◆電気仕掛けの預言者◆




「船長さんの子供のころって、どんな感じだったんですか?」
赤髪の男のとなりで、女はそんなことを呟いた。
背中の傷がまだ赤く腫れて、男は眠たげに腕を伸ばして女を抱き寄せる。
「今とそんなに変わんなかった。海賊になるって決めてたしなぁ」
傷だらけの腕は、相反して優しい。
優しさに飢えていると笑う声は、優しさに満ちた不思議な音色。
世界中で一番、綺麗な音。
「マキノさんは?」
「生まれてからずっとこの街にいるから……外をあまり見たことがないの」
シーツの上に広がる黒髪は、夜の続きのよう。
この、夜と朝の間の時間が酷く愛しかった。




「シャンクス!お前船を下りるって本気か?」
ナイフで林檎をむきながら、シャンクスはバギーのほうを振りかえった。
「なんだ、もう聞いたんだ」
皮を全て剥ぎ取って、ナイフを突き立てたままフォークのように器用にシャンクスは
林檎に噛り付いた。
しゃり、と上がった悲鳴。
真っ赤な髪の少年はそれを平らげてにしし、と笑う。
「船、持とうとおもってさ」
「お前じゃ無理だ。だから俺の子分にしてやるよ」
「力いっぱい遠慮する。辞退させていただきますわぁ」
茶化しながら扉を蹴り上げて、鼻歌交じりで甲板へと向かう。
見慣れたこの水平線。サーベルで船縁に付けた傷。
どれもみんな、もうすぐ消えてしまう。
気のいい仲間、喧嘩しあった同期、そして憧れて止まない船長。
この騒がしい船に乗らなければ、きっと海賊を此処まで愛することは無かっただろう。
ジョリーロジャーの後姿を、この船の男たちの生き方を。
この、少し錆びたサーベルに刻んでこの船を降りるのだ。
青よりも蒼いこの海に、全てを馳せて。
太陽と同じ色の髪を持つ少年は、その彼方をただ見つめた。




太陽が天高く輝いたその日のことを、彼は一生忘れ得ないだろう。
この船の副船長と剣を交えたこの日のことを。
下船を掛けての一騎打ち。
逃げずにシャンクスは剣を振りかざした。
自分よりもずっと年長で、強い男に。
砕け散った細身のサーベル。それでも離さずに天高く飛ぶ。
視界は一瞬で奪われて、赤と黒の交差する世界に。
見えない眼で、振り下ろしたサーベルは。
副船長の左手首に、傷を付けた。
下船条件は彼に一太刀入れること。どんな小さな傷でも。
医務室へと運ばれる姿を、船長は腕組みしたまま静かに見つめていた。
まるで、息子を見つめるかのように。




まるでミイラ男だと、シャンクスは鏡の中の自分を見て笑った。
顔半分を覆う白い包帯。ところどころに血が滲んでいる。
「シャンクス、船長が呼んでる」
「あちゃ、やっぱダメか」
ばりばりと頭を掻きながら、ノックして船長室へと入る。
この船の船長は、どこかな無口。
右腕が多少利かないことを除けば、完璧に近い男だった。
「シャンクス」
煙草でかすれた声。青灰色の瞳が少年のそれと視線を重ねてくる。
「船長、やっぱし俺……」
すい、と伸びてくる手。
節くれてはいるが、どこか不思議な暖かさのある大きな手だった。
「認めてやるよ。次の港で船を降りろ」
「え…………」
「俺ももう年だ。今度はお前らみたいなのが海で暴れるんだ」
同じように、彼もまた海に魅せられた一人だった。
だからこそ、逃げずに立ち向かえるかどうかを確かめるために彼を試したのだ。
最初から、下船させるために。
無駄死にしないように、自分だけの海を見つけられるように、その眼を試して。
「お前を降ろしたら、その半年あとにでも陸に上がろうと思ってな」
「どうして?」
「俺の名前があったら邪魔だろう?それに……」
とん、と彼は自分の胸を親指で指す。
「ここに、全部海は閉じ込めた。もう、十分だ」
「……船長……」
「シャンクス。来いや」
招きよせて、彼は一振りのサーベルをシャンクスに握らせた。
程よい重み、美しい刀身、飾り気は少ないが気品のこもった一品だ。
「お前のために、作らせた。お前の最初の子分だ」
最初に船に乗せたときから、この少年は独り立ちすると感じていた。
サーベルを使い、振り返らずに敵に向かう姿。
その小さな身体に負担にならぬように、計算されつくした剣を彼は馴染みの鍛冶屋に頼んだ。
この船を降りるときに渡すために。
「卒業だ、シャンクス」
「……ぜんぢょお…っっ…!!!!!」
がし、と抱きついてくる少年を、少し動きの鈍くなった右腕が抱きしめる。
「海の女神に愛されろ。惚れられて、落としてみせろ。それが海賊だ」
「ばいっっ!!!」
「鼻水拭けっ!!汚ねぇだろ!!!」
「ばいっっ!!!!ぜんぢょおっっ!!!!」
桜の花も、飾った祭壇も無いけれども。
これが正真正銘の卒業式だと船長は少年を抱きしめた。
少年の殻を脱ぎ捨てて、男になるための最初の離別。
卒業式は涙で飾るほうがいい。船長の傷だらけの手がそう言った。
「俺……っ!!!船長みたいな男になりますっっ!!!」
「ははは。目指すなら俺よりも、もっと上を見ろ。シャンクス」
船長であり、父であり、兄であり、そして――――仲間は静かに諭す。
「ジョリーロジャー、俺の親友だ」
「俺!!海賊王になりますっっ!!!!グランドラインに出ます!!!!」
「それでこそシャンクスだ。それとな……」
チェックのハンカチが、少し赤くなった鼻に押し当てられる。
「そういうことを言うときは、鼻水くらい拭け。海の女神に嫌われるぞ」
泣いて、泣いて、卒業したのは少年という何かに守られてきた季節。
この先は、サーベルを手に自分自身で切り開くのだ。
頭上に輝く蠍の心臓星は、彼と同じ熟れた赤色。
赤髪のシャンクスの誕生した瞬間だった。





それから幾多の荒波を乗り越えて彼は小さな船の主となる。
腰から下げたサーベルは、シャンクスと共にこの海を渡ってきた。
「お頭!!カモメ便ですぜ」
船長と呼ばれることを嫌う男をクルーたちは『頭』と呼ぶ。
船長は自分にとって一人だけいるんだという青年の意を汲んで。
「………………船長…………」
それは、たった一言だけだった。
自分を育ててくれた男が、その生涯を終えたと。
たまった涙を拳で拭って、シャンクスは水平線を見つめる。
まだ、見えないこの先の未来を。
(船長……俺、海賊王になるよ。見ててくれよ。あんたの一番弟子が活躍するのを)
こぼれた涙を見たのは一人だけ。
下船してからずっと、一緒に戦ってきたサーベルだけだった。





「マキノさん、ルフィってさ……俺のガキのころそっくりなんだ」
「あら、じゃあ船長さんも腕白だったのね」
うふふ、と笑う女を抱いて、男はその額に唇を当てた。
「此処だけの話さ。エースもルフィも名のある海賊になるぜ」
それは、半分壊れかけた電気仕掛けの預言者の戯言。
けれども、未来は誰にも分からないのだ。
「困るわ、この村から海賊が二人も出るなんて」
そう言う唇は、何処か嬉しそうで。
同じように男もまた笑い返した。




運命の日はもうすぐ。
彼と彼らの糸が交差するその日まで―――――。





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22:18 2004/09/05

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