◆世界で一番小さな空間◆







摺り寄せられる頬に少女は体を捻った。
小雨の降りしきる外はまだ朝の少し手前。
「ん……道徳……?」
ざらつく顎に指を当てて。
「髭伸びてるんだ……ざりざりしてる……」
まだ少し肌寒いと近くの温もりに縋り付く。
彼の瞳はまだ開く気配はなく、少女はその素顔をじっと見詰めた。
(髭伸ばしたらこの人、どんな風になるのかな……)
文殊広法天尊のように不精髭になるのか霊宝大法師のように立派に蓄えるのか。
いずれにせよまだまだ年数が足りないのは事実。
(道徳がそうなったら、ボクもちょっとは貧相なの変わってるのかな?)
ぺたぺたと頬を撫で回す手に青年の瞳がぱち、と開く。
まだ眠たげな光を抱えたまま片手で少女の両手を優しく拘束した。
「んー……何やってんだ?」
「道徳が髭伸ばしたらどうなるのかなって考えてた」
「髭?」
抱きしめて頬を摺り寄せる。
「やぁん、痛い」
「やべー……気持ちいいや……」
十代で止まった体躯と柔らかな肌は少女特有のもの。
残る幼さが愛しいと唇が重なった。
「髭伸ばしたとこの見たいのか?慈航みたいになるぞ」
「ううん。そんな風になったとき、ボクもちょっとは貧相なの治るのかなぁって」
胸板に重なる二つの乳房はぷるん、と弾く様。
括れた腰を手のひらが撫で上げれば僅かに細い肩が震えた。
「雨降ってんだな……今日は一日こうしてるか?普賢」
「そうしたいけども色々とやることもあるしね」
離れたくないという気持ちは、閉じた瞼に。
止まない霧雨は彼が帰ることを静かに制御して、彼女の味方となった。





原子炉の構図を書き取りながら少女は書類の山を次々に片付けていく。
雨はこれで七日目。
彼が白鶴洞で数えた朝も七つ目になった。
「お前は書類が好きだな」
珍しく座を組みながら宙に浮かぶ彼に視線を送って少女は首を振る。
「好きなわけじゃないけども、なんか回ってくるんだもん」
彼に来る仕事のほとんどは訓練か軍事関係のもの。
それぞれに適した用件を振り分けられているのが本当のところだ。
「髭、伸びたねぇ」
細い指が顎先をさわさわと撫で付ける。
ざらら…と引っかかる感触と恋人の視線に銀色の瞳がぱちん、と瞬く。
「おかしいか?」
「見慣れないのもあるけども、ボクは好き」
普段は着ないような短めの前垂服。伸びた足の眩しさと羽織った衣。
組紐の隙間から見える胸の谷間は視線を嫌でも奪ってしまう。
「あーあ……雨止んだら望ちゃんのこと行こうと思ってたのに……」
「俺も何だかんだ帰り損ねたな。まぁ、このままここに住むのも悪くはないんだけども」
瞑想もそれだけでは飽きてしまう。
彼女が寂しげにこの雨を見つめるならば。
少しでも楽しめるような何かがあれば良いと彼は頭を捻る。
「なぁ、普賢。お前さ前に紙を梳いてなかったか?」
唐突な言葉に少女は首を傾げた。
確かに暇つぶしで何枚か飾り紙を作ったことはある。
「うん。結構あるけども」
「あと、竹とかあれば良いな。紙、俺にくれないか?」
座を解いて彼は手早に竹を取りに納戸のほうへと向かってしまった。
筆を止めて箱の中に入れておいた紙を取り出す。
(紫陽花とかいろんなので作ったから、柄が多いんだよね……)
どれを彼に渡せばいいのだろうか。
紫紺の道衣と銀の剣の青年を思って作った一枚。
彼の住む紫陽洞を字として埋め込んだ花びらたち。
「!!」
臀部を撫で上げる手にぞくん、と体が震える。
「道徳っ!!」
「いや、いい尻してんなーと思って」
「元素まで分解されるのがそんなにご希望なら、いっそ人柱にでも……」
「冗談だよ。あんまり遅いから倒れてんじゃないかと思ってな。で、紙は見つかったのか?」
いわれておずおずと差し出す。
大き目の一枚折、あしらわれた紫陽花が美しい。
薄紅に散らされた花細工は作り手の心を写し取ったかのよう。
「んじゃ、作りますか」
「?」
「傘だよ。お前、傘持ってないだろ?壊れてからそのままだし」





竹を軸に彼は骨組みを揚々と作り上げていく。
無骨な手の中の鑚心釘が節々を削って滑らかに。
持ったときに恋人の指や手を傷つけないように。
この雨を楽しむことができるようにと祈りを込めて。
「飾り紐とかあるか?」
「あるよ。道徳の剣にって思って作ってたんだけども」
紫と緋色が織り成す陰影。
紙を張り終えて紐を組み合わせていく器用な指先に少女は溜息をついた。
「よし、ちゃんと開くかな?」
ぱさ、と小気味いい音を立てて傘はその目を開く。
仕上げにと瞳を閉じて仙気を込めた。
「暴風でも絶対に破けない」
「暴風のときは外に出ないもん」
「んじゃ、暴風の時に俺が倒れてたらどうする?」
「……紫陽洞まで行く……」
「強度も見た目も問題なし。あとは使うだけだな」
少女の手をとって傘を持たせる。
「重くないか?」
「うん。凄く素敵……ありがとう、道徳」
くるくると回せばそこだけに生まれるやさしい光。
小さな空間を満たしていく恋人の想い。






霧雨の中を歩く二つの影。
彼女の傘に入るには少しだけ彼は屈んで。
「水溜りに気をつけろよ」
庭先を少しだけ散策するだけでもこんなにも幸福感を得ることができる。
それは彼が隣にいてくれるから。
「もう一本あったほうが良いな」
「駄目。これ一個で良いの」
重なる視線がくすくすと笑う。
「もう一個あったら、こうやって一緒に入れないでしょ?」
この小さな空間は二人だけのもの。
君と並べるのならばこの雨さえも愛しく思える。
「そうだな……一緒に歩くんだったら一本あれば十分だ……」
君の肩を濡らす雨を、君は愛しいと呟く。
まだ幼い殻に包まれた少女は戦地へと赴かねばならない宿命を抱いて。
「傘があったら道徳のことまで濡れないで行けるね」
世界で一番小さな二人だけの空間を携えて、彼女は雨の道を歩む。
少し足元を気にしながら。
「ちっちゃいな」
「?」
「普賢がさ。まだこんなに小さくて細いんだよな……」
頭一つ分の背の違い。
彼と自分を隔てる時間の差という名の壁。
灰色の世界に降る銀の糸。君への小さな絶えざる光。
「ボク、そんなに小さい?」
「いや……これは俺の罪だ。子供に手を掛けた……」
君に触れるすべてを許せないと思ったあの日。
この心は同じように仄闇に染まっていた。
「子供じゃないよ。もうじき百にもなる」
言葉を塞ぐように触れ合う唇。
「道徳が髭が似合うようになったらボクだって子供じゃなくなるよ」
「そうだな、俺の言葉が悪かった。一緒に年をとっていけばいいんだ。俺だってまだ
 髭が似合うような男じゃないし」
手を繋いでこの優しい雨の中を歩こう。
少し冷たくなった指先を暖めあうようにして絡ませよう。
「傘、貸してくれ」
静かに手渡せば空いた手で彼は彼女を抱き上げた。
振り落とされないように首に手を回して、少女は彼に体を預ける。
「軽いな、ちゃんと飯は……食ってるよなぁ。お菓子だって食ってんのになんでこんなに
 細くて軽いんだろうな普賢さんは」
君が変わらず笑ってくれることが当たり前だと思ったことなど一度もない。
それは奇跡にも似ているような事実。
どちらかが思いあうことを忘れてしまえば関係なんてものは簡単に破綻してしまう。
恋は、努力なくして維持はできない。
「そろそろ戻るか。風邪引かれても困るし」
「うん」
「なぁ、普賢……俺はお前が俺の傍に居ることを当たり前だなんて思ったことは無いぞ」
「………………………」
「俺が考えるのはこの先もどうやったらお前と幸せになれるかってことで……お前と喧嘩したい
 わけでも泣かせたいわけでもないんだけどな。それでも、喧嘩するんだろうし、なかせる事も
 あんだろうし……極力無いようには努めたいが……」
彼の言葉にこぼれそうな涙を飲み込む。
「なんて言ったら良いんだろうな、普賢」
君を愛しいと思う。
ただ一つ、それが真実であればいい。
言葉一つで何もかもが伝わるわけではないけれども、それがなければ世界はあまりにも寂しすぎる。
「俺に髭が似合うころには答えも出てんのかな」
「そのころ、ボクも道徳に似合うようになってる?」
「今だって十分だ」
「あなたと一緒に老いて行きたいの。このままじゃなくて」
降り注ぐ霧雨のように。
時間はゆっくりと自分たちに降りかかっていく。
幸福なのは悠久を過ごすのが一人ではないということ。
絶えることの無いこの思いを抱いて君と二人で瞳を閉じて。





「道徳、お風呂出来たよ」
「おー」
のろのろと体を起こせば少女が腕に抱きついてくる。
「一緒に入ろうかと思って」
冷えた身体を寄せ合って暖めるには良いかもしれないが、ゆれるのは心と下心。
「俺が黙って何もしないでいると思うか?」
「思わないよ。そんなにボクは魅力無い?」
その言葉に上着の紐に手を掛ける。
唇の端に組紐を咥えて引き上げながら上着を剥ぎ取って。
乾いた音を立てて萌黄の衣が落ちて山を成した。
さらしの結び目に触れた指先。
「待ってって言っても聞かねぇぞ」
露になった乳房を掴まれて息が詰まる。
「痛いこと……しないで……」
銀色の瞳が男を捕らえて僅かに潤む。
逸る気持ちを抑えて抱き込むようにして唇を重ねた。
「俺のも……脱がせて……」
少女の指先がたどたどしく男の衣服を落としていく。
躊躇いがちに肌に触れては恥ずかしそうに離れる細いそれ。
裸の身体が二つ。
「どした?」
視線を落として少女は首を振るばかり。
(見慣れてるって思ったんだけども……可愛いとこあんだよな……)
膝抱きにして浴室の扉を蹴り上げて。
浴槽の中に並べば今度はおずおずと視線を上げてくる。
「肩まで浸かれよ」
「はぁい…………」
右耳の小さな飾りが星になって。
その星の名前を知るのは彼ただ一人だけ。
「なんだか違う人みたいだね」
咥え煙草が似合いそうな横顔に少しだけ見蕩れてしまう。
彼に近付きたくて煙草の吸い方を真似したりもした。
『好き』は言えるけれども『愛してる』は彼しか言わない。
もう少しだけ必要な時間の重み。
「明日あたり剃るか……そんなに伸びねぇもんだな」
恋しいと思い始めたのはいつからだっただろうか。
君をこの手に抱くたびに感じる暗い喜びの名前を。
「もう少し燻し銀のような男になってから伸ばしてもいいな」
「ボクは好きだけどね」
「ん?髭?」
「道徳のことが」
告白はいつだって唐突で意図せずに彼女は彼に囁く。
「逆上せた?顔真っ赤」
「……お前が赤くなるようなことを言うからだろ……」
片手で顔を抑えて何度も首を振る青年とそれをぼんやりと見つめる少女。
「道徳が素敵なおじさんになったら、ボクももうちょっと綺麗になってるかな?」
「そのころにはガキの一人位いるんだろうな。それはそれで楽しみだ」
見えない未来を形作るように。
この手はきっと存在するのだろう。
人の体に不必要なものなど一つもなく欠けていい場所などありはしない。
「やべ……本当に逆上せそうだ……って、おい!!」
向かい合わせで膝の上に座るようにして、男の体を跨ぐ。
すりすりと指先が顎先を撫でて頬に唇を当てた。
「ざらざらしてる。何か楽しい」
腰を抱き寄せれば二つの乳房が胸に触れる。
上唇を挟むようにして少女のそれが重なって離れた。
「湯当たりしても知らねーぞ」
両手で乳房を掴めば抱きつく細い腕に少しだけ力がはいる。
人差し指と中指が乳首を挟みこんで、きゅ…と捻り上げた。
「…ぅ……ん……」
耳に首筋に頬に。濡れた唇が幾度となく降って。
耳朶を噛んで舌先が触れれば毀れたため息が水面に波を作った。
左手が滑り落ちて腰骨を軽く小突く。
「……ァ…っふ……」
薄い茂みを撫で付けて指先が膣口に触れる。
焦らす様に何度か上下させてゆっくりと注入が始まった。
間接が肉壁を擦る度に零れる吐息。
もどかしげに揺れる腰を強く抱き寄せればぎゅっと閉じられる瞳。
「やー……あ!!…」
ぐちゅぐちゅと指が蠢けば襞が絡まるように包み込む。
小刻みな呼吸と耳に掛かる喘ぎ声。
「!!」
少女の片手を取ってそのまま下に滑らせる。
掌に感じる陽根の熱さ。
「…………んぅ……あッ…!…」
太茎に手を掛けて上下に扱き上げる指先。
直に感じる変化に耳の先まで真っ赤に染まりあがる小さな体。
「んじゃ、そろそろ戴かせてもらいますか」
片足を肩に担ぐように掛けてそのまま背中を抱く。
亀頭の先端が入り口に触れて一息に貫いた。
「手も良いけど、こっちには適わないから」
「…ッア!!馬…鹿…ッ!!」
ぎりぎりと軋む身体を抱かれて何度も何度も突き動かされる。
「馬鹿で結構。俺は元からお前に狂ってるからさ」
腰に手を掛けてぎりぎりまで引き抜いては深く繋ぎあわせて。
呼吸さえも封じるように噛み付くような接吻を繰り返した。
舌先は別の意思を持った生き物のように恋人の口腔を蹂躙する。
「まともになるつもりなんか毛頭ねぇ。それだけ覚えててくれ」
耳に響く声と至福感。
先に溺れたのは自分のほうだったのに。
「あ!!あぅ……っは…!!」
「俺の公主はお前一人で良いんだ。ほかの女が何で必要だ?」
こんなときにしか零れない彼の本音は嫉妬と狂気が入り混じったもの。
いっそこのまま二人で息絶えられたらどんなに幸福だろう。
自分たちは土に還る事も許されない。
ならば二人で一つになって朽ち果てたいと願うだけなのに、それすら適わない。
粘膜の擦りあう感触が人間を呼び覚ます。
この身体はもうすでに人でなくなって久しいというのに。
「……ふ…ぁ……ッ!!道徳……っ」
肩に顔を預けてしがみつく腕。
開かされた脚と絡まりあう二つの肉塊。
ただ二人交わりあうことしかできないまま。





ぼんやりと身体を冷やしながら少女はうつろな視線を傍らの男に向けた。
全身真っ赤に染め上げて息も絶え絶え。
「だから湯当たりするって…………」
「後悔などしてねぇ……俺はこのまま死んでも本望だ……」
「じゃあ、逝ってみる?」
「は!?」
「冗談だよ」
符印を間に置いて互いの身体を冷やす。
「そんなとこ見ると、あなたもまだ若いって感じはするよね」
「普段の俺はそんなにおっさん入ってるのか?」
視線だけを少女に投げやる。
男の手に重なる細い指も同じように赤く染まって。
「たまに、すごく遠い人に思えるだけ。こうしてると道徳だって分かるのに」
「…………………」
「置いていかれるのかな、とか……一人になっちゃうのかな、とか……考えないようには
 してるけども、あなたはボクよりも周に行けるからそれだけボクには時間が余っちゃって……
 分かってるのに、たまに分からなくなるの……」
ふらふらになった身体に一番似合うもの。
きんきんに冷やした清酒を仙気で呼び寄せた。
「お互い馬鹿なことばっかり考えちゃうから」
「頭を冷やせってことか」
「でも、波璃は一つしか持って来れなかったの。疲れちゃって」
時間の中に残された二人だけの空間。
自分たちは歴史を狂わせる罪人。
罪でも良い、今こうして存在して共有できるものがあるのならば。
「人間みたい、だね……」
「馬鹿言え。俺もお前も人間だ。それ以上でも以下でもないだろ?」
この罪に名前を付けよう。
自分たちを繋ぎとめる恋と言う名を。
「うん……そうだね……」
「あっちぃ……あ、まだ雨降ってんだな……」
「そうみたい。明日もこのままかもね」
「んじゃ、髭は雨がやむまで伸ばしてみるか」
「じゃあ、明日も一緒に傘で出かけられるね」
少しだけ未来図を描いて。
背伸びをして隣に並ぼう。




降り止まない雨。
晴れ渡るならば今度は虹を追いかけよう。






18:33 2007/05/08

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