「水に滴る、お前は、馬鹿だ。」 幾何学模様を施した赤い橋がかかり、滝の方から流れる水流で太陽がきらきらと反射した。 綺麗に整った石畳を進めば巨大な池のほとりに辿り着く。 波が緩やかな池の中で、ぱしゃりと小気味よく水を掻く音がした。 水中から上へ振り上げたすらりとした足から、無色の露が飛び散って、 水面(みなも)に輪を幾つも作る。 襦裙の裾を持ち上げて、膝まで剥き出しにした格好で王は大きな岩に座っていた。 といっても岩は水の中で、腰までずぶ濡れだった。 茹だる熱気と切り離されたように、浸かった部分がひんやりとした。 「ああ、気持ちいい」 そう言って首を回せば、傍には仏頂面を極めた半身がいた。 それも完全に池に浸かる状態で座っている。長い金髪が水を含み艶と重みを増している。 いつものように一人で暇を満喫しているだろう主の気配を追ってきた景麒は 垂れ杉の影に隠れ潜んでいた主に腕を引かれ、水の中に放り込まれてしまった。 そうして何度ここから立ち上がろうとしても、必ず引き戻される。 普段泰然とした佇まいで、ここまで無体はしない主であるが、 真夏の熱のせいで悪乗りに拍車がかかっている。 景麒は険しく柳眉を寄せた。来てから一言も口を開いていない。 「まだ怒ってる。根深い奴」 呆れたように陽子は呟いて、だがにこりと笑う。 どうやら今日は機嫌がいいようで、饒舌で口数も多い。 終始両足をぶらぶらと遊ばせたり水と戯れたりしている。 景麒は憮然としたまま間を取って、息を吐いた。 主の突飛な部分には慣れたものだが、他人を巻き添えにするのはいかがなものかと額を押さえ首を折って項垂れる。 「前代未聞です」 何が未聞かは容易に察して陽子は濡れた赤い髪を掻き上げた。 「まあな。思えば景麒と水に浸かるなんて初めてのことだ。王と麒麟が池で混浴なんて、滅多に見られるものじゃない」 「当然です」 「でも誰も来ないし誰にも見られていない。しかも今更体裁など関係ないだろう。後でそこの日向で昼寝でもしていれば服は直ぐに乾く。堅いこと言うな」 「そのような問題では」と語尾を濁す景麒に、ならどういう問題だと陽子は片眉を上げた。 「一国の王と麒麟がそのような」 「王と麒麟だから駄目なのか? だったら、私と景麒ならいいか」 「それは…」 無表情ながらも景麒は喉にしこりが残ったような顔をしている。 「今更なんだから楽しんだほうがいい、ほら」 陽子は低く継続的に笑って指先で掬った冷水を、淡い金色の束に投げつけた。 呆れと諦め半分半分な面差しで景麒はされるがままに座っている。 「麒麟の浸かった水は清浄なんだってな。飲んでも大丈夫かな」 「…駄目です」 「どうして」 たっぷり沈黙して、景麒は息を吐いた。 「ここは蓬山ではありません。まして、主上にそのようなものを差し上げるなど」 「良いよ。こんなに澄んでる」 陽子はすくい上げた透明な液体を覗き込む。主上、と景麒はぴしゃりと言う。 「何それ構わず口になさるから体調を悪くされるのです。先日とて里からお帰りになったかと思えば、直ぐに寝伏されて…、何かと思えば流れの商人から多量の饅頭を譲ってもらったまではよろしいが、毒味もせずしかも全部お召し上がりになるとは、人からもらったものを容易く口にいれる上に、己の限界を省みないなどあなたはおいくつですか、だいたい」 「あー…」 言ってみただけなのにと陽子は息を吐く。こういうときばかりはよく喋る。 「お前といると私ばかり喋ることになるから、喉が乾くはずなのに…」 「喉がお渇きならそろそろ上がりましょう…班渠、拭くものをお持ちして差し上げろ、早急に」 嫌味をさっぱりと聞き流して景麒は立ち上がる。 「まて、もう少し!」 再び腕を捕まれて、水飛沫が上がった。 今度こそ景麒は頭からつま先まで水に浸かる。 「………」 「あーあ」 無表情から酷く苛ついた表情に変わった麒麟を見て、陽子は面白そうに両手を顔の前に合わせた。 「お詫びだよ」 水浸しの金髪を後頭部に撫で付けて、よしよしと頭を撫でる。 麒麟の膝の上に跨って、腕を首に回して頬に軽く口付けた。 「機嫌、治ったか」 すすすと紫の瞳に近づいた翠玉は悪戯っぽく眇められた。 白い首すじを濡れた手で撫で付ける。 肌を流れる水滴をちいさな唇が追う。 「もう少し健康色にならないのかな。後で服を乾かしがてら、肌を焼こうか」 「お断り致します」 「冗談だ」 短く言った唇から赤い舌が覗く。 じっとそれを見つめていると口を塞がれて、景麒は瞼を閉じた。 精彩の欠落した精巧な造りの人形が、彼女の手で生気を取り戻していくような。 たどたどしいのに、唇が触れただけで精神まで侵食しされてしまうような甘さ。 景麒は緩慢な仕草で陽子の背に手を添えた。 今日は本当に機嫌がいいようだった。 主が調子に乗る時は横槍を刺すべきでないと景麒は学習している。 夜半思い通りにならない仕返しとして昼間、麒麟を手玉に取って遊んでいるのだからここで抵抗しては興を殺がれたと去っていく。 一刻ほど気紛れな主人の戯れに付き合って、躯の芯から冷えてきたころ 閑静だった空間を割るようにして、獣の聴覚が人の足音を拾った。 ここは外宮の西園であるし、官吏が現れても何ら不思議なことはない。 「誰か来ますね」 陽子は頷いて、その方角を一瞥して、再び景麒を見た。 「もし見つかっても、お前の口を塞いだように、そいつも黙らせてやる」 言って無邪気に笑えば、濡れた冷たい景麒の掌が陽子の頬を撫でた。 水滴が褐色の頬を伝い、それが喉元に届くころには、口の端を伝う露が何か判らなくなるほど深く口を屠られる。 「私だけしか見ないでください」 面前にある無機質でもの静かな紫の瞳の中にも、水面(みなも)が凪いでいた。 陽子はそれを不思議そうに見つめて、「冗談だ」と耳元で囁いた。 完 戻る キツさんから頂いた陽子×景麒小説&イメージイラストです。 陽子攻めです! お前の口を塞いだように……とさらっと言っておしまいになる 陽子に萌えました……! よしよしされてる景麒、何だかんだ言ってもすっごい喜んでそうでそれがまた可愛いv |