「だ、いじょうぶ、だって……そんな顔するなよ」
青白い顔。血の気が完全に失せた死人の顔。
脈は弱すぎて、もう死ぬのだと言っていた。
弱々しい手がアイオロスの頬に触れる。
カノンの細すぎる手をアイオロスは宝物に触れるようにそっとに包み込む。
ほんの少しの咳きですらカノンの身体には負担が大きいだろう。
呟きは苦しげな息の下。
ゼェゼェと荒い呼吸にかき消されかねない声を必死に拾う。
蝋人形のような非人間的なあり様であるのに汗ばむカノンはまだ生きている。
「ロスの言ってたことが本当なら、だいじょうぶ。そう、だろ?」
「カノン?」
呼吸を整えカノンはなんとか言葉を紡ぐ。
瞳は焦点は合っていなかったが、必死にアイオロスを見つめていた。
何も出来ない歯がゆさが悔しかった。
本当の手遅れとはこういうことを言うのだろう。
「また、次のオレもよろしくな」
「……カノン」
「ロスなら、また友達になれ、る……バカみたいに真剣に、考えてくれてた、の。わかってた、からさ」
時折乱れるカノンの言葉。
最大の声援が最期の言葉。
「だか、ら。次も、ハァハハ……ん、ともだ、ち、に」
カノンの言葉よりも喘ぎが増し、そしてそれすら収まっていく。
最後の灯火も消えた。
蝋燭は消える前により強く燃える。
燃え尽きたのなら、消えるだけ。
幼い造形にそぐわない全てを見通す仏の顔。
もう何一つ思い残すことはないと言いたげな表情。
「オレは、きっと……お前が」
途切れる言葉。
続きは聞かなくても分かった気がした。
「ありがとう」すら言えない自分は、それを聞く資格はない。
この胸に宿るぬくもりに嘘はない。
「カノン」
「ん」
頷くように弱々しく笑い、目を閉じて、もう言葉は紡がれることはなかった。
どれほど待っても、この世界では永遠に、その機会はない。
眠るようにカノンは緩やかに息を引き取った。
言ってしまえば衰弱死、なのだろう。
アイオロスが来なければ孤独の中で逝っただろう。
その中ですら微笑みながら、まるで天使のように純真な顔のまま。
全てを知った上で「仕方がない」と思いながら自分の生を諦めたのだろう。
与え続けられていた毒を拒まなかったのだから、この結末は端から承知済みだろう。
憤りを感じる自分は間違っているのだろうか。
アイオロスはカノンの手に触れたまま、胸を焼く切なさの説明が出来ないでいた。
随分とカノンと共にいた。
安らか過ぎる死に顔に再度、心が冷える。
間違っているのは自分なのではないのかという揺さぶり。
自分が二人に係わるせいでこんな運命に変えてしまっているのではないのかという推論。
より良い未来なんてないのではないのかと幻想。
諦めた所で誰に恥じることもないという暴論。
『次のオレもよろしくな』
残された言葉は全ての理論を吹き飛ばす。
開かれる扉。
見るとお馴染みとすら言えるほどに見知った黄金の短剣。
凶器といえばコレというほどに芸がない。
今回、カノンの命を奪った凶器は別のものだったけれど。
何処で手にいれ、どう処方していたかはカノンからもう聞いた。
次はない。
地道とはいえ、こうやって潰していけば消去法で「幸福な世界」を残せるはず。
そうだったらいい。そうであるために、この世界を去ろう。
幸せを証明するために死を選ぶ。
痛みは忘れる。心はもとより身体だって痛いのだから。
いつかは辿り着く。信じることはたやすくて儚い。
泡沫の世界にいることを恐れてはならない。
絶望に飲まれたのなら、今まで積み上げた全てをふいにすることになるのだ。
尽きぬ痛みも渇望も、捨てることはできない。
煌く刃。執行人はただ無言で近寄ってくる。
無情なことをするからか無表情。
避けようと思えば避けられる。けれども意味がないので、待つことにした。
不思議と怖くはなかった。
痛めつけて思い知らせるつもりの犯行ではないからだ。
今回は純然たる善意なんだろう。
あるいは、代償行為。
死ねない自分のためにアイオロスを代わりに殺すのだ。せめてもの慰めに。
カノンを看取ることが出来た景品かもしれない。
謝罪も断罪も侮蔑も哀れみも見せずに凶器は振り下ろされる。
一切の感情が見えない死神にアイオロスは自分の死を確信した。
凶器はアッサリとアイオロスの首を刈り取った。
倒れ行く自分の胴体とカノンを見届けアイオロスは世界を去った。