「閑話 その二」 「それにしても景麒って色が白いね。ちゃんと外に出てるか? 今度一緒に散歩でもしようか、せっかくだから麒麟の姿がみたいな。でもそうすると本当に『お散歩』になっちゃうね」 何がおかしいのか景麒にはよく分からないのだが、陽子はころころと笑っている。 「あの、主上……」 「とにかく、そういうことだから、お休み景麒」 お休みなさいませ。嵐のような王の訪問の間、景麒がまともにいえたのはそれだけだった。このようなみっともない格好を主の御前に晒すなど、と気を回す余裕もなく、寝乱れたままのしどけない姿で陽子を見送る。 ああ、前途多難である。疲れと不安と王への抑えがたい思慕がないまぜになった複雑な溜め息を一つ吐いたその瞬間、蹴破られたのではないかというほどの勢いで再び扉が開き、景麒はびくりと身体を震わせる。ふわふわとした赤い髪を夜のしっとりした空気になびかせながら、どこか照れくさそうに陽子は言った。 「ごめん、景麒。やっぱり帰り道分かんない」 あれから何十年も経った今となっては、いい思い出である。と早く言えるようになりたいと景麒は思った。 正寝への道すがら、陽子は喋り通しだった。景麒も無理をしてでも話題を作った。不安なのだ。沈黙に伴う居心地の悪さが、そのまま主従の頼りない関係を暗示しているようで。何も言わずとも居心地のよい空間を作り上げられる、そんな親密さはまだないのだ。 それは翌日の昼餉の際も同じだった。鮮やかな彩が添えられている膳を箸でつつき回しながら、陽子はよく喋った。 「ねえ、これは何で出来てるのかな」 目を楽しませる為もあってか、料理のほとんどは元の材料の原型を留めていない。美しい庭園や花の形を模した贅沢なものだ。 「それは仙果です。沢山食べると身体が軽くなって、羽衣一つで千里の距離を飛ぶことができるのですよ」 「本当? だったら雲海の上を飛んでみたいなあ。最近運動不足で太っちゃいそうだし」 真剣に目の前の色鮮やかな膳を見つめる陽子に、景麒は早口で言い足した。 「いえ、あの……冗談です。そういう、言い伝えがあるのです」 一瞬遅れて、陽子は軽く声を出してぎこちなく笑った。気を使っている、気を使わせているという意識を二人は同時に持った。陽子は俯き、目の前の綺麗な形をした食べ物を箸でぐしゃぐしゃと崩しながら少しずつ口に押し込んだ。他愛のない話が再開され、席をたった瞬間にはもう忘れてしまいそうな話題で無理矢理場を和ませる為に、主従は奮闘した。 やっと見つけた新王は胎果の女王である、ただそれだけで、景麒に向けられる官吏達の目には失望と不安が入り混じっていた。官達の不信は、女王だけでなく麒麟にも向けられていた。陽子はそれがまだよく分かっていなかったので、どうして景麒は表立ってかばってくれないのだろうと思っていた。 景麒は俯いたまま話している陽子の、柔らかそうな赤い髪が額にもつれてかかっている様を眺めた。そして、朝議の場で陽子が、税が重すぎると憤慨していたことを思い出した。その後正寝で、激昂した陽子に扇を投げつけられたことも思い出した。 「主上、主上は何をしてもいいのですよ。私に対しては。ただ、官吏の信頼は何としてでも得なければなりません。王と麒麟だけでは朝は動かせません。私は人ではありませんから、無理がききます」 陽子はほとんど飲み込むようにして食事を続けた。そうして食べ終わってから、ようやく顔を上げた。 「景麒にひどく当たるかもしれないね。いや、今もそうだ。どうしてだろう……」 陽子は再び俯いた。景麒は陽子の不正への純粋な怒りを思った。不正があれば激昂し、中間と妥協を認めるのを嫌がる陽子だが、そんな子供のような物差しを景麒は好ましく感じた。多分、この国にはしばらくそんな王が必要なのだ。精神が肉体の年齢を大きく追い越す頃には、陽子も変わるだろう。それは少し寂しいことかもしれない。麒麟である景麒に家族という概念は無かったが、幼い女王を見ていると、その意味が分かるような気がした。 「……多分、景麒がずっと傍にいるからだ。ずっと傍にいて、文字を教えてくれたり、小言を言ったりするから」 陽子は早口で続けた。楽俊のように徐々に親密さを深めていったならともかく、こうして最初から絶対的な絆のある半身にどうやって接したらいいのか陽子にはよく分からなかった。だから憎まれ口交じりでしか気持ちを伝えられない。 陽子が王宮を出ると言い出すその日まで、このぎこちない思いやりと愛情の応酬は若干の苦痛を交えながら続いた。 05/09/16 ←前 戻る ひたむきな慶主従というのもいいなあと思ったり…… 珍しく、陽子・景麒共に優しい感じ。 一応、ここで終わっても大丈夫なようになってます。でも、続きを書いても大丈夫なようにもなってるので、もしかしたら続くかも。 |