◆メルト――月時計――◆






「何作ってるの?」
「傘だよ。日傘じゃなくてな。冬には必要だろ?」
珍しく道具一式を並べて、朱色の糸を男は手にする。
おおよそ彼女が身につけることのない色を彼はあえて小道具として使うことが多い。
「傘持ってる。前に作ってくれたじゃない」
一つの傘に二人でいられる方がいいと呟く唇。
隣に座らせて彼は彼女の頭をそっと撫でた。
「俺のだよ。白鶴洞(ここ)に来るまでに吹雪を抑えられるように」
紫陽洞と白鶴洞はお世辞にも近い距離ではない。
「ま、自分のだから適当でも良いんだけどよ。紙さえしっかりしてりゃ。ここなら
 お前がいろんな紙持ってるからさ」
「ボクが選んでも良い?」
「任せるよ。俺にはそういう才能がない」
朱糸も魔除けだと笑う彼は、災厄すら受け付けない仙人だというのに。
少しだけ背中を丸めて糸で軸を括る姿がやけに愛しい。
「どれにしようかな」
耳の先まで冷たくなる季節。
吐く息の白さに肩掛けを巻いて胸元を蝶の金具が留める。
深緑や藍をいつも選んで彼の服を彼女は作る。
(黒髪だから、もっと鮮やかな色でも似合うんだよね)
押印を鷲にする青年にどれが一番に似合うだろうとあれこれ考える。
(朱塗の傘も素敵かな。でも、どれがいいだろう……)
桜を織り込んだ銀鼠の一枚。
春を思う季節には良いかもしれないとそれを取りだす。
これならば朱糸とも組み合わせは悪くはないだろうと。
「道徳、これ」
「お、普賢色だな」
「え?」
「この色、お前の髪と目と同じだろ?だから」
屈託なく笑う顔に耳まで今度は真っ赤に染まる。
「な、ば……馬鹿っ!!」
「そう赤くなるなって。どれ、んじゃ貼りますかね」
ぱちん、ぱちんと軽快な音が室内に響く。
完成した傘に仙気を込めて雪も病魔も遠ざけるようにと。
「ちょっと大きいんだね」
「俺に合わせてるからな。お前と太公望だったら丁度良いくらいか?」
「ボクも作ってみたい。望ちゃんに」
「ん?じゃあ、材料もあるからやってみるか?」









作り上げた傘は新緑と浅葱を織り上げた。
飾りには小さな銀の花。
合わせて組み紐も糸も誂えれば世界に一つだけのものに。
「喜んでくれるかな?」
慣れない傘作りで彼女の指は傷だらけ。
白い肌に滲んだ血と欠けてしまった爪。
「そうだな、上手にできてる。これなら雪の日だって軍師業は休めないな」
自分から動けることはそう多くはない。
帰還予定の愛弟子に彼女は傘を託すだろう。
「雪降るかな。降ったら寒くなるね……」
その傘にだれを招けば恋に落ちる音が聞こえるだろうか。
きっと「仕方がないから入ってるやる」と言いながら誰かが彼女の隣に立つのだろう。
「寒いのはいいな。普賢とくっついてられる」
過去が恋しく切ないのと同じように、溶けてしまいそうなこの気持ち。
「寒くないとくっつけない?」
「大義名分があるほうが面白いだろ」
頬を撫でる手に、くすぐったそうに片眼を閉じる。
彼女の銀眼は呪われた色として人の世では倦厭されてきた。
破邪の色となるその鮮やかな光を綺麗だと言ったのは、彼と親友たる少女だった。
「明日は玉虚宮に行かなきゃいけないんだ。序に書庫から持ち出そうかな」
「んじゃ、俺は本を持ちますか。普賢の手は小さいからそんなに持ってこれない」
強制転移を使役することもできるが、彼女はそれをしない。
たとえ帰ってしまうとわかっていても彼の気持ちが嬉しいからだ。
彼を見送って傘を抱きしめる。
どんな風に親友は笑ってくれるだろうと考えながら。
更け行く夜に寒さはましても心だけは不思議と温かい。
明日になればまた会えるからと瞳を閉じた。






紅葉も散り、閑散とし始めた景色を塗りかえる白銀の雪。
まだ少しだけ早いと彼女は肩掛けを軽く直した。
「普賢真人様、珍しいですね宮にお越しとは」
「呼ばれたからね。少し借りていこうと思って」
書庫の番とは旧知の仲。
見事な蔵書は読みつくすまでにはどれだけの時間がかかるだろう。
その中の一冊を取り出し、表紙の埃をそっと払う。
静かな書庫内で囁かれる言葉。
銀髪銀眼の災厄が此処に居る、と。
少しだけ悲しそうに俯いていのはきっと昨日までの話。
この銀色が綺麗だと言ってくれた人がいるから、きっと明日は楽しくなるでしょうと。
「何か召喚でもなさるんですか?」
「そうだね。土着神でも呼び出してみるよ」
人神召喚はそれなりの道士ではできない。
つまりは彼女は名のある仙人だということの証明だった。
「白鶴洞は捕まえやすいですか?」
「それなりにね。金庭山には負けるけども」
「次のお休みにお邪魔しても良いですか?」
書庫から動くことのない青年の言葉に少女はきょとんとする。
「それまではここを片づけながら師表への言葉を知らない道士達をちょっと教育しましますので。
 ほら、あなた方もご挨拶なさい。こちらが師表十二仙が一人、普賢真人さまですよ」
話だけには聞きかじる数十年で大仙に上りつめた少女。
噂のその人の姿を知る者は少ない。
「まったく。銀眼は災厄を撥ねる色なのにそんなことも知らない書庫人なんて!!」
「気にしないで。この色を好きだと言ってくれる人もいるから」
眼鏡姿の青年は伸びた髪をゆるやかに結ぶ。
裾に刻まれた刺繍の道衣は彼の階位を物語る。
「ああ、もう……この間は文殊さまと道行さまにも。道行さまは確かに全身を包帯に包まれて
 ましたが、あの独特の仙気。本当に、本たちが生き返ります」
崑崙には妖怪からの仙人も少数ながら存在する。
彼もその一人で清しい気を持つ仙人が書庫を訪れることを好む体質だった。
「お、もう借りる本決まったのか?」
手に傘を持って太陽のように笑う彼の姿。
「うん、あそこの一山」
「んじゃこれと交換な」
傘を手渡して、書物を紐で括って行く。
滅多なことでは書庫には来ない青年に、書精はにこりと笑った。
「これはまた本たちが喜びそう。ここ最近、快晴の日がありませんでしたから、空気が
 湿っていて。まさか道徳さまがいらっしゃるなんて。ああ、そういえば先日はモクタクが
 来ましたね。普段来ない人の気は本当に良い」
「本当?あの子もちゃんと本を読むようになってるんだね」
愛弟子を褒められれば嬉しく、出掛けに預けた傘もきっと届いているころだろう。
「んじゃ行くか」
「うん」
触れた右手が震えるのはまだ恋に恋する気持ちだから。
恋は嬉しさも苦しさも彼女と彼に与えてくれた。
いつもは付けない髪飾りが今日の恋人をぐっと可憐に変えてくれる。
(うちに着いたらまた離れちゃうね……)
ほんの少しなのに離れてしまうのがつらいから。
この手を繋いでどこまでも歩いて居たいのに。
(離れたくないな……)
胸に隠した思いを冬空に乗せればきっと雪に変わるだろう。
「普賢?」
「離れたくないなって思ってた」
だからせめて家路くらいはいつもよりも寄り添って。
「だな……」
「あ……雪……」
掌で溶けていくこの冷たさ。
だからこそ温かさを知れるのだと彼が呟いた。
どうして彼だったのだろう?
そうして彼でなくはならなかったのだろう?
同じ顔をして同じ性格の人間が居てもきっと彼を選んだ。
「ん?」
「ううん。今すぐね、ぎゅーってしてほしいなって思ったの」
「あ、え?」
「なんてね」
冬を映した銀色はどこまで透明に見えてしまう。
間違いだらけの恋でも恋には変わらない。
「へいへい」
粉雪が砂糖のように甘いのはそれは恋人たちの上に降り積もるからだろう。
「こんな人も殺せるような本、俺は読めねぇ」
並んで歩くだけで爆発しそうな恋心。
「あ、太乙」
「おー、珍しい。ひきこもってねぇ」
二人に気が付いたのか太乙真人がこちらに向かう。
「ひどい言い草だ。まるで僕がひきこもりみたいじゃないか」
丹薬の材料を籠一杯に抱えて太乙真人は首をこきり、と鳴らした。
薬師としての腕はいいのだが、実験のほうを重視するせいか依頼は少ない。
「道行が熱出したから薬を作ろうと思って。道徳は風邪引かないからねぇ」
人差し指でこめかみあたりに円をくるくると描く。
「馬鹿は風邪引かないって言いたいんだろ?」
「けど君はそれだけじゃなくて丈夫だ。体が強いってのは誇れることだと思うよ」
金属は冷気の弱い。ナタクは試験型の道行を改良した汎用型といってもいい。
ただ少し強くしすぎたとは彼が呟く言葉。
「道行もナタクも僕を困らせてくれる。けど、僕はそれが少しうれしいんだ」
痛いほどそばに感じられるように。
この深々と降る雪が綺麗だと囁く唇と吐息の白さ。
「普賢、森の熊さんには御用心だよ。最後にはお嬢さんを……」
「熊さん?」
「ま、いいんだけどさ。寒いから早く帰ったほうがいいよ」
ひららと手を振って消えてゆく背中。
「白鶴洞まで運べばいいか?」
「うん」
一片、頬に触れる雪にこの思いを重ねれば。
何度目かのこの季節を二人で迎えることの意味を知る。
頼りなかった少女はずいぶんと強かになった。
「傘、貸して」
「おう」
符印を収束して傘を手に、一つの小さな空間に二人だけ。
「道徳って何でも作れるよね。羨ましいな」
「文殊のほうが器用だぜ。この間も月時計を貰ったんだ」
「月時計?」
「うち来るか?置いてきちまったから」
見上げてくる潤みがちな瞳は冬の色。
その背に羽があったとしても絵になるだろう。
「うん。見たいから行く」
さくさくと踏みしめる雪の小道は、切なくなりたければ一人で歩けばいい。
その白をもって幸せになりたければ二人で。
凍るような寒気があるからこそ訪れる春の暖かさをしる。
一人だったから誰かのやさしさを感じることができたように。






銀皿の上に仕組まれた針は逆に時を刻む。
頂点ですべてが重なる瞬間に生まれる立体の望月。
月光を霞ませる雪もこれにはかなわない。
「可愛いねー。文殊は本当に何でも作るね。うちにも貰った壺とかいっぱいあるもん」
「あのおっさんは薬師だからな、元々。禁断の薬作って仙界に来たんじゃなかったかな」
妙薬を作り上げた彼は人ならざるものを見るようになってしまった。
そしてついには彼が人を辞めてしまったのだ。
「俺も初めて会ったときは化け物染みてると思ったぜ」
「道徳は文殊のところで修行したの?」
「いいや。俺の師匠は俺が仙号取ったころに天寿を全うした」
「そう……」
くしゃくしゃと銀髪を撫でる大きな手。
「モクタクはそこそこまじめだから仙号も取れんだろうけども、天化はなぁ……
 あと何千年かかるんだ……」
「天化だってしっかりしてるよ。あの若さで道士になるんだから」
「一番才覚があるのを選ばせてもらった。時期を逃して黄飛虎を拾い損ねたからな。
 でも……息子は親父さんよりも爆弾だ。鍛えればもっと強くなる」
頬にかかる手のひらにわずかに閉じる瞳。
「喉渇いたろ?いい酒があるぞ」
花は杯、鬼も殺せそうな強い雫。
飲み干せば悪鬼にもなれれば、百鬼夜行の先頭にも立てそう。
「美味しい」
ほんのりと染まる頬は薄紅。冬に一筆足りない色香。
「見た目によらず辛口が好きだもんな、普賢は」
男の腕に手を掛けてそのまま唇を重ねる。
不意打ちに目を閉じることもできずにただされるがままに。
「……っは……」
唇を噛み合って生まれる眩暈を飲み込んで。
降りてくる夜の尻尾をしっかりと捕まえて今宵は貴方のために。
「どうして?」
「……雪に当てられたかなぁ……あーもう、どうしよう」
摺り寄せられる頬の柔らかさと布越しに触れる乳房の甘さ。
「お風呂だってはいってないし、道徳は髭伸びてるし」
「……そりゃどうも」
「どーしよう……大好きで困っちゃうなぁ……」
ため息交じりの唐突な告白は胸を射止めるには十分すぎた。
時間を重ねても季節を重ねても慣れることなく膨れ上がるこの恋。
「何でも困るんだろ?」
「そーだよ。いっつもひどい言われようなんだから。普賢真人は毎晩紫陽洞に通い
 詰めてるって……ボクがここにくるのなんかそんなにないのに」
頬を膨らませて彼女は続ける。
「慈航とかもひどいんだよ。不道徳と負けん気って言うんだもんっ」
「……あの野郎……今度あったら空中飛び膝蹴りだ……んでお前は何て言ってんだ?その時」
「一人身で可哀相」
「留め刺すなよ……俺、今少しだけ慈航に同情したぞ」
ぎゅっと抱きついてそのまま押し倒す。
覆いかぶさる少女の肌の暖かさ。
「いーんだもん。何言われたって。ボクは道徳が大好きだもん」
滅多に見せないその心。冬の魔法と心を開放する月時計。
「ありがとうな、普賢」
「髭、痛い」
「あーもう、お前は本当に可愛いなぁ」
幸せすぎて死にそうだと思う反面、まだまだ死にたくはないと思う。
冬の寒さも二人で過ごすには悪くない趣だ。
「明日、でっかい雪兎作ってやっからな」
「本当!?」
「ああ、すごいの作ってやるよ」
指切りをする小指が少し悴んでも。
すべて溶かしてしまうこの恋心は消せやしない。
何度も何度でも君の願いをかなえるために。




深々と降り積もる雪の趣。
今宵は華の盃、絢爛たるはこの恋と。







19:19 2008/11/24






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