◆ドマラティックアイロニー◆








「だーれだ」
指先が男の視界を優しく奪う。
「普賢。他に俺にこんなことするやついねぇ」
「昔はいたでしょ?」
「憶えてねぇな」
今までも恋は何度か降って来た。
女を知らないといえば真紅の嘘にも程がある。
それでもこの恋が最後だと思えるように。
「俺にとっちゃお前が一番だからさ」
「ヨウゼンに感化されたのかな?段々道徳が気障になっていく気がする」
不安交じりの溜息の行き先は、羊雲の漂う燐とした空。
「それは無いと思うが……」
「そのうち自画自賛とか始まったら嫌だなぁ」
出逢った頃の気持ちのままではいられない。
「お前は俺をそういう目で見るのか?んー?」
じゃれあえるようになるまではどれだけ時間がかかっただろう。
彼女がその傷をさらけ出すようになるまで、彼が過去を振り返らずに済むようになるまで。
それはやさしい昔話。
この小さな世界がすべてを知っていた。
「俺の昔話でもするか?」
ぽつり、ぽつり。機嫌のよいときにだけ聞くことのできる彼の過去。
こうして二人で肩を並べて。
「聞きたい。聞かせて」
ほんの少しだけ指先を絡ませて、気持ちを伝えた。






「少年よ、おぬしには仙人骨がある。仙人にならぬか?」
小さな漁村ではあったが、武人の多く住む村。
少年は父母や兄弟とともに今日まで何も知らないままに生きてきた。
「誰だよ、あんた」
岩の上で釣り糸を垂れる少年と、宙に浮かぶ老人の絵図は普通ではない。
それでも彼は気にも留める素振りもなく、広大な海に視線を移した。
「儂は元始天尊。崑崙山の始祖じゃ」
「んで、そんな偉いさんが俺に何のようだ?」
夕暮れ手前の海は、何もかものを飲みそうな美しさ。
魔物が住むといわれても誰もがうなずいていしまうだろう。
「仙人骨を持つものが人間界にいれば混乱を招く。それに、おぬしももっと強くなり
 たいだろう?おぬしを鍛えるに適任のものもおるぞ」
強さ。それは永遠なる人間の欲求の一つ。
村一番の剣の腕を持つ少年にとっては魅惑的な言葉だった。
「俺、家族いるし。好きな娘(こ)もいるし。おとなくしてりゃだいじょうぶなんじゃねぇの?」
黒髪鷲目の凛とした少年は、飄々とそんなことを言う。
日に焼けた肌とまだ完成されていはいないが美しい均整の取れた肉体。
育てば名のある仙人になるだろう。
「仙骨のある者の乱は数多に繰り返された。そうなる前に引き取るのが仙人の役目じゃ」
「……………………」
簡単に頷けるような事柄でもなく、一人で決められるようなことでもない。
釣り糸を軽く指で引いて、少年はため息をついた。
「俺、悟りなんて多分開けねーよ。じーさん」
「なに、おぬしならそのままで十分じゃて」
「強くなりすぎて手に余るかもしんねーぞ」
「その位の減らず口のほうが頼もしい限りじゃ」
潮風が頬を撫でて、沈み行く太陽が照らし出す。
「わかったよ。行っても良いぜ」






回廊を歩く青年を呼び止める声。
「飛志弟」
「おー、燃燈。なんだぁ?」
伸びた髪を一束に結い上げた黒髪の青年。
道衣姿ではあるが、清清しい仙気を朝型の空気に溶け込ませている。
「いよいよ仙号の習得と聞いた。俺も同士が増えるのがうれしいよ」
「まだ受かるって決まっちゃいないがなぁ」
ここに来て数百年。青年は着実に力をつけていった。
己を鍛えることをいとわない性格と、卓越した運動能力。
剣の腕前ならば恐らくこの崑崙で随一でもあろう。
「練習がてら道行師伯のとこでも行ってこようかと。あの人と文殊師伯は本気で強ぇ」
先代からの十二仙として座する二人。女でありながら師表として君臨する崑崙の光。
「なぜに、道行様にだ?」
「あのヒト、剣使うだろ。だから」
「だったら、玉鼎真人でも良いんじゃないのか?」
先代からの十二仙に加え、この燃燈道人と玉鼎真人もまた同じ師表たるもの。
斬仙剣を持ち、剣舞を得る青年のほうがむしろと燃燈は問うた。
「あいつ、性格悪いだろ。道行師伯さっぱりしてっから。玉鼎とは色々とありすぎて
 なんかこー、やなんだよなぁ。なんかねちっこい」
寡黙冷静を主とする玉鼎真人と躍動活発を主とする飛志弟。
見た目も悪くないこの二人は仙女の浮名が多い。
「女の趣味がかぶってるからだろう、それは」
燃えるような緋色の髪の青年はため息をこぼす。
仙界において、女犯はもっとも禁じられること。
それでも捨てきれないのは男の性であって、仕方のないことなのかもしれない。
「俺、シスコンじゃねぇからさ」
「異母姉さまを愚弄することは許さん!!」
「俺が愚弄してんのはお前だって。お前のきれいなねーちゃんじゃねーって」
それでも燃燈が本気にならないのは彼がどこか自分に似ているから。
数少ない理解者として、そして友人として。
少なからずとも嫉妬渦巻くこの世界。どれだけ自由に踊れるかは本人しだい。
「仙となればお前にまとわりつく厄介ごとも少しは減るぞ」
「どうだかね。減ってくれりゃありがてぇ限りだけどさ」






金庭山に響き渡る金属音。
刃先がぶつかり合う音と荒い息遣い。
二刀流の青年に対して女は一本で相手をする。
大地を蹴り上げる足裁きだけでも二人には差が有った。
力強く蹴り上げる青年は当然の如く砂煙が舞い上がる。
対して女はほとんどそれがないのだ。
「だいぶ強くなったのう、飛志弟」
「でも、まだあんたに勝てねぇッ!!」
ぎりぎりと噛み合う剣を境に近付く顔。
少女のようなこの姿で数千年を生きてきた。
「儂に勝つのは簡単じゃ。ぬしならばな」
同時に大地に降り立つ。
「明日さ、仙号の習得試験なんだって。どうにかなれば良いけども」
「なるであろうな。ぬしに勝てるものなど居らん」
「けど、俺、道行師伯に勝ってねぇよ」
疲れた体を引きずるようにして招かれた邸宅へ。
金木犀やら木蓮やら、金庭山は花々に囲まれた美しい場所だ。
「儂は子供たちの避難所じゃからのう」
「だってさぁ、道行師伯のとこは居心地が良いっていうか」
籠に盛られた葡萄を口にしながら、青年はにこにこと笑う。
確かに、この仙女のところにはいつも誰かしらがやってきている。
同期に入山して先に仙号を得た雲中子。
暇つぶしだと昼行灯をほしいままにする文殊広法天尊。
そして、十二仙を束ねる若き仙人燃燈道人。
他にも名を挙げればきりがない。
「それは光栄じゃな。あとはぬしが仙人として儂と対等になってくれればのう」
「いつか俺は抜くぜ、道行師伯を」
真直ぐな青年は澄み渡る空のような笑みで答える。
「楽しみじゃな。その言葉忘れるでないぞ」
移り変わりの激しいこの世界で、時間を止めてしまった世界。
その小さな世界で精一杯生きようとしている魂がそこにあった。





正装をして青年は遊技場へと向かう。
「ね、燃燈!?」
一礼をして互いに剣先を交える。
「私が望み出た。飛志弟の相手を務めたいと」
背格好も年の頃合も近いこの二人。相手に不足はないと始祖は判断を下した。
「そっか。俺もお前だったらなんか……うん、いいや」
合図とともに大地を蹴り上げる。
斬り付け合う音と舞い上がる土煙。二人の姿などよほどの者でない限り見ることすら
ままならなう状態だ。
「ほほう、飛志弟の昇級試験か?」
「そうじゃ。ぬしならば見えるだろう?」
ふらりと並ぶのは文殊広法天尊と道行天尊。それに先日仙号を得たばかりの慈航道人だ。
「あいつ、大丈夫かな……燃燈だし……」
「慈航坊主、あれぁそこまで弱かねぇだろ」
「いや、飛志弟は手加減て言葉しらねぇんだ」
剣士は通常、物体に対峙すればそれを『斬る』のが概念である。
しかし彼は『砕く』ことを主体として修行を積んでいた。
物質を構成する核を破壊すれば、自分よりも格上の相手でも勝てるように。
運動能力だけではなく、物事を見極めるために必要なのは審美眼だと。
「坊主、燃燈は強いぞ。あいつに調度良い相手だ」
男の言葉に女も静かに頷く。
「いずれにしてもこの勝負……面白いな」
「ああ。おめぇの仙号習得以来ぐれぇおもしれぇな」
ぺち、と軽く頬を打つ小さな手。
「儂の相手はお前だったろうが。勝負が着かずに三月撃ち合いをした」
剣士同士の打ち合いの昇級はそう滅多に見れないと目を細めて。
若干押され気味なのは燃燈だと僅かに呟く。
どんな些細な隙でも見逃さないその瞳と、卓越した筋力。
清々しいその若い仙気は、こんな場であってもどこか凛としている。
「決するか」
「ああ」
男の剣が鉄棒を弾き飛ばす。
からら…と音をあげて転がった瞬間にそれは粉々に砕け散った。
「勝負あり!!飛志弟!!」
湧き上がる完成と拍手。交わされる握手と視線。
「負けたよ。今回はな」
「いーや、俺の実力さ」
若き仙人が一人生まれた瞬間だった。






仙号を清虚道徳真君として彼は青峰山を与えられる。
ばたばたと授与式を終えて、だらりと体を投げ出した。
「あー……そういえば髪伸びっぱなしだよな……玉鼎みてぇじゃねぇか」
鏡に映る己の姿。
父母が名付けてくれた『飛志』の名を捨てて、道徳真君としてこれからは生きていかなければならない。
剣を持ち、黒髪を切り落とす。
まるで入山前の己の姿に青年は苦笑した。
この伸びた髪は自分の甘えを絡ませてきた。
いつか守るべきものが現れたときに恥ずかしくないようにと、幼年期とともに切り捨てた。
「こそばいいな。なんだか」
捨て去ることではなく、何かをも守れるように。
「それでも、ちっとはいい面構えになったんかねぇ、俺」
この不思議な運命を憎んだことも呪ったことも無い。
人間を捨てて、名前を捨てても、思い出と心だけは誰にも奪えないものなのだから。
いつの日か、それを語れる誰かができたのならば。
分かち合える誰かができたのならば。
そのときまでに己に恥じないように、誇れるように生きていたとだけ願った。
「よろしくやろうぜ、清虚道徳真君」
耳の裏に響いた誰かの声。
涙はこぼさぬようにそっと上を向いた。







流れ行く時間の中で彼にとってもっとも幸福だったのはきっとその最後の百年。
それは人間にとっては果てなく長いものであったとしても、彼にとっては一瞬だった。
真夏の太陽のような恋は心をも焼き焦がして。
自分が人間であったことを思い出させてくれた。
悲しみも哀悼もいらない。
ただ、忘れずにいてくれればそれで良い。
彼が不幸せだったと思うものなど誰一人として存在しないのだから。





「そんなこともあったの?」
恋人の声に小さく頷いて、彼は瞳を閉じる。
あれ以来一度も髪を伸ばしたことは無い。
そして、最後に愛した恋人もまた髪を伸ばすことを好まなかった。
「俺らどこかしら似てるのかもな」
光は光だけでは存在できずに、影を必要とする。
彼女が彼女として、彼が彼として成り立つまでにはそれなりの過去が会った。
それをひけらかすことなくただいるだけで。
「皮肉にも美しい運命だ」
「不思議な言葉だね」
手を伸ばして彼女の小さな頭を引き寄せて。
触れるだけのやさしい接吻を交わした。
乾いた唇は心とは裏腹で。
ただそれだけの行為なのに脊髄まで犯されるような至福を感じた。




誰を恨んだことも無い。彼女を泣かせるもの以外は。
この嫉妬心を殺しながら獣を眠らせてくれるソの声に耳を預けて。
「髪、伸びたね」
「切ってくれ。俺、長いの嫌なんだ」
「うん。いいよ」
君に愛されるためならば何だってできる。君を守るためにならば何だってできる。
君に降りかかる雨を防ぎたいと願うのに、君は一緒に濡れても良いと言う。
頭の中で鳴り響く警鐘などもういらない。
君と堕ちることがあるならばそれも楽しいと思えるのだから。
この黒い想いを包み込んでくれる優しい肌よ。
どうかどうか、裏切ることなくそのまま傍に居てください。
「その前に、ちょっとこれやっちゃおうかな」
「あー、耳やられんのも好き…………」
いつまでもこうして手懐けて、飼われていられるように。
君の海で溺れて朽ち果てられるように。
「動かないでね」
「んー……」




耳の裏でささやく君の声。
運命の足音はもう聞こえない。






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21:03 2007/03/12

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