あしあと
第1話
今年もまた、新歓の季節がやってきた。
2年前は自分が勧誘を受ける側だったのに、次の年からは新入部員を求めて走り回るようになった。
随分短期間で変わってしまったものだと思う。
ここ数年の異常気象のせいで桜の開花はとっくに過ぎているが、まだ散ってはいない。
榛名透は空を見上げた。
突き抜けたような真っ青な空と葉桜が、自分を包み込んでくれているようだと透は感じた。
サークル勧誘のビラ配りと言うのはかなり大変だ。
新入生を捕まえ、ビラを渡し、興味を持ってくれたら簡単な説明をする。
連絡先を聞くことができれば上々だ。
ただし、透はかなり人見知りしがちであった。
「榛名! ビラ配ったか?」
講堂を挟んで向こう側でビラ配りをしていた大槻が、透の姿を見つけて笑いかけてきた。
大槻の手にあったはずの大量のビラは、もうなくなっていた。
「お前・・・すごいな」
しみじみと言う透を見て、大槻は苦笑した。
「お前はのんびりしてるからなー」
そう言いながら大槻は透の手にあった大量のビラを、半分ほど奪い取る。
透はかなりおっとりとした性格だ。
その性格からか、透は同級生や上級生からはかなり可愛がられていた。
「今年は1年生、入部するかな?」
「しないと困るだろ」
他人事のように呟く透を、大槻は呆れたように見やった。
そして、大槻は透の隣でビラを配り始めた。
しばらくして、目の前をバイオリンケースらしきものを抱えて歩く少女の姿を、
透は視線の隅に捉らえた。
「あ、あの子」
先に気付いたのは、透だった。
透の視線を追った大槻は、少女を見て苦笑した。
「すごいなーあの格好じゃオケ関係の団体に次々に捕まるだろうに」
その大槻の声は、透の耳には届いていなかった。
透は、目の前を行く少女に目を奪われていた。
「ねぇ、それ、バイオリン?」
透は思わずその少女に声をかけていた。
少女は怯えたように透と大槻を見つめた。
「そうですけど・・・」
「その荷物じゃ声かけてくれって言ってるようなものだよね」
「今日は、レッスンがあって・・・」
180cm近い長身の大槻と、170cmそこそこの透が囲むと、
160cmにも満たないくらいの少女は息苦しさを感じてしまうくらいだ。
「ウチの大学には音楽関係のサークル沢山あるから、訳わからないでしょ?」
透は少女にビラを1枚だけ手渡した。
「ウチのサークルはオケなんだ。バイオリンやってるならぜひ・・・」
少女は露骨に嫌そうな顔をしてビラを受け取った。
「そんな嫌そうな顔をしなくても・・・。もしよかったら、見学とか来てみて」
「俺は、榛名透。君は?」
「高野咲智です」
高野咲智、その名前を透は頭に刻み込んだ。
咲智はかなり口数が少なく、大槻の印象にはあまり残らなかったみたいだった。
どちらかと言うと、勧誘の場で入部の意思を表明したトランペットパートの少年の方が、
部員の印象に残ったようだった。
透は、咲智のことを子供っぽさも残る可愛らしい少女だと思った。
透は所謂『カッコいい』と言われるタイプではあった。
それでも恋愛事に対しては意外と奥手だった。
ここまで1人の少女のことが印象に残ったのは、初めてだった。
次の土曜日、練習見学に来た1年生の中に、咲智の姿もあった。
知っている顔がないのか、1年生達の中でも隅の方で不安げに瞳を動かしている。
練習を見学して、部長がサークルについて説明するために1年生を別室に誘導する。
その中でも、不安げに周りに続く咲智の姿は透の印象に残った。
その日の練習後、透は見学に来た1年生に書いてもらったと言う連絡カードを見せてもらった。
『名前:高野咲智
生年月日:1987年2月8日 18歳
出身高校:鳳凰女学院
住所:神奈川県横浜市…
電話番号:045-×××-××××
大学:京葉大学法学部法学科
楽器:バイオリン
歴:6年』
そのカードは、整った字でさらさらと書かれていた。
「榛名くん?」
他の1年生のカードはさらっと見ただけなのに、咲智のカードだけを凝視している透に、
同じ3年生の藤枝梓が声をかけた。
「この子がどうかした?」
「いや、何でもない」
咲智の姿ばかりを目で追う透に、大槻は気付いていた。
今はまだ『恋』とは呼べない段階らしいが、
透から恋の話すら聞いたことがないことなどを考えれば、
透が咲智に好意を持っていることは明らかだった。
それなりにカッコいいと言うのに、透は恋愛に対して免疫がなかった。
咲智の方もかなり幼い容姿で、恋愛経験があるようにも見えない。
これはきっと、前途多難だ。
大槻は、密かにそんなことを考えていた。
2005.4.15