど。」
イタズラっぽく言ってくすっと笑うユイリィに、昴治が笑みを浮かべる。
自分にも最近向けられるようになった、やわらかな笑みだ。
やっぱり兄は変わったと思う。
それは二度目の航行に入ってから特に顕著だった。
これほど人をひきつけて止まないのも、きっと兄の中で変わった何かのせいなのだろう。
じっと見ていれば、見たことのある者も無い者も、とにかくたくさんの人間が、
昴治に気付くと口々に「誕生日おめでとう」と言うのだ。
ありがとうといちいち返している昴治は全員の顔を覚えているというのだろうか。
なんだか昴治が一人誰かを覚えるたびに、少しずつ兄の中で自分が小さくなっていく気がして、
祐希は酷い寂しさを覚えた。
もしかして、兄が気付いてくれはしないかと待ってみるものの、
次第に昴治の周りに人が集まりだして、兄はこちらを見る気配すらない。
それを見ているのに耐えられなくて、
祐希は食堂に背を向けその場を逃げるように立ち去った。
そうこうしているうちに時間は過ぎて、夜は十一時を回ろうとしていた。
もう時間がない。
明日にしようなんて誤魔化してしまったら、
きっと自分はこの先ずっと何も言えないだろう。
そしてずっと後悔し続けることになるのだ。
それはとても嫌なことだと思う。
そう考えて、祐希は自分を奮い立たせて…。
そして、昴治の部屋の前までは来たのだが…。
ドアを叩く、そのもう一歩が踏み出せなくて、
祐希はどうしたものかと悩みながら、部屋の前を行ったり来たりしていた。
第一、部屋に昴治がいるかどうかもわからないのだ。
兄に通信をいれて所在を確認する、
なんてことができるなら、たぶんこんな苦労はしていないだろう。
悩みながら、いつまでもドアの前でウロウロしていると、
「あれ?祐希じゃん。何やってんだ、お前?」
背後から唐突に掛けられた声に、祐希はビクリと全身を震わせた。
見ればいつものように、飄々とした様子でイクミが立っている。
「て、てめェこそ…なんでこんなところにいやがんだよっ。」
思わず赤くなってしまい、焦りつつ言い返す。
それはまるで答えにはなっていなかったが、
イクミは祐希の言葉を聞くと、いかにも人のよさそうな顔で微笑んで見せた。
「なんでって、決まってるっショ?昴治くんに会いに来たんでーす。」
言外に、お前には出来ないだろうと言われた気がして、祐希は強く唇を噛んだ。
本当のことだけに反論も出来ない。
そんな祐希ににっこり微笑み返してから、
イクミはなんの躊躇いも無く、昴治の部屋のインターフォンを押した。
余裕しゃくしゃくと言うわけか。
『どうせ居やしねえんだ…。』
願うみたいに思ってみたが、
『はい?』
スピーカー越しに聞こえて来たのは、少し眠たそうだったが間違いなく兄の声だった。
とたんドキリと心臓が跳ねる。
逃げ出しそうになる足を、祐希は必死で床に縫いつけた。
「昴治く〜ん。こ・ん・ば・ん・ワー。イクミくんでーす。」
そんな祐希の気など知らぬ気に、イクミはことさらおどけてみせる。
『なんだ、イクミか。』
「酷いですー、なんだはないでしょ。」
『はいはい。今あけるからちょっと待ってろって。』
「はいなー。」
ただそれだけの会話で、簡単にドアが開く。
軽い空気音と共に、兄と自分を隔てていた壁が横にスライドして、
祐希はごくりと唾を飲み込んだ。
「昴治くーん。会いたかったデスー。」
「さっき会ってたばかりじゃないか。こんな時間になんの……祐希?」
まどろんでいたのか、少し迷惑そうにあくびをしつつ答えた昴治は、
そこに居るのがイクミだけではないことに気付いたらしい。
ビックリした顔をして、じっと祐希をみつめた。
「…っ。」
ダメだ。
言葉が出てこない。
せっかく一大決心をしてきたというのに。
緊張のあまり、祐希は顔がカッと熱を持つのを感じた。
「お前まで、どうしたんだ?」
「…っ。」
パクパクと金魚のように口だけを動かしていると、そんな弟をいぶかしんだ昴治が
イクミに一緒に来たのかと問いかけた。
「うんにゃ、ここでばったり会ったデスよ。」
イクミの言葉に、そうかと少し考えるように答えた昴治は、
ごく普通の動作で、祐希に一歩近づいた。
「どうかしたのか?熱でもあるのか?」
心配そうな瞳で。
そっと手を伸ばす昴治に、祐希はままよとばかり、
深く息を吸うとポケットのプレゼントを一息に昴治に押し付けた。
咄嗟に両手で受け取った昴治が、
それが何かに気付いて、さらに驚いたように祐希を見上げる。
「祐希…これ、俺に?」
まさかというように問い掛ける昴治に、祐希はゆっくりと頷いた。
とうとう渡してしまった。
もう後戻りできない。
あとは言葉で伝えるだけだ。
そう思ったら、不思議なほど心が静かになった。
これをきっと開き直るというのだろう。
「あ…その、ありがとう…。嬉しいよ。」
本当に嬉しそうに、頬を染めて言う昴治にトクンと胸がなる。
「開けてみていいか?」
「…。」
無言で頷いて、昴治がそっとリボンに手をかけるのを見守る。
開けたら、きっともっと喜んでくれるはず。
そしたら兄に言うのだ。
『今まで、ごめん。これからはもっと仲良く…。』
頭の中でセリフを反芻する。
しかし。
包装紙をはずして中身を見た昴治はさっと表情を硬くした後、
俯いて肩をブルブルと震わせはじめた。
表情は見えないが、その顔は蒼白だ。
「あ、兄貴…?」
予想外の反応に祐希が問い掛けると、昴治は大げさなくらいビクリと肩を震わせた後、
涙のにじむ瞳でキッと祐希を睨みつけ、
「お前なんか…お前なんか大ッ嫌いだーーーーーー!!」
叫んだかと思うと、プレゼントを放り出しものすごい勢いでどこかへ走り去ってしまった。
「兄貴っ!」
祐希が慌てて後を追う。
「…。」
残されたイクミは床に落ちたままのプレゼントを覗き込んで溜息をついた。
しゃがみこんでひょいとそれを摘み上げてみる。
「なんていうか、これじゃねえ…。」
祐希の渡したプレゼント。
それは黒い厚手のコン○ームだった…。
そうです。
もうそろそろ御察しの方もいたとは思いますが、
実は、これは昴治バースデー本を装った
アホ祐希本(またの名を変態祐希本)だったのです!
「兄貴!待ってくれ!」
「来るな!変態!」
逃げる昴治。追う祐希。
人間死ぬ気になればなんでもできるというのはあながち間違いでもないらしい。
昴治は恐怖に涙を流しつつも、祐希と互角の速さで走っていた。
ハアハアと祐希の荒い息使いが背後から聞こえてくる。
それはどう見ても、走っているために息が乱れているとかではなく、
まさに変態さんが何かやばい感じに欲情しちゃってる時のものだった。
なんでよりによって対象が俺なんだーー!!
心の中で叫ぶ。
なんだか論点がずれてる気がしないでもない。
「兄貴!わかってくれ!俺は真剣だ!俺がアレを使いたいと思うのは、あんただけだ!」
「なおさら悪いわーー!」
自分の知らないどこか遠くへ逝っちゃっているらしい祐希の熱い愛の告白に、
昴治はぞくりと背中を震わせた。
「兄貴ぃぃ!好きだァア!○○○して××して■■■位愛してるぅーー!」
「…!!!」
「兄貴ラァァァヴ!!」(←異様に低い声で)
「それ以上俺の前で言うなーー!」
もはや逝ってしまった祐希には何を言っても無駄だった。
ちらりと振り返る。
祐希の目がヤバ気に血走っている。
昴治は後悔するよりも先に恐怖に心を引きつらせた。
恐ろしさのあまりもう涙も出ない。
それでも必死で逃げつづけていた昴治だが、
急に目の前に現われた壁に、はたとその足を止めた。
行き止まりだ。
はっと後方を振り返り、しかしそこにゆらりと立つ影を確認して、昴治は深い絶望を感じた。
「兄貴。」
「ひっ…。」
ニヤリと笑って舌なめずりをする祐希に、
昴治はもはや子ウサギよろしくブルブル震えるしかできない。
一歩、一歩と祐希が近づいてくる。
壁にぴったりと背中を押し付けている昴治の顔は真っ青だ。
「兄貴…。大丈夫だ。優しくするから。」
諭すような口調だが表情が逝っちゃってる祐希に、
昴治はもう恐ろしくて意識を保つので精一杯だった。
噛みあわない奥歯のカタカタなる音がモーター音に混じって響いている。
「兄貴、俺と…俺と一緒に天国を見よう!!」
詰め寄る祐希。
昴治の肩に手が掛かる。
「っぎゃーーーーーーーーーーーーーー!!」
深夜のリヴァイアスに悲痛な叫びがこだました。
その後、
昴治はネーヤの機転で難を逃れたが、
その出来事がトラウマになってしまったらしく
祐希とはしばらく口をきくどころか
会ってすらくれなかったという。
ああ、昴治くん、お誕生日おめでとう!
ホントにおめでとう!(どのあたりがよ)