◆瓜の蔓に銀の鳥◆








「普賢さま」
青年の声に振り返る少女の姿。
「何か用向きでも?ボク忙しいんだよね」
砂盤に水を落として少女は解を求む。
銀眼は透き通りより恐怖を。
「何回やっても上手くいかないんだ……」
「何をなさって?」
「占い。今日のご飯は何にしようかなぁ?」
しかし、彼が驚くのはその後ろ姿。
道衣ではなく短衣から覗く眩しい太腿。
細腰を締め付ける帯は鮮やかな紫紺で紅の内着と対を成す。
「道徳はどこかな?」
振れるふららと硝子の振り子と細い指。
「玉虚宮かと」
「そうみたいだね。せっかく来てもらったんだけど、書類は自分で持っていくよ」
手早に所管を纏め上げて銀色の組紐で結びあげる。
師表はそれぞれの印として組干物色を違えていた。
普賢真人は銀に紺を織り込んだ優美な色合い。
独特の結び飾りが彼女がまだ乙女であることを静かに告げた。
回廊を歩く姿は普段の彼女とは全く違って、仙人などには見えない。
用事は早々と終わらせて振り子を揺らして恋人を捜す。
「こっちかな?」
扉に手を掛けてそっと押しやる。
「!!」
それは、ある意味異質にも思える光景だった。
黒髪麗しい美女に傅く剣士の姿。
膝を着いて手に触れる唇。
仙界一の美女には敵うことなどないとは同じ女だからこそ解ってしまう。
買わす視線がやけに妖しくて、愛しいからこそに募る物だと。
男と女。少女には無い色香は重ねた何かがなければ生まれない。
気付かれないように、ただそっと立ち去ることしか出来なくて、涙さえもこぼれないようにと唇をきつく噛んだ。






「しかし、鳳凰山から降りるなんざ、何百年振り……」
「母上様の生まれ日じゃ」
うふふ、と笑う仙女は艶やかでその美しさに偽りがないと証明する。
「護衛を頼まれるなんて思ってなかったからな」
「仙人で儂に手を掛ける気を起こさぬのはおぬしぐらいにな」
「ま、確かに」
公然と恋人宣言をした青年ならば、身の安全は保証される。
まして、階位をその腕一本で射止めたならば尚更だろう。
加えて後ろに鎮座するのはあの普賢真人なのだ。
「御姿も拝見した。戻ろう」
「了解、お姫さん」
崑崙山から降りては生きられない体だと、女は自虐的に笑う。
護衛など本来は必要のない強さなのだかが、丸腰も形にはならないと男を申し付けた。
「時に、道徳真君」
「ん?」
「先ほど普賢の気配があったが……なにやらよからぬように誤解したやも知れぬぞ」
「まさか。おれらそんなに簡単に壊れるような関係じゃないし」
「ならばいいのだが……」
竜吉公主を送り届けて、何ともなしに白鶴洞を訪れてみれば恋人の姿はどこにもない。
室内も荒らされたこともなく普段通りに整理整頓されたままだ。
(太公望んとこだな……家出かよ……まったく……)






西の国には親友が軍師として座する。
事のいきさつを聞いて、はぁ…と溜息をついた。
「しばらく実家に帰ろうかと」
涙目、ぽろろと零れ落ちて砕けて散り行く。
「玉虚宮か?」
「ううん。実家」
薬師としても才のある少女は泣きながら丹薬を捏ねくる。
丸薬を勢いよくかみ砕けば見る間に遂げる変貌。
「本気じゃのう……」
麗しい銀髪も銀眼も、夜に紛れる宵闇色に変わり、漆黒の美少女が佇む。
「しばらくはここにいるがよい。寸前で家出でもよかろうて」
「やけに行動的だからね。あの人」
勝手知ったる恋人がどれほどの感情激情型なのかは彼女が一番に理解している。
例え馬鹿馬鹿しいと言われるようなことでも本気になるように。
「ふむ、一理あるな」
「妙に知恵も回る」
「おぬしのことに関しては、な。ほかには回らん」
筆をくるり、と回しては軍師は意味深に瞳を閉じた。
西周は逃げるにはあまりにも簡単すぎる場所。
かといってあまり遠くに親友を囲うのもいかがなものかと。
「仙気も消すか?普賢」
「しばらくは本当に人に戻ってみるよ。ちょうどやりたいこともあったしね」
「しかし、おぬしの目的を果たすには仙気を消せば不具合が出るだろうて。ほれ」
金色の小さな箱の中に鎮座する丸薬たち。
「噛み砕けば一時的に効力を発揮する。使うがいい」
「ありがと、望ちゃん」
「愛情に胡坐は掻かせぬぞ。わしも一つ噛んでやる」
見慣れた道衣を脱ぎ捨てて、少女はまるで文官のような佇まいで姿を消してしまった。
彼女の目的を果たすための旅路にと軍師はそれなりの軍資金を持たせて。
姿を変えてしまいたいほどの何かがあったことは簡単に察することができる。
そして、どうしても親友の味方になってしまいたいというこの気持ち。
ただ彼女の意思を尊重したかった。






程なくして乗り込んできたのは件の道徳真君その人だった。
相変わらずばたばたと扉を開けて言葉もかけずに恋人の姿を探す。
「断りもなしに入るか、おぬし」
「普賢来なかったか?」
「さぁのぉ」
しれっとしたまま軍師は筆を止めずに答えた。
普段ならば大抵はこの西周に普賢真人はかくまわれることになる。
「仙気辿ってもここで消えてるからさ……んで普賢は?」
「さぁな。己の胸に聞けばよいだろう?」
あくまで口を割らないという姿勢の軍師に青年は眉間に皺を寄せた。
「んなこといってもここ以外に普賢が行くとこなんてないだろう?」
「実家に帰ったぞ」
「実家?玉虚宮かよ……まったく擦れ違いだよな……」
彼の行動はある程度予測済みだと笑った親友の横顔を思い出す。
「まさか……石を隠すならば砂の中だぞ?おぬしの普賢ならな」
「…………………」
髪を解き、打神鞭を手にして少女は男と向かい合う。
白の道士服に身を包んだ軍師たる美しき姿。
「わしが相手じゃ。清虚道徳真君」
「…………いいだろう。太公望姜子牙」
莫邪を手にして同じように向かい合う青年の瞳に宿る狂気。
強いものと戦いたいと思う戦士の血が騒ぐ。
この少女を赤く染め上げたい、と。
「破ッッ!!」
鞭先から生まれる風が男の前髪を散らす。
宝剣の光を消し去ろうと生まれた風のうねりが、ざわめきを呼び覚ました。
「わしは普賢ほどおぬしに甘くはないぞ?」
「くだらねぇな……」
呼吸を整え、瞳を見開く。
その瞬間に生まれた気迫が空気をびりびりと震撼させた。
「!!」
「もう一度聞く。俺の普賢はどこだ?」
「教えられぬな……わしは親友を化け物に売る趣味は無い!!」
手のひらから生まれる光とぶつかり合う風。
「表へ出ろ道徳真君。人間に危害を及ぼせば懲罰ものだぞ?そして……」
「俺の普賢が一番に嫌う、だろう?姜子牙」
表にもつれるように飛び出して、砂煙を巻き上げる。
激しく撃ち合う音だけが響き渡り二人の姿を肉眼で確認するのも困難なほどだった。
「疾ッッ!!」
「滅ッ!!」
身の軽さを利用して打ちつける少女を男は持ち前の力で粉砕してしまう。
頭脳に秀でたものと武術に秀でたものの争いは終わりが見えない。
「隙ありィィっっ!!」
少女の瞳が一瞬鋭く輝きその鞭先が男の腕を貫通した。
「!?」
動きを封じたのは利き手である左腕。
その瞬間に右手がその細い首に掛かり転がるように空中から二人の体が落下する。
「ぐ……ッッ!!」
みしみしと骨の軋む音が鼓膜に響く。
その鷲色の瞳の奥に見える赤黒い光の渦。
「答えろ。俺の普賢はどこだ?」
「……っ……あ……ッッ!!」
懇親の力を込めて、男の腹部を細い足が勢いよく蹴り上げる。
瞬時に体を引き離して少女は呼吸を整え、唇の端の血を親指で拭った。
「おぬし……その左腕、早めに治癒せねば失うぞ?」
「普賢を見つけたら治させる」
「化け物に親友は売らぬ」
「そうか……なら、お前を餌に炙り出すまでだ」
「わしが餌になるような場所にはおらんぞ。くく……」
仙人同士の戦いに、人だかりが生まれあたりが喧騒に包まれる。
男が一瞥するだけで蜘蛛の子でも散らすかのように。
「コーチ!!危ねぇさ!!」
「道徳師兄!!斯様な事が元始天尊さまに知れたら……っ!!」
懲罰など恐れるに足りないと男は歪んだ笑みを浮かべた。
「はじめにわしは言ったがのう……実家に帰ったぞ、と」
「だったら……!!まさか、本当に実家なのか!?」
「三千世界を走り回るのだな。不道徳が」
言い終わるか終わらぬかの間に彼は駆け出してしまう。
「師叔、いったい何があったさ?」
こびり付いた血を天化の指が優しく拭う。
「痴話喧嘩、かのう……」
「迷惑な話ですね」
頬の汚れをヨウゼンの指先が払って。
「まったくじゃ。恋に溺れるのは程々にしておくがいいのう」
ため息がひとつひらひらと蝶になる。
遥かなる地に休む親友の下へと。






小さな集落に身を寄せて、少女は人の世を静かに見つめる。
文官宜しくの装束もさることながら楚々とした美しさが視線を集める。
「小嬢、相席してもよろしいか?」
「ええ」
眼鏡を中指で押し上げて少女が微笑む。
「どちらから?」
「西周からお休みをいただきました。軍師殿に仕えております」
「うら若き御方と聞くが、周の軍師は」
「ええ。とても賢く凛々しいですよ。親友なんです」
微笑めば桜桃色に染まる柔らかな頬。
「お話を聞かせていただきたいものだ。奇策は本当にすばらしいものばかりだと噂に」
「喜んで」
杏仁豆腐に口をつけた瞬間に炸裂する怒号音。
「人が降って来たぞーーーーー!!」
その声に少女は背筋に走る寒気を飲み込んだ。
「な、何が起こったんだ?」
「仙人さまでございましょう。騒がしいので場所を移しませんか?」
男の手を引いてそそくさと店を抜け出す。
(妙に鼻が利くからなぁ……仙気は完全に消えてるから直感で攻めてきたかな?)
人ごみの中を抜け出す小さな影。
「おい!!ここに銀色の髪の女が来なかったか?」
「ししししし知りませんよ!!」
「隠すと後悔するぞ!!」
「そんな目立つ人なら一発で覚えます!!本当に知りませんったら!!」
鋭い視線に逃げ出す群衆。
「おい!!」
「何か?」
黒髪の少女が静かに振り向く。
「ここに銀髪の女は来なかったか?ちょうど、お前くらいの……」
「存じません。急いでおりますので失礼」
睫毛の一本まで完全に変わり果て、胸下までの髪は二つに編まれた姿。
彼の知る恋人とはまったく違う姿の少女。
「…………お前、普賢に似てるな…………」
「存じ上げませぬ、仙人様」
彼が微笑んだ美女のような麗しい黒髪。
「さようなら、仙人様」




















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