こんな奇妙なオブジェを前にして、どう反応すればいいのだろうか。

滴る雫の赤さや空ろにくり抜かれた瞳。
中途半端に開いた口元からわずかに覗く舌。
飾られたように置かれたソレとは対照的な無残に破壊され尽くした布と一体化したような、たぶん教皇。
玉座に座る不遜な態度の悪魔がしでかしたのだろう。
この全てを。

むせ返る血の匂い。
吐き気を催す死の香り。
これだけ陰惨なものは初めて見た。
何故こうなってしまったのだろうか。
疑問は犯人自身の口から語られた。
陳腐な探偵もののように明かされる動機。

「いらないって言ったんだ」

カノンの表情は変わらずに不遜なまま。
影もない。罪悪も感じてはいないだろう。
当然の抵抗なのだから。これほど分かりやすい正当防衛もないぐらい明確な。
けれど、けれど。

「サガも……?」

アイオロスが口を挟むと鼻で笑い見下すように言った。

「オレがサガだと考えないのか?サガ様はこんなことはしないってか?
 おキレイな善人、神の化身とか言われる奴はこんなことするはずないって?」

手を広げ辺りを示す。
酷く悲しい。湧かない怒りにサガに対して申し訳なく思う。けれども、悲しい。
みなまで言わずともこうする他がなかったのだと分かっている。
何も言わずとも分かっている。
傷口を広げる行為は誰のためにもなりはしない。

「そんな神の化身は弟に対して下された死刑の執行人を買って出た」

空気は凍りつき、世界から転落するような錯覚を得る。
皮肉気な笑いを顔に貼り付かせ芝居のように派手な身振りでカノンは話し続ける。

「間抜けにも返り討ちにされたわけだけど……カワイソウな兄さん」

両手でアイオロスがオブジェと認識したソレを抱きしめる。愛しむように。
服が汚れるのも気にしない。
いや、元から汚れすぎるほどに血に染まっている。
そうだ。カノンが着ていた服は黒ではなかった。
浴びすぎた血が酸素に触れ黒く変わったのだろう。

「カノン」
「……なんで来たんだ?わかってただろ。どうなってるかなんて」
「カノン」
「もっと賢明だと思ってた。興味本位で命を危険にさらすなよ?」

諭すような物言い。
これから自分がやることに戸惑いはない。
そうだ。当たり前だ。カノンはそういう風に生きていた。
気がつけなかった自分の咎だ。
笑っているカノンに安心している場合ではなかったのに、気付けなかった。

「来なければ見逃したのに。……目撃者は消す。基本だろ?そういう所だけオレは一人前なんだよ」

何故、とは訊ねない。
それはとても苦しいことだ。
望んではいない望みに磨耗する心を笑みで隠して傍に居てくれたのだから。
『ここから飛び出したい』とそう言ってくれた時に手をとって一緒に行けば良かった。
あれが最後のチャンスだった。
まだ早いと様子を見て、自分は何様のつもりなんだ。
結果がコレだ。
コレなんだ。

「それでも、許す。カノンを許す」

カノンは笑いもしない。
ただ冷たくアイオロスを見る。
物を見るように無感動に。
訓練で割る岩と同じなのだろう。
そう思って誤魔化すのだ。
全ての痛みに目を瞑るのだ。

「そんな言葉で見逃すとでも思ってるのか?」
「最後だから伝えたかったんだ。許されないと苦しまなくていい。世界を敵に回しても私は味方になる」

カノンは笑った。無理矢理絞り出すような嘲笑。

「笑えて笑えて涙が出てくるな。これからお前を殺す奴の味方に?狂ってるのか??」
「信じてくれるなら、そう判断してくれて構わない。こんな言葉で救われてくれるなら、いくらでも言う」
「救う?お前はイエスキリストか……原罪でも勝手に背負ってくれるのか?何様なんだ」
「何も出来ないから、せめてと思うんだよ」

アイオロスは向けられる悪意に微笑みで答える。
カノンは立ち上がり、胴体のないサガを玉座に置いて近づいてくる。
死の秒読み。死神は血の匂いをさせながら黒装束でやってくる。

「反撃していいぞ。どうせ、お前ぐらいしかオレに勝てそうな奴はいないんだから」

言葉の直後カノンの姿が消える。
一気に間合いを詰めて目の前に居る。
繰り出されるは拳ではなく鋭い突き。
抗うことも出来た。
けれど、受け止める。
衝撃に軋む肋骨。上手い具合に骨を避けカノンの手はアイオロスの背中から生えた。
一瞬持ち上がる身体。即死ではないのでしばらくは痛いまま。

「なんで避けない。アイオリアを見殺すのか?」

肉体的な痛みより悲しみが胸を付く。
身体からカノンの手が抜ける。
大量の血がドッと抜けていく。
発音出来るかも怪しいままに口に出す。カノンにより掛かりながら。

「サ、ガは……カノ、ンに、逃げ、て、ほ、しかった、んだ」

カノンに抱きしめられながら逝く。
震えた声で「わかってたさ」と声を聞いた気がした。
それだけで十分だった。
謝るのは間違っているので「ごめんね」とは言わなかった。
一言「好きだよ。だから、生きて」と残した。
声には出なかっただろうけれどカノンなら聞いてくれるはずだ。
根拠なく、そう信じた。





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