◆MIND GARDEN◆




何もかもが終わったら……待っていてくれる?
それは優しい声。何度も何度も繰り返し名前をよんでくれる。
ねぇ、ここに居ても良いの?
居場所をいつも探していたのはあの人。
そして、自分も。




「教主さーん!!」
武吉を背に乗せながら四不象は教主の下へ。
全てがおわり、この蓬莱島ではヨウゼンを教主として人間、妖怪双方の管理役を立て、
新たな形での共存を始めようとしていた。
「四不象、僕の事はヨウゼンのままでいいよ。教主だなんて思ってないからね」
「んじゃあ、ヨウゼンさん」
「何か用なんじゃないのかい?」
「そうなんす!!ご主人の情報があったっス!!」
女禍との戦いの後、太公望の姿は消え、まるでこの世界から消滅したかのようで。
どこを探しても、どんな手段を使っても、果ては神界にいる普賢や天化の協力を仰いでもその姿は見つからなかった。
爪の欠片一つ残さずに、消えてしまった人。
一度だけ、武王の前にその姿を見せた後の消息は掴めないまま、悪戯に日々は過ぎていた。
「師叔……いえ、伏羲はどこに?」
「斉の国に居るらしいっす」
「意外なところに……見つからないはずだ」
名を変え姿を変え、彼女は小さな国の宰相としてその身を置いているという。
望んだのは平穏。
自分の名を捨てて、一人の人間としてこの世界に埋没しようとしているのだ。
「ボクと四不象でお師匠様の所に行ってこようと思います」
「いや、僕が行くよ。あの人には一回お灸を据えないといけないしね」
口実を作れば、少しは分がある。
一筋縄ではいかない女が相手だ。
正面からせめてもするりと逃げてしまう。
「その間はあの二人にここは任せようと思う。僕はあくまで纏め役だからね。多少の時間は作れるさ」
たった一人で、誰にも何も告げずに。
想いは胸の中にだけ、ひっそりと。ただただ、痛みを身ごもるように育て上げた。
この世界を誰よりも愛して、そして憎んだ人。
始祖として、人間であることを捨てた人。
(まだ……答を貰ってないんだ……)




「あなたが僕の父を殺したのですか?」
三尖刀をその首に突きつけてヨウゼンは静かに問う。
伏羲と名乗ったかつての太公望と呼ばれた女は眉一つ動かさずに答えた。
「そうだ。わしの中の王天君がやった」
たった一つ血の繋がりを。
奪ったのは誰よりも愛しい女。
「殺したければ殺せばよい……ただし、女禍を封じた後じゃ」
黒髪を風に絡ませて、伏羲を静かに前を向く。
誰も寄せ付けない細い背中。
この世界を愛して拒んだ最初の人間。善と悪の混同する混沌としての役割。
それが彼女の全てだった。






宰相としての評判はそこそこに高いが、目立つ異様な行動も無い。
それは彼女一流の策略であり、他人の目を欺くもの。
出る杭でなければ打たれることは無い。
黒衣の宦官は回廊を歩き、腕には木蓮の花を。
死者を弔うべき百合と木蓮を絶やすことなくその部屋には置いていた。
「少しお休みになられていかがですか?」
「それではお言葉に甘えてそうさせていただきますね」
黒髪を風に靡かせて、慣れた足取りで奥へと進む。
女性の宰相は物珍しかったが、その能力を買われ彼女はそれなりの地位を築いていた。
それでも、目立たぬように、ひっそりと、ただ流れるだけの日々を甘受していたのだ。
(一日疲れたのう……早めに休むか……)
萱を下ろして、香炉に火を落とす。
白樺の香りは安眠を誘うためのまじない。昔、父母が愛したものだった。
戦い抜いた日々を忘れることは無い。
この腕の中、大事なものを幾人も見送った。
自分の進むべき道を教えてくれたのは去り行く人。
傷ついて、泣きながら進んだあの日が、今は愛しいとさえ思える。
道はそれぞれに違い、待ち受ける未来も違う。
全てを知りながら共に歩んだ。その想いはこの胸の中未だに生き続けているから。
目を閉じて、眠りを待つ。
あれほど好きだった酒もやめて一切の道楽を絶った。
ただの人として生きると決めたあの日から、全ての過去は胸の奥深くに沈めた。
強さとは力ではなく、受け入れることと教えてくれたのはあの日々。
「……師叔……起きてください……師叔……」
身体を揺さぶられ、懐かしい声が耳の奥に響く。
「……師叔……」
「ここにはそのようなものは居らぬが?お人違いであろう」
顔を上げることなく、声だけで答える。
「ならば伏羲とお呼びすればよいのですか?」
「斯様なお人もここには居らぬ。お帰りを」
はぐらかす声に苛立って、手首を取って身体を起こさせる。
少し不機嫌そうな顔。幾分か痩せた様にも見えた。
「師叔、このようなところにいたのですね」
「師叔とは?わしは姜子牙と申すもの。お人違いであろう」
目の前に居るのは確かに捜し求めた人。
たった一人、自分の全てを受け入れてくれたその人の姿。
「帰りましょう……一緒に……太公望師叔……」
「そのものは亡者。囚われることの無いよう……」
「師叔!!」
「ごまかしきれぬか……」
諦めたように笑い、手を解く。
「何用じゃ?ヨウゼン」
「一緒に帰りましょう。在るべきところへ」
「わしは人として生きようと思う。この国で」
「みんな……あなたを待っています。いえ、僕が……あなたの居ない日々に耐えられないんです……」
慣れた手で髪を留める。久しく見ることの無かったその動作ですら胸を締め付けた。
「わしはおぬしを利用するだけ利用した。おぬしの父君を殺したのも……わしだ」
夜着姿。幾度と無く抱いたはずの身体。
これだけ近くに居るのに、遠くに感じて触れることさえ出来なくて。
「のう、ヨウゼン……長い夢だったように思えぬか?」
「……夢……ですか……?」
「何もかもが綺麗で、儚く……愛しかったと思う。わしは、わしとしての日々を失った。得たものもあるが
失くしてしまったものも沢山あるのう……。この身体も既にわしのものではない。いや、わしと
いう人間はもう居ないのだよ……」
そっと触れてくる指先。
「おぬしは少しも変わらぬのう。融通が利かぬところもそのままじゃ」
笑う顔、小さな唇、伏せた睫。
「みなは変わらずに?」
「ええ……うるさいぐらいに元気ですよ」
「おぬしならばあやつらを纏められるからのう。わしは必要ないのだよ」
見つめてくる瞳。
「泣きそうな顔をするでない……ヨウゼン」
「どうすれば……いいのですか……?」
「わしのことは忘れよ。わしに囚われることなくおぬしの道を進むがよい。わしは……死人じゃ」
暗い回廊をただ一人、明かりも灯さずに歩く人。
一寸先すら見えなくても、臆することなく進んでいく。
「……ません………」
「?」
「あなたの居ないこの世界なんて要らないと言ったんです」
全てが終わって、あれほど望んだ日々が来ても。
そこにあなたが居ない。
ただ、そこに居てくれるだけでいい。
君無き、この世界など要らない。
「僕が、妖怪だと言ったときあなたは何も言わなかった。ただ、僕の名を呼んでくれた」
「……………」
「あなたの声が聞けないだけで、こんなにも不安になるんです」
「ヨウゼン、わしの最後のわがままをきいてくれぬか?」
「……………」
「わしのことは……忘れてくれ」
手を伸ばして、その身体を抱きしめる。
逢いたくて、逢いたくて。
「嫌です……っ!!出来ません!!」
同じように背を抱いて、胸に顔を埋める。
懐かしい心音と香り。
悪戯に身体を重ねた日ですら、優しい陽だまりの中。
「やっと……やっと見つけたのにあなたはまた消えてしまう!!」
「ヨウゼン……」
触れた唇も、滑る指も。
拒むことなく、彼女は受け入れる。
組み敷かれた身体にはかつての傷は何一つ無く、まっさらでただ美しいだけ。
自分を庇い盾となった時の傷も。
ふざけて残したはずの傷も。
強いものに立ち向かった時の傷も。
何も残っていない。
「……師叔……」
震える指で、髪を解いて、そっと唇を降らせる。
まるで初めて誰かを抱くような感覚が胸を過ぎった。
「……ヨウゼン……」
何度も何度も、接吻けて、離れていた時間を取り戻すかのように。
空白を埋めて、確かめるかのように肌を会わせた。
耳朶を噛んで、舐め上げると肩が竦み、吐息がこぼれる。
その反応が愛しくて、指先を沈めていく。
柔らかい乳房に小さな噛痕を残して、軽く吸い上げる。
「…っあ!」
舌先が秘裂をなぞり、肉芽を舐め上げると括れた腰がびくんと跳ねた。
逃げようとする身体を押さえつけて、責め上げる。
「…や……っ!!……やめ……て…っ!!」
上がる声は唇で塞いだ。
逃げられないように、逃がさないようにその手を戒めた。
濡れた秘部に指を沈めて押し上げる。
「痛っ……!!」
「……師叔……?」
寄せられた眉と歪む表情。
「……は……ぁ……!」
身体は何もかもを覚えているのに、たった一つ忘れている。
欲しくて、欲しくて、夢にまで見た。
最後に見たのは皆を守る後姿。
伸ばした手は触れることも出来なかった。
「……呂望……」
それはかつて父母だったものが自分に与えてくれた最初の贈り物。
愛して、守られていた日々。
「……ヨウゼン……」
胸を重ねて、呼吸を合わせる。
「……できるだけ……力を抜いてください……」
出会った頃はこんな思いを抱くなんて思わなかった。
一人で生きることは出来ないと教えてくれたあの夜。
かかる月を見ながら肩を寄せ合ったあの夜。
降り行く雪の寒さを口実に暖めあったあの夜。
いつも、前にはあなたが居た。
頼りないその小さな身体で懸命に運命に歯向かっていた。
「やられっぱなしは悔しいから」はにかみながら笑ってた風の中。
片時も忘れたことは無かった。
永遠なんて無いと分かっていても、あなたに触れる時はいつも永遠を感じていた。
何もかも分からない虚偽の世界。
自分すら偽り続けた世界でたった一つの真実だった。
「……あ!……っ!」
破瓜の痛みに上がる息。
繋がった部分がじんじんと傷む。
軋む身体を抱いてくる男の背に手を回して、きつく抱きつく。
「……呂望……」
目尻の涙を払って、瞼にそっと接吻する。
突き動かすたびに上がる悲鳴すら愛しくて、止まらない。
「どこにも行かないで下さい……もう……」
心も身体も何もかもを重ねて。
ただ一度だけ、永遠を信じたかった。




「……苦しくは無いですか……?」
疲れ切った顔をする彼女を腕に抱き、そんなことを聞いてみる。
「一度滅んだ身体だ……蘇生の際に何もかもを失っておったのだ」
「それでも、嬉しいと思うのは浅ましいですか?」
髪を撫でながら、小さな額に唇を落とす。
「帰りましょう、呂望。一緒に……」
右手に左手を重ねて指を絡める。
「ヨウゼン、前に一度わしは死に掛けたことがあった。趙公明の森の中でな」
昔話でもするかのように彼女はぽつりぽつりと紡ぎ出す。
「その時に……おぬしを残して死んでいくことだけが心配だった。おぬしが何であれ、わしに
とっては掛け替えの無いものだったから……妖怪だの、人間だの、そんなことは取るに足らんこと
だったのだよ……」
「……呂望……」
「傷の舐めあいでも、馴れ合いでも、それでも傍にいて欲しかった。わしらは……似たもの同士だったのかも
知れん……おぬしには心配ばかりかけたのう……」
目を閉じて、離れないように互いの身体を抱き合う。
「わしを捕まえることが出来たのはおぬしだけじゃよ、ヨウゼン」
「離しませんよ……もう二度と……」
寂しがりの魂が二つ。
ただ、寄り添っていた。





目覚めの空気はやめに冷たく、身体を起こす。
「……呂望……!?」
はらりと落ちてきたのは一枚の手紙。
小さな文字で書かれたのはたった一言「捜してごらん」と。
「ええ……見つけますよ……」
道衣に身を包み、宙を舞う姿。
彼女は自分の腹を愛しげに摩った。
(まいったのう……まさかこうなるとは……)
始まりの人の能力と人間の身体の融合は思わぬ方向へ運命を変えた。
(まぁ、育てるのも悪くはあるまいて)
うふふと笑って、この世界を旅する姿。
ほんの少しだけ遅れてもう一人の道士が追いかけてくる。
風のようにかわしながら、彼女は少しだけその足跡を残していた。
「見つけてごらん」そう、囁くように。
飄々と進む姿。
「見つけましたよ……呂望……」
大輪の木蓮の下で、微笑む姿。
手を伸ばして、そっと引き寄せる。
「……ただいま……」
「……おかえりなさい……呂望……」
昔、二人でこっそりと見上げた木蓮。
好きだと言っていたこの場所だと信じていた。
「ここだと……思いました……」
離れたくないと思うこの気持ちに名前をつけるならば。
おそらくこれを「愛」と人は言うのであろう。
「さぁ、帰りましょう。僕らのいるべきところへ」





かつて始まりの人といわれた少女は若き教主の傍。
半人半妖の子供を抱え、今日も穏やかに微笑んでいる。
「ヨウゼン。わしは産休を取るぞ」
書類に目を通しながら、泣き声を上げる子供をあやす姿。
「ダメです。この忙しい時に貴女に休まれたらどうなるかなんて分かってるでしょう?」
「おぬしの父君は母に休みもくれぬのじゃ。酷いと思わぬか?」
眠たげな子供を抱きながら、太公望は首を回す。
「まぁわしよりもおぬしに産休を取らせたいがな。ここ三日ろくに寝てもおらんだろう?」
「いえ……夜泣きの度に起きるあなたに比べれば……」
頬に触れる指先。
「たまには体を休めよ。それではこいつに兄弟を作ってやることも出来ぬ」
「え……」
「子は、何人居ても良いものだろう?ヨウゼン」
髪の隙間に見える小さな角。濃紺の瞳。
父母の血を併せ持つこの世界の申し子。
「そうですね……」
「酷く疲れておるな」
心配そうに覗き込んでくる瞳。
「まぁ、少し待っておれ」
子供を抱きながら彼女はどこかへと姿を消してしまう。
戻ってきたのは半刻ばかり過ぎた頃。
「師叔、あの子は……」
「普賢のところに預けてきた。出かけるぞ。なに、二、三日空けても天化らがどうにかしてくれる」
ヨウゼンの手を取って太公望は外へと歩き出す。
(あれ……この服……)
見慣れた黒衣ではなく、道士時代のあの道衣。
「どうかしたのか?」
振り返る顔は何も変わらないまま。変わってしまったものは自分たちの心の形だけ。
(そっか……この人はずっとこの人なんだ……だから……)
沢山のものを失ってきた。
それでも、本当に欲しいものはこの腕の中に残ってくれた。
「哮天犬は、出せぬか?」
「出せますよ」
昔のように二人で飛び出す。あの頃には何も恐いものは無かった気がする。
大人になることは、臆病になるようなきがして。
それでも、子供のままで居られるほど世界は甘くも優しくも無い。
「何処に行くのですか?」
「世界の果てまで」
「え?」
「遅めの新婚旅行じゃ。気の利かん男じゃな」
細い背中を抱きしめてその肩口に顔を埋める。
「……気が付きませんでした。そうですね」
「たまには良いと思わぬか?こうして道士に戻るのも」
時代は自分たちを残したままめまぐるしく変わっていく。
かつての周王も今は無く、その息子が王として名を受けている。
彼女の血を引き、彼女の愛した男の血を引く子供でもあった。
(……発君も、天化君も……みんな師叔のこと、好きだったんだよね……)
あの騒がしくも懐かしい日々は、今はずっと遠く。
自分たちだけがこうして残ってしまった。
「師叔、僕たちは色々な物を失くしてしまいましたね……」
「そうだな」
哮天犬の鼻先を撫でて、太公望は獣の耳に囁く。
くぅんと一鳴きすると哮天犬は彼女のしました場所へ向かった。
「何処に行くんですか?」
「始まりの場所じゃよ」





かつて殷という国に通じる関所があった場所。
その場所に二人で降り立つ。
「ここは……」
「わしとおぬしが初めて会った場所じゃよ」
重なった運命。全てはこの場所からだった。
「おぬしはわしのことをいつまでも師叔と呼ぶ。のう、ヨウゼン。わしと勝負してみぬか?」
「勝負?」
太公望だったはずの彼女は、ゆっくりと伏羲に変わっていく。
「わしとおぬし、どちらが強いか。純粋に」
始まりの人と第三の世界の教主。
札割としては申し分の無い試合だった。
「そう言えたならば、どれだけおぬしが楽になれるだろうな。ヨウゼン」
この手の中の暖かさは本物だから。
この世界の唯一つの真実を抱きしめて。






(なんか……凄い夢を見たような気がする……)
のろのろと体を起こしてヨウゼンは隣で眠る太公望をじっと見た。
(どんな夢だったのか、思い出せないけど……)
小さな寝息と、虫の声。
(師叔の夢だってことだけは、覚えてるんだよなぁ……)
肌寒いのか体を丸める仕草。
上掛けを直して、そっと抱き寄せた。
「……ヨウゼン?」
黒髪を書き上げながら、裸の体を少女は起こす。
「疲れた顔をしておる……眠れぬのか?」
ふわり、と甘い香り。女の肌の柔らかさは男を堕落させる麝香。
頬に触れる指のはかなさは、散る寸前の華に似て。
しっかりと掴まなければ霞のように消えてしまいそうだから。
「師叔!」
「くるし……ヨウゼン?」
ぽふぽふと背中を優しく叩く小さな手。
「何処にも行かないでください。貴女が……好きなんです……」
柔らかい胸がふにゅんと触れる。皮膚を隔てて重なる心音。
「どう言えば……信じてもらえるんですか?」
房中の睦言は信じないと公言する彼女。ましてやそれが仙界に名を響かせた男ならば殊更に。
重なった唇は少しだけ乾いて。
まるで泣く事を忘れた彼の心の声の様。
「……わしがおぬしに好きだといえば満足か?」
それは、欲して止まない言葉。
彼女が決して言ってはくれない言葉。
「…………………………」
「欲しくば、いくらでも言うぞ?」
試すような視線がこころに沈んでいく。
「例えそうであっても、おぬしにそれを言えばおぬしはとんでもないことをしでかしそうじゃ。
 それに……安売りはせぬ主義でな」
やんわりと胸を押し返してくる。
「ヨウゼン。信用という言葉を知っておるか?」
「ええ……」
肩に掛かる男の髪を一房摘まんで、そっと唇を当てて彼女は続けた。
「おぬしに対しては、信用ではなく信頼じゃよ。ヨウゼン」
そして、少し照れた風に彼女は笑った。
同じように自分の本当の気持ちはいつも心の奥の奥。
小さな箱の中に閉まって出さない彼女。
「もう少しだけ、わしに時間をくれぬか?」
「ええ……それだけでも……十分ですよ……」
「おぬしが、いつかわしのことを望と呼べるようになるならば、わしも……」
ヨウゼンの手を取って、自分の左胸にそっと導く。
「わしも、自分の言葉でおぬしに告げようと思うよ」
窓に降る雨は、自分たちの声さえも消してしまう。この雨の中、ただ二人だけで抱き合っていたい。
まだ少しだけ二人の間には時間が必要で。
お互いに抱えた傷と秘密が癒えるまでのほんの少しだけの遠回り。
「今は、こうして……」
太公望の手を取って、指を絡める。
「二人でいられるならば、十分です……師叔」
雨音は、傷を癒してくれる。その柔らかさは、どこか彼女に似ていた。
まるで、この世界から生まれ出た様に。
「もう少し、眠りましょう……師叔……」
胸に顔を埋めてくる少女を抱きながら、男は目を閉じる。
寝息が聞こえてくるのを確かめて、その頬に接吻した。
「あなたが信じてくれないって言うのは……僕の思い過ごしだってことですよね?」
長い睫、閉じた瞼。
「好きです、師叔。この世界よりも、何よりも」
何も知らない振りをして、目を閉じよう。
この世界は自分たちを掴んで離さないのだから。





「師叔」
いつも誰かの中に紛れてしまう彼女の手を取る。
「ヨウゼン、どうかしたのか?」
太公望の手にそっと握らせたのは蒲公英。
「春ですね、もうそんな季節です」
ふわふわと笑う黄色の小花。その頭を撫でながら笑う唇。
「わしの部屋で茶でも飲まぬか?ヨウゼン」
自分の名前を呼ぶ声。
導いてくれるその小さき手。
「ええ、戴きます」
雨上がりの午後、一組の恋人に戻って。
生まれたての幸せを抱きしめよう。




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2:08 2004/05/05

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