◆キャラメルミルクティ三杯目!!◆




冬の星を救うように手を伸ばして、この世界で。
時は流れて光に触れるかのように。
繰り返す景色の中で確かめながら進む小さな足。
濡らさぬよう、傷付けぬように君の傍にいようと決めた。
この思いがたとえ独りよがりでも、自分勝手なものでも。
君が痛いと感じなくなるまで君を抱きしめるように。
そのうちに君は痛みを忘れてしまうように。




傘に降り積もる雪を払いながら少女は静かに手をかざす。
目指すのはここより少しばかり離れた場所。
くるり、くるり。白の中に浮かぶ藍のそれ。
長靴さえもどこか愛らしい乙女十七、雪道を行く。
「こんにちは」
扉を二度ばかりたたけば男の声がそれに応える。
「よく来たな。寒かっただろう?」
「そうでもないよ。本、ずっと借りたままだったしね」
「頬が冷たくなっているな」
黒髪が空気を裂くように静かに揺れる。
「冬だからね」
「暖めてやりたいが、お前はそれを認めてはくれないだろう?」
玉鼎真人の言葉に少女は苦笑する。
「ボクじゃなくて、あの人は認めないだろうねぇ」
「脳味噌まで筋肉のような男を選ぶ必要もなかっただろうに……あがって茶でも飲んでいかないか?
 今日は何も手出しはしないぞ」
「中に薬とか入れてもすぐにわかるからね」
「ああ。この間、慈航がそれでお前から半殺しにされたのを聞いてるからな」
この穏やかな空気を愛しいと思うのと反して、彼女の恋人は穏やかではないだろう。
撓る弓矢のような肢体の十七歳。
花に触れるなとは酷な事。
「慈航は大丈夫だよ。道徳と同じだもの」
「あれも昔、お前を好いていたと思うが?」
襟足でぴょこん、と跳ねる銀の髪。
雫が零れ落ち、今が冬だと告げてくれる。
「気のせいだと思うよ。きっとあなたも同じでしょう?」
黒髪はこの冷たくもやさしい空気をそっと切り裂く。
「男は皆、同じ。きっとあなたもあの人も……望ちゃんがよく歌ってる」
重なる手。
皮膚の下に隠された感情を見抜けないほど純情でも初心でもない。
頬に触れた手がくれる安堵感。
唇が重なっても瞳を閉じることなく彼女は男を見つめた。
「強かだな」
「か弱い女はあの人は好きじゃない」
「あれと私の女の趣味が同じだと悔やんだのはいつからだろうな」
「あなたを好きになればもっと苦しい思いをしたのかな?」
「馬鹿なことを。私ほどお前を愛するものもないだろうに」
「同じことを、毎晩聞いてるの」
耳を支配するその声は呪文のように愛をささやいてくれる。
決して離れられないように。
「がさつだとは思わんのか?」
「思うよ。お洗濯もお掃除もしないし、ご飯だってあんまり作れないし。美人見るとでれでれ
 するし。あーもう本当に……どうしてボクはあの人を好きなんだろ」





些細な言葉ばかりが気になって前が見えない。
君を思うことよりも嫉妬と余計なことばかりがこの目を覆う。
触れられないだけで増えていくこの不安。
ただただ君の肌が恋しい。
「男はみんな同じ、きっとあなたもそうでしょう♪」
くるり、くるり。傘を回しながら少女は一足ごとに進み行く。
この冬の冷たさは春への序曲だと知っているのに。
「神様、わたしは穢れてなんかいません♪」
そう思えたのはいつまでだったのだろうか。
いつの間にか見なくていいものが見えるようになってしまった。
いっそこの瞳を抉れば幸福は訪れるのだろうか。
あの人の瞳と同じ色の優しい闇に包まれるように。
「……逢いたいなぁ……どうしてこんな時に逢えないのかな……」
恋人は五行業のために、封印牢で業火に包まれる。
何もできないままただ彼を待つだけ。
「ただいま、って言っても誰もいないもん」
彼のにおいがする、彼のいないこの場所。
「……寂しくなんてないもん……ずっと逢えないわけじゃないのに……」
いつからこんなに彼は自分の中を占領していたのだろう。
空気のような存在、それは失えば死を意味する。
この世界を美しいと思わせるその笑み。
その下に隠された感情も含めて彼を愛しく思うのに。
こんなにもあの人の欠片に埋もれて。
「あぁ……なんて悲しいんだろ。なんて言ってみたりできれば可愛いのにね」
ため息ばかりが綺麗だと思える。
さよならばかりの人生など何を望めばいいのだろうか?
「本当に、どうしてボクはあの人を好きになっちゃったんだろう」
傷を負うことなんて怖くはない。
怖いのは傷口から広がる腐食。
「あの人はどうしてボクを好きになってくれたんだろう?」
空蝉のようなこの感情の行方。
この胸騒ぎの原因をどうしても知りたい。
砂のように崩れて眠り、このまま腐ってしまえればきっと至福感に満たされる。
躯を取り、頭蓋に甘い接吻を彼はくれるだろうか。
そんなことを思いながら何度も何度も夢を見る。
「…………おい、なんで俺んちに普賢が転がってるんだよ……」
くたくたになった体を引きずって彼は彼女を探しに行ったのに。
大事なものは近くにありすぎてこの有様。
「ったく……白鶴洞までいったのに、俺んちってさ……」
不精髭もそのままに、ただ君に逢いたくて。
ざらり、頬に感じる小さな痛み。
それが彼女を現世に引き戻す。
「……道徳……?」
「帰ってきてみれば俺んちで普賢が転がってた」
膝抱きにされて、指先で道衣をきゅっと掴む。
伸びたつめが物語る時間の流れ。
「ひっどい……ぼろぼろになってるね……」
「風呂もはいれませんから。これから入るけどな」
しがみ付く様に抱きついて彼の胸に顔を埋めて。
獣染みたその匂いで生きてると教えてほしい。
「普賢?」
かかる息が、声が、伝えてくれる大切なこと。
「道徳……」
訳も無く零れる涙に見つけたもの。
「おかえりなさい……っ……」
言いたいことはいつだって喉の奥で潰れてしまう。
君に届くことの無いこの叫び。
いつしかそれは体の隅々まで侵食して、彼女の心を支配していくように。
「ただいま」
触れる唇が焼けるように熱い。
接吻ひとつで胸が苦しくなる相手は彼だけだというこの事実。
「もっと……」
唇を噛み合うような獣染みた口付け。
呼吸すらできないように。
細胞の一つ一つに君の名を刻み込んでほしいと願う。
「泣くなよ」
「だって……だって……っ!!」
この声にならない思いを君だけが感じてくれるから。
この世のすべてよりも幸福だと思えるのはきっと勘違いじゃない。
「ほれ」
「?」
「一服するか?ただし、お前は一本だけな」
紫煙を吸い込んで肺腑を満たす感情と重み。
壁に凭れるように寄り添って触れ合った肩先。
「そういえば、あなたが煙草を吸ってるのってなんだか不思議……」
隣の恋人が静かに煙を吐き出す姿をぼんやりと見つめる。
「元々、俺の煙草だったんだけどな。天化のあれは」
「ふぅん……」
敷布に残ったあの香り。
彼は眠る自分の隣で静かに煙を燻らせていた。
時折感じる苦い接吻。
肩を抱いていた手がそっと頬に触れた。
そのまま静かに引き寄せられて。
「適度に幸せになろうぜ、普賢」
「……………………」
「五行の後の煙草はうめーな。しかもお前までいる」
「……………………」
「先のことなんてわかんねぇけども、俺はすげぇ幸せ。普賢がここにいるから」
「うん…………」
苦いはずだった口付けも甘くて甘くて、泣きそうになる。
「俺は風呂にはいって、普賢は爪切ってだな」
「爪?」
「さすがにそれで引っかかれたら痛ぇかな。ははは」
「そうだね。きりやすいように一緒に入ろうかなぁ」
「賛成、大賛成!!んじゃ、行きますかっ!!」



窓辺に並べた雪兎二匹。
幸せは案外近くにあると再確認した冬の日の出来事。
泣いて笑って喧嘩して。
ふたりで幸せになろう。




1:09 2008/01/30

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