◆罪と罰―――標たる風―――◆






両太子の師匠である二人に、宝貝の構造と説明を聞き、太公望は下界に戻る準備をしていた。
殷郊が殷軍を率いて進軍する速度を考えれば、そうそうのんびりしている時間はない。
「御主人、本当に大丈夫っすか?」
「ああ、心配かけたのう、スープー」
四不象の頭を撫でる手が、まだ少し熱っぽい。
「御主人、いつも無理しすぎっす。こもままじゃ殷を倒す前にご主人が倒れるっすよ」
四不象は太公望の傍を離れることをしない。
何時のときも、どんなときも太公望の後姿を見つめてきたのだ。
それゆえに誰よりも太公望の苦悩と葛藤を知っている。
「まだ、大丈夫じゃよ。それよりも、早く戻らねば」
仙界にいるときは太公望は髪を解いている。
さらさらと揺れる髪に、今は迷いは感じられなかった。
四不象は知っていた。太公望は人知れず、一人で声を殺して泣いていたことを。
「スープー、共に行くおぬしがいてよかったと思うよ」
「御主人……」
「さぁ、行くぞ、スープー」
髪を結い上げ、頭布を巻きつける。
「わしには沢山の味方が居る。そしてなにより、スープー、おぬしが居るではないか」






殷郊は太公望の予想のまま、軍を増やしての進軍だった。
陣形姿勢は古典的だが、手堅いもの。
兵士たちの頭は軍師である。どんな戦いも軍師が秀でていれば自ずと勝機は手に。
「遅くなったのう!」
四不象から飛び降り、姫発の元に駆け寄っていく。
「軍師なしでやんのかと思ったぜ」
「すまぬ。のんびりしすぎておったよ」
殷軍を見渡すことの出来る丘の上、太公望は真っ直ぐ前を見た。
これから起こる未来から、目をそむけることは出来ない。
(殷郊、お互いもう……戻れぬのだな……)
道は二つに分かれた。
そして、見つめる未来も。
兵士たちが討ちあい、血溜りの中に倒れていく。
人の命はこうも簡単に朽ちるものかと思う程に。
「残念だが、殷郊……わしは元来の攻め方はせぬよ…負けるわけにはいかぬのだ」
太公望が指示した通りに軍は全身と後退をし、その形を変えていく。
間近にいれば分からないだろうか、上空から見ればそれは鮮やかなものだった。
押される振りをしながら、殷軍をぐるりと取り囲む。
それを編み出したのがこの少女だと誰が想像できたであろうか。
殷軍の兵士の士気は見る間に低下し、投降するものが続出してきた。
「やはりな…人の勝負は決まることくらい知っていたさ……」
殷郊は殷軍の後方、淋しげに笑った。
(太公望……あの日、助けてくれことを感謝するよ。今、ここに殷王の子として立っているのだから…)
軍師としての勝敗は決した。
あとは道士として、殷の王太子としての問題だ。
「さて……本気で行かせて貰うぞ」
宝貝『番天印』を纏い、殷郊は自分を囲む周の兵士を見やった。
口元は不適に笑い、その目には王太子としての誇りがありありと見える。
「どうした?殺せないのか?高貴な血の者には触れることも出来ないと見た」
その言葉の通り、殷郊のカリスマ性に周軍の兵士は押されていたのだ。
今の姫発に足りないもの。
それは王としての威厳だった。
「兄様!止めて!!人間に宝貝を使っちゃいけないって師匠たちも言ってたじゃない!」
「……僕はどうしてもこの戦いに負けるわけにはいかない。たとえお前であって…邪魔するならば
この番天印を使う!!」
血を分け、離れることの無かった実の弟に兄は番天印を向けた。
押印したものを確実に殺すことの出来る恐ろしい宝貝。
それがこの番天印である。
殷郊を囲む週兵の眼前に薄っすらとした押印が浮かび上がる。
それは次第に色を増し、真紅に染まって炸裂した。
首から上が綺麗に吹き飛び、兵士たちの身体はばらばらと倒れていく。
(さぁ、太公望。これであなたは出てくるしかない……)
殷郊は次々に周兵押印し、その命を奪っていく。
あたりは鉄と肉の焼ける匂いに包まれ、正気でいることさえ不可能に近い。
血飛沫を浴びながらも、殷郊は眉一つ動かさずにゆっくりと進んでいく。
(殷郊……もう、終わりにせねばならんのだな……)
太公望は静かに目を閉じる。
何かを自分に言い聞かせながら。
「道士が相手ならあたしたちの出番でしょ!」
「師叔、このままじゃやばいさ!!」
太公望は頬を自分で軽く叩く。
「ここは、わしに任せてくれ。いや、わしがやらねばならぬのだよ」
決意の秘められた瞳。
太公望は打神鞭を構え、その場から風の刃を幾重も生み出す。
「……来たか、太公望」
「さて、殷郊。おぬしのあいてはこのわしじゃ」
「力でも、宝貝の能力でも、あなたには負けませんよ」
「さぁてな……それはどうかのう?」
太公望は打神鞭を構えると、風の印を結んだ。
それは今まで見せたことも無いような鋭い風の刃。
大地を深く抉り、近辺にあった兵の死体すらも吹き飛ばしていく。
「!!」
「わしとて何時までも弱いままではおれぬからのう…殷郊」
押印を全て相殺しながら太公望は殷郊との間合いを詰めていく。
一歩一歩確実に追い詰めていくその手腕。
呆然としながら発を含めた周軍の幹部はそれを見ていた。
「太公望って、あんなに強かったの……?」
「あの人は元々原始天尊さまの直弟子だからね。あのくらい出来て当然なんだ……今まであの人が
本気を出したのは、妲己、聞仲、申公豹と三回だけ……」
ヨウゼンは太公望の表情を読んでいく。
その目には迷いも、曇りも無い。
殷郊を捕らえる風はその頬を切りつけた。
「殷郊、どうしても止めれぬのか?」
「そんな目をしないで下さい……あなたを殺す決意が鈍る……」
自嘲気味に殷郊は笑った。
まだ、ほんの少年なのだ。
それゆえに、彼は前しか見えない。選択肢は無かったのだ。
大量の押印をされた兵士たちは散り散りに逃げようとする。
「おっと、動かないで下さいよ…あなたが動けば兵士たちが死にますから」
打神鞭を持つその左に、残酷な押印。
「!!!!!!」
ぼとりと落ちる己の利き手を太公望はただ、見つめていた。
動じることも無く、まるで石でも落ちたかのように。
「殷のために死んでもらう!太公望!!!!」
「兄様、やめて!!!」
魂を分けた弟は、太公望を庇いその身を晒した。
骨を砕き、肉を弾き、押印はその身体を容赦なく吹き飛ばしていく。
「……これ以上……殺さないで……」
太公望の腕の中、魂魄が光の粉になり、そして上空に一筋の光となって消えていく。
(すまぬ……わしのせいで……)
悲しみに浸るも無く、殷郊は錯乱し、叫びながら当たりかまわずに番天印を向ける。
おびただしい数の押印。
もはや、どうすることもできなかった。
(もう、終わりにせねばならんのじゃ……もう……)
打神鞭を拾い、太公望は殷郊を切りつける。
「許せ、殷郊」
刃がその胸を裂くその瞬間、殷郊は穏やかに微笑んでいた。
まるで、安心して眠る子供のように。
崩れ落ちる身体を受け止め、太公望は殷郊を抱きしめる。
生暖かい血液の感触。
「……僕は幸せだ……父の子として……殷のために死ねるのだから……」
「……殷郊……っ!」
殷郊の魂が封神台に飛んでいく。
それは事実上の殷の血脈の終焉だった。






それから数日、太公望は後始末に追われた。
兵士たちの埋葬、殷兵の受け入れ、今後の作戦。
一旦周に戻らざるを得ず、局面は振り出しに戻る。
左腕をなくしているとは思えない動きだった。
表面上は何一つ変わらず、軍師の仕事も的確にこなしていく。
傍から見ても痛々しいほどに。
「雨っすね〜。武王さん」
「そうだな、太公望に傷に響かねぇといいんだけどな……」
降り続く雨は、まるで涙のようで、血に染まった大地を浄化していく。
四不象と発は連れ立って太公望のところに向かった。
「御主人〜、具合はどうっす……御主人!!御主人!どこっすか!!」
「太公望!!」
いつもならば椅子に座り、のんびりとしているはずがどこを探してもその姿は無かったのだ。
「御主人!!御主人!!!」
その雨は土砂降りになり、人の姿を探すことすら困難だった。






雨に打たれながら、太公望はぼんやりと昔のことを思い出していた。
釣り糸を垂れるあの岩の上、無くしてしまったもののことを。
片手しかない腕で、ひざを抱え、ただ一人、その場に居た。
強い雨粒は包帯をぬらし、傷を広げていく。
滲んで落ちる血が、染みを作り雨を赤く染めていった。
「呂望、風邪をひきますよ」
申公豹が差し出す傘を、太公望は受け取らない。
「傷に障ります」
「いらぬ……このままで良い……」
伏せたままの顔。
一体何時間打たれていたのか、その手は冷え切っていた。
「なら、私も一緒に濡れます」
互いの顔さえも見えないような雨。
「あなたの気が済むまで、ここに居ます」
「……なぜ……こんな事になったのじゃろう……」
唇が小さく動く。
「呂望?」
濡れた髪は、泣きそうな顔で笑う彼女を一層妖艶に見せた。
「…なぜ、あの二人が…死なねばならんかったのだ…」
項垂れながら立ち上がり、申公豹と向かい合う。
「仕方の無いことです。元々あの二人は封神の書にも名が連ねてありました」
「死すべきは……わしではなかったのか……?なぜ、わしはこうして生きているのだ……?」
「呂望……」
「取れぬのだ……あの感触が……」
血液は温かく、それが流れ落ちた身体は次第に冷たくなる。
その身体ただの肉塊になり、やがて朽ちて行く。
「答えてくれ……わしの選択は正しかったのか?これでよかったのか?いや……考えても同じこと…
…どうすることもできなかった!だが……何かを変えることができたかも知れぬ!」
悲鳴染みた叫びを、雨は優しく消してくれる。
半狂乱になり、髪を振り乱す太公望を申公豹は強く抱いた。
「考えなくてもいいのです!余計なことなど!」
「教えてくれ……わしはこれから何を失っていくのだ……」
「……………」
「悠久の時を生きてきたおぬしなら分かるのではないのか……?仙界で最も強いおぬしなら……」
痛むのは失くした腕ではなく。
もっと柔らかく、棘を受け入れられる場所。
「とにかく…今のあなたに必要なのは休養です。このままでは倒れてしまいます」
片手で抱きながら、黒点虎に命じて己の洞穴を目指す。
体温の低下は道衣の上から出さえはっきりと分かるほど。
(しばらくは……妲己も動かないでしょう…いえ、動けませんから……)






傷負いの上に長時間雨に打たれてたせいで、太公望の身体はその殆どの体力を失っていた。
張り付く道衣を剥ぎ取り、申公豹の手が止まる。
番天印の残痕は左腕だけではなく、腹部や胸部にも無残にその姿を焼き付けたのだ。
まるで、王太子のことを太公望に責める様に。
汚れた身体を拭き、ゆっくりと左腕の包帯をとる。
肘から下がそっくりと削ぎ取られた利き腕。
まだ、燻る肉からは体液がこぼれてくる。
「……呂望……このままではあなたの左腕全部を失くすことになりますよ」
「……この腕が消えて、帰ってくるのか?」
「いえ。太子二人は帰ってきません。あなたは……封神計画を続けるのでしょう?」
腕を消毒し、慣れた手つきで申公豹は傷口を縫い合わせていく。
「そして、あなたは私を殺すのでしょう?」
「全てが終わったら、わしはなにをしたらいいのだ?」
新しい包帯を巻きつけて、左腕はひっそりと息を潜める。
そして、太公望も。
(疲れたでしょう、呂望。今のあなたには封神計画も、周のことも考えない時間が必要です……)
付かれきって眠る身体を癒すように、雨は降り続ける。
全てを隠し、洗い流すように。
(雨は大地を潤し、生命の源になります……呂望、あなたに降る雨もそうであることを私は願います)
雨は未だ、止む気配も無く。







太公望が眠っているのを確認すると申公豹は筆を執り、書をしたためる。
一国の軍師を預かるのならば、文の一つくらいだすのが礼儀だというのが彼の美学の一つである。
自由奔放に見えながら、やはり道士なのかある程度の礼節は弁えての行動。
「さて、黒点虎。これをもって周に行って来てくれませんか?」
「これ、何?」
「手紙です。軍師を預かるのですから書簡くらい出すのが筋でしょう」
黒点虎はそれを器用に咥えると、豊邑へと向かっていった。
小さな器に入った香油に火を点けるとほんのりと甘い香りが立ち込める。
飾ることなく、ただ、己の進むべき道を脇目も振らずに歩く彼女。
初めて逢った頃よりもずっと強く、綺麗になった。
その成長の証が嬉しくもあり、また、寂しくもある。
「……申公豹……」
「目が覚めてしまいましたか。もう少し寝ていたほうが良いですよ」
額に手を置き、熱の確認を取る。
瞳はまだ少し朦朧としているようだ。
「黒点虎に手紙を持たせました。今は何も考えないで休みなさい。あなたに必要なのは休息ですよ」
「すまぬ……世話を掛ける……」
少し、照れた風な笑い。
笑うことすらなかった日々。
そんなことさえも忘れてしまっていた。
(やっと……笑いましたね)
それからの数日、太公望はぼんやりと過ごしていた。
雨の降り続く庭を眺め、時折書物に目を通す。
申公豹は何も求めず、ただ、身の回りの世話をするだけ。
傷の治りも少し良いように思えた。
「おぬしは何でも出来るのだな」
出された粥を食しながら太公望はそんなことを呟いた。
「出来ないこともありますよ」
「そうかのう……わしはもっと出来ぬことばかりじゃ」
「いつものあなたに戻ってきたみたいですね」
申公豹は嬉しそうに笑う。
「おぬしでもそんな風に笑うのじゃな……なにか……ほっとするよ」
慣れない手を伸ばす。
その手を申公豹は静かに取った。
「まだ、右手があるのだな……わしは、まだ、やるべきことがあるのだな……」
「ええ、あなたはまだ、死すべきではありません」
取った手に唇を落とす。
小さな爪が震えた。
「……わしの身体は傷だらけで醜いものだぞ……」
「あなたの身体もそうですが、魂が愛しいのですよ」
顎を取って、唇を合わせる。
少しまだ熱のある唇。先の戦いで噛み切った後がまだ残っている。
残された片腕を首に回す。
絡ませた舌はまるで別の固体のように、お互いを探り合った。
何度も身体を重ねたはずなのに、それでも熱い。
「…っ……んぅ……」
重ねた唇の端から、雫が零れる。
離れてはまた、重ねあう。貪りあうというほうが正しいかもしれない。
「痛いですか……?」
太公望は首を振る。
「…構わんよ……わしよりもわしの身体のことは知っておるだろう?」
言いながら、頬を染めた。
乳房の傷をなぞりながら、その先端を軽く噛む。
微弱な刺激でさえ、余すことなく感じたいと、身体は反応する。
双球を責め上げる舌先が、ゆっくりと下がり腹部の窪みを舐め上げていく。
あちこちにできた細かな傷。
「…っあ!!」
逃げ場を求めた右手が寝具を掴む。
なだらかな腹部には痕跡。
「あっ…やぁっ……!!……」
舌先が肉芽を突く。そのまま吸い上げるように唇が動く。
「!!!!!!」
太公望の身体が弓なりになり力が抜けていくのが分かる。
申公豹は手を緩めずにそのまま舌を肉壁に進入させていく。
「あっ!!…は……っ…!……」
唇を離して、掴んだ足首に口付ける。踝を噛まれ、上ずる声。
形の良い足の指にも降らされた接吻にさえ、止め処なく体液が零れた。
「…呂望……」
絡みつく黒髪が、幻を見せるようで。
この身体に溺れていく。
自分が道士だという立場さえ、いとも簡単に奪ってしまう。
「あああっ!!!」
進入する男の熱さに身体が震えた。
耳にかかると息に涙が零れた。
今、ここに居る事が、生きているという感覚をはっきりと思い出させる。
「…申公豹……っ……」
脚を絡ませて、より近くで交わるために。
鼓動を重ねて、きつく指を絡め合って。
仰け反る喉元に接吻して。離れないように、唇を深く深く重ねて。
「……この腕は……私の罪ですね……」
包帯越しに降る、甘い接吻。
欠けてしまったそこを愛しげに指が辿って行く。
「いや…これはわしの罪であろう……未熟への罪……そして罰じゃよ……」
その笑みは悲しすぎて、声も失うほどに。
罪と罰に溺れながら、人間(ヒト)はどこまでも落ちていく。
その先で見つける一条の光を、古の人間は『希望』と名付けた。
「忘れぬための……罰じゃよ……」
息が詰まるような口付けは、脊髄を犯すような感覚で。
絡まったまま、堕ちて行く感覚に取り付かれ、離れられない。
「っ……ぁ…あああっ!!」
迸る熱は熱く絡まり、宿ることのない命を求める。
空虚な胎の中で。







さらさらと小雨のような雨音が鼓膜に染み込んで行く。
感じる肌寒さは、近くにあった暖かを求めた。
「起きてしまいましたか?」
軽く頷き、身体を起こして申公豹に寄りかかる。
その肩を抱いて、申公豹は嬉しげに目を細めた。
「この雨は、大地に命を与え、そして奪います」
時に恵みとなり、時には全てを奪う。
「あなたはいつも傘も差さずに独りで歩いています」
「………」
「傘を差せとは言いません。あなたはきっと一人で濡れることを選ぶでしょうから」
今ここに居るのは道士ではなく、一人の男。
「私もあなたと一緒に雨に濡れます。あなたが嫌だと言っても」
「…すまぬ……」
「謝ることはありませんよ。私が好きでやることです」
この雨は全てを隠してくれるようで。
止むまで、このまま泡沫の夢に溺れていよう。
「おぬしは、ここに独りで居るのか?」
「ええ……気儘な道士ですからね」
何千年も、たった一人。誰とも関わらずに過ごす道士。
傍らには忠実な霊獣が寄り添う。
「寂しくは……無いのか?」
「……あなたを知ってから、寂しいと思うようになりましたよ……」
胸の中に咲く、小さな花。
「一緒に、居てくれるのですか?」
「……少しなら……考えてやっても良いぞ……」
「呂望……」
ただ、肩を寄せ合って。
世情の雨を見つめていよう。





それから数日を申公豹の下で過ごし、腕の傷も幾分か良くなってきていた。
「そろそろ帰らねばならんだろうのう」
「あなたは軍師でもありますからね」
手を取り、抱きかかえるようにして黒点虎に乗り込む。
「しっかり掴まってて下さい、呂望」
「僕はそんな乱暴なことしないよ」
この数日で、黒点虎も太公望という人間をある程度理解するようになっていた。
覚束ない手つきで毛並みを整えてくれたり、給仕を忘れた申公豹の代わりに支度をしたりと、
何かと気遣ってくれる人間だと。
害をなさないものに対しては、攻撃をしない。
黒点虎はそういう霊獣である。
「呂望、また遊びにおいでよ。夜だけじゃなくて、昼間も」
「う、うむ」
四不象では言わないようなことも黒点虎は言ってくる。
「申公豹がいなくても、僕がいるから」
「そうじゃのう」
「呂望!」
笑いながら、右手で申公豹の道衣を掴む。
雲一つ無い空。
まるで大河のようだった。





周に戻ってから太公望は旦にたっぷりと小言と嫌味を貰い、心配していたヨウゼンと天化には
執拗な質問攻めにあっていた。
「太公望!」
「発か、どうした?」
「どうしたじゃなくてよ。勝手に居なくなんなよ!お前はうちの国の軍師なんだぞ!
軍師なしでどー戦えってんだよ。少しはそういう自覚も持ってくれよ」
発にしては少し強い口調。
「今度からはちゃんと断ってから行けよ」
そういうと発は何処かへ立ち去ってしまった。
「御主人、武王さんも凄く心配してたっす」
「発に怒られてしまったよ、スープー。あやつも成長したのだのう……」
太公望は嬉しそうに笑った。
武王としての自覚の込められた言葉。
それは発の器が少しずつであるが成長していっている証だった。
武王としての姿。
「なにか、嬉しいと思うよ」
「そうっすね」
「うむ……」
風を纏いながら、新しい王は前だけを見つめるのだ。





たまった仕事を抱えながら、太公望は深夜まで雑務に追われていた。
「御主人、夜食っす」
「すまんのう……しかし、こうも溜まると暫くはどこにも行けぬな」
眠そうに目を擦りながら、休むことなく筆を進める。
「太公望」
「……発……どうしたのじゃ?こんな夜中に」
迎え入れようと立ち上がったところを、抱きしめられる。
「発?」
「ったく心配させんなよ!俺……お前がもう帰ってこねぇんじゃないかって……」
「心配かけてしまったのう……」
「今はさ、武王とかじゃなくてよ……俺だから……その……」
「今度どこかに行くならば、おぬしに一声掛けていくよ」
「そうしてくれ……」
額に口付ける。
「なんでおれ、こんなにやっかいな女に惚れちまったんだろ……」
「わしに聞くな」
その後、目のやり場に困った四不象はヨウゼンの部屋で一泊することになり、
問い詰められて全て白状しざるを得なかった四不象の言葉にヨウゼンは苛立ちを隠せなかった。
翌朝、武王の特別稽古と称して天化と手を組み、その思いを力一杯ぶつける。
欄干に座り、太公望はそれを笑いながら見ていた。
「さて、仕事に戻るかのう」
腕の傷はもう、痛まない。
雨はまだ、静かに心に降り続く。
きっと止むことは無い。
消えることの無い、罪と罰。



                    BACK












Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!