「或る日常」 そろそろ回りに目を向けて頂きたいものである。 王と麒麟で延々譲りあった挙句、王が先にということになったらしい、それはいい。どのような順番で御茶を飲まれようが、菓子を食べようが、主従の自由である。齧りかけの菓子を手ずから食べさせ合いたいのなら、そうなさればいい。 冢宰の苦悩など知る由も無い陽子は、くつくつと笑いながら景麒の鬣を軽く引いて自分の方へ寄せると、その耳に何事か囁いていた。麒麟の青白い頬が微かに朱を帯びる。 内容は大体想像がつくが、あまり深く考えない方がよかろうと賢明なる冢宰は思う。なるほど、だから祥瓊と鈴は茶器を運ぶや否やほとんど小走りで退出したのかと今更ながら思い当たるが、まさか自分は逃げる訳にもいかない。 景麒はというと、主と同じく冢宰の存在など眼中にないようである。あるいは本当に忘れてしまっているのかもしれない。先ほどから咳払いをしたり書簡をがさがさいわせてみたりと必死に存在を主張しているのだが、主従のどちらも気付いては下さらないようだ。 こうなってしまってはもう手が付けられない。お手上げである。 どんな難儀な政策も、頭の痛い議題も、冢宰という大任を受けたからには全力でと、そう思っていた。しかしこれは中々厄介だ。自国の麒麟は堅物だからと不敬なことを考えて安心していたのだが、甘かった、まさに骨抜きという言葉がぴったりである。麒麟は王に滅法弱いのだとつくづく感じる。 「景麒」 「はい、主上」 「何でもない、ただ呼んでみただけ」 意味もなくお互いを呼び合ってらっしゃるが、ここで声をかけるのは無粋だろうか。 「主上……」 「何だ、景麒」 「いいえ、何でもございません……」 似たようなやり取りを少なくとも十回は繰り返している。主従の気が済むまで待つべきだろうか。王と麒麟にこう申し上げるのは非常に無礼で気が引けるのだが、これは何というか一言でいうと――馬鹿馬鹿しい。 ああ……さすがにそれだけは御止め下さい主上。 台輔を長椅子に押さえつけて何をはじめるおつもりですか。 房室の片隅で書簡片手に事が終わるまで待っていられるほど、浩瀚の器は大きくありませぬ。さすがに主従の情事の真っ最中に居合わせるのだけは勘弁願いたい。恐れながら主上はともかく、台輔の艶めいた声だの乱れた御姿だのを拝見するのはあまりに酷で御座います。 誰もいないよと台輔に仰ってらっしゃるが、ほんの少しでいいので御顔を上げて房室の隅をご覧下さい、冢宰がおります。私が入室した際確かにお声をかけて頂いたはずですが、お忘れですか。 あれこれ思い悩んでいる間にも、主従のやり取りは着々と進行している。台輔に口付けている女王の息も、僅かに上がってきているようだった。 ああ、これは非常に不味い。このままでは本格的に事がはじまってしまう。 浩瀚は景麒顔負けの深い深い溜め息を一つ吐くと、美しい彫刻が施された重々しい椅子を引き、これでもかというくらい大きな音を何度も立ててみせた。 いつからそこに。本気で驚愕しているらしい主従に、浩瀚はひきつりそうになる顔を意思の力で制し、穏やかな微笑を浮かべてみせた。お二人が御茶で休憩されていた時も、意味もなく名を呼び合ってらっしゃった時も、主上が台輔に接吻なさっていた時も、そのまま長椅子で事に及ぼうとしていた時も――つまるところ最初からずっとここにおりましたといいたかった。寸でのところで喉元から出てくるところだった。 しかし浩瀚も馬鹿ではない。というより阿呆らしくて付き合っていられないというのが本音だが、とにかくそのようなことはおくびにも出さず、丁寧に一礼する。そしてすっかり皺の寄った書簡を、景麒に馬乗りになったままの陽子に差し出した。女王は平然とした顔で頷いて受け取る。大物である。さすが麒麟に選ばれただけのことはある。天の基準とは一体何なのだろう、気になるところだが知らないほうが幸せかもしれない。冢宰が退出すれば、きっと何事もなかったかのように事の続きをはじめるのだろう。 景麒はいつもの能面のような顔で虚空を眺めている。どうやら陽子と違い、この状況についていけないらしい。追いついた頃には元々白い顔が更に蒼白になることだろう。 もちろん浩瀚はそれまで悠長に留まっているつもりはなかった。早く御璽を頂いて退散するのが最も賢明な選択といえよう。事実、彼はそうした。 冢宰の退出後、陽子は麒麟にこんこんといい聞かせていた。 「いいか景麒、こういう時はひるんではいけない。堂々としていれば、ああそういうものかと誰もが納得するはずだ。おどおどしていては、かえって不審に思われるし恥ずかしいものだ」 この状況でそうでしょうかと反論して、陽子の機嫌を損ねた挙句お預けまで喰らうほど、景麒は愚か者ではないのである。 戻る 05/07/22 メモで微妙な予告をしましたがやっぱりやってみることに。ちゃんと増えるかどうかは疑問です…… まさか最後まで実況中継するわけにもいかないので途中退出してもらうしか……! 陽子には漢らしく攻めでいってほしいです。 うっかりこういうのが日常風景になった日には、周りの人々は大変そうです。 寂しいので陽子×景麒を強化中。 実は陽景が好きだという同士は激しく歓迎です。 |