「王様と私」



 景麒は王にこちらの常識を教える事に日夜心血を注いでいた。

「身分がどうこう言うのは嫌いだって言ってるだろ」
「それでは示しがつきません」
 この程度のやり取りなら既に慣れきっている。
「景麒、遊ぼう」
 しかし、執務室で開口一番『遊ぶ』という言葉が出てくる主にはまだ慣れることができなかった。冗談であることが分かっていてもだ。だがいつまでも頭を抱えている訳にもいかないので、気を取り直して書類を陽子の前に並べはじめた。
 自分の仕事を片付けつつ横目でそっと陽子の様子を窺うと、大人しく筆を動かしている。一先ず安心してそのまま政務をこなし、一段落ついた所でまた王を見ると、先程と変わらず熱心に卓に向かっている。
 大分政務にも慣れたのだろう、と一人満足して音を立てぬようそっと陽子に近づき書類を覗き込むが、次の瞬間あまりの事態に景麒は脱力する事となる。
「何を書いてらっしゃるのですか……」
 疲れを滲ませた景麒の声に陽子は顔を上げる。
「ん?何って、景麒の顔」
「政務中にそのようなものをお描きにならないで頂きたい」
「じゃあ誰の顔ならいいんだ?」
「誰の顔でもとにかく駄目です!」
 眉間に皺を寄せ、今にも説教を始めそうな景麒に、陽子はころころと笑う。
「私の言う事を一々真に受けていたら身が持たないぞ」
「……ご自分で仰らないで下さい。それに、お分かりになっていらっしゃるのでしたら、少しは改めて頂きたい」
「私がそう言われて素直に改めると思うか?」
「いえ」
 思わず即答してしまう程、奔放な性格の主に慣れてしまっている事実に眩暈を覚えながらも、何とか気持ちを整えようとする景麒に、陽子は更に続ける。
「ちゃんと仕事は終わらせてあるんだからいいじゃないか。ちょっと時間が余ったから描いただけだ」
 景麒は本日何十回目かの溜息をついた。

 ようやく午前の政務も無事終わりほっとしたのも束の間、今度は一緒に昼餉を取ろうと言い出した。
「普通、王は臣下と食事はとらないものです」
 一応そう進言してみるものの、奔放な王は全く取り合わない。
 沈黙の中昼餉を取っていると、突然王が仰った。
「食事の時位その溜息を何とかしろ」
 景麒は困惑した。
 それ程溜息をついているつもりはないのだが、試しに自分で数えてみると一日約六十二回程主上の前で溜息をついているという事実に気づいた。
 主上の仰せでもある事なので、景麒にしては最大限気を使い、何とか一日三十回程度まで減らす事に成功した。
 しかし王の機嫌は相変わらずであった。

 回廊を静かに歩いていると、高い塀をよじ登ろうとしている人影を発見した。一瞬ぎょっとするものの、すぐにその正体に気づく。
 何故主上は塀をよじ登ろうとなさっているのだろう。
 この当然の疑問を、景麒に見つかったにも関わらず必死に塀に足をかけてよじ登り続けている王にぶつけてみると、
「そこに塀があるからだ」
という訳の分からない答えが返ってきた。
 やはり胎果はよく分からない、そう思う景麒をよそに、王は今も必死に塀をよじ登っている。

 こうした王との溝に悩んだ景麒は、同じ胎果である延王と延麒に意見を求める事にした。

 慶に戻ると、まだ日も昇りきっていない明け方にも関わらず真っ直ぐ王の正寝へと向かう。
 王はまだ御休みになっていらっしゃったので、しばらく枕元で待たせて頂く事にする。熟睡している陽子の顔を眺めると、あどけない表情で眠っている。
 今の内に雁で教わってきた事を復習しておこう、そう思い景麒は細かく几帳面に記された帳面を広げた。こちらの常識からすると、かなり奇妙な風習が多く、挨拶一つとっても恐ろしく違う。しかし主上にこちらの常識ばかり押し付けていては前進しない、と景麒は真剣に帳面をめくる。

 ようやく空が明るくなってきたので、本来の王の起床時間を考えるとまだ早すぎるのだが、景麒は王をお起こしする事にした。
「主上、もう起きて下さい」
 しかしまだ眠いのか反応がほとんど無いので、景麒はそっと陽子の肩に手をかけ、軽く揺さぶる。しぶしぶといった様子でようやく陽子が薄く目を開けると、いるはずのない下僕の姿を見つけた。
「……何で、お前がここにいるんだ?まだ、眠いよ……というか乙女の寝所に無断で入るなよ、ストーカーかお前は……」
 いつもの事だが、また理解不能な『すとーかー』という単語が出てきた。どうやらあまりいい意味ではないらしいという事は推察できた。誠心誠意お仕えしているのに何故だろう、早急にまた雁に行って意味を調べなければ、と景麒は思う。
 ぶつぶつ文句を言う王に、景麒は早速習ったばかりの知識で蓬莱流の挨拶をしようと思い、眠そうに目をこすりながら牀榻に身を起こす陽子に軽く抱きつくと、頬に唇を寄せた。
 しかし次の瞬間枕を叩きつけるように顔に押し付けられてしまった。きちんと蓬莱の風習にのっとって朝の挨拶をしたはずなのに何故だろう。
 これが蓬莱流の挨拶ではないのですか?と景麒が至極真面目な顔で王に訊ねると、
「た、確かに完全に間違ってはいないけど……国や地方によっては文化が全然違うんだよ!」
と顔を真っ赤にしながら仰った。
「やはり蓬莱の風習は複雑なのですね」
「いや、単にお前が騙されてるだけだよ……誰だよ景麒にそんな大嘘教えた奴は……」
 そう陽子は大きな誤解を訂正してやるものの、真剣に考え込んでいる景麒の耳には届かない。
 もしかすると、これは起床時の挨拶ではないのかもしれない、今度は就寝時に試みる事にしよう。それにせっかく教わってきた事だし、次は違う蓬莱の風習を試してみよう、景麒はどこまでも真面目にそう考えていた。

 やる事なす事全て裏目に出、全く噛み合っていない王と麒麟であったが、今日も金波宮は平和な一日の幕を開けた。
 陽子がこの世界に慣れるのはそう遠くない未来かもしれないが、景麒が蓬莱の文化を理解出来る日はかなり遠そうであった。


戻る                 03/08/01


タイトルは同名の洋画から。

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