◆hard to say, I love
you―アイシテルって云えなくて―◆
「ねぇ、望ちゃん。前にもこうして二人で出かけたことがあったね」
普賢は膝を抱え、隣にいる少女を見る
「あれは……五十年くらい前だったかのう。おぬしがまだ十二仙でもなかった頃じゃ」
懐かしさは、彼女の髪を撫でて幼さを引き立てる。
浮き出る汗を手の甲で拭って、太公望は霞む目を瞬かせた。
目指すは金螯の再奥の核。
聞仲のいるその場所である。
「はじめてあった日のこと、憶えてる?」
抱えた太極府印。細い指にも汗が浮く。
「まぁな……忘れんよ」
最初に会ったのは始祖に連れられて謁見の間でのことだった。
歳の近い少女が入山するということで、数ヶ月前に崑崙入りしていた普賢が呼ばれたのだ。
少女の名は「呂望」姜族の血を引く最後のものだった。
闇に解けそうな髪と瞳を持ち、誰も信じないと固く閉じられた唇。
「はじめまして、ボクは普賢。君の名前は?」
そっと、彼女の方に彼は手を差し出した。
「………………」
「ここは、そんなに悪いところでもないよ。ボクは、キミと友達になりたいんだ」
躊躇いがちに伸びて来る小さな手。
「…………呂望…………」
仄かな暖かさは、皮膚一枚隔ててしっかりと伝わった。
そして、彼女の『寂しい』と叫ぶ心の声も。
「そう。じゃあ、望ちゃん。仲良くしようね」
「……………………」
小さな、小さな女の子。
いつも一人で空を見上げている。
「望ちゃん?」
ここに来て早一月。彼女は誰とも打ち解けようとはしない。
同様に誰も彼女に接しようとはしなかった。
何もかもを拒絶する視線。
「ここに居たら風邪引いちゃうよ。あっちに行こう」
手を取って、つかつかと回廊を進み行く。
「もうじき木蓮の花が咲くよ。そしたら二人でお花見しようね」
「…………………」
俯いたままの顔。
それでも、引かれるままに彼女はゆっくりと歩く。
「空が綺麗だね。僕の部屋からは大きな菩提樹が見えるんだ」
「……………………」
灰白の髪を目を持つ少年は、心を闇に隠したままの少女を連れて歩く。
その小さな手が悲鳴を上げていることを知っているから。
例え、彼女から声が帰ってこなくとも良かった。
彼女が自分をどうにかして受け入れようとしていることは知っていたから。
「今度、二人であっちの丘にも行こうね。流れ星を探しに行こう」
「……………………」
立ち止まる足音。
彼女の目線に高さを合わせて、ゆっくりと振り返る。
自分よりも少しだけ小さな女の子。
いつも目を伏せたままの彼女。
「あ……蝶々……」
白と黄色の二匹の蝶は、ひらりと優しく舞い踊る。
「綺麗だね」
「……うん……」
細く、小さなその声。まるで硝子の様に脆くてきらきらした音。
「蝶々、好き?」
「うん」
「ボクも、好きだよ」
少しだけ力を入れて手を繋ぐ。
離れてしまわないように、指を絡めて。
時間はゆっくりと二人を包んでいく。
ぎこちないながらも、彼女なりに周囲と打ち解けようと必死な姿。
彼だけは変わらずに彼女の傍で、同じように笑ってくれる。
「望ちゃん」
書物を抱えながら、振り返る姿。
「普賢」
眉に掛かる前髪も、少しだけ長くなった。
それは彼女がここにきて過ごした時間の表れ。
道士名を得て「太公望」と名乗るようになっても、普賢だけは変わらずに彼女をそう呼ぶ。
「今日は、流れ星が見れるよ」
「流れ星?」
「うん」
すい、と指先が窓を越して遠くを指す。
「あの向こうの丘で。今夜、玉虚宮(ここ)を抜け出して行ってみない?」
繋いだ手は、今も変わらずに微かに震えたまま。
「望ちゃん、ボクは傍に居るよ。一緒に居るよ」
「知っておるよ、普賢」
伸びた影が二つ。
回廊を歩く足音も二つ。
後悔だけはしたくない。泣いている君の手を離すようなことだけはしたくないから。
笑っているはずなのに――――心は雨でいっぱいの君。
「どんな願い事をかけよう。沢山あっても、大丈夫だよ」
「そうだのう在り過ぎて……どれにすればいいか迷ってしまうよ」
二人だけの密約を取り付けて、再びここで会おうと待ち合わせの時間を決める。
窓枠の中央に月が掛かる頃、抜け出そうと小指を絡めた。
誰にも気付かれないように、普賢はそっと部屋を抜け出す。
同じように太公望も。
昼間約束した場所で落ち合って、忍足で回廊を走る。
しっかりと絡めた指は離れないように、離さない様に。
「誰だ?こんな夜中に脱走図ってる連中は?」
灯りで照らされて、普賢は太公望を背後に匿う。
「なんだ、普賢じゃないか。優等生が脱走か?」
声の主は道徳真君。崑崙の師表の一人だ。
「道徳様……」
「後ろに隠してんのは誰だ?」
「どうか見逃してください。今日だけ。決して脱走じゃないんです」
珍しく必死な様に道徳は興味を抱く。
「何かあるのか?」
「今日は……もうじき星降る夜なんです。だから……」
「ははん……それで女連れて抜けてきたって訳か」
にやりと笑って彼は静かに踵を返す。
「ここの見回りが俺でよかったな。お前ら。玉鼎だったら強制送還だったぞ」
「道徳様……」
「夜が明ける前には帰って来い。西側の窓は開けといてやる。明日の修行で居眠りなんかしたら倍のメニューだすからな」
同じようにして、彼も過去に流星を捕まえに行った。
それを思うとどうしても、今の普賢を制止することは出来なかった。
若年のうちにしか出来ないこともある。
今という瞬間にしか得られない感情も。
「行って来い。俺の気が変わらないうちに」
「ありがとう御座います。道徳師兄」
後姿に一礼して、普賢は太公望の手を取って走り出す。
闇に消えていく二人を見ながら、道徳は首を回した。
(おいおい、教主直弟子二人が逢引かよ。問題ありすぎだろ?)
それでも、止められないのが恋と言うもの。
愛欲を絶つことを求められる仙道でも、落ちてしまった恋の中ではどうすることも出来ないのだ。
(俺も、誰かと見たいもんだ。星降る夜なんだしな)
まだ歳若い二人の背中は、もうどこかへ消えてしまった。
それに、そこまで人間を捨て去ること無いと道徳は思うのだ。
(精々頑張れ。ガキ二人がガキじゃなくなれるようにな)
窓越しに空を見上げて、彼は再び回廊の奥へと消えて行った。
息を切らせて丘を一気に駆け上がる。
足に絡まる青草を払いながら、手を繋いだまま一番高いところに二人で位置を取った。
広がる空に、一筋流れる星。
それを合図にでもするかのように、一斉に星は光を帯びて軌跡を描き始めた。
「綺麗…………」
ため息しか出ないようなその光景。
「望ちゃん、早く願い事……かけよう?」
「うん」
祈るように目を閉じて、彼女は小さな声で何かを呟いた。
それを見つめながら、普賢も同じように何かを祈る。
「何を、お願いしたの?」
「……笑わぬか?」
「うん」
同じように視線を重ねて、太公望は笑った。
「誰も、傷つくこの無い世界をくれと……願った」
一族を失った彼女の望みはたった一つだけ。
仙道の無い世界を作り上げることだけだった。
「普賢は?」
「ボクはね、望ちゃんとずっと一緒にいられますように……て」
そっと身を寄せて、普賢は静かに太公望の頬に手を掛けた。
「大好き。望ちゃん」
触れるだけの口付けは、乾いた感触がした。
初めて触れた他人の一部。
「初めて会ったときから、ずっと好きだった」
「……普賢……」
さっきよりも、少しだけ深い接吻に目を閉じる。
重ねるごとに力が抜けていくのが分かった。
それは、もしかしたらこの流れる星たちが掛けた小さな魔法だったのかもしれない。
それでも、今ここで彼を拒絶する理由は見当たらなかった。
「望ちゃん、ボクがこれから君にすることが分かる?」
それは知識としては得ているが、まだ彼女にとっては未知の領域のこと。
恐怖心がまったくないといったら、嘘になる。
「でも、望ちゃんが嫌がることはしたくないんだ」
「嫌では……無いよ……」
優しく抱きしめて、普賢は太公望の道衣の組紐に手を掛けた。
ゆっくりと解くと、細い身体が露になる。
吹きぬける夜風の僅かな寒さに震える肌。
「あったかく……しようね……」
「……暖めて、くれるのか?」
抱きしめあって、重ねた唇。
そのまま少しだけ力を入れると、彼女はされるがままに倒されてくれた。
背中に傷が出来ないように、普賢は太公望の下に自分の道衣を敷く。
彼女の細い背中には、入山前にできた傷が無数にあった。
姜族は遊牧の民。
生き残るためには常に戦うしかなかった。
「望ちゃん……」
細い手を取って、そっと唇を当てる。
指先を一つずつ確かめるように舐め上げて、その唇を肌へと落とした。
鎖骨を甘く噛まれて、きゅっと目を閉じる。
初めて感じる他人の体温と息遣い。
「恐い?」
耳元で問う、低い声。
いつの間にか彼は少年から少しだけ離れた場所にいた。
始めてあった時よりもずっと静かで、優しい声。
「……どうしたらいいか……わからぬ……」
恥ずかしげに顔を背ける彼女の仕草に、普賢は笑う。
「そのままでいいよ。望ちゃん」
ぎゅっと閉じた瞼に優しく降る接吻の雨。
触れるだけの口付けから、少しずつ深くなっていくそれ。
小さな頭を押さえ込んで、舌先を静かに絡ませていく。
「……っふ……」
離れる唇を追う様に、銀糸が伝う。
まだ少し幼さを残す乳房。その頂に飾りのようについてるそれにそっと唇を這わせて。
掠めるように舐められて、時折口中で吸い嬲られる。
その奇妙な感触に彼女は身を捻った。
両手で包み込んで、確かめるように舌でなぞっていく。
「……ゃ…普賢……ッ…」
押しのけようとしても、力で彼に叶わないのはわかっている。
「望ちゃん、ボクのことが嫌い?」
「嫌いでは……ない……」
自分の下に居る裸の少女。
「嫌いではないが……少し、恐い……」
それは書物で齧っただけの知識。
男女の営みなど、仙道には無縁のものだとばかり思っていた。
そして、自分がそうされるなどとは考えても無かった。
「……ぁ……っ……」
覆い被さって来る裸の身体。
抱きしめあって、覚えたての接吻を交わした。
唇はゆっくりと下がって、小さなくぼみに触れる。
ちゅ…と触れて、舌先はそのまま下へ下へと。
「!!」
申し訳程度の茂みの奥、指先で捲り上げて突起を舌先で小突く。
何かをいとおしむ様に、唇で包んで吸い上げる。
「あ!!や…っだ……!」
柔らかい腿の内側を甘く噛んで、小さな痣を刻み込む。
その痣が消えないように、消さないようにと祈りながら。
少し力を入れるだけで、やんわりと痕のついてしまうその柔らかさ。
女の体は、脆く柔らかく業の深いもの。
「あッ…!!やだ!!…普賢…ッ!!」
ちゅぷ、と吸われる度に熱くなる四肢の感覚。
「嫌?」
まるで、心まで覗くような瞳。視線に耐え切れずに顔を背けた。
「……わしにも、わからんっ!!おぬしが……」
「ボクは、望ちゃんが好きだよ。初めて逢った時から。今も、これからも。ずっとずっと」
彼女の手を取って、それを自分の頬に当てる。
流れる血の暖かさ。自分たちがここに居て、生かれている証明。
「……ぅ……っふ……」
舌先がやんわりと濡れた入口に触れる。
掠めるように上下して、ゆっくりと内側に入り込んでいく。
「あ……ッ!!……」
声を殺そうと、親指を噛む。爪と歯が擦れて、渇いた音が耳を浸食する。
手が、唇が、舌が。触れるたびに震えてしまうのは、女の性。
つぷ…と指先が沈んで、濡れて曇った音を立てる。
その度に、彼女はぎゅっと目を瞑って指を噛んだ。
上がる声を、殺すために。
指先に絡まる体液の感触。
成長しきって無い身体は、子供と少女の間で。
「……望ちゃん……」
その手を外させて、舐めるような接吻。
「これから、ボクが君に何をするか……わかるよね?」
膝に手を掛けて、静かに割って開かせる。
小さく頷くのを確かめて、普賢は少女の入口に自分のそれをあてがう。
「ちゃんと……掴まってて……」
背中に手を回させて。
「息……大きく吐いて……」
彼女の呼吸に合わせて、ゆっくりと腰を沈めていく。
他人を受け入れた事の無い肉壁は、普賢を押し出そうと本能で蠢く。
「……ッ……」
押しつぶされそうな圧迫感の中、慎重に奥へと進ませる。
「ァ!!!」
小さな悲鳴。
背中に食い込む細い爪。ちりり、と痛みが走って。
「……ゴメン」
そのまま細い腰を抱いて、ぐっと奥までつなぎ合わせた。
「!!!!!!」
白い腿を伝うのは、赤と白の混合した体液。
寄せられた眉と、荒い息が彼女の今の全てだった。
肩口に、柔らかい胸に、小さな唇に。
出来うる限りの優しい口付けを。
浮いた汗も、血の匂いも、女の甘さも。
「……ぁ…!!!…普賢ッ……」
しがみ付いてくる腕の細さ。彼女が女だと言うことを改めて知らしめてくる。
男女の交わりを禁忌として、この仙界は偽の潔癖さを保つ。
嘘で固められた清廉潔白。そんなものは要らないと彼は小さく呟いた。
この浅ましさ、醜さ。
覚えた恋心を捨て去るには、二人ともまだ人間を捨てきれないのだから。
「…ゃ…あ!!……やだ…ッ…!!」
ぼろぼろとこぼれる涙を舐め取って、腰を打ちつける。
「望ちゃん……」
今こうして二人だけで居られる真実。それだけが確かなもの。
「ゴメン……」
「なぜ……謝る……?」
「無理強い……したから……」
小さな頭を押さえ込んで、その細い背中を抱きしめる。
「後悔する位なら……最初から抱くな…ッ……」
頬に触れる指。
「後悔なんかしてない。これからも……しない」
「わしも……同じだ……」
繋がった箇所がじんじんと痛む。
それでも、その痛みを知らなかった昨日よりもずっと幸せだと彼女は笑った。
それは、彼女なりの精一杯の気持ち。
腰を抱かれるたびに生まれる鈍い痛み。
泣き顔なのはお互い様で、きつく抱きしめあった。
「今度は、一緒にここを抜け出して下山してみようか」
腕の中の彼女に小さく囁く。
「暇人が……」
痛む腰に触れる手。気遣うように優しく擦ってくる。
「寒くない?」
「そう思うなら、暖めろ。気の利かん男だ」
言葉と表情が違うのは、きっと気のせいだけじゃない。
ついさっきまで子供のような顔だった彼女は、いつの間にか女の顔になっていた。
それは、紛れも無く自分が変えたという事実。
そして、小さな至福感。
「望ちゃん、ずっと一緒に居ようね。ボク……強くなるよ。望ちゃんの力になれるように」
太公望を取り巻く因縁は、絡みつくように彼女を離さない。
力を得ることで傍に居れるのならば、それも悪くは無いと意味を見出した。
この生暖かい仙界で生きるには、何かしら理由が欲しかったから。
「ボクが望ちゃんを守るから」
「……守られっぱなしは嫌だが……おぬしになら頼んでもよさそうじゃな……」
胸に顔を埋めて閉じられる瞳。
最初の夜は甘くて、少しだけ熱い空気。
夏の少しだけ手前の頃だった。
「あれから色々あったね……でも……」
額に浮かんだ汗を拭って、普賢は隣の太公望をみる。
「望ちゃんと一緒に居られて良かった」
「そうじゃな……つい、この間のことのようなのにな……」
肩を抱いて、体を寄せ合う。
「楽しかったね。二人で元始さまの黄巾盗んで遊びに行ったりしたし」
「この面倒な一件を片付けたら……また、連れて行ってくれぬか?」
重なる視線。
二人だけの秘密の場所へ。
「……そうだね。行こうか……」
この先、ほんの少しだけ離れた未来。
その未来は互いに知っているはずだった。
それでも、現実から目を背けて甘い嘘に酔いたかった。
彼の時間が止まってしまう前に。
伝えたい言葉――――――あの言葉を。
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1:29 2004/05/01