◆ハッピーピープル◆
白を落とせば墨に美しく円が溶けていく。
染め上げた糸を柔らかく紡いで何を作ろう。
(雪……凄いなぁ……望ちゃんの所も降ってるよね……)
月に叢雲、花に風。往々にして月日は光陰の如し。
完全なる複製の羊でもいれば材料に困ることなどないだろう。
ここ数日太陽は隠れたまま、静かに白銀の世界を見守る。
白鶴洞は比較的雪は少ないにしても、暖房は必要不可欠だった。
「よし、あとは編むだけ」
銀眼に灯る小さな決意。
作り上げた大量の毛糸の前で編み棒を取りだす。
器用に糸を絡ませて鼻歌交じりに進めて思うは離れた恋人を。
(ボクだって一応女なんだから、これくらい作ってみせる)
事の発端は彼の小さな言葉。
親友との会話をたまたま聞いてしまったことだった。
愛弟子の報告書を始祖に渡し、回廊をゆっくりと歩く。
飛び散る紅葉が綺麗で差し込む光の赤に目を細めた。
肩の出る彼女の道衣では寒さには耐えらなくて誂えた紺の肩掛け。
胸元結ぶ組紐に見せる乙女心十七歳。
「まぁ……意外と男っぽいところもあるぜ」
聞こえてくる恋人の声に思わず身を隠す。
道徳真君と並んで歩くのは慈航道人。同じ十二仙に在籍し、ともに親友と認め合う間柄だ。
「普賢って顔だけみると綺麗だと思うけどな。けど、お前の趣味じゃないだろ?」
彼の過去は気にしないつももりでも、知らないことが多すぎる。
埋められない昔の記憶に自分を存在させることはできない。
「前はな。趣味変わったんだよ」
咥え煙草は彼が穏やかなときに見せる小さな癖。
「あんな核爆発食らってまで一緒に居たいもんか?」
「慣れだな。核融合をかわすために俺も修行したんだ……今なんかはいいけども、昔は
あいつも抑制できなくてしょっちゅう大爆発だったぞ。俺、まだ背中に傷残ってんもんな」
「爆発じゃんなくて、爪の痕だろ?」
「それも消える前に新しいの出来るからな。痛いっちゃ痛いがそんなに気にはなんねぇ」
そう言われれば少しだけ痛む胸。
まっすぐな愛情に慣れなくていつも目をそらしてしまう。
右耳の飾りがほんのりと熱くなるほど苦しく思うのに。
「俺はあいつが良いんだ。独り身には堪える話だろ?」
「うらやましく思えねぇのは何でだ?」
頭の後ろで手を組んで、慈航道人は訝しげに。
「この上着とか普賢が縫ってくれたんだぜ」
「んなもん誰だって出きんだろ。お前は見た目がさわやからしいから今だって仙女とか
女道士にもてるもんな」
その性格もあいまって彼は比較的、異性に好印象を抱かせる。
わかっていても聞かされれば痛む胸。
仙人として大成するならば女であることを捨て去る。
慣習に従って彼女も着飾ることをしない。
「あの服は色気ねぇよな」
「…それは否めないけどな……脱がしにくいし……」
「脱がしにくいのか?」
「金具一個とると一個くっつくんだ……ジジイの罠としか思えねぇよ。上から覗けば
乳だって見えそうだしよ。谷間なんかくっきりと見せられてみろ。俺だって我慢
できねぇのに若い道士連中が我慢できると思うか?毎晩おかずにされる身になってみろ」
「……俺、普賢の性格知ってるから……悪ぃ、普賢じゃ抜けねぇ……」
揺さぶる道徳を制して。
慈航は咳き込みながらも煙草を取り出す。
「大体、あいつの説法のときだけ出席率が以上に高いんだぞ!!」
「命知らずがまだいるんだな。見た目小奇麗だからか?ま、確かに乳はでかいけどな」
二人の話題は目下自分のことばかり。
居た堪れなくて離れればいいのにそれもできない。
「道行も出席率が以上に高いよな。それだけ仙女は貴重だけどよ」
二本目に火を点けて二人で石段に座り込む。
色香の強い道行天尊は触れれば確実に墜落死。
それでなくとも難攻不落の金庭山は知らないものはいない。
比べれば普賢真人は危害を加えなければ物腰も穏やかだ。
白鶴洞に用向きがあって尋ねれば丁寧に持て成してもくれる。
「普賢だったら迫ったら断りきれないからやれそうとか考えんじゃねぇの?」
「そう見られたんだろうな。ぱっとみ大人しそうだから」
襟足ではねる銀髪はうなじの甘さを引き立てる。
入山したての道士は彼女が師表の一人だと知る由もない。
「よそに振りまく色気はあっても、お前にはねぇんだろ」
「ああ。いいっちゃいいんだけども……あんまり馴れ合いすぎてんのかもな……」
甘えあう関係はいい結果をもたらさないことは重々知ってる。
ここのところ当たり前のように逢瀬を重ねてきた。
(もうちょっと……可愛い格好しよう……)
ちくちくと痛む胸とため息。
この思いをつぶれるほど抱きしめれば膨らんだ胸が恋を叫ぶ。
一度くらい、世界で一番可愛いでしょう?と彼に言ってみたい。
とぼとぼと帰り道、足元を濡らす枯葉に重ねる思い。
鏡に映る貧相な肢体にこぼれる溜息。
綺麗な顔の男の子だねと言われたこともあるほどに、彼女は仙界の掟を守った。
(せめて、少しでも可愛くなりたいな……)
朝、目が覚めて一番最初に彼の顔が思い浮かぶほどなのに。
(黒髪だったらもっと可愛いのかな?)
それでもこの銀眼はどうしようもない。
(ああ、どうしよう……)
思うほど溜息、俯いて見え隠れするその憂い。
両手で頬を押さえてもこの夜が途方に暮れてしまう。
耳まで赤く染まるほどの恋も眠れない真夜中も。
近付く冬の足音に触れた睫が悩ましく伏せられた。
編み上げた肩掛けは普段使うことのない柔らかな緋色。
留め金に選んだのはそれにあわせた花の形。
銀髪に止まる蝶は耳元にも。
少しだけ潤ませた唇と薄化粧で戦闘準備は万端だ。
(よし!!今日のボクは可愛いんだ!!)
言い聞かせるように鏡を見て。
小さく握り拳。駆け出す思いを飲み込んで扉を開いた。
雪の上に着けられる足跡は兎よりも可憐ならば。
恋は何よりも少女を美しくする魔法に違いない。
照らす月を味方につけて誰にも負けないと呟いて。
扉の前で立ち止まってもう一度呪文を掛ける。
爪の先まで染め上げて誰にも負けないはずなのに。
(前髪、跳ねてないよね?おかしくないよね?)
震える左手が扉を叩く。
聞こえてくる声に高鳴る胸。
「ん?どうした?」
「……あ……ぅん……」
耳まで赤いのにどうか気づきません様にと祈る気持ち。
「風邪引くだろ。早く入れよ」
いつもよりもずっと可憐な姿に。
「……それ、似合うな……」
「本当?」
「ん」
髪を撫でる左手に呼吸が止まりそうになる。
自覚してしまった恋に苦しくて泣きそうになった。
「あの、ね……」
手を伸ばせば届く距離に、どうしたらいいかわからなくて。
いつもよりも下がる視線に見え隠れする彼女の気持ち。
「冷たくなってる」
後ろでぎゅっと拳を作る。
彼の手がそっと頬に触れて―――――もう一度恋に落ちる音がした。
(なんか……やけに可愛いな……)
切なげに閉じられた瞳。
(やべ……これは本気で可愛い……)
その手にそっと指先が重なる。
「そ……そうだ!!酒でも!!」
思い余って体を離そうとして、後ろに倒れこんでしまう。
そのまま彼女も覆い被さって二人一緒に崩れ落ちた。
「ってぇ〜〜〜〜っっ!!」
激しい音と痛む後頭部。
「だ、大丈夫!?」
心配そうに覗き込む大きな瞳に、心音が高鳴る。
その声が恋を唐突に呼び覚ました。
伸びた手が背中を抱き寄せてぎゅっと包み込む。
布越しに重なった体温と心音に胸が苦しい。
「なんか……やけに可愛い……」
「……本当……?」
たった一人のためだけに飾られた姿は何よりも魅惑的だから。
自惚れていいのならば自分が一番に愛されてると叫びたい。
「すげー、どきどきする」
「……少しくらい……可愛くなれればって思って……」
「うれしくて死んじまいそうだ」
触れるだけの口付けなのに、眩暈がしそう。
「やー……ん……」
耳に触れる右手が熱く感じてこぼれる声。
雪の中彼女はどんな思いでここまで来てくれたのだろう?
頬にかかる甘い息に強く小さな体を抱きしめる。
恋は苦しくて息もできなくて劇的に世界を変えてしまう。
「……あのね……」
「先に俺に言わせてくれ」
「?」
「お前のことが好きだ、普賢」
ずきん、と胸が言葉を反芻して。
「ボクも……君のことが好き……」
呼吸を分け合うような甘い甘い接吻に失神しそうなこの心。
髪に差し込まれる指にぎゅっと瞳を閉じて。
頬に、耳朶に、首筋に降る唇。
この浮気な仙界で恋に落ちた。
眠れない夜を抱いて思うは君のことばかり。
「……苦しい……」
「あ……きつかった……」
「ううん、君の事を考えてたら」
本物の核融合はその一言。
木っ端微塵に砕かれて再生不能の感情。
涙ぐむほどに潤んだ銀眼はこの世のものとは思えない魔力を帯びた。
今宵彼女に勝る可愛らしい毒婦は存在しない。
いつもの大人びた風合いはどこかに行ってしまった。
繰り返す接吻でもう一度恋を確かめ合って。
馴れ合いなど瞬時に打ち砕いた魔弾はまっすぐに胸を射抜いた。
「ボク……どうしたらいいんだろう……」
「そうだな……俺も一緒に考えさせてくれ……」
縋る様にしがみ付く小さな身体。
脆弱な感情などもう無くしたと思っていたのに。
閉じ込めた嫉妬は業火となってこの身を焼き尽くす。
紅蓮に包まれた思いは彼をゆっくりと狂わせる。
「お前に近付く男は、俺が殺す」
耳元に深く沈むその声が愛しい。
「どうして?」
「新米道士がお前に向ける視線を見ると、目玉抉り出してやりてぇんだよ」
覗き込む双眸とわずかに開く薄い唇。
「っきしょ……俺の女に指一本だって触らせるもんか」
「怖いこと言わないで」
ちゅ、と頬に触れる唇。
「怖いか?俺が」
この地で指揮の喜びと彼を知った。
怖いのはそれを失うことを考えてしまうこの心。
「飲み込まれそう……」
甘えるように寄せられる頬の柔らかさ。
深々と積もるこの雪の中、二人で墜落死でもしてしまえれば極上の幸せだろう。
「貴方が火の使い手じゃなくてよかった」
起き上がることを拒絶して二つの暖かさを一つに束ねた。
思いを届けるためにどこまでも走って。
この手を君が引いてくれるのならばそれがうれしくて死にそうになる。
「迷ったんだけどな……でも、俺は剣士になった。燃燈みたいにはなれない」
「貴方の剣は曇らない。道徳が曇らない限り」
いけにえの羊は必要の理であったとしても。
君に問いかける唇が呟くのは「幸せ?」の一言。
銀色の少女が紡ぐ恋物語は決して在り来たりなものではなかった。
「いいな、こういうのも」
重なった心音だけが耳に響く。
窓に写るは夜半の雪影。ただ君とその中に溶け込みたいと願った。
「ね、この運び方じゃなくていいよ。それに、どこも怪我してない」
「お姫さんにはこの運び方だろうが。常識だ、常識」
戸惑いがちに彼の肩を抱いて、されるがままに運ばれる。
「椅子までなんて歩けるのに……」
「俺がこうしたいんだよ」
遠い空の上、人を捨てて得た幸福は何ものにも代え難く。
この銀色の髪をどこにいても見つけられると言ってくれた人が居る。
瞼の向こうには朧月と薄明かりの混濁した風景。
「符印はどうしたんだ?」
長椅子に下ろされて、上着の内側をごそごそと弄る。
小さく収束したそれを復元させれば明かりの代わりに。
「!!」
手の甲にそっと押し当てられる唇。
こんな夜なら少しくらい気障になってみるのも悪くないと彼の一興だった。
「冬はいいな。お前と同じ色がたくさんある」
「そんなに綺麗じゃないよ」
「いーや、仙界一可愛いだろ?」
一輪だけ咲いた髪飾りの花が笑う。
目も合わせられないような素敵な恋に恋するよりも。
「好き」
耳まで赤くなる彼に笑って手を繋ぐ。
隣に居る君が笑うことがこんなに幸せで苦しいなんて。
「傘もあるし、また一緒に出かけられるね」
「俺は害虫駆除を一年中やるんだろうな」
何度この目を抉りたいと思っただろう。
彼に出会って光を得たように、依存するだけではなく生きていたい。
「綺麗な目だな」
「そういってくれるのは君だけだよ」
「当たり前だ。ほかの男には絶対に言わせねぇ。至近距離で目をみるなんざ論外だ」
何度巡ってもずっと一緒に居よう。
背伸びして隣に並ぶ自分を笑ってくれればいい。
少しだけ底の厚い靴は彼と並ぶために誂えた。
「幸せな人種になれたなぁ」
「?」
ちゅ、と触れる唇。
幸せを紡いだ夜更け。
誰かのためだけに素敵になれる魔法をかけよう。
0:07 2008/12/02