「赤の女王」(前編) 景王は赤と金と濃緑に彩られた大きな輿に乗っている。結い上げられた髪は真紅で、唇も真紅、慶の国ともう一つ、赤の女王だ。 陽子はゆっくりゆっくり動く輿の中でぽつりと呟いた。 運ばれているのが景王でありさえすればいいので、中身は誰でもいいのだから名前など関係ない。牛のような歩みの度に簪が揺れて視界を遮るので、陽子は少し不愉快だった。 陽子の隣には景麒がいて、ふて腐れている彼女とは違い人形のように行儀良く座っている。景麒の左頬は微かに赤く腫れていて、それが陽子の罪悪感を呼び起こす。もう景麒を乱暴に扱うのはよそうとその場では思うのだが、あまりに忙しなく日々が過ぎ陽子をひどく疲れさせるので彼女の決心はすぐに鈍る。 「ここ三日くらいまともに寝てない気がする。いや、もっとかな」 景麒がぐずぐず考え込んでいる様子を陽子は横目でちらりと観察する。慰めるべきか、それとも不用意な発言をわざと漏らして陽子の八つ当たりを再び受けてやるべきか考えているのだ。陽子はそんな慈悲などまっぴらだったが、景麒がそうしたいのならそうさせてやろうとどこか投げやりな気持ちで思っていた。 「この祭事が終われば、幾らかゆとりができるはずです」 無難な答えに、陽子は眉をぴくりと釣り上げて見せるが、何もしない。とりあえず、今のところは。 輿の乗り心地は悪くは無いが少々蒸し暑く、座っているだけで汗が拭き出してくる。宮中はこの祭事に合わせて一斉に衣替えが行われる。冬の衣に身を包むにはまだ暑すぎるのだが問答無用だ、それが慣例なのだから。 昔の陽子なら古いしきたりなど破り捨てているところだが、古い古い黴が生えそうな官吏を必要以上に不安がらせるのは得策ではないと気付いてからは、多少の腹芸も使うようになった。その気になれば、艶やかな女王装束で磨き上げられた宮をしずしずと歩き、古き良き時代から受け継がれている儀式を神々しい作り物の微笑でこなし、そうして表面上は古い官吏の顔を立ててやることもできた。旧習を愛する官吏は喜び、陽子も崇め奉られて悪い気はしないし特に害もない、利害関係はめでたく一致していた。 頼りなげな様子で揺れている金の鬣を陽子は掴み、息がかかるほど近くへ引き寄せてから唇を押し付ける。景麒の暖かい唇に陽子は安心し、彼の首筋にもついでとばかりに噛み付く。 「輿を出る前に紅を拭っておけよ。首は……鬣で隠せばいいだろ? 何か問題でもあるか?」 「いいえ」 景麒は、陽子には決して真似の出来ない満ち足りた表情をしていた。 手入れが行き届きすぎていて人間味に欠ける丹念な化粧が施された顔を小さく歪めてみせてから、陽子はぱっと景麒から離れた。といっても、狭い輿の中ではたかが知れているのだが。 輿に揺られ、小さな窓から外を眺め、そうして陽子はぼんやり物思いにふける。何が陽子の気に触ったのか、麒麟である景麒には絶対に分かりっこないだろうと彼女は思う。最終的には絶対に陽子に逆らえない麒麟の従順さが嫌いで、哀れで、泣けてくる。 天は何て愚かなのだろう、麒麟の本性はあまりに清浄過ぎるので、本性はただの人間でしかない王の命に従わせ王の傍に侍らせるにはあまりに不憫だ。陽子ですらある程度の自由意志は持てる、例えば自分の生死だとか――けれど景麒にはそれすらない。 時々、哀れな景麒を思って陽子はむせび泣く。そこには自分自身への憐れみも入っている。傍仕えの者を全て下がらせた深夜、広すぎる寝室の、温もりのない場所で。時には景麒の前で涙を見せることもある。 景麒は陽子の涙を疲労のせいだと思い、陽子はそれを否定しない。赤の女王は強いからだ。 陽子は景麒の忠誠心を麒麟の本能のせいだと思っているが、必ずしもそうではない。 最近平和だったから、そろそろ謀反でも起きるかもしれないと陽子は考える。どんなに善政を敷いてもそれは避けられないことだ。 陽子は再び景麒に向き直ると、意外なほどしっかりした彼の肩にもたれかかった。陽子が景麒の膝にそっと手を乗せると、景麒は微笑む。子供が母親を求めるように、ただ温もりが欲しくて触れる時もあれば、性的な意味合いを含んでいる時もあった。時には、その両方を求めている時も。 今はどちらだろう? 景麒には分からなかったが、陽子にも分からなかった。分からなかった場合はどうするか、それは陽子の気紛れと苛立ち具合で決まる。 「今夜、私の部屋へおいで。誰かに見られてもいいよ、景麒が構わないのならね。私の機嫌はあまりいいとはいえないけど、それでもよければ」 05/10/01 戻る 次→ 強くて優しくてちょっとだけダークな女王さまです。 次で終わる場合は後編へ、もうちょっと長くなる場合は中編へ続きます。でもこのまま終わってもいいような気もします。元々口下手だから誤解を招きがち・陽子を苛々させることがある景麒ですが、その内の何割かは実はわざと苛々させてみる→陽子の八つ当たりを受けてみる→陽子のもやもやを少しでも和らげてあげてる。という優しさがあったりして。妄想しすぎ(笑) それから、陽景好きな方はたまに管理人と陽景語りとかしてください! |