◆ベビデビ◆
「久しぶりだな、元気だったか?」
猥雑な酒場でも、彼の声だけは不思議と耳に入った。
「元気よ……あなたも相変わらずみたいね」
隅のテーブル。投げ出された足。酔っているのか染まった顔。
何よりも目立つのはその赤髪。
「座れよ。たまにゃいいだろ?」
「そうね」
男の真向かいに座って女はくすくすと笑う。
「シャンクス、やっぱり髭……似合わないわ」
「威厳が出ると思ったんだけど……みんなそう言うんだよな。ガキが髭付けてどーすんだって」
麦藁帽子を被り直して、シャンクスも笑う。
「ロビン、また危ねぇことに顔突っ込んでだろ?」
彼女と離れてからもなんだかんだと噂は耳に入ってくる。
今はバロックワークスというところに居るらしいと。
「ポーネグリフってそんなに大事なもんなのか?」
「あなたにとってのワインくらいはね」
グラスに入ったのはこの街名産の果実酒。甘い香りと反した度数が喉を焼く。
玻璃の縁をロビンの指が、ゆっくりとなぞった。
「赤いワインよりも、あの海辺よりも…………」
まるで何かを懐かしむような目線。
彼女を通り越して、彼は遠くを見ていた。
「俺は、お前のほうが大事だったけどな」
「……ウソばっかり……」
「いや、こんなに大事なことはそうはなかった、ロビン」
男が名前を呼ぶだけで、こぼれそうになる涙。
唇をぎゅっと噛んで、必死にこらえる。
舟を降りてから何でも自分でやってきた。
甘えもあったかもしれないが、それでも荒波をしなやかに潜り抜けてきた。
一度も涙をこぼしたことなど、なかったのに。
男の声は、たった一言で彼女の心を溶かしてしまう。
「飲もうぜ、せっかくなんだから」
彼の髪の毛と同じように、甘い赤の果実酒。
「そうね、シャンクス」
甲板を走るのは二人分のサンダルの音。
「シャンクス、待って!」
細い手首を掴んで走るのはこの船の船長。
目下、海軍泣かせの男の異名を持つ。
手を引かれる少女は幼くして賞金首になった曰く付き。
「いいから行くぞ、ロビン!」
まるで兄と妹のようにも見えるこの二人。
年はちょうど十離れているにもかかわらず、二人とも同じくらいの年端のようにも見える。
「お頭!!何するつもりなんだぁっ!?」
銃の手入れをしながら、見張り台からヤソップが顔を出す。
絶好の空。ラムネをぶちまけたような碧。
ロビンを膝抱きにしてシャンクスは頭上のヤソップに叫ぶ。
「ちょっとな!海に飛び込む!!」
「あぁ!?何だってぇ!?」
悪魔の実の能力者は、その力と引き換えに海の女神から忌まれる存在となる。
ロビンも例外なく、海に浸かれば浮くことの出来ない身体だ。
発端は夏の彼女の小さな一言。
その願いを叶えたいとシャンクスは行動に出たのだ。
「海の中から見る太陽って、どんな感じ?」
ぱたん、と本を閉じてロビンはそんなことをつぶやく。
物心付いたときから悪魔の実の能力ゆえに、彼女は海に入ることは出来なかった。
御伽噺でたびたび出てくる人魚。
人魚姫の見た青よりも青い海。
水中に差す光の美しさは、想像すら出来なかった。
「そうだな……泡がさ、きらきらしててダイヤ砕いてぶちまけたような感じかな」
「綺麗なのね。私も見てみたいな……」
顎の下で指を組んで、小さく笑う。
それは、決して見ることの出来ない光景だからだ。
もしも、それが叶うならば。
それはこの命が終わりを迎えるとき。
願うならば海賊として海に戻りたいと彼女は思っていた。
「たしかに、綺麗だな。こぼれる光は何にも変えられねぇ」
「一度でいいから、見てみたいな」
ベッドに寝転ぶシャンクスの隣に、ロビンは静かに腰を下ろした。
船長室にしては殺風景なこの部屋は、彼女が着てからはずいぶんと変わったような気がする。
何気ない小物や、書物。
そして、模造品ではあるが一輪花が。
「悪魔の実ってのは厄介だな。俺の友達もそれくって泳げなくなってさ、俺が助けたんだ。
あいつ元気かなぁ……海賊やってんだろうけど」
手を伸ばして、その柔らかい頬に触れる。
女を海賊船に乗せることは、本来好まれることではない。
海の女神に愛される男の船に女を乗せれば、嫉妬に駆られた女神がその船を海中に引きずり込んで
しまうとされているからだ。
「いつか天国に行くとき、見れるかな……」
まだ見ぬ夢のような光景。
少しだけ寂しげな表情。その願いをかなえてやりたいという気持ち。
「…………………」
身体を起こして、ちゅ…と唇を重ねる。
最初は触れるだけ。舐めるように重ねて、次第に深く。
小さな頭を抱え込んで、何度も何度も。
「そんなこと考えんな。天国じゃなくたって、いくらでも見れる」
この命は仲間の命の犠牲の上に成り立っている。
簡単に『死』を意味する言葉を彼女の口からは聞きたくなかった。
それが他に意味を持たないと知っていても。
彼女だからこそ、その言葉を使って欲しくはなかったのだ。
「そうだ、動くなよ」
引き出しの中から取り出したのは小さな宝石箱。
その蓋を指先で開ければ、中からは立体型の王冠の指輪。
周りを小さなダイヤが飾り、中央にはガーネット。
「可愛い……」
「珍しく山分けのときに俺が一番勝ちしてさ。だから最初にこれをとったんだ」
右手を取って、中指に通す。
きらら…と輝くそれはまるで笑っているかのよう。
「左手じゃないの?」
小首を傾げて、彼女は悪戯気に笑う。
「左手には、こんなちゃちなもんじゃなくて、もっとちゃんとしたものじゃなきゃ釣り合いが
取れないだろ?これはガキのおもちゃみたいなもんだ」
三本傷の男は、時折意味深な言葉を使う。
十年の差の重みを見せ付けられた気持ちにさえなってしまうほどに。
「期待しようかな……あはは」
「すっげぇの、やるからさ」
左手を取って、その甲に触れる唇。
御伽噺のお姫様は王子のキスで幸せになれた。
過酷な現実に王子を求めることなどはないけれども、小さな魔法は意外なところから降ってくる。
その証拠に、キス一つで甘い気持ちになれてしまうのだから。
「きゃ……っ!」
そのまま倒されて、猫のような目でじっと見つめてくる。
「誰だって一生に一度くらいはお姫様になるんだろ?」
「え…………」
「お前が読んでた本に書いてあった」
鼻先に触れる唇。伏せられた睫にも、柔らかい頬にも。
甘いキスをくれるのは、王子だけではなくて。
ビスチェを脱がせれば、少し焼けた肌。
細い鎖骨に触れる唇。くすぐったそうに少女は身を捻った。
舌先がその下の小さな傷をつ…と舐め上げる。
「あ!」
両手で丸い乳房を掴むように揉んで、その先端をちゅ…と舐めあげていく。
少女の胸の谷間に顔を埋めて、舌先で乳房の輪郭を確かめる。
左右を交互に舐めて、舌先でその小さな乳首を転がす。
その度にもどかしげに揺れる腰と、こぼれる嬌声。
「……ん…っ……」
誰いもいえないような、秘密のキスを繰り返して。
男の頭を抱いて、夏の真ん中で溶けてしまいそうな熱さを感じて。
海賊船に乗る人間の身体には、傷がある。
生きるために、進むために出来た傷。
「……増えたな……傷……」
それはロビンにも例外ではなく、この船に乗ってからの傷は数え切れないほどだった。
真新しい傷に触れる唇。
「あ……ぅん!」
大きすぎず張りのある乳房は上を向いて、『おいで』と男を誘うよう。
両手でやんわりと揉みながらその先端を甘くかむ。
舌先が、ぺろ…と舐めあげるたびにきゅっと瞑られる瞳。
濡れた睫の柔らかい黒は、どこか南の国を思わせた。
乳房の下に走る刀傷も、少しだけ浮いた肋骨に出来た痣も。
この船に乗らなければ出来なかったものなのかもしれない。
「ロビン、こっち向いて」
開かせた唇に入り込む舌は、まるで別の生き物のように動く。
その手が、唇が、瞳が、運命を狂わせてしまうから。
「きゃ……やぁ……っ!!」
足首を取って、その細い踝に降るキス。
指の一つ一つを確かめるように触れる唇。
「指も全部ある。儲けもんだ」
五体不満足な海賊なんて、山のように居る。
身体の一部をなくしても、船を降りるものはほとんど居ない。
そのまま膝を開かせて、震える入り口に舌を這わせる。
「!!」
びくん、と仰け反る喉もとの白さ。
襞をなぞる様に舌先は動いて、まだ少し幼い突起を小突く。
びりびりと痺れるような甘い感覚は一瞬で理性を犯して、少女を女に変えていく。
「あぁんっ!!あ…や…っ…!!」
ぴちゃ…くちゅ…舌が、唇が動くたびにこぼれる音に小さく振られる首。
舐めあげて、時折きつく吸われて何度も何度も高いところへと放り出される。
「……何が……嫌?俺にはそんな風に見えないけど?」
唇が離れると、それを嫌がるようにぬる…と糸が伝う。
それを指で断ち切って、濡れた秘所に息を吹きかけた。
「んんっ!!」
ただ、それだけで反応してしまうほど、身体は快楽に従順で。
悲しくなるほど『女』であることを証明してしまう。
入り込む指をくわえ込んで締め付けるのは女の性。
「気持ちいいことは、好きだろ?ロビン……」
耳朶を噛まれて、濡れた唇が頬に触れて耳元で囁かれて。
「……うん……」
手を伸ばして男の背中を抱きしめる。
傷だらけのその少し薄い背中は、何度も自分を庇ってくれた。
この船に乗らなければ、きっとこんな感情を持ち得ることもなっただろう。
「俺も……好きだよ……」
頬に触れる左手が、愛しくて。いつも、泣きそうになる。
「たまには……上になってみるか?」
「え……?」
ひょい、と抱き上げられて身体を跨がされる。
反り勃ったそれが内腿に当たって、ロビンは耳まで真っ赤に染まった。
それでも、おずおずと手を掛けて濡れたそこに先端を当てる。
ゆっくりと沈んでいく腰と、それを促すように回される男の手。
「そう……焦んなくていいから。ゆっくり……」
肉壁を擦る感触に、びくつく肢体。
ぬるぬると男を飲み込みながら、腰を深く沈めていく。
「あぁァん!!」
ずく!と強く引きよせられて、奥まで一気に繋がってしまう。
隙間なく埋め込まれた男の熱さに、ただ喘ぐことしか出来ない。
腹筋に手をついて、浅い上下を繰り返して。
そのたびに零れる愛液が腿を濡らしていく。
「!!」
ふるふると揺れる乳房を掴む手。
ぎゅ…と揉み抱かれて上がる嬌声。
「……シャ…ク…ス…っ…!!」
走る三本の傷にキスをして、噛み付くように唇に吸い付いて、眩暈のするような接吻を。
「……もうちっと……力抜け……」
下から見上げるロビンの顔は、いつもよりもずっと妖艶で。
それでいてちらつく幼さが、心の奥のほの暗い欲望を満たしていく。
「ああっっ!!!やんっ!!ダメ…ぇ…ッッ!!」
一度引き抜いて、片足を取って再度繋ぎなおす。
シーツに触れるのは、肩口だけ。
「ああんっっ!!シャンクスっ!!!や!!やぁんっぅ!!」
「落ちないように、掴まっとけよ」
顎先から落ちる汗が、尖った乳首に落ちる。
「ひゃ…ぅん!!あ!!ああっッ!!」
それだけで、この身体は感じてしまうのだ。
恋愛感情を伴ったセックスは、何物にも代えられないほどの甘さ。
まるで麻薬のように瞬時に廃人に変えてしまう。
「ああっっ!!あ…もぉ……やぁ……っ!!」
「……俺も……ッ……」
ぐ…と強く突き上げられて、奥のほうで何かが弾ける。
「きゃ…ぁん!!!シャンクスッ!!シャンクス……っ!!」
抱きしめてくる腕の温かさと、頬に触れる赤い髪の柔らかさ。
この感情に名前をつけるなら、きっとそれが『幸福』というものなのだろう。
「悪ぃ……ちょっと飛ばしすぎた……」
横に振られる首。
確かめるように、重ねた唇は少し乾いていて、それでいて甘い味がした。
「3・2・1でダッシュで行くぞ」
小脇にロビンを抱えて、シャンクスは海面へ向けて甲板を失踪する。
サンダルを鳴らして勢い良く蒼すぎる水面に飛び込む。
シャツを握って、離れないようにぎゅっと抱きついて。
促がされて見上げたのは、夢にまで見た水中に降る光だった。
(あぁ……こんなにも綺麗なものがあるのね……)
生み出された泡はまるで宝石を砕いたようで、そこに降る光は昔見た聖書のよう。
生きて、この光景を見れるとは思ってもみなかったのだ。
絵画でみた神の姿は、穏やかな青年だった。
けれども、自分が知り得る神は三本の刀傷のある顔で笑って、真っ赤な髪を持つ。
そう、まるで太陽のように。
(ロビン……)
顎を取られて、吸い付くようなキス。
呼吸を分け合って、抱きしめあう。
光を浴びながら、海に抱かれて交わす口付けは。
まるで、天からの祝福を受けているような気分にさせてくれた。
「あのキスが、一番印象的だったわ」
ワイングラスに触れる唇。
流れてくる音にロビンは耳を傾けた。
「ねぇ、どうして左腕を亡くしたの?シャンに取っては一番大事なものじゃない」
利き腕を亡くしても、シャンクスの名が落ちることは無かった。
隻腕でも赤髪は健在だと、海軍を恐れさせる。
「海の神様がさー、嫉妬して持ってった。俺がいい男過ぎるから」
「シャン!!」
「友達を守った。腕一本くらい安いもんだ」
だらりと伸びたシャツの袖は、風にそよいでそこに何も無いことを歌う。
「それに、片腕でもお前一人守れるぜ」
そこに、左腕があって欲しい理由は別にあった。
いつか、この先の未来が交差することがあるのならば。
その第四指に、揃えた指輪を飾りたかった。
互いの心を繋ぐ小さな証として。
「私もシャンクスを守れるわ」
「ウソつけ。今だって変なとこにいるくせに」
右手が頬に触れる。
その手に零れた小さな涙。
「俺はお前が好きだ。今も、昔も」
「……ウソツキ……っ……」
「こんな大事な言葉に、ウソなんかつかねぇよ……」
どれだけ時間が流れても、変わらないものもある。
そして、たった一秒後でも激変してしまうものも。
ポーネグリフに刻まれてはいないが、人の真実としてずっと受け継がれてきたもの、
それがきっと『恋』なのだから。
「場所変えて、飲み直さねぇか?」
「そうね……」
涙を拭うことは、右手でも出来るから。
その手に、触れるだけのキスをした。
「お前よりも大事なものは、そうそうないよ」
「ウソツキ。片眉上がってるわよ、シャンクス」
「んなこと無いだろ?ロビン」
肩を抱くことも、何かも守ることも、腕一本あれば大丈夫だと男は笑う。
「マイスゥィーツベビデビってやつか?」
「胡散臭い言葉」
誰にもいえないような秘密のキスをして。
そっと、あの日の続きを描くことにした。
「可愛くてしょーがないってことさ」
「騙されてあげる。今夜は」
君が大好き、あの海辺よりも、あの宝石よりも。
今夜は君だけのために魔法をかけるから―――――。
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21:19 2004/09/08