◆東の国の眠れない夜◆






手配書に使う写真を並べて男は深いため息をついた。
先日昇格したばかりの海軍本部勤務、スモーカー大尉にとってはもっとも避けたい案件のひとつ。
「あの大馬鹿野郎……」
どの写真も不敵に笑うか、蠱惑的なものばかり。
海軍を悩ませるのは賞金額が急上昇中の赤髪のシャンクスという女だった。
単身で乗り込んでくる度胸もあればその戦闘能力も群を抜いて強い。
走る三本傷は彼女の船に掲げられた旗にも刻まれている。
サーベルを軽々と振りかざし向かうものはすべて切り裂く。
古の殺戮者ジャックすら彼女の手にキスをしそうなその威力。
「どの写真もあれなもんばっかっすねぇ」
葉巻に火を点けてその中の一枚を選ぶ。
「……おい、倉庫見てこい」
「はい?」
「これ見ろ。サンジェルマンの貴人だろうが。いつ盗られたんだ?」
豊満な胸を飾るのは見事なブルーダイヤモンド。
一見すればおかしな格好でもなぜかこの女には違和感が存在しないのだ。
「はいいいいいっっっ!!!!」
ばたばたと飛び出していく姿を見つめて記憶を手繰り寄せた。
シャンクスは単身どこかに乗り込むことは滅多にない。
考えれるのは他の誰かが盗掘したものをシャンクスが手にしたというところ。
(しかし、とんでもないもん見つけやがって……死ぬぞ……)
サンジェルマンの貴人は持つものすべての命を奪ってきた。
強運の赤髪もどこまでその力が通じるものか。
写真の彼女は不敵な笑みを浮かべてナイフを咥えている。
その眼光の鋭さに感じる風格はこの先の彼女の運命を少しだけのぞかせた。






「お頭、釣れますかい?」
タータンチェックのコートに編上げのブーツ。
首のまわりをぐるりと包むふわふわの羽はコートに合わせた淡いピンク。
「寒いから全然っ」
「いや、突撃魚釣ってんじゃないですか」
甲板の上では今日もクルーたちが暢気に歌いながら動いている。
寒さの強いノースブルーではさすがのシャンクスも船員たちの要望でコートを身につけるようになった。
「これって美味しいのか?」
「味付け次第ですね。運んでおきますから」
「サンキュー。一杯釣って褒めてもらおう。さっきベックに怒られたし」
トレードマークの麦わら帽子。
いつもその隣に居る長身の男の姿が見当たらない。
「副長になにかしたんですか?」
「本人に聞いてくれ。ちょうどあたりがきたっっ!!」
勢い良く引き揚げる姿に彼は視線を反対側に向ける。
「お、副長」
海図を見ながら指示を出す姿はよほど彼の方が船長に見えるだろう。
この船を事実上動かしているのは副船長のベックマン。
「ぎゃーーーーーっっ!!」
突如起こるシャンクスの悲鳴に全員が振り返る。
命知らずの彼女の悲鳴などそう滅多に聞くことはない。
「どうした?レアな叫び声あげて」
「ベック、これ……どうしよう……」
震える指先が下を指す。
見ればそこにはずぶ濡れの一人の男の姿。
「俺、スモちゃん釣っちゃった……夕飯にはできねぇし……」
「あんたの興味は飯が中心か。ま、失神してるみたいだしまずは引き上げるか」
「悪戯したから、罰があったのかなー」
その言葉に全員の視線が二人を交差した。
「そういうことだ。分かったら二度と俺の髪を勝手に弄るんじゃない」
「素敵アフロにしてやろうとおもったのに」
この船で殺し合いレベルの喧嘩ができるのもこの二人だけ。
ライフルの弾丸をサーベルではじき返すような女は死神にすら嫌われた。
「スモちゃん、起きれ。ほれ」
ぺちぺちと頬を打っても、青白いままの男はぴくりともしない。
鬼門の海で何があったのかはわからなくとも無事ではないが生きているのは確かだ。
「濡れたタオル乗せると良いんだっけ?」
「死ぬだろ、それだと」
「マタタビ?」
「そりゃあんたと猫だけだ」
猫目を輝かせて見上げれば誰かが餌の時間だと叫ぶ。
暖かなミルクティーとチュロスには勝てないとシャンクスは厨房に向かった。
「副長、これどうすんですか?」
「多分シャンに会いに来たんだな。途中でビローアが転覆したってところか」
サッシュに隠した銀のナイフをダーツの矢にすれば。
飛んでくるそれをサーベルで薙ぎ払う女の右手には焼きたてのチュロス。
甘い香りと混ざり合った血の匂いはシャンクスという女にのみ許される。
「ふぁにひゃってんふぁよ」
「飲み込め」
「おやつ全部食っちゃうけどいいのか?スモちゃんまだ寝てる?」
その声に男はスモーカーの背中を蹴りあがる。
勢いよく海水を吐き出して起き上った姿にシャンクスが笑った。
「お、おっはよー!!スモちゃん」
「赤髪ッッ!!」
「海水浴には寒くね?俺様ですらコート着てるのに」
もぐもぐと口を動かしながら男の灰色の瞳をじっと見つめた。
「サンジェルマンの貴人を返せ!!」
「ふぁんふぇるふぁん?」
「飲み込め!!」
言われたことを反芻しながらシャンスは首をかしげた。
そんな言葉は聞いたこともなければ見たことも撫でまわしたこともない。
「お前が持ってるペンダントだ!!あれは呪われた宝石なんだぞ!!」
「ベック、どれのことだ?わかんねぇ」
「サンジェルマンだろ?あんたがお気に入りのブルーダイヤだ」
甲板に手をつく様はさながら真っ赤な猫一匹。
襟をくい、と掴んで持ち上げたのは黒髪の男。
「あれは海軍本部の秘蔵品だ。どうやって盗み出した」
「盗んでねぇよ。あれミホークからの貰いもんだもん」
夢の中身は風任せで魚眼レンズで覗く未来。
この女の周りには危険な男が多すぎる。
副長として隣に並ぶこの男も賞金首の一つだ。
「お頭、病人かぁ?」
「ドクター、どうやってスモちゃん帰そう」
「死体で帰せばいいだろ。おとなしくていいぞ」
「だってさ。死ぬ?」
ともあれ目的は彼女の持つ海軍本部秘伝の品。
取りもどさなければ海軍の名が折れる。
「ただじゃやれねぇよ。ミホークに会うときに付けてなかったら怒られんじゃん」
頬に手を当ててうふん、と笑う。
ドレスも纏わずに海を踊る女は華麗に今夜も宴を催す。
夢は酔い良い萃粋と絢爛豪華は業火も凌ぐ。
「鷹の目とはどんな間なんだ」
「内緒」
銀色のナイフを口に咥えてブーツの紐を結び直す。
「お頭!!敵船ですぜーーーっっ!!」
天気予報は嘘を吐いた。
快晴は転じて雪となり、女の合図で嵐と変わる。
「どんな船だ?」
「同業者だ。コックのためにいい食材手に入れてやるんだな」
サーベルを手にすればそれが合図とクルーは全員配置に着く。
シャンクスを基点としたこの船は彼女の意思を一番に重視する。
「お留守番しててね。スモちゃん」
「赤髪!!」
「妙なことは考えんなよ」
かつんかつんとブーツの踵を鳴らしながらゆっくりとフィギュアヘッドに向かう。
船の先端に立って、女は麦藁帽子をとって一礼した。
雪花舞う潮風に揺れるは赤よりも紅いその朱。
掲げられたサーベルの光が戦闘開始を指示した。
「うおりゃあああああっっ!!」
その剣は躊躇することなく男たちを切り裂いていていく。
返り血すら追いつかない速さで動く女に寄り添う黒い影。
「シャンクス!!」
飛んでくるナイフを弾き飛ばして。
「あーら、俺様もしかしてサーベルしか使えないと思われてる?」
サッシュに隠した小型の銃は彼女のために改良されたもの。
弾数が一発少ない代わりに破壊力はその分強い。
飛び散る脳漿と内臓の匂いにわずかに笑う唇。
髪も肌もシャツもブーツも、何もかもが血に染まり赤いのにもっとも赤いのは彼女自身。
「シャン、あまり遊ぶな」
すれ違い様にささやく声。
「もうちょっとロマンチックなこと言ってみろよ」
悪魔の実を齧ったわけでもなく、彼女は本物の悪鬼と化す。
原色の美しいロールシャッハは真相意識の恐怖を呼び覚ましてしまう。
「……っと、あぶねー。ルゥ!!こんなところに臓物ぶちまけるなよ!!」
「俺じゃねぇよ。勝手にこぼれたんだろ?」
高額賞金首になるにはそれなりの理由がある。
このシャンクスという女は圧倒的な強さがそれなのだろうと思っていた。
しかし、実際のところ強いものは山のようにいる。
危険因子とみなされたのはその存在そのもの、彼女の持つカリスマだったのだ。
女王を守る騎士のようにクルーは彼女に従う。
絶対なる強さをもつクィーンは数多の駒に守られて倒れることを知らない。







戦利品を運び込んで、篝火を船に投げ込む。
礼儀だけは欠くことのない稀有な海賊として彼女は名を馳せる。
「東国の船だな。珍しいもんが山になってた」
「んー……」
「死人を送るときは東の国は眠れない夜になるんだぜ」
掌に付いた血を見ても怖いと思わなくなったのはいつからだろう。
「コート汚れちゃった」
「次の港で新しいの買ってやる。それまで我慢しろ」
「ペンダント返さなきゃ駄目?」
「義理を取るならな。あんたの事を思って単身でこの船まで来たんだ」
「じゃあ、ミホークにはどう言おう?」
ちゃら、とチェーンが声をあげた。
今もしっかりと輝くサンジェルマンの貴人は彼女の胸に。
「俺が海に捨てたって言えばいい。どの道ぶつかるんなら理由が一個増えたところで
 差はねぇからな」
その声に隣の男を見上げる。
「今のベックになら抱かれてもいいぞ」
「普段の俺は何なんだ」
男の腕を掴んで。
「でも、まだ飯食ってないからちゅーだけ」
「ああ」
血だらけのシャツを脱ぎ捨ててバスルームに駆け込む。
仮にも女なのだからと血生臭いのは好みではない。
ばたばたと夕食のためにあわただしくなる厨房と、掃除にいそしむ甲板員。
海賊船とはこんなにも賑やかな物なのかと男は目を丸くした。
「あんたもお頭に惚れてんだろ?海軍なんか辞めちゃよ」
「そうそう。うちのコックも海軍上がりだぜ?」
「この船は乗ったら最後下りれねぇ。下りる気にならねぇんだ、やっぱあの人はすげーな」
「ただ飯は歓迎されないぜ?これを風呂場までもってってくれよ」
背中を押されてバスルームに向かう。
聞こえてくる鼻歌から中の住人は簡単に察することができた。
「あれ?スモーカー、覗き?」
「持っていけって言われたんだ」
小さな包みを受け取ってシャンクスはそれを湯船に溶かす。
広がる甘い香りに綻ぶ唇と染まる頬。
ストロベリーブロンドを留める髪飾りは幸せの花。
「いい船だろ?クルーがいいから、俺は楽チン」
「この船を下りる気は無いんだろ?」
「下りる理由が無いだろ。まだ海賊王になってない」
バスタブに浮かべた花と淡い紅色の湯。
「ペンダントは返すよ、朝になったら船も出す。今夜だけはマナーを守ってこの船の
 客人でいてよ。俺たちは礼儀は守るよ。そっちが約束を破らないなら」
女海賊はこんな風にも笑う。
それはまだ幼さを残した年相応の柔らかな笑みだった。
「今日のご飯は何かなー。うちのコックは俺の食えないものは解んないようにしてくれる」
放っておけば偏り放題の彼女の食生活を一変させたのは料理長。
あれこれと手を尽くしてシャンクスの体調管理は万全だ。
いうなればこの船はシャンクスが存在しなければ決定権を持つものが不在になる。
「ルゥはいっつも俺のほしいもん残してくれる」
巨漢の狙撃主は幼馴染の女のとんでもない夢をたった一人笑わなかった。
「ヤソップは歌がうまいし、レストアもお手の物」
酒場で彼女が誘ったスナイパーは、ショットガン勝負でこの船に乗り込んだ。
男なら夢を捨てることなどできないと呟いた。
「ドクターは世界一の名医。海賊王に相応しい」
生きてさえいれば確実に蘇生させる医者は彼女の命を守り抜く。
「うちの副長は俺のもん。絶対に誰にも渡さない」
赤髪の隣に必ず存在する黒い影。
長身の男はライフルを手に女王と共に戦う。
「だから、誰も渡せない」
「自慢のクルーか」
「みんな大好きなんだ。だから俺は死ねない」
船を降りるときはその命を失った時。
「あんた海軍じゃなかったら良かったのにね」
絶対正義の名の下に彼は海賊を撃ち取ることが使命だ。
晴れ渡る空に似た澄んだ心はどこかに忘れてしまった。
「海軍じゃない俺とお前が出会うことがあったのか?」
「ないね。俺が海賊じゃなかったらすれ違ってもいない」
この思いを胸に隠して。
彼女はその海を統べるために船を進ませる。
東の国の小さな女はいまや七海界にその名をしならない者はいない。
恋心は少女を麗しい海賊に仕立て上げた。
ジョリーロジャーの呪いは解けることはない。
ましてそれを望まないのがシャンクスという女だ。
「のぼせる前に出よ。匂いもとれたし」
「匂い?」
「血の匂いとか内臓の匂いってしつこいんだ。肉の匂いはあまり好きじゃない」
太陽を従える女の身体は傷だらけ。
腕にも背にも走る刀傷は不思議と彼女を妖しく魅せる。
左目に走る三本傷さえもそうなるように。
「服とって」
手渡されたシャツを着込んでサンダルをひっかける。
「ほら、行くよ。スモーカー」
海賊船の中を走る海軍など前代未聞だろう。
絶対正義と対になる殺戮と略奪の姫君。






続く宴は永遠に、屍累々と崩れていく男たち。
酔いも深まると視線をふいに移せば女は長身の男に寄りかかって寝息を立てていた。
「なあ、あんたも不幸だな。この船に乗っちまった」
グラスを空けながら交わされる会話に耳を欹てる。
「そうか?普通じゃない人生も悪くはねぇだろ。俺は死ぬまでこの人のお守してんだろうな」
「だろうな。俺も死ぬまでこいつの専属医だ」
膝の上に頭をのせさせて、ぱさりと掛けられる毛布代わりのコート。
「ガキみたいな顔で寝やがって」
「やりあってる以外は子供だ。でなきゃ海軍本部の男なんざ船には乗せねぇ。俺なら確実に
 死体でかえしてやる。あんたもだろ、ドクター」
その言葉に頷いてビールを注ぐ。
「赤い死神なんて言われてんのにな。妙に子供で……おい、風邪ひくぞシャンクス」
「もう食べれにゃい……れも食べるぅ……」
「シャン、寝言はもう少し綺麗なことを言え。あんたのカリスマガタ落ちだ」
だらしなく投げられた手に握られたサーベル。
「馬鹿は風邪ひかねぇ」
「だと良いんだが、うちの船長は演じて馬鹿だからな。風邪も引けば怪我もする。
 悪魔の実もくわねぇ本物の人間だ」
積み上げられた髑髏の上。
王座に座る赤髪の女王は金の冠に漆黒の外套。
その骸にならないように、それとも骸になっても彼女の傍に積み上げられるように。
「ブルーダイヤは返還か?」
「船長命令だ」
「この船を取り仕切ってんはあんただろ」
「俺を取り仕切ってのがシャンだ」
「ははは、間違いねぇな」
眠り姫を起こすのはキスではなく銃声。
凪の夜も悪くないと宴は終わらない。






「んじゃ、気を付けて。バイバイ」
船員の一人が所持していたビローアバイクを浮かべる。
「あっさりしてんな」
「どーせどっかで会うもん。鬼ごっこするだろうし」
全力での捕獲劇も彼女にとっては遊戯の一つ。
「だろうな」
「またね、スモーカー大尉」
見送りに静かに女は帽子を取って頭を下げた。
潮風に揺れるは美しい赫。
少しだけ離れた距離が二人の関係。
決して縮むことのない距離。
「!!」
手首を掴んでそのまま抱き寄せる。
重なった唇に思わず目も閉じずに。
「……っは……いってぇ……唇噛んだ……」
「またな、シャンクス」
「……ふぇ……んじゃね、スモちゃん……」
女の唇の端の血を拭う男の指先。
水平線に消えていく影を見つめて。
「ベック!?」
僅かに狙いをずらしてライフルを一発。
「うちの船長を傷もんにするとはいい度胸だ」
「……んぅ……痛ひゃい……」
涙ぐむ女を船医が引きずって行く。
(いい度胸してるじゃねぇか。海軍なんざにゃ負けねぇぞ)
終わらない夜を砕く赤い火。
東の国の眠らない夜。






10:42 2008/11/28







Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!