ほんの少しだけ頭がグラグラする。
視界は白い。
生まれたばかりの感覚。
指を静かに動かす。
手を握りしめる。

自分がここに居ることを確認する。

反復するように自身の記憶を検索。
今がいつで、ここが何処か把握する。
息をするぐらいに『自分に馴染む』術を覚えた。
これが、進んだということだろうか。

認識は自分を創る。

一方的な肯定は否定であり否定は拒絶と不理解。
退廃的なあの生活。
間違っていたけれど正解だった。
けれど、打開を示したのは自分ではない。
アイオロスは立ち上がりながら思う。

カノンがカノンであったからあの状況を打破できた。
そして暮らした日々で手に入れた情報は数多い。
本人達から有難い助言も頂いたのだから、そうそう最悪な結末は迎えられない。
わずかながらも対抗策と打開策も授けられたのだから。

『どうせお前にとってオレは「カノン」の一人でしかないんだろ』

そう言って拗ねながらもカノンは考えてくれたのだ。
色々一杯一生懸命。
なんだかんだと言った所で結局カノンはカノン。
たぶん、ああいう風に愛を返してくれるカノンに会えることはないだろう。
あの世界を選び取ることできはしないから永遠のさよならだ。
痛くて悲しくて精一杯に行き当たりバッタリの世界だった。
けれど、幸せだった。
退廃的で終わっているような世界で笑いながら過ごせた。
今までで一番サガとも仲が良かった気がする。
三人で居られる幸せを濃縮するように味わった。
望みは確かに叶ったけれど、望みだけでは駄目だと気が付いた。
十分だと思っていた気構えは不十分だった。
必要なことは認識。

気が付いたのはカノンが提示した解答。

積み上げる世界。
全ては無駄ではない。
不毛ではない。
神は言った。
『鍵を手に入れたのだから、先へ進む』と。
『全ては可能性の模索』と。
つまりは、枝分かれした未来から最良を選び取るのはもちろんだが、
前の世界のことを次の世界で活かさないといけない。
当たり前のこと。今までやっていたと思っていたこと。
だが、現実は違っていた。
触れれば爆発する爆弾に対する対処を知らないままにズルズルと過ごしていた。
ほんの少しの選択の誤りが、ほんの少しの手遅れで世界はすぐに壊れた。
壊れる基盤にいるからだと思っていた。
下地が悪いのだと思っていた。
見知った世界とあまりに違うから。

そんなことは言い訳なのだと、やっと認めることが出来た。

積み上げた世界。
否定はしてはならない。
痛みの記憶をぼかしてはならない。
必要だからその道を通ったのだ。
正しいと思ったから、その世界に属したのだ。
終わらない積み木遊びと誰かが諦めても自分だけは諦めない。アイオロスは笑う。
何万回「はじめまして」を繰り返すことになっても悲しみなんて懐くものか。

両頬をペシリと叩き気合を入れる。
さて、カノンに会いに行こう。
カノンは自分を知らないのだから。

望みだけでは駄目だから、引き上げていく自分のレベルを。
サガよりも酷薄に。カノンよりも忍耐強く。
目的のためなら自分すらも勘定外。
心を決めれば怖いものはない。
世界が優しく感じる。
何処からか温かな祈りのような歌声が聞こえる気がする。未来の音色。
正しく進めばいずれは出会う最果ての出発点。

「気が付かなかっただけで、世界は温かかったんだな」

冷たい世界だと思いこんでいた。
そうとしか受け取れなかったのは心に余裕がなかったのだろう。
掲示された世界は絶望的過ぎたから。



カノンはすぐに見つけられた。
双児宮の裏側。普通ならば宮の守護者であるサガであろうと来ないだろう狭い日陰の一画。
以前からの経験でカノンがここに出没する確率が高いことは知っている。
大体ここに網をはっていると引っ掛かる。
カノンとのコンタクトで近い距離から始めるのならばそれが最良。
あるいはサガをやっている時に見破るのが一番なのだが失敗は許されない。
どうとでも取れる発言を繰り返し、
鎌をかけ続けるとカノンが外自体に出て来なくなるので、最近はしていない。

声を掛けるタイミングが一番大事だ。
ファーストコンタクトに失敗すると大体の確率で悪い方向に転ぶ。
時機を待っている間に思わぬ展開になるのだ。

まぁ、声を掛けるのを今、躊躇っている最大の問題はカノンの姿にあるせいだ。
初めて見た。ご褒美か何かだろうか。

「にゃーにゃー」
「えっ!!」

カノンは良い感じに似合った猫耳をつけている。
近づいて分かったのだが尻尾もつけている。
アイオロスの登場にカノンは焦ったように後退する。
カノンとは自分の記憶の分析が確かならサガとしてすらまだ出会ってはいない。
この年齢のカノンはまだ少し自己主張があるのでバレない程度の悪戯はするのだ。
後始末するサガへの嫌がらせなのかも知れない。
だが、全くそういった素振りはなかった。
これが正真正銘の初対面のはずだ。
特徴や何かは知っているかもしれない。
とはいえ、急には名前は出て来ないだろう。

「こんにちは」

手を振る。他人行儀に。カノン的には目まぐるしく言い逃れが頭の中をかけ巡っているのだろう。

サガの振りをして逃げる。
――猫耳のままで?
急いで逃げる。
――不自然極まりない。
ただの子供を演じる。
――サガとソックリの顔をということを除けば及第点?

「に、にゃ〜」

とりあえず、カノンは鳴いた。
もうなんというか絶望的な顔で。
人畜無害な顔でなんでか改まって問い掛ける。耳を見ながら。

「猫さんですか?」
「はぁ?え?――ね、猫さんですにゃぁ。ちょっと人間の振りをしてますにゃあ」

そういうことになった。
深くは言うまい。
カノンはそれで押し通すことにすると決めたのなら、恥じも外聞もかなぐり捨てる。
気前が良いというかなんと言うか。
分かっていながら踊らせるのは性格が悪いとは思うが、面白いので付き合う。

「私はアイオロスですにゃー。よろしく〜」
「アイオ、ロス……って、うぁ」

やっちまった、みたいな顔をするカノン。
名前だけはちゃんと頭に入っていたらしい。嬉しいけれどもこの反応は嬉しくない。

「猫さん、知り合いに似てたりとか思うのですがお名前は?」
「に、にゃー……えっと知り合いってここに住んでいるサガだにゃ?
 そいつに化けてるのにゃ。まだ、半人前だから耳と尻尾を隠せなくてお前なんかにバレてしまったがにゃ」

「スゴイんだぞ」と自慢げに堂々と胸を反らす。ノリノリだ。
可愛いんだけども化けるのは狐狸の類じゃないかな。
ただの猫は化けれないよ。カノン。猫又ならともかく。尻尾を増やそうね。

「へぇ〜。そっかぁ。サガが猫耳になっちゃう訳ないしねぇ〜」

アイオロスの納得の言葉に「オレだってこんな格好したくない……」と小さく愚痴るカノン。
まぁ、そうだろうとは思う。聞き取れなかった振りで聞き返せば「何でもないにゃ」と誤魔化すカノン。
素直に言うわけがない質問をここぞとばかりに意地悪く問う。

「サガとの関係は?」
「かわ、飼われ……違うにゃ〜!!一緒にいてやってるんだニャ〜〜!!!
 ワガママばかりのアイツの面倒を嫌がらず見てやってる超善人だ〜……いや、猫だがにゃあ〜!!!」

飼われていると言うのは抵抗があったらしい。
這いつくばって地面をポカポカと叩く。
どんな我が侭を聞いてあげているのか気になる所ではあるが、とりあえずは流す。

「で、名前は?」
「吾輩は猫である。名前はまだない」

キリッとした表情で本人的に決め台詞的に返される。
顔の角度とか格好良いけどなんか違うから。
うーん。とりあえず飼い主として名付けとけっていうツッコミをサガに?






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