◆四畳半◆




今よりも少しだけ時間軸を戻して――――――――。




「ヨキ!!」
人込みの中、肩を掴んでくる大きな手。
「どうしてお前はいつもそう、騒がしいんだアル」
「おっきな声で呼ばなきゃ、ヨキは知らない振りするからなぁ」
医学書を持つ手は白くて、ついつい見つめてしまう。
それに重なった手は、黄色で何処か優しい色合い。
「本、持つよ」
「そうだな。頼む」
ヨキの手には少々大きな医学書も、男の腕には簡単に収まってしまう。
空いた手が二つ。指を絡めて人込みの中を歩いた。
人間は地下都市で光無き生活を強いられるこの世界。
それでも、どこか猥雑で愛しいと思えるのだから。
「くぉら!!ヨキ!!また本を持ち逃げしよって!!!」
追いかけてくるのは白髪の老医師。
「やべ!アル、逃げるぞ!!」
指を強く絡めなおして、一目散に走り去る一組の男女。
医師見習いと、気ままな生活を楽しむ青年。
まだ、二人を世界が選ばなかった幸せな日々だった。






彼女が医師を目指したのは、自分の血の色を解明したいと思ったことがきっかけだった。
神は赤き血を持ち、この世界を作ったという。
自分たちが何故この血の色を持つのかを。
「ほんで、お前は医者になるわけかぁ」
野菜を挟み込んだパンを口にしながら、アルはヨキの手を取る。
「何でも治せる魔法の手になるんだな。すげぇや」
「何でもは無理だけども、それに準じるくらいにはなりたいかな」
「七の村に帰るのか?将来的には」
「そうなるな、あそこには医者が居ないんだ」
この手を離す日が近いのは気付いてはいるけれども。
知らない振りをしてその日が来ないことをただ祈った。
「アル、お前は?」
「わかんねぇー。俺はヨキみたいに頭良くないから」
黒髪を摘む左手は、まだ少しだけ頼りない感じがして。
幸せは途切れながらも続くと、アルは笑う。
「医者になれば、誰かの命が救える。それに……」
「?」
「怪我ばかりしてるお前を、どうにかしてやれるだろう?」
薬など無くても、その笑みでヨキは彼を癒せることに気付いてはいない。
そして、同じようにアルも彼女を支えていることに気付いてはいなかった。




傷を負った左手に包帯を巻きながら、文句を言うのも自分の特権で。
それが当たり前のように思えていた。
口に出して『好き』といわなくても、互いの気持ちは伝わっていたから。
ただ、きっかけが無いままこうしている。
「なぁ。ヨキ」
「どうしてお前は毎回毎回怪我ばっかりして来るんだ。毎度毎度治療する身に……」
「キスしたこと、あるか?」
「は…………?」
唐突な言葉に、ヨキは男を見上げた。
「何が?」
「いや、キスしたことあんのなかーって」
包帯の結び目を、鋏で切って小さくして。
「…………アルは?」
「ん?俺?」
神様は、人間と機械を生み出した。
「あるよ」
「……………………………」
そして、人間には心という悲しい機能が備わってしまった。
考えなくてもいい不安を感じて、苦しくなってしまう。
「でも、やっぱ好きな相手とキスしたほうがいいよな」
「……そう……だな……」
心が見せてしまう錯覚は、胸を締め付ける。いっそ機械であったならもっと楽になれるのに、
「そうだ、ア……」
言う前に、触れたのは少し乾いた唇。
瞬きさえ出来ずに、ただそれを受け入れた。
「ヨキ、唇荒れんなぁ。医者失格だぞ」
「な……あ……!!」
言葉も上手く紡げずに、ただ口をぼんやりと開くだけで。
その先が出てこない。
「でも、柔らかくて……気持ちいい……」
ちゅ…と掠めるようなキスと、背中に回される左手。
上を向かされて、今度はさっきよりも深く重なってくる。
「目」
「?」
「目くらい、閉じてくれたっていーんじゃないか?」
少し不満げにアルは、ヨキを見つめた。
「……馬鹿かお前はっっ!!!!!」
ばちん!と派手な殴打音と、頬を摩る手。
「からかうのもいい加減にしろっっ!!」
「だから、好きなやつとキスしたほうがいいって言っただろ!!」
「何のことだ!!??」
「俺がお前を好きだからキスしたんだよ!!少なくとも俺は気持ちい……!!」
反対側の頬にもう一発。
「大馬鹿野郎!!!!」
ぼろぼろと零れる涙に、狼狽したのは男のほうで。
「お、俺なんかしたか?ヨキっっ!!」
「しただろうがっっ!!」
「何を?」
「……キス……」
自分の感情すら、制御できないものが医者になろうなどとは笑い種だと彼女は呟く。
右手で涙を拭って、自分の唇に指を当てた。
少しかさついて潤いを失ったそれは、まるで己の心の様。
ささくれて、誰かが触れることを拒んでしまう。
「俺のこと、嫌いだったのか?」
「そういう問題じゃない」
両手が伸びて、そっと子供をあやすように抱いてくる。
「やーらかい。ヨキ」
「……………………」
ここで、嫌だと突き放せば何も変わらない日常に戻れるだけ。
けれども、きっとこれは誰かが自分たちに与えてくれた千載一遇の日常を打破するための好機。
「アル」
「?」
「ちゃんとしたキスなら……してもいい……」
不安だと鳴く心臓は、規則的に音を刻む。
不規則でも、不安定でも構わない。離れてしまうことさえなければ。
「本当に?」
舐めるようなキスは、ゆっくりと心に染みてくる。
唇を挟むように重ねて、入り込んでくる舌に同じようにそれを絡ませた。
頭を抱き合って、僅かに角度を変えるときだけ許される呼吸。
離れても、まるで引き寄せられるように何度も何度も繰り返した。
上着に掛かる手が、現実に引き戻す。
「続き……してぇ……」
「ダ……ダメだっ!!絶対にダメ!!!!」
猫でも抱くかのように、アルはヨキに頬を摺り寄せる。
「ヨ〜〜〜〜キ〜〜〜〜〜」
「汗臭い男なんか嫌だ」
「今すぐ風呂に入る!!」
鼻先に触れる唇。重なっていく心音の心地よさ。
「俺じゃ、嫌か?」
「誰もそんなことは…………」
「嫌がってる相手にしたら、レイプになるだろ」
上着の金具を外して、たわわな胸を包む布地を剥ぎ取っていく。
「ま、待てっ!!」
ぷるん、と上を向く乳房は大きすぎずそれでいて小さすぎず。
ぎゅっと両手で掴んで、その先端を貪る様に口にした。
「!!」
左右を交互に舐め嬲って、時折歯を立てる。
「……っ……ぁ……」
濡れた乳首を舌先が這い回り、口腔で転がしながら吸い上げて。
ぬる…と糸を引きながら唇が離れる。
そのまま背中を抱いて、そっと倒していく。
覆い被さって来るアルを見上げてくる瞳。
少し不安めいた色は、少し胸を締め付けた。
下着に手を掛けて、額に唇を落とした。
(……ん〜……ちょっと苛めてみよっかな。いっつもいじめられてるし)
そろそろと薄布を下ろして、太腿に小さなキスを。
白い肌に刻まれていく薄赤の痣。
じんわりと濡れ始めた入り口に、掠めるように唇を当てた。
「やっ!!止め……っ!!」
「や〜だ」
ちゅく…零れだす音に耳を塞ぎたくなる。
舌と唇が動き回るたびに、ヨキは頭を振ってその感覚を打ち消そうとした。
戸惑いよりも何よりも、他人にそんなところを晒すことの羞恥。
しかも、アルに脚を開かされてそこに顔を埋められているという状態だ。
「あー……ここ、赤くなってきてんな……ヨキせんせー……」
「……?……」
薄い茂みの中に隠された、彼女の弱点。
そこを指で剥き出して、焦らすように舌先で小突く。
「ひぅ…ッ…!!」
「何で、こんな風になって……センセ……お医者さんなら分かるだろ?おせーて」
ふ…と息を吹きかけるだけで、震える身体。
片手で肩口を押さえて、その瞳を覗き込んだ。
「俺、お医者さんじゃないから分かんない」
「……お前が……触る……から…っ…!」
掠るだけの指先。どうして欲しいかはわかっていてもそれを口にすることが出来ない。
「残念。その答えはハズレ」
「!!!!」
零れた体液を指先に絡ませて、そこをぐっと押し上げる。
「触られて、キモチイイからだろ?ヨキ……」
膝を割って、今度は唇と舌を使って舐め嬲っていく。
じゅる…吸い上げられる音と、ちゅ…と舐め上げられる感覚は一瞬で彼女の理性を奪った。
「あ!!やァ!!!ああっっ―――――!!!!」
初めての絶頂は、意識を奪って思考を停止させてしまう。
それでも、止むことなくアルの愛撫は続く。
軽く歯を立てて、舌先を入り口に捻じ込んで逃がさないように腰をしっかりと抱いて。
「んんっっ!!!」
引き離そうとしても、腕に力はすでに無い。
何よりも『もっと』と強請る身体と心があるのだから。
「あ!!あは……ぁん!!」
「……ヨキ……」
抱きしめあって、何度も何度もキスを繰り返した。
「俺じゃ嫌?」
「……殴られたいのか……?アル……」
それでも、どこか強気なその瞳が愛しくて抱きしめたいと思ってしまう。
言葉に出来る気持ちを欲して止まないのが人間だから。
「嫌?」
「……嫌……じゃない……っ……」
腿に手を掛けて、ぐ…と開かせて。
濡れそぼった入り口に先端を当て、そのままゆっくりと腰を沈めていく。
(……きっつ……なんか……処女としてる気分……って!?)
絶えず誰かが彼女のそばにいた。頭脳明晰で容姿端麗な高嶺の花と称されて。
(まさか……大当たりで俺が最初の男か……?)
自分の下で、組み敷かれてぎゅっと目を閉じる姿。
「あのー……ヨキさん……つかぬ事をお伺いしますが……もしかして初めてですか……?」
「……悪いか……」
必死に痛みに耐える表情(かお)は、いつも見てきた横顔よりもずっと幼い。
「何で泣くんだ?アル」
「だって幸せだもんよー……ヨキの最初の男だぜー、俺」
「乗っかってるほうが泣くな!!泣きたいのは私のほうだっっ!!」
顎先を打つ手を受け止めて、指の一本一本に唇を這わせる。
今はまだ少しだけか細いこの指が、この先たくさんの命を救うこととなるのだ。
同じように、彼女を抱くこの左手が世界を守る。
まだ、運命はずっと先にいて。今は二人で幸せという名の閉鎖空間で溺れていたい。
「ごめ……本気で幸せ感じた……」
柔らかい胸の谷間に顔を埋めて、少しだけ力を入れて抱きしめる。
「続けてもいい?」
「……嫌……」
「ダメ。ちゃんとしたい。させて」
ぐっと括れた腰を抱き寄せて、奥まで一気に繋ぎとめる。
「―――――――ッッッ!!!!!」
腰骨を殴打されるような痛みと、子宮を直接抉られるような感覚。
それでも、声を殺したのはヨキの自尊心。
誰かに頼り縋って生きるだけの女には、なりたくなかった。
(……潰されそう……動くに動けねぇや……)
ぎゅっと瞑った瞳。長い睫と目尻にたまった綺麗な涙。
ぺろ、と舐め取って頬に接吻した。
極力痛みを感じさせまいと、ゆっくりと腰を突き動かす。
それでも、その度に寄せられる眉に胸は痛む。
「……ヨキ……誰もいないし、誰にも聞こえないからさ……」
頬を包んで、自分のほうを向かせる。
「痛いって泣いたって良いんだぞ?」
それは、心を縛っていた何かを解いた魔法の言葉。
「……アル……っ……!!」
伸ばされた手を取って、自分の背中に回させる。
柔らかい乳房と、まだ少し薄い胸板が隙間無く重なるほど互いの身体を抱きしめあった。
「…ぃ……アッ!!!」
シーツに零れるのは、黒と白の混濁した体液。
破瓜の証は、否応無しに自分が女であることを自覚させた。
どれだけ虚勢を張っても、意地を通して見せても。
誰かの腕の中で、感じる幸福を手放したくないと思ってしまう。
「……悪ぃ……もうちょっと……付き合って……」
「…や…ア!!……痛…ッ!!」
きりり、と細い爪が背中に食い込む。
(……痛ぇ……けど……ヨキのほうがずっと痛いんだよな……)
仰け反った喉元に、柔らかい乳房に、薄い唇に。
出来うる限りの想いをこめたキスを降らせた。
「……ふ…ぁ…!!ア!!アル……ッ…!」
すれ違って、からかいあった日々を終わらせて。
今度は手を繋いで同じ目線で未来を見つめる日々に変えた。
「……ヨキ……」
限界に近いのは身体も心も、どっちも同じで。
噛み付くようなキスを交わして、アルは彼女の胎に全てを吐き出した。





「あー、もう……俺幸せで死にそう」
「……叶えてやるぞ、その願い」
「嫌だ。もっとヨキと色んなことしたいもんな」
ぺち、と軽く頬を打たれる。音の割りに痛みが無いのは彼女の気持ち。
「ビンタされてもいいんだ。俺、ヨキのこと好きだからさ」
臆面も無く気持ちを口にするアルの頬に、答える代わりにちゅ…と唇を当てる。
「……今のもう一回!!!もう一回してくれ!!ヨキっ!!」
「嫌」
シーツに包まって在らぬ方向を向いて。
「怒ってる?ヨキ?俺、また何かやった?」
必死に振り向かせようとするのが、おかしくて笑いを噛み殺した。
「あははは。私もお前が好きだよ、アル」
「え……あ……やっぱ死にそうに幸せだっ!!」
「叶えてやろうか?」
くすくすと笑う唇に、そっと自分のそれを当てる。
触れるだけのキスも、脊髄を刺激するような甘いキスも、同じように感じる何か。
それに名前をつけるなら、それが多分『恋』というもの。
人間の心が生み出す不思議な感情。
「四畳半でも、果てない砂漠でも、ヨキが居てくれればそれでいいや」
「比較対照が合わさってないぞ、アル」
「いいんだ。幸せなんだから」
抱きしめて、まだ少し熱いままの乳房を悪戯気に舐めあげる。
「もう一回……」
「調子に乗るな」
がすん、と後頭部に降る拳。
「この痛みもアイでしょうかねぇ……」
「知るか、馬鹿」
くすぐりあって転げながら、振ってくる光は二人の道を示唆してくれるから。
途切れながらも続く幸せを、まだ信じていられる日々だった。




この先に待つ未来など知らないまま。
ただ、そばにあるこの心だけが真実だと感じていた。
世界はまだ二人に優しく。
運命はその足音さえも聞こえなかったのだから。




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22:52 2004/09/10

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