開かれる扉。
見知った、脳裏に描いた光景よりも以前。
まだ間に合う。
頭で理解するよりも早く言葉を発する。
「やめるんだ!カノン!!」
固まるサガ。
押し倒され、首を締められているカノン。
少し離れたところに黄金の短剣がこれ見よがしに置かれている。
これを初めて見てしまったのならば、アイオロスは二人を勘違いしただろう。
カノンと思って庇ったその人物に殺されただろう。
当然であるけれど行なってはならないことをしたのだから。
彼らは「見間違え」をけして許さない。
自分達で間違われることが当然だと思っていながら、それでも個人個人であるがゆえに間違われることを潔癖なまでに嫌う。
また、違う世界では「別々の個人と見る」ことこそが地雷であった時もある。
それは世界に付属する例外というものだ。
見間違ったが最後、アイオロスの信頼は地に落ちる。
一番気を付けねばならないこと。
以前この世界で犯した間違い。
痛ましい世界。
苦しげに呻きアイオロスをカノンの格好の彼は見る。
その瞳にまだ殺意も敵意もない。カノンならばそうだから。
まだ続けているサガにアイオロスは一瞥だけをして、カノンを正面から見つめる。
カノンはもう分かっていた。
アイオロスが正確に自分を見ていることを。
「どうして……お前はオレをカノンと呼ぶんだ」
「カノンはカノンだからだ……カノンはカノンしかいない。他が存在するなんて間違っているだろう?」
この言葉にサガは怒り狂ったようでカノンの手が首に掛けられた状態で椅子の足を掴み投げつけてきた。
椅子を避けもせずに顔面で受けながら、納得する。
こういう風にカノンが追い詰められたから、逃げ回り凶器を手に取ってしまったのか。
心も身体もボロボロで泣き叫んでいた。
『どこにも行けない』と泣いていたのだ。
「何故お前は私達の中に入ってくる!これで全てが終わったのに」
全ては確信に変わる。
そこに椅子があったのも、窒息では死なないことも、予測して動いて、あんな結末を向かえるな!
こみ上げる怒り。これほどまでに苛立ったことはない。
悲しみではなく、強く怒ったことはない。
カノンがサガの首から手を離す。
いつも皮肉っているサガの衣服を自分のものであるかのようにまるで気にしていない。
けれど、アイオロスが暴いた仮面を被り直せない。
カノンはカノンのまま。
こういうところは、いつも変わらずに素直だ。
サガと違って繕うことをしないと言うべきか。今はサガも繕ってはいないが。
「オレがサガを殺せば自由になれる。それが、サガとしての自由でも……!」
「うるさいっ!私はカノンが好きなんだ」
心のままに怒鳴りつける。
ビックリしたようにカノンは目を見開いて固まった。
サガは上半身だけ起こし目を細める。狂気はない。こちらの言葉を聞いてくれるらしい。
「カノンとして存在するカノンが好きなんだ!」
「なに、言って」
「カノンがサガになりサガもカノンも消える……そんな世界は嫌だ。もう沢山だ!!」
「だって、もう他に方法が!」
「ない訳ないだろ!探せ!!……絶対にあるから。大丈夫。まだ、間に合う。平気だから」
優しく諭すようにカノンに語りかける。
鼻で笑うようにサガが言う。
立ち上がり茶番に参加をしてやると言いたげな仕草。
「何が平気だと言うんだ?」
「カノンはまだサガを殺していない……サガを演じる必要はないだろう」
「……カノンは私を殺すさ。サガになりたいのだから」
「サガになれば――」
「そんな、何かを犠牲にして望みが叶う訳がない。後悔する。絶対する。
今でさえ迷っているんだ、弾みでやってしまったら損失の空虚さに押し潰されるだけだ」
低く呟きにも似たアイオロスの言葉。
サガは声を出して笑った。
カノンは愕然としていた。
そうなるであろう世界が容易く想像出来るからだろう。
「まるで見て来たようだな?」
「そう思ってくれて構わない。サガに自殺はさせない」
「じさ、つ?」
カノンがぽつりとアイオロスの言葉を繰り返す。
意味が意図が掴めなかったのだろう。
サガは驚いたように崩した表情を一瞬で冷笑に取り繕った。
「衝動のままにカノンが首を絞めたのだろう」
「そうだ。私は殺されかけた。私になりたいカノンに。……どうして、それを自殺と言える」
「カノンがサガを殺す気がないからだ」
「オレは!」
「あぁ、殺意はあっただろう。入れ替わった衣装、欲しかった立ち位置。
殺意はあっただろう。瞬間的に浮かばぬほうがおかしい……そういう会話をしたのだろうから」
アイオロスはサガを見る。
服と顔が同じだというのに印象が違いすぎている。
あからさまな分かりやすさは何処か演技のよう。
幼少時の二人は混ざり合って酷く見分け難い。いつもいつもアイオロスは苦労している。
「聞いていたのか?」
「いいや。だが、カノンの殺意を煽って首を絞めさせて抵抗し、
逆に正当防衛でカノンを殺すぐらいに追い詰めるつもりだったのだろう?
そうでもなければカノンにサガは殺せない。カノンがそのナイフをついうっかり手に取って使う、そういうシナリオ」
アイオロスの言葉にサガは笑う。
冷笑ではない。
声をあげて嘲笑うかのように拍手まで付けて。
「名推理だな」
「バカげてるだろ。……なんで、そんなことする必要があるんだ!」
カノンは信じられないように首を振る。
けれど、サガの様子から既にもう分かっているのだろう。
アイオロスの言葉が真実だと。
「サガを殺したカノンがどういう行動をとるか分かるか!!
取り返しの付かない絶望に己を責め上げ嘆きの末に死ぬ!
そんな心中認めるか!」
サガはカノンが死ぬことを計算に入れていた。
間違いない。
誰も助けにならないと現世との最後の絆に等しいアイオロスを立ち切ることで証明した。
あの時、間違った。間違ってしまったんだ。
カノンが一番辛かったのに、自分の一言がなければカノンはまだ生きていてくれた。そのはずだ。
自分があの時、間違ってしまった。そのためにカノンはサガも自分自身も殺してしまった。
カノンは誰でもない人間に変貌してしまった。
これ以上にない絶望。
もうあんな気持ちを味わうのはこりごりだ。
「二人とも死なないでくれ!!」
魂からの叫びだった。