◆メランコリニスタ◆





「前から思ってたんだけども、普賢って男の趣味は良いほうだよね」
雲中子の言葉に道徳真君が眼光を鋭くする。
「お前はいったい何を言いたいんだ」
「褒めてんのよ。玉鼎真人じゃなくてあんたを選んだところを」
物腰の穏やかで冷静さを主とする玉鼎真人。
迸る情熱と腕一つで勝負を掛ける道徳真君。
正反対の二人から差し出された手を、少女は一人だけ選んだ。
道徳真君を選んだ件は周囲を驚かせ一部の仙女の反感さえも生む。
それさえもひらりとかわして少女は穏やかに笑みを浮かべる。
誰もその笑みを打ち砕くことなどできないと知りながら。
「確かに、みんな玉鼎を選ぶと思ってたからねぇ」
頷くのは太乙真人。
同期の三人は何かと一緒にすごす時間が多いのは今も変わらない。
赤い唇が妖艶に笑っても、男二人は眉一つ動かさず。
砂を紡ぐ様な思いはいつの間にか彼女の心を動かした。





「普賢ーーーーーーっっ!!」
急降下とばかりに白鶴洞に降り立ってみたものの恋人の声は聞こえない。
そっと扉に手を掛けて邸宅に足を踏み入れる。
耳を欹てれば微かに聞こえる鼻歌と機械音。
覗き見るようにして視線を移す。
「だぁれ?」
うなじが午後の日差しを浴びて甘く誘う。
織り機を止めることなく少女は視線を返した。
「あなたの気配はわかるよ」
布地が織りあがる様子を見つめながらあれこれと考えても答えは見つからない。
紫紺と銀糸の混ざり合った模様にため息がこぼれるだけ。
「今、お茶淹れるから待ってて」
「いや、いいよ。それよりもお前肩とか痛くないか?」
首をこきり、と回すのは彼女の癖の一つ。
首を横に振るものの彼の目はごまかせない。
「んー……ちょっと……」
「背中とかなんかおかしい感じがしたからさ。おいで」
長椅子に腰掛けて少女の手をそっと取る。
親指で丹念に掌を揉み解すとその度にはぁ…と息がこぼれた。
「少し疲れてるな」
「んー……ちょっと忙しかったから……」
後れ毛が光を招く。
窓越しに差し込むこの暖かさはもうすぐ雪を引き連れてくる季節に。
「そういえば急にきてくれたね。どうしたの?」
「あ、うん。雲中子たちとお前の話になってさ。それであいたくなったから」
季節がどれだけ変わっても彼の根本は変わらない。
どんなときもまっすぐに見つめてくれるから。
少しだけ欠けた爪が心配で愛しいとこの先の季節を二人で思う。
遠く離れてもまた会えると知っているから。
「何の噂話?」
そっと彼の手を解いて少女は視線を重ねた。
「いや……お前が玉鼎じゃなくて俺を選んだのが不思議だって話……」
あまり得意な話ではないと瞳が翳る。
くすり。一笑して少女は恋人の手を優しく包んだ。
「変なの。ボクは道徳のほうが好きだったからってだけなのに」
痛む胸を抱いて眠った夜は数え切れない。
ため息などどこまでも積み重なって透明な空に消えてしまいそうなほど。
同じように彼女も焦がれてくれればよいのにとどれだけ願ったことだろう。
小さな刀傷を指先がなぞりあげる。
彼を傷つけるものから守りたいと少女は願い強さを見出そうとした。
それは何かを打ち砕くこともなく。
誰かを痛めつけるものでもなく。
己と向き合い彼の核となるものを誰にも侵させないための強さ。
「長い人生、あんまり難しいことばっかり考えると息が詰まるんでしょ?」
「そうだな……」
掌から感じる感情。
汚れた手を繋いで供に落ちていく覚悟を決めたあの夜。
「俺でよかったか?」
時折彼は悲しげに歪んだ笑みを浮かべる。
まるで何かに執り付かれているかのように。
「どうして?」
その唇も銀の瞳も抉り出してしまいたいほどに愛しくて。
嫉妬に狂いそうになる感情を飲み込んで噛み砕く。
全身を駆け巡り一本残らず神経を侵食していく黒い気持ち。
「!!」
細い頸に掛かる指先。
どくん。心臓が一瞬だけ早く脈動した。
けれどもまるでそれを知っていたかのように少女は静かに瞳を閉じた。
彼と彼女と二人だけが閉じ込められた真空の闇。
「締めないの?」
「………………………」
「このまま死ねたらボク、世界で一番幸せなままで逝けるね」
ほんの少し力を入れれば彼女の願いは成就する。
「道徳と一緒だったら幸せになれるって思った……あなたはお日様のにおいがするから……
 この人なら信じてても良いんだって……」
「………………………」
「気付いたらあなたに恋をした」
無色の世界を鮮やかに染め上げた彼女の唇。
接吻一つで凍り付いていた心が動き出す。
「あと恋は必要ないんだ。神様はボクに運命を人を与えてくれた」
頬にこぼれる暖かな涙。
「どうして泣いてるの?」
昨日までの悲しいことなどどこかへ捨ててしまおう。
「道徳」
苦しさを吐き出して、彼の感情をすべて受け止めるこのできるたった一人の存在。
「あなたがどんな姿になっても、どんな風になっても」
狂うならば二人一緒に。
「ボクはあなたと一緒に居る」
「ああ…………」
崩れ落ちる体を抱きしめて。
確かめ合うことしかできない二人でも。
何かを分け合う喜びを知ってしまった。
恋は苦しくて狂おしくて切なくて―――――――愛しい。






悲しいくらいに綺麗な星空に飾るならば悲恋がいい。
けれどもどうしてこの恋を散らすことなどできようか。
幸せは皆が欲しがってしまう。
だからこそ指の隙間から零れ落ちて消えていく。
「道徳ー、重いよ」
「やだね。どかねぇ」
「まだ途中までしか織ってないよ」
「嫌だ」
ぎゅっと抱きしめられて零れる笑み。
「お夕飯までには離してね」
「気が向いたらな」
「ボク、気は長いほうだから」
どうして出会ってしまったのだろうと考える夜よりも。
「普賢」
「なぁに?」
体温を確かめて生きているという確証を求めたい。
「愛してる」
「ありがとう」
それはまるで呪文のように心を縛り付けて。
彼は彼女の迷いすらもその力で粉砕してしまうだろう。
「なぁ、お前はどうなんだよ」
「どうかなぁ……ふふ」
彼女はだからこそ愛の言葉をささやかない。
彼の心をさらに縛り付けてしまう術として。
「まぁ……いいけどさ」
「大好き」
心の中に眠る獣をそのままに。
眠らせて手懐けて愛するように。
犠牲を払うように見えるのは彼女だろうか?
それとも本当の贄は彼なのだろうか。
「あったけー…………」
「冬も近いからね。早くあなたの冬着作りたいなぁ」



ささやかれる愛の言葉。
それよりも確かなひとつの接吻。
「珍しいな、紫紺に銀糸」
長衣を纏って彼はため息をついた。
恋人が織り上げて縫い上げたのは踊る竜神の姿。
「西のほうに住む雨の神様、久しく見てないけど元気かな」
「ありがとうな」
額に、ちゅ…と触れる唇。
男の手を取って少女はそれを自分の胸に当てた。
「こっち」
「ん?」
「ちゃんと抱いてて」
「?」
「ボクの心を」
見上げてくる瞳の艶やかさに何度心を討ち抜かれればいいのだろうか。
言葉よりも体よりも、その光が狂わせる。
独占欲にまみれた体を重ねあって何を感じあおう。
絡ませた舌先がまるで別の生き物のようにさえ思えるのに。
何度も何度も噛み付くような接吻を繰り返す。
この肩口の傷がいつまでも痛むように、罪は許されることをしらない。
肌に触れる手は滑るように蠢き、少女の体を蝕むように楽しむ。
浮いた肋さえ愛しさに塗れて可愛らしいと。
人形のような無垢の身体に愛欲を刻んだのはどちらの望みだっただろうか?
「あ……ヤだ……」
耳朶を噛む唇に男の胸を押しやろうと細い腕が抵抗する。
剥ぎ取られた上着が重なって小さな影を生む。
「……ここ、怪我してんな……」
「ん……どっかに引っ掛けたんだよ、きっと……」
細い指が男の手に掛かる。
「折角新しいの作ったのに……」
「じゃあ、脱がせてくれよ。お前の手で」
落ちていくならば二人で、どこまでもどこまでも。
ここに居ると確かめさせて。
「……ねぇ、お願いがあるんだけども良い?」
胸板に重なる柔らか乳房。
押しつぶされるようにその姿をやんわりと変えて、少女の存在を克明に。
「このまま少しだけ抱いてて」
「ん…………」
裸の身体を二つ絡ませてただ感じあって。
何度目かのあの日を思い出すように。
背中に回される腕と細い脚。
守られるべき存在は何よりも彼を守ろうとする小さな小さな光。
閉じ込めることなどできない示唆。
「あなたじゃなきゃ嫌だった。ほかの誰も知らないままでいい」
男の上に折り重なる頼りなく細い身体。
天窓から差し込む星明りがそっと翳りを作り出す。
「余計なことを考えなくていいように、ボクを完全にあなたのものにして」
「後悔すんなよ」
「しないよ。あなた以外要らない」
あのときに感じた夜の音は、彼とだけ分け合えればいい。
例えこの先、砂に朽ちる日が来ようとも。
「普賢」
「?」
「抱いても良いか?」
「どうして聞くの?」
「仙人は肉欲もっちゃいけねぇから」
「そうだね…………じゃ、ダメ」
指先が彼の唇をなぞって、意味深に離れる。
「んじゃ、もう一回口説き直すか」
「あ、それ楽しいかも」




胸の郷愁はやがて白い季節を連れてくる。
物語を繰り返すのは彼の唇。




2:12 2007/11/23

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