「PRELUDE TO A KISS.」



 几帳面な性格そのままにきっちり政務をこなしていた陽子がふと筆を休め、心ここにあらずという状態になっているのを景麒が発見したのは、午前の政務時間も後少しで終わりという時だった。
「なあ、景麒」
「何でしょう」
 また脱走でも企ててらっしゃるのか……そう思っていた矢先予想通り呼びかけてきた主に、書類の束を綺麗にまとめながら景麒は応じる。
「キスしないのか?」
 思わず持っていた書類を握りつぶしてしまい、慌てて手の平でその皺を伸ばす。
「い、いきなり何のお話ですか?」
「だって、密室に二人っきりでいたら、そう思わないのか?それとも私が嫌いなのか?」
「いえ、もちろん主上を厭うはずはありません。ですがそれ以前に主上の認識は少々間違っております……」
「そんな事ない。やっぱり私が嫌いなんだ」
「ち、違います、それに二人っきりというか……第一今は政務中ですよ?」
「今は政務がどうこうと言う話じゃない」
「ですから政務中にそのような事は……」
 無茶な理屈だが、陽子に見つめられ、そのような些細な事はどうでもいい、と景麒は割り切った。最近性格が主に似てきたのかもしれない。

 すぐ目の前に立っている陽子の両肩に手を添えると、景麒はそっと顔を近づけるが、じっと瞳を大きく開いてこちらを見ているので、どうもやりづらい。
「あの……出来ましたら目を閉じて頂けますか」
 恐る恐るそう切り出し瞳を閉じてもらうが、いざとなると優柔不断で気の利かない景麒のこと、緊張のあまり中々思い切ってそれ以上進めない。
 しばらく瞳を閉じたままじっと待っていた陽子だが、たっぷり数分経過した所で、いつまでもぐずぐずしている景麒にさすがに苛々して目を開く。
「とろい奴だな、もう私がやるからいい!」
 そう言うと、景麒の足に器用に自分の右足をかけて軽く払う。一瞬の後綺麗に仰向けに倒れこんだ景麒が、後頭部を打った衝撃に軽く顔を顰めていると、陽子がちょこんと飛び乗った。
 軽く慌てて、主上、と口を開きかけた景麒の言葉は発せられる事無く終わった。
 それより早く、景麒の顔の両脇に両手をついた陽子が、そのまま唇を強く押し付けたからだ。景麒はやや躊躇った後、恐る恐る主の背に腕を回しそっと抱きしめる。長いような短いような時間が経過し、陽子は重ねていた唇を離した。
「よし、これで問題は解決した」
 満足そうに陽子は一人頷く。

 何の問題があって何がどう解決したのかといういつもの解けない謎を景麒は抱くが、主がいいというのならいいのだろう。そう思い深くは追求しない事にする。
 陽子の方はというと軽い身のこなしでぱっと景麒の上から退くと、何事も無かったかのように先ほど中断された書類を再び読み始める。

 あまりの急展開に景麒はしばらくその場に仰向けに倒れたまま動けなかったが、やがて未だ柔らかい感触が残る唇を軽く押さえながら立ち上がる。
 出来る事ならもう少し色気というか、雰囲気が欲しかった……と言っても無駄なので、景麒は素直に喜ぶ事にした。
 すっかり王の顔に戻り政務をこなしている主の切り替えの速さはいつもながら凄いものだ、これも王の資質か……と説得力があるのだか無いのだかよく分からない事を思いつつ景麒も陽子の隣の書卓に座り直して書類をめくる。

 結果だけ見ればもちろん嬉しかったのだが、またもや陽子に押されてしまう形になり、少々複雑な景麒だった。


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今更ですが、蓬莱の言葉を平気で使ってます。
そして景麒にもしっかり通じています。それは翻訳機能が働いているせいです……という事で。
何故そのままキスしないで転ばせて押し倒してからキスしたのか。
それは身長差がある為、背伸びしても届かなそうだったからです。

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