「やはり、あのお二人は別格だわ」
「だってー、あの人たちはー血の力もあるものー。茜みたいにぽっと出の『鬼狩り』じゃないしー」
「あら。あの方たちも何の努力もなく力を持っているわけではないわ」
「わかってるけどー、なんかむかつくーっ!」
「……落ち着いて」
「藍ちゃんだって、悔しくないーっ?」
「……別に」
「それはおかしいっ! 茜、悔しいものっ!」
「落ち着きなさいな、茜さん」
「みほっちだって、そうでしょっ!?」
「悔しくないと言えば、嘘だわね。あのお二人は認められて、私たちは、未熟者と見られている」
「でしょでしょでしょーっ!?」
「けれども、それは否定しがたい事実だわ」
「ぶーっ」
「……」
「人に認められるというのは、難しいことなのよ。少しずつ、実績を上げていくしか、ないわ……私たち『聖応女子高生徒会』も、ね」

せ い お う じ ょ し こ う と う が っ こ う せ い と か い
『聖応女子高等学校生徒会』


〜8月度お題競作『きもだめし』参加作品〜

みだれかわ枕(MacLa Works)
2002.8.28



 朝。
 じーじーじーとセミがずいぶんにぎやかで、日差しは早くも痛いくらいだ。
 夏休みだから学校には、朝練をやっているソフト部とラクロス部ぐらいしか来ていない。


「うー……太陽が黄色いわ……」
 三社詩子は、ごしごしと眠たそうな目をこすりながら、生徒用玄関の横、購買部に設置された自動販売機にコインを突っ込んで、コーヒー牛乳のボタンを押した。
 がちゃこんとパックが落っこちてきて、取り出すと、ひんやりとして気持ちよかった。
 詩子は、この聖応女子高校の一年生である。電算部に所属する彼女は、学校のコンピューターを無断使用するために勝手に夜の学校に忍び込み、思う存分不正アクセスをしたあげく、徹夜明けの頭をすっきりさせるために自動販売機へとやってきたのだ。
『無断』『勝手』『不正』……
 詩子は、自分のやりたいことをやるためならば、手段を選ばない少女であった。
 とくに最近興味があるのは、とある筋で話題になっている、夢物語のようなソフトの噂で。その真偽を確かめるために、夏休みで学校の警備が手薄になっているのをいいことに、ここ数日、自分ひとりで勝手に合宿なぞやっているのだった。
 自動販売機の横には、
『夜間の無断立ち入りを厳禁する 学校長』
 って張り紙があるんだけど、そんなのは無視。お嬢様学校である聖応女子では、そんなことはめったにないのだけど、最近、夜間に無断立ち入りをしている輩がいるというのだ。
 ……あ、あたしのことか。詩子は他人事のように納得する。
 パックにストローを差し込み、ちゅちゅちゅと吸うと、ひんやりとしたコーヒーが口からのど、そしてお腹を冷やしてくれた。
「しかし……アレはすごいわ……ガセでなければ、世界観が変わるわね……」
 中庭を眺めながら、詩子は一人ごちた。
 徹夜の成果は出つつあった。もう少し時間があれば……けれども、もうタイムアップ。夏の暑い盛りだというのに、運動部員たちが学校に押し寄せてくる。そろそろ姿を隠さなければ。
 家に帰って、とりあえず寝よう。中庭の花壇が、なんだかゆがんで見える。疲れ目だろうか。寝る前に目薬をさしたほうがいいかもしれない。ビタミン配合のやつ。冷蔵庫でキンキンに冷やしたのがあったはず。クーラーもガンガンかけて、夕方までゆっくり寝よう。
 なーんて考えていたら。
 中庭に人影が見えた。
「いいっ!?」
 あわててしゃがむ詩子。とりあえず、姿は見られていないと思うけど……そーっと顔だけ出して、様子をうかがってみる。うん、どうやら中庭にいる人物は、こっちには気が付いていない。


 運動場のほうはにぎやかだけれども、今、真矢が歩いている中庭の花壇のほうは、猫の子一匹いなかった。
「……あう」
 東山真矢は、花壇の花に水をやろうと思って、わざわざバスを乗り継いで、学校まで来たのだ。用務員さんとか園芸部というものがない学校なので、綺麗に咲いた花が枯れてしまうんじゃないかと、心配になって。一応生徒会書記という肩書きも持っているけど、書記の仕事は『生徒会の雑用』であって、花壇の世話じゃない。
 しかし、花壇に来てみたら。
 水やりどころの話ではなかった。
 花壇が、ゆがんでいるのである。真ん中のあたりが、丸くゆがんでいる。直径2メートルの魚眼レンズが鎮座しているような感じ、といえば、正確だろうか。
 いや、ゆがんでいるというのは、そう見えるだけで、実際にはどうなのだろう。真矢には、さっぱりわからなかった。
 だが、これは、まちがいない。
「ゲ、ゲゲ、門(ゲート)……」
 別に下駄とちゃんちゃんこ装備の妖怪ではない。真矢には吃音の癖があるので、普通に『ゲート』とひとりごとを言おうとしたら、そうなってしまったのだ。
 花壇には、足跡らしきものもあった。花壇を踏みにじる、裸足の足跡。それは、花壇を出て、中庭の真ん中あたりで、消えていた。
 それをじっと見つめて……大体3分ほど考えてから、真矢は携帯電話を取り出して、短いメールを作成し始めた。とりあえず、このことを伝えなければならない『仲間』がいる。
 急ぐから、本当は直接電話したほうがいいのだろうが、真矢は自分の吃音の癖を自覚していたので、電話をするのは、苦手だった。


「あれは、ええと……たしか、生徒会の人……」
 入学して間もない頃、生徒会役員によるオリエンテーションで、その姿を見たような気がする。
 たしか生徒会長は多忙とかで、えらくお嬢様な外見の副会長と、きゃぴきゃぴの会計が、掛け合い漫才のようなオリエンテーションを繰り広げていて……そう、いま中庭でメールを打っているのは、たしか書記の人。一度も喋らなかったので印象が薄いのだが、何とか覚えていた。
「いったい何してんのよ……」
 詩子、少々困った。
 こうしていれば、とりあえず姿を見咎められることはない。だが、自分のノートパソコンが置いてある電算部室へは、中庭から丸見えになる渡り廊下を通らなければならないのだ。匍匐前進したら大丈夫かもしれないが、それをやるのは真っ平だった。
 しかし、急にあんなところでメールを打ち始めるというのは、何事だろう。
 どうやら、メールがきたからその返事をしている、というわけではなさそうだが。
 なぜって、生徒会書記は、ちらちらとある方向を見ながら携帯を操作していたから。
 なんとなくゆがんでいるように見える、花壇をちらちらと見ながら。
「花壇に、なにかある……?」
 もう一度、目を凝らして見る。
 ゆがんでいる。眼鏡に水滴でもついただろうかと思って、掛けなおしたが、やはり、花壇がゆがんでいる。さっきコーヒー牛乳を買った自販機を見たが、ゆがんではいない。
 まちがいない、花壇がゆがんでいるのだ。ぐんにゃりと。
 そして生徒会書記は、それを見ながら、メールを打っている。
「……つ、疲れたかな……?」
 たしかに、すさまじく、肩が重い。何かが、ずーんと乗っかっているようだ。


 んで、その日のお昼ごろ。
 聖応女子高の別館(なんと木造で大正5年建築の洋館なのだ)にある生徒会室に、真矢と、彼女がメールを送った仲間たちが集まっていた。
「ひとまずは、報告すべきね」
 生徒会副会長、蚊爪三保子。丁寧に入れたミルクティ(暑いのにホットである)を味わいながら、彼女はあくまで優雅に、そう言った。
 報告する相手は『守護者(キーパー)』。異界の鬼からこの世界を守護する者たちの集まりである。三保子は、何はともあれ報告すべきと考えたのである。
 鬼を見たこともあれば、直接退治したこともある三保子だが、自分の学校にいきなり『門』が現れたというのは、初めての経験だった。『門』は直接異界とこの世界をつないでいるので、鬼の出入りが自由に出来るのである。『門』を閉じなければ鬼は際限なく入ってくるだろうし、三保子をはじめとして、彼女たちには『門』を閉じることはできなかった。
 とすれば、閉じることの出来る『守護者』を呼ばなければならない。
「私たちの無力をさらけ出すようだけれども、仕方ないわ」
「ええ〜っ!? 呼ぶのぉ〜?」
 生徒会会計、野町広小路茜。野町広小路、で名字である。安土桃山の頃から続く商家の娘である。だが、きゃぴきゃぴした言動は、そういう『由緒正しさ』をまったく感じさせない。
「茜……副会長の力も……茜の力も……『門』には……役に立たないから」
 その双子の姉妹、野町広小路藍。ぽそぽそと喋る彼女は、茜と顔立ちは同じものの、どちらかというと男装の麗人といった雰囲気だ(着ている服はみんなと同じセーラー服なのだけど)。傍らには、包みに入った木刀を携えていて、これではまるで時代劇の登場人物だ。
「そそそ、そう思います、わた、わたしも」
 ラスト、生徒会書記、東山真矢。優雅なお姫様の三保子、きゃぴきゃぴの茜、一見美男子の藍に比べると、彼女は童顔ながらもごく普通の少女だった。ポトスの植木鉢を持っていなければ。
「でもさー、ポトスちゃん〜」
 ポトスちゃん、というのは、真矢のあだ名。まあ、植木鉢持ち歩いていれば、そんな呼び方もされるだろう。
「でも、じゃないわ、茜さん。鬼の姿はなくて『門』だけが開いているのよ。私たちには、どうすることも出来ない。ちがって?」
「うう〜……」
 茜はいまだに不満気だった。
 その様子を見て、藍がぽんぽんと、茜の頭を撫でる。
 それだけで、何を言ったわけでもないのに、茜はかろうじて、口にしようとしていた罵詈雑言を引っ込める。
「とりあえず状況を『守護者』のネットワークに報告して、現状維持。そういうコトで、よろしいですわね?」
 三保子がそう宣言して、他の三人はとりあえず、うなずいた。
『門』に対しては何もすることが出来ない。
 であれば、どっちにしろ、見ていることしか出来ないのだから。



「ううーん……」
 夕方。
 詩子はもぞもぞと布団から這い出てきた。
 朝、生徒会書記が中庭より立ち去ってからこそこそと自分のパソコンを回収して、自宅に帰り、食事も取らずシャワーも浴びず、爆睡したのが、9時ごろのこと。
 動作したままのパソコンのシステムクロックを見ると、今5時半。8時間ほど寝ていたことになる。
「ふぁ……」
 まだ脳みそが寝ている感じ。
 でも、お腹すいた。
「米粒、食べたい……」
 もう18時間ぐらい、何も食べていない。パンとかラーメンとか、そういう『軽食』ではなくて、ご飯が食べたい。
 インスタントとか冷凍食品とかがあるはずだけど、それをあっためるのすら、面倒くさかった。外食、しよう。そう思って、のそのそと部屋を出てキッチンに向かうと、テーブルの上は1週間前とまったく変わっていなかった。
『しばらく研究室で泊り込みです。留守をお願いします。――母』
 チラシの裏に走り書きした母親のメッセージはそのまま。
 それをほったらかして、まずはシャワーを浴びる。とりあえず汗が流せれば、それでいい。
 母親が嫌がるので切らずに伸ばしてきた髪は、ちょっと乾かすのが面倒くさい。それでも、さすがにほったらかすワケにもいかず、ドライヤーで乾かす。半乾きになったところで、みつあみにした。
 あとは、ユニクロのストライプのワイシャツと洗いざらしのジーンズを着て、眼鏡をかければ、支度終わり。
 一度自分の部屋に戻って、ネットオークションで手に入れた業務用のノートパソコンを手にとった。防水防塵耐衝撃設計、どんなところでも使えるごっついパソコンだ。女子高生が持ち歩くような代物ではないけれども、詩子はこのパソコンが気に入っていた。
 食事に行くのにパソコンを持ち歩くのは、当然、食事中にメールチェックをするためである。
 このパソコンにはキャリングハンドルがついているから、むき出しのまま引っつかんで、ジーンズのポケットにPHSカードと無線LANカードを突っ込んで、外に出る。
 どこがいいだろう。
 お米を食べられるところで、近場といえば。
「んー……牛丼?」
 比較的近くにある、すぐに注文の品が出てくるわけじゃないけど、その分ゆっくりできる牛丼屋のチェーン店に決定した。
「う〜……肩こった……」
 あれだけ寝たというのに、肩の重さはまだとれない。かえってひどくなったような感じだ。
 いや、それよりも、今は食欲、食欲。


「お腹すいた〜っ。ねー、藍ちゃん〜、ご飯〜」
「……」
 生徒会室での会議のあと、花壇に足跡を残していった『鬼』を校内隅々まで捜索して、結局手がかりすら見つけられず、夕方になって生徒会の面々は解散した。
 生徒会長は、多忙とのことで、こられなかった。いつものことなので、誰も気にしてはいなかったけど。
 で、男装の麗人のような藍ときゃぴきゃぴ小娘の茜の双子の姉妹(どっちが姉で妹なのかは不明)は、てくてくと家路を急いでいた。
 そこで不意に、茜が騒ぎ出したのである。お腹すいた、と。
 原因は、藍にはわかっている。
 目の前の、牛丼屋の看板を見たからだ。
 この気まぐれな姉妹(きょうだい)には、ほとほと手が焼ける。きっとケーキ屋の看板が見えても、料亭の看板が見えても、お腹がすいたと騒いだに違いない。それが今日はたまたま牛丼屋だっただけだ。
「ね〜、藍ちゃん〜、ご〜は〜ん〜!」
「……家に帰れば、何かあるから」
 とりあえず、諌めてみる。
 だって、聖応女子の制服姿で、牛丼屋の前でぎゃあぎゃあ騒いでいるというのは、ちょっとまずい。ここらではお嬢様学校として、かなり有名なのだ。
 それなのに、牛丼屋は……淑女の修練場、聖応の制服が泣くぞ。
「やだ〜っ、食べるの〜、牛丼食べる〜!」
 とうとう茜は藍の袖をつかんで、地団駄を踏み始めた。
 勘弁して、と藍は心の中で絶叫した。幼稚園児か、この姉妹(きょうだい)は。
「……わかった」
「わ〜い♪」
 根負けして藍が肯くと、茜はぴょんぴょん飛び跳ねた。体の動きにあわせて、リボンと胸が揺れている。ゆさゆさゆさ。
「……」
 藍の胸は、そんなことで揺れるほど豊かではなかった。
 自分の胸と茜の胸を見比べてから、
「……入ろう」
 藍は牛丼屋のドアを開けた。


「あら、そうでしたの?」
 校舎別館、生徒会室。
 三保子は『守護者』の一人に、電話をしていた。学校の敷地内に『門』が開いたこと、『鬼』とおぼしき足跡があったこと、けれども『鬼』の姿は発見されなかったこと。それを報告するためである。
「そう。人は出せないが、そちらには例のソフトがある。解析出来れば、役に立つ」
「そのような話、会長からは有りませんでしたわ」
 内心ふくれっ面の三保子。でも、それは表情にはおくびも出さない。あくまで優雅に、上品に。それは彼女の人生訓。
「彼女なら解析できると思って、渡しておいたんだが……秘密主義だからな、あの娘は」
「それに、会長は受験の準備で忙しいのですわ。おそらく、そのようなことを」
「している時間はない、か?」
「ご自身の受験生のときのことを思い出されたらよろしいのですわ」
「あいにく、覚えていないね、そんな昔のことは」
「そうやって、ご自身のことは煙に巻きますのね、あなた様という殿方は」
「ふふ。気にしないことだ、聖応のお姫様」
「……あなたにそう呼ばれると、嬉しくありませんわ」
「それは重畳」
「……」
「ソフトは会長さんに渡してある。彼女は学校のコンピューターを使って解析すると言っていたから、そこにおいてあるんじゃないのかと思う。健闘を祈るよ、聖応のお姫様」
 そんなやり取りをして、三保子は電話を切った。携帯電話をパタンと折りたたみ、鞄に仕舞う。
 夏の真っ盛りであるのに、二の腕まである白い絹の手袋。三保子は肌を出すことが嫌いだった。生まれつき肌が弱いということもあるし……まあ、いわゆる潔癖症なのだった。
「あ、ああ、あの、ふふ副会長?」
 おそるおそる、といった感じで真矢が声を掛けてくる。どうもいまの三保子は、声を掛けにくい表情だったらしい。気が付けば、ずいぶんと眉間に力が入っている。しわが出来ていただろうか。
「どうしたの、真矢さん?」
「いいいえ、お茶……どうぞ」
 電話が終わるのを待っていたのだろうか、アールグレイが湯気を立てていた。高校の生徒会室だから、冷蔵庫はさすがにない。氷が作れないから、アイスティーが淹れられない。紅茶が好きな三保子は、仕方ないので夏でもホットティーなのだった。
「ありがとう」
 受け取り、軽く一口。ちょっと気持ちが収まった。
「『鬼』の封印が出来る、パソコンソフト……」
 つぶやいてみる。
 しかし、それは、なんとも……
「まるで三文小説のようだわ」


「相席、お願いしまーす」
 そういわれて、ちょっと詩子は顔をしかめた。
 相席は苦手だ。嫌いと言い換えてもいい。
「すみませーん、こちらどうぞー」
 牛丼屋に入ったはいいが、少々混んでいた。カウンターがいっぱいだったのだ。
 んで、通されたのは、自分と同じ高校生の二人連れの席だった。
 ……同じ高校である。お嬢様学校、聖応女子の制服姿で牛丼を食べているというのは、なかなか違和感があった。
 いまの詩子は私服だから、単なる偶然なのだろう。
 しかし、気まずい。
 詩子は、この二人に見覚えがあったからだ。
 新入生オリエンテーションで、お姫様のような副会長と掛け合い漫才を演じていたのは、目の前でほっぺたにご飯つぶをいっぱいつけながら牛丼をほおばっている、この少女ではなかったか?
 もう一人の、黙々と激辛キムチ牛丼を食べている一見美少年は、そのとき剣道部の紹介をした『女装の麗人』ではなかったか?
 幸い、二人とも詩子が同じ聖応女子の生徒だとは、気が付いていないようだ。
 ま、当然である。詩子は極力目立たないようにしてきた。コンピューターには並々ならぬ興味があったが、学生生活そのものには、あまり興味がなかったから。
「……すんません……」
 のそっと挨拶する。どうも、知らない相手に挨拶するのは苦手。知ってる相手でもあんまり変わらないけど。
「……茜、こっち」
 麗人のほうが、茜って呼んだ女の子を手招きする。ちょいちょいって自分の横の席を指差して。
「うん、わかったよー、藍ちゃん」
 茜はひょいっと丼を持つと、すたすたと藍の隣に移動した。詩子が茜がさっきまでいた席に座ると、そこはご飯粒だらけだった。それに気が付いて、藍がペーパーナプキンできれいに拭く。当の茜は、すでに牛丼に集中していた。
「お冷どーぞー」
 店員が持ってきたお冷を一口飲んで、詩子は
「ふ〜……」
 なんてため息を洩らした。首を左右にコキコキってする。ああ、肩こった。
 すると。
 その仕草を、目の前の二人が、ジーっと見つめていることに気が付いた。
 なんだろう、何かおかしなことをしただろうか?
 いやまあ、歳相応の仕草ではなかったと思うけど。
 なんなんだろう、この視線は?


 双子の二人は、じーっと目の前の少女を凝視していた。
 いまの感覚は。この少女に感じた、この感覚は。
 お互いに視線を合わせる。
 かれこれ16年以上、双子の姉妹をやってきているのだ。趣味が違おうと胸の大きさが違おうと、言いたいことは通じる。

 まちがいない、鬼の感覚。

 目の前の少女から、鬼の気配を感じた。
 ごく弱い。せいぜい1マイナス程度だ。だが、仮にも『鬼狩り』である自分たちに、見過ごすことはない。
 なーんて、じーっと見ていたら、目の前の少女がすごく怪訝そうな表情を浮かべた。そりゃそうだ。
 あわてて茜と藍は牛丼に視線を戻した。茜はハーブチーズ牛丼のタマネギ抜き、藍は激辛キムチ牛丼のキムチ多め。
 時々茜のほおについているご飯つぶを取ってあげながら、藍は目の前の少女を観察していた。
 頼んだメニューは牛丼のつゆだく。生卵をトッピングしている。鬼は動物性たんぱく質……人間の肉を好む。牛皿を頼むようだったら、間違いなく変異度2だったのだが。
 メニューが来るまで、持っていたパソコンで何かやっていた。メールチェックだろうか? ちょっと邪魔だ。鬼に憑依された人間は、性格が悪くなる。もし迷惑だということをわかっていてやっているなら、変異度1プラスってところだろうか。
 食べ始める前に軽く合掌をして、ゆっくりと食べ始めた。箸を汚さないように、きれいに食べる様は、理性を感じさせた。意外と変異度は低いのだろうか。
 そんな感じで、ずーっと観察していたのだ。


 詩子は、少々気分が悪かった。
 なぜって、相席した高校生に、ずっと観察されていたから。
 どんな見られ方にしても、視線を向けられるということが、苦手だったのだ、詩子という少女は。
 どうにも、気分が悪い。
 だが、どうせ他人だ。
 そう思って、気にしないことにした。
 そして、学校への道を急ぐ。今夜もまた忍び込んで、電算室のコンピューターを使うつもりなのだ。


 詩子が店を出てから、茜と藍は店を出た。
「ね、藍ちゃん。気が付いたー?」
「……?」
 首をかしげた藍を、可笑しそうに見つめて、茜は、
「いまの娘ねー、茜たちと同じ学校の娘だよー、たしかね、一年生のー……三社詩子ちゃんだったかなー。でっかいパソコン持ってたからー、電算部員かなー?」
 そう言った。
 なんと。
 藍、びっくりして目が点になっていた。この姉妹(きょうだい)は、たしかに人の顔を覚えるのが得意だったと思うが、だからと言って、自分と全然かかわりのない下級生の顔と名前が一致するとは。
 いや、そんなことを驚いている場合ではない。
 同じ学校の生徒から、鬼の気配を感じたのだ。折しも、今日学校に『門』が出現している。
 藍はあわてて携帯電話を取り出した。会長――は連絡が取れないだろうから、副会長!



 夜、11時半。
 副会長、三保子。
 書記、真矢。
 会計、茜。
 その付き添い、藍。
 聖応女子高生徒会の面々(とその付き添い)4名は、生徒会室のある校舎別館の前に、勢ぞろいしていた。
 4人が4人とも、制服姿だった。
 まあ。
 三保子は二の腕まである絹の手袋をしていて。
 真矢はポトスを植えた鉢を持っていて。
 茜はポテチをぱりぱり食べていたし。
 藍は、昼と同じように木刀を抱えていた。
「状況を確認いたしますわね」
 三保子はそう言って、他の三人を見渡した。
「茜さんと藍さんが見たという、鬼の気配をした少女は、我が校の生徒――電算部員1年生、三社詩子さん。間違いありませんわね?」
「うんうんっ」
 茜が元気よく手をあげて返事した。藍は、自分が知っているわけではないので、黙したまま。
「茜、あのあとちゃんと調べたもん」
「結構ですわ」
 そう言って、三保子は微笑んだ。
「そして、彼女がここ数日、夜間に校舎へ無断で侵入しているという噂。これについては、いくつかの運動部員の方から、証言を得られましたわ」
 三保子、藍から『怪しい少女がいる』という電話を受けてから、さまざまな方面に、三社詩子という生徒について聞き込みを行ったのだ。もちろん、夕方からだったから、直接会えた生徒は少ない。ほとんどが電話での聞き込みだったのだが、生徒たちは喜んで三保子の問いに答えてくれた。
 第二学年きっての才媛であり、お姫様である三保子は、生徒たちの憧れの的だったのだ。もはや偶像といってもよい。
 そんな偶像から不意に電話がかかってきたら。
 何でも素直に答えてしまう生徒たちの気持ちも、わからないではない。
「そして、今日発見された『門』」
 三保子は真矢を見つめた。吃音のせいで喋るのが苦手な書記は、静かに視線を返す。
「以上のことから、三社詩子さんが鬼に憑依されている可能性は、高いですわ」
 一瞬、全員の表情がこわばる。
「彼女は、今夜も校舎内にいると思われますわ。今夜の目的は、彼女への接触。変異度が2マイナス以上ならば、その場で『狩る』ことといたします」
 そこまで言って、三保子はもう一度全員を見渡した。大丈夫。私たちは、未熟者かもしれないけれど『鬼狩り』の一員。
「――異議はありませんわね?」
「いぎなーし!」
「は、ははは、はい」
「……」
 茜は元気よく、真矢は緊張した面持ちで、藍だけは無言で頷いた。
「では、参りましょう」
 これからお茶会を、というような口調で、三保子は新校舎――電算部室のある棟の方へと歩き始めた。


 真っ暗な校舎の中で、そこだけは明かりがついていた。暗幕のようなカーテンで隠そうとしていたが、どうしても光が漏れてしまい、そこに本来人がいるはずのないのに、人がいることを明らかにしていた。
「なるほどね……冗談のようだけど……そうとしか考えられないわ」
 電算部の自慢である、デュアルCPUサーバー(二つのCPUを使ったサーバー)の前で、詩子は一人つぶやいた。目の前の液晶ディスプレイには、最近彼女を夢中にさせてやまないプログラムの解析結果が表示されている。
「道理で、サーバーのエミュレーターで実行しても、何もわからないはずだわ。こんな仕組みだったなんて」
 眼鏡をはずし、首を左右にコキコキと動かす。どうも肩が重い。根の詰めすぎだろうか。
「ふー……ちょっと、休憩しよ」
 画面から目を離す。
 眉間の辺りを指で揉みほぐして。
 そのとき、外から、ガタンという音がした。
「……!?」
 あわてて窓際を見るが、何があるわけでもない。
 じゃあ、いまの物音は?
 詩子はゆっくりと窓に近づいた。この窓は中庭に面している。花壇や噴水が見えるのだ。
「猫かな……?」
 いや、猫ではなかった。
 アベックだった。
 若い男女。肩なんか抱き合って、中庭をゆっくりと歩いているではないか。校則の厳しい聖応女子の敷地内でそんなコトするなんて、なかなかの度胸。
「……なぁんだ」
 詩子は『そーいうコト』には全然興味がなかった。それよりも、プログラムのほうが興味ある。
 回れ右して、サーバーと向き合った。
「……実際に試してみようかな」
 そういいながら詩子は、自分のノートパソコンへ、解析を終えたプログラムを転送し始めた。


「よろしいですか? 静かに……」
「はー……(うももも)」
 はーい、と元気よく返事しようとした茜の口を、藍がおさえつつ、4人は新校舎の中を進んでいた。
 夜中の校舎というのは、なかなかに気味が悪い。
 普段明るいところしか見ていないから、暗いということそのものが、非日常をもたらしている。その非日常が、恐怖を呼ぶ。
「あ、あああ、あの……」
 ゆっくりと真矢が口を開いた。声が震えているわけではなくて、単にいつもの吃音なのだなと、三保子は察した。
「いかがなさいましたの?」
「こ、こういうのって、ききき、きもだめし、みたいで……」
 怖いのか楽しいのか。
 真矢の感想を三保子が聞くことはなかった。
 なぜって、電算部室の前にたどり着いたから。
 扉の隙間から明かりが漏れている。中には誰かが――まず間違いなく、三社詩子がいる。
 お互いにうなずきあって、茜が扉に手を掛けた。そのすぐ後ろには藍が木刀を構えて、すぐに双子の姉妹(どちらが姉か妹かは不明)を守れる体勢。その次に真矢がポトスの植木鉢を両手で持ったまま立っていて、ラスト手ぶらの三保子。
 それぞれが持つ鬼狩りとしての能力を、一番発揮できるポジショニングに、彼女たちは自然とうつっていた。
 と、そのとき。


「……転送中って、けっこうすることないわね……」
 詩子はファイルの転送中、ボーっとしていた。
 まあ、ほかにすることがあるわけでもない。たまにHUB(ハブ)のランプの点滅を眺めたり、マウスを意味なく動かしてみたり。
 少しお腹がすいたから、コンビニで買ってきたおにぎりをかじったり。
「『キモだめし! 夏こそスタミナ、レバニラおにぎり』ねぇ……たしかに肝臓(キモ)だけども……そこそこおいしいかな」
 あとわずかで転送も完了する。そしたらためしに実行してみようか……
 なんて思っていた、そのとき。
 ディスプレイの隅っこに、変なものが見えた。背後の景色……何かが飛んでくる!
「いいっ!?」
 振り返ると。
 男が窓から飛び込んできた。
 いや、もとい。
 吹っ飛んできて、窓から突っ込んできて、そのまま、扉のほうまで飛んでいった。


 どんがらがしゃーん、ばうんっ!


 藍があわてて振り返り、茜と真矢の襟首を引っつかんで飛びすさる。木刀は放り出してしまった。その横で三保子が踊るような軽やかな仕草でバックステップ。
 いきなり扉が吹っ飛んで、廊下に血まみれの男が転がった。
「ぜひゅーっ、ぜひゅーっ」
 喉笛が食いちぎられたようになっていて、呼吸が漏れている。出血がすさまじく、どうみてもあと数分の命に見えた。
「……!」
「……確定、ですわね。狩りましょう」
 鬼の仕業としか考えられない。そしてその鬼は、この部屋の中にいる。
 そう確信して、三保子は、同じ結論に達していたらしい藍を目で促した。
 藍は無言で頷き、茜と真矢をその場に座らせて、木刀を拾う。


 今のは何だったのだろう。
 血まみれの男、のように見えた。
 血液自体は、詩子だって女の子だから、毎月見ている(周期が短いので、他人よりもよく見ている)。
 だが、血まみれの男というのは、初めて見た。
 砲弾のように窓から飛び込んできたというのも、初めて。
 だけど、詩子はなぜか、冷静に思った。
「……鬼が……いる」
 夜中の学校で無断合宿。そんなものとは比べ物にならない非日常が、今ここにある!
 詩子は、ちらりとサーバーの画面を見た。

**ファイル転送……100% 完了しました**

 丈夫な対衝撃防水業務用ノートパソコンを引っつかんで、LANケーブルを乱暴に引っこ抜き、詩子は廊下のほうへ向き直った。もっと広いところのほうが……

 そして、目の前に。


「……いたっ!」
 藍は電算部室から出てこようとした人影を見て、すばやく反応した。
 木刀を、思いっきり振るったのである。
「いいっ!?」
 人影はすかさず手に持っていたモノで体をかばう。

 がいんっ!

「……浅い」
「な、なによっ!?」
 衝撃でよろめきながら、人影は鋭い視線で藍を見た。
 事前に聞いていた『三社詩子』の容姿と一致する。
 だが、瞳は、理性ある人間のように見えた。
 もしかして変異度4か5の、強力な鬼なのか。だとすれば……勝てないかも。
 そう思った。自分の剣の腕を過小評価するわけではないけれども、変異度4以上の鬼相手では、どうやったって力で押し切られると、藍はちゃんと理解していた。


 いきなり木刀で殴りかかられた。
 とっさにノートパソコンで防いでしまったが……さすが対衝撃防水業務用ノートパソコン。少しへこんだような気がする程度。相手を睨みながら、電源を入れなおす。
 大丈夫、起動する。たいしたものだ。
「なによ、あんたたち!?」
「聖応女子高校、生徒会」
 ぼそっと藍が答える。
 なるほど。言われてみれば、お姫様のような副会長やきゃぴきゃぴの会計、朝も見た書記の姿が、廊下にある。
 だけど。
「……あんた、生徒会長だっけ?」
 違うような気がする、と詩子は思った。そもそも、生徒会長が登校しているところなんて、見たことない。
「……役員心得見習」
 ちょっと頬を紅くして、藍はぼそりとつぶやいた。藍は生徒会役員ではない。
「ちょっと藍ちゃんっ、なにマターリとしてるのよぅっ!」
 と、そこに同じ顔した茜が飛び込んできた。
「鬼なんでしょっ、早く藍ちゃんの『月姫』で」
「……違うような」
「へ?」
「鬼じゃ、ない……」
 目の前の、パソコン持った少女、三社詩子。
 たしかに、いまの彼女からは、鬼の気配をほとんど感じない。
 むしろ、その背後から……
「その後ろですわっ!」
 廊下の三保子からの叫び。
 藍と茜が視線を詩子のもう少しに動かし、それに気づいた詩子が振り返った、そのとき。

 窓から、それが飛び込んできた。



『彼女』は本当に小さな隙間から、この世界に侵入した。ちょっとしたトラブルから『門』が少ししか開かなかったのだ。おかげで『門』をくぐるだけでずいぶん力を消耗してしまった。
 だが、食欲旺盛な『彼女』にとって、ここはずいぶんと都合のよい狩場であった。
 たまたま憑依した女が通う学校が、ここであった。この地域では『オジョーサマガッコウ』とか言われて、他の学校とはずいぶんと違う目で見られていることに『彼女』は割と早い段階で気がついた。
 ちょっと思わせぶりな仕草をするだけで、まさに男が入れ食い状態。食事にはまったく困らない。この校舎は夜になれば人気がまったくなくなるから、制服姿で『釣り上げた』男をここまで連れてきて、物陰でパクリ。時には性的な快感を味わわせてやることもあった。『彼女』自身そういうことも嫌いではなかったし、欲望を吐き出した直後に深い絶望と嫌悪を感じながら死んでいく人間を喰らうのも、なかなか好きだった。食事前にスポーツをして、おいしい食事。なんて健康的なのだろうと『彼女』は少し自分のジョークに笑った。
 だが、ふとしたことから、憑依した女の後輩とやらが『彼女』のことに気が付いた。
『彼女』はやむを得ず、リスクを覚悟の上でつい二日前、その後輩を喰らった。もちろん性的快感も味わわせてから。
「ワタシ、アナタノコトガスキダッタノヨ……ズットズット!」
 そう言ってから抱きしめてやると、後輩は自分から接吻をねだってきた。脂身の多い女よりも赤身がしっかりした男のほうが好物の『彼女』だったが、このときばかりは女もいいなと思った。喉笛に噛み付いたときの後輩の涙に、一瞬罪悪感がよぎったが……それは本当に一瞬だった。踊り食いをするときにぴちぴち跳ねる白魚を見て感じるものに、よく似た罪悪感だった。それに、女はなかなか旨かった。
 とはいえ、やはり好物は男の赤身。今夜も男を釣り上げ、早速食事を始めたところだったのだが、誰もいないはずの校舎から明かりが見えた。
 まあいい。この食べかけを放り込んでパニックと恐怖に陥ったところで、一緒に喰ってやろう。少し色気を出した『彼女』は、それを実行に移したのだ。

 だが、そういった事情は生徒会の面々も詩子も、知ることはなかった。かろうじて、最近男性の行方不明が増えたことと、聖応の学園から仲の良かった幼馴染の先輩後輩の二人が行方不明ということになったことは、知ったのだが。



「へぇ、これが……『鬼』ね」
 飛び込んできた女生徒を見て(いや、聖応は女子高だから、生徒はすべからく女子なのだが)詩子は感心して言った。
 にょっきり生えた牙と、肉食に最適化されたあごの骨格。強靭な四肢。人間離れしている。
「冷静ですのね、三社詩子さん」
 ゆっくりと部室に入ってきた三保子は、そう言った。
「私たちは、あなたがこうなっていると思っていたのですけれども」
「はぁ? 冗談」
 軽口を叩く。だが、二人とも視線は鬼からそらさない。
「……鬼狩リドモカ」
「ええ、そのとおりですわ」
 鬼が口を開いたときも、三保子は視線をそらさず、あくまで優雅に言った。
「聖応女子高等学校生徒会、副会長の蚊爪三保子ですわ。短いお付き合いになるかと思いますけれども、よろしく」


 その『挨拶』と同時に、無言のままだった藍と、無言でいるつもりはなかったのだが何を言おうかずっと考えていた茜が、鬼に向かって突進した。
「……『月姫』」
「『腐り姫』うぇいくあ〜〜〜〜〜〜っぷっ!」
 口々にそう叫ぶと、藍の木刀は燐光を放ち始め、茜の右手の中指の爪は赤く長く変化した。野町広小路姉妹の持つ、異界のものと戦うことの出来る能力が、発動したのである。
 藍の『月姫』はあらゆるものを切断し、茜の『腐り姫』はあらゆるものを腐食させる。その力の集約点が、木刀であり、赤くなった中指の爪なのだ。
 だが。
 その能力はあいにくと鬼そのものに炸裂することは、今回はなかった。
 鬼は、あっさりと二人の攻撃を躱し、無防備そうな眼鏡の女――詩子に突進したからである。
 空振りした姉妹の攻撃は、見事に電算部のサーバーに炸裂し、真っ二つになったあと赤い光となって消えていった。
「ああっ、ウチのサーバーっ!」
「あぶないですわっ!」
 迂闊にもサーバーに駆け寄ろうとする詩子に、三保子が叫ぶ。最悪自分の『力』も使わなければならないかもしれない。避けたい。だが、場合によっては。
 そんな逡巡の間に、もう一人のずっと黙っていた少女が行動を起こした。
「……あ、あうう」
 喉笛を噛み切られた男の最期を看取って、丁寧に目蓋を閉じさせていた、真矢である。
 彼女が両手でささげ持つ植木鉢から、ポトスがにょきにょきと伸びていた。伸びたポトスが、鬼を縛める。
 鬼はその膂力でポトスをぶちぶちと引きちぎるのだが、ちぎるそばからまたポトスが絡み付いてくる。さらには根が鬼の体に食い込もうとしてくるのだ。
 決して圧倒的なパワーではなかったが、とめどもなく伸びてくるポトスは、鬼にとって非常に邪魔であった。
「ぐぐぐぐ」
 このちっちゃくてぷにぷにしている書記は苦しいのか? そう思って間一髪だった詩子は真矢を見る。
「ぐ、『グリーン・グリーン』」
 真矢は、鬼狩りの先輩である野町広小路姉妹に習って、自分の能力の名前を言いたかっただけらしい。
 だが、所詮は植木鉢のポトス。
「グオオオオオオオオオッ」
 咆哮をあげて、鬼はポトスを振り払った。
 そして、再び突進し始める。
 優雅ながらも隙を見せない三保子ではなく、パソコン抱えてサーバーがあった辺りを呆けた視線で見ている詩子に向かって。
「あああ、サーバーが……」
 そう呟きながら、詩子はくるりと振り返った。
 おもむろにパソコンを操作する。マウスを使う通常の操作ではなく、コマンドラインでのCUI操作である。すばやく片手でコマンドを入力する。
 そして、ポケットから無線LANカードを取り出して、スロットに差し込む。
「サーバーが吹っ飛んじゃったぢゃないのよっ!」

 ぴぽっ♪

「グガアアアアアアアアアっ」

 無線LANカードがパソコンに認識される音と、鬼の咆哮が重なり。
 そして、電算部室はホワイト・アウトした。


「そうね……このソフトには名前がないけど……ウイルスと同じ命名方法でいくと『WhiteAlbum.W32』……『ホワイトアルバム』ってことになるかな」
 そういいながら、詩子は中庭の花壇で先ほどと同じコマンドをパソコンに入力する。すると、差し込まれている無線LANカードのLED(ランプ)が激しく点滅し……
「はい、実行」
 詩子がそういった瞬間。

 がきゅーんっ

 なんて音とともに、花壇の真ん中にあったはずの『門』は消失した。
 同時に無線LANカードも火を噴いて、見事に壊れる。パソコンに影響が出る前にすばやく抜き捨てながら、
「無線LANの規格の一つであるIEEE802.11bが電子レンジで使用する周波数と同じ帯域を使用することを利用して、異界の存在を『チン』するプログラム。プラグインを使えば非実体である『門』も『チン』出来ます、と。そういうことよ」
 と詩子は説明したが、あいにくと生徒会の面々は『無線LAN』というところから、すっかりわからなかった。
「でたらめな使い方をするから、起動する度に無線LANカードを灰にするけどね」
「それが、生徒会長から電算部に渡されたプログラムですの?」
 三保子が尋ねてみる。
「さぁ? MOには『生徒会』って書いたラベルが張ってあって、160ビットの暗号が掛けてあったけど……チョロすぎ」
 言葉尻はよくわからなかったが、多分勝手に使ったのだなと、三保子は理解した。
「それにしても……非現実的な夜だったわ」
 空が白み始めている。もう夜明けだ。
 鬼が詩子に突進してきたとき、彼女は実に冷静に『ホワイトアルバム』を起動した。LANカードが火を噴いたのには少し驚いたが、鬼は見事に『チン』されて、消滅した。『ホワイトアルバム』によって無線LANカードから放射された自己崩壊コードは、鬼の存在そのものに揺さぶりをかけ、最後には消滅させてしまう。
「あら、けれどもあなた、すごく楽しそうでしたわよ?」
 三保子が、詩子にそういった。
「え? そう見える?」
「ええ、見えますわ。ねぇ、みなさん?」
 優雅に三保子が他の役員たちを見やると。
「う、ううう、うん……」
 真矢がそう言って頷いた。いつの間にか植木鉢のポトスは普通のポトスの大きさに戻っている。
「……」
 藍は無言で頷いた。サーバーを真っ二つにしてしまったのが少々気まずいらしく、詩子に視線を合わせようとしない。
「茜も楽しかったしねーッ♪」
 茜はぜんぜんサーバーのことは気にしていないようだった。元気よく詩子にウインクする。同意を求めて。
 詩子はちょっと考えた。
 この数日、たしかにうきうきしていた。
 サーバーを使うために夜の学校に忍び込むということにもワクワクしたが、どちらかというと。
 鬼を前にした瞬間、あの高揚は。
 あの時、自分はどう思った?
「……ま、悪くはないわね」
 そう言って、詩子は、生徒会の先輩たちにピースサインを返した。


終わり。


追伸

 夏休み明けすぐに、電算部より生徒会に対して稟議書の提出。会計の野町広小路茜女史がエスケープしていたため、書記の私、東山真矢が稟議書の内容について、提出者である電算部1年三社詩子さんに確認をとる。
 内容は先日の『事故』で失ったサーバーコンピューターを自作するための部品代と無線LANカード2枚とのこと。
 生徒会副会長・蚊爪三保子女史に相談したところ、彼女はこういって稟議書を通すように指示。
「あの娘が鬼を狩るたびに、無線LANカードの請求書が来るのかしらね、真矢さん?」
 副会長は相変わらず優雅であったことを付記する。

 生徒会書記 東山真矢の業務日報より。
 この業務日報は禁帯出とする。


さらに追伸

 その日を境に、あたしの肩こりはまったくなくなった。
 なんでだろうかと、いろいろ考えて、一つの可能性に行き当たり、たまたま目の前を通りかかった野町広小路先輩(木刀を抱えていたから、藍先輩のほうだと思う)にたずねて見たところ、
「……それでか」
 と、何か勝手に自分で納得してしまった。
 まあ、推測が正しかったのだろうということにしよう。
 あの時私は別の、非常に弱い鬼に取り憑かれていたのだ。それが肩こりという自覚症状に表れていた。連日の学校への不法侵入という身勝手な行為を繰り返したのも、自己中心的になるという、鬼に憑かれたときの初期症状に合致する。
 それが『ホワイトアルバム』の起動で、あの人食い鬼とともに、消滅させてしまったのだ。おそらく、だが。
 あと数日したら、私があの鬼の仲間入りをしていたかと思うと……それはそれで愉快かもしれないが、やはりぞっとしない。
 何しろ、我が聖応女子には、鬼狩りの生徒会が存在するのだから。
 ああ、そうだ。無線LANカードはちゃんと弁償してもらわなければ。サーバーの稟議書と一緒に出してしまえ。


電算部員 三社詩子の覚書より。


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