◆両手をつなぐこと◆




「普賢様はいらっしゃいますか?」
子供の声に男は振り返る。
「……えーと、何の冗談だ?ヨウゼン」
「いえ、ちょっと雲中子様のところでお茶をご馳走になったんですが……」
太乙真人と雲中子の親切には罠がある。
ましてや茶などを飲むならばある程度の覚悟は決めなければならない。
「で、普賢がどうかしたのか?」
「子供がお好きだと聞きましたのでしばらく面倒をみてもらいたいと思って」
その言葉に道徳の表情が凍りつく。
ヨウゼンには帰るべき洞府も師匠も健在だ。
「師匠の所にいけ、玉鼎のところに」
「それが……先日から不在で、だからこうして白鶴洞まできたんです」
二人分の声に、少女が顔を覗かせる。
「どうしたの?」
「普賢様!!」
てくてくと駆け寄ってくる子供を抱き上げる腕。
「可愛いー、どこの子かな?」
胸に抱えて優しく髪の毛を撫でる。
「ヨウゼンです、普賢様」
「そうなの?ちっちゃくなっちゃったね」
ヨウゼンの話を聞きながら、うんうんと頷く姿。
子供と接するときの普賢真人を説得することほど困難なことは無い。
「いいよ、しばらく白鶴洞(うち)においで」
「助かります。師叔にもこれだけは頼めませんからね」
忙しく走り回る軍師に、これ以上の荷物は持たせられない。
彼女の親友ならば子供好きも相まって都合がいいと考えての結果だった。
「かわいー、こういう子でもいいなぁ」
頬を摺り寄せればやわらかい感触。
(うわ……いい匂いがする……)
太公望とは違った柔らかな甘い香り。少女の好みそうなほんのりとした香に目を閉じる。
(いいなぁ……道徳様はこの人を独り占めしてるんだ……)
背中を抱いてくれる暖かな手。
同じように上着をぎゅっと掴んでその肩口に顔を埋めた。




邪魔にならないようにと、組紐で髪を縛り上げて軽く結わえる。
「普賢様は何をするんですか?」
「道徳の書類を仕上げて、その後は上着の続きを織って……お夕飯の準備したり……」
西周よりも仙界はずっと時間の流れが緩やかに思える。
のんびりとその中で彼女は穏やかに生きて、時間を紡ぐ。
「そうだ。せっかくだからお夕飯はヨウゼンの好きなもの作ろっか」
愛情を独占できることは、母親から早くに引き離れた彼の小さな願望。
「え……?」
「食べれないものとかあったら言ってね」
恋人の苦手な書類を書き上げて、織糸に手を伸ばす。
鼻歌交じりで布地を織り上げていく姿は、ぼんやりと記憶に残った母親のそれに重なった。
寒い日には風邪を引かないように、自分の肩掛けで包んでくれた。
つないだ指先の温かさと優しい匂い。
(母上って……こんな感じだったのかな……)
布地に手を伸ばして、そっと触れてみる。
「おいで」
抱き上げられて、膝に座らされておどおどと普賢を見上げた。
器用に子供を抱えながら、糸を掛けては織り上げていく指先。
「道徳さまのですか?」
「うん。冬になる前に裁縫まで終わらせようと思ってね」
部屋に飾られた花と、柑橘系の匂いを生み出す香炉。
「道徳様はいつも白鶴洞に居るのですか?」
その言葉に普賢はくすくすと笑った。
「まさか。いくらボクたちでもそんなに不道徳じゃないよ。雨樋がおかしかったから
 修理を頼んだんだ。できないことはお互いに助け合うのが基本だしね」
紅葉が風に舞い、窓枠越しに一枚の絵画になる。
荒地に近かった九功山を緑豊かな洞府に彼女は見事に作り上げた。
「行き来してることのほうが多いかな……なんだかんだ一緒に居たいっておもうし」
恋人同士と堂々といえる関係は、彼にとっては羨ましいもの。
乙女十七機織姿、絹糸の色は運命の赤。
「いつかね、もしもボクたちに子供ができたら絶対に教育論で揉めそう」
「でも、道徳様も普賢さまもどっちも子煩悩な気がします」
小さな頭を抱いて、普賢は頬にそっと唇を当てた。
「そうだね。あの人のほうが溺愛しそう。だから……まだいいかなっても思うんだよね。
 もうちょっとだけあの人を独占したいし」
悟りきれないまま、恋心を抱いて仙となってしまった。
「普賢様でも、そんなことを考えますか?」
とくん、とくん。耳に優しく響く心音。
「ボクだけじゃないと思うよ。誰だって好きな人は独占したいもの」
「それは、僕がそういう感情を持っても許されますか?」
見上げてくる瞳が、不安げに翳る。
それを察してか普賢は幼子を優しく抱きしめた。
「あたりまえでしょう?そんなこともわからないなんて困った子だね」
祝福されることを前提として、誰もがこの世に生を受けるから。
愛されない子供など居ないと、彼女はつぶやいた。





食卓を彩ったのは子供が好きそうなものばかり。
ヨウゼンを膝の上に乗せて、口元に箸を運ぶ。
「普賢さま!!自分で食べられますっ!!」
「ちっちゃい子にはこうして食べさせてあげたいんだ」
まるで母親のように甲斐甲斐しく世話を焼く姿。
(こんなことされたら道徳さまを敵に回しちゃうよ……)
目線をちら、と向ければ男は気にすることもなく料理に箸をつけている。
「道徳、おいしい?」
「たまにはいいな、こーいうのも。いい母親になれそうだ」
父と母、そして自分。
本物ではないけれども、自分を子供として擬似家族を作ってくれる気持ちが嬉しかった。
「母さまって呼んでもいいよ」
たどたどしい手つきで箸を握る指を、そっと支えてくる白いそれ。
「でも、それは普賢さまが……」
「呼ばれてみたいの。一度で良いから、母さまって……」
小さな小さな願いが、どれほど困難なことなのかは彼女が一番に知っているから。
「母……さま……」
小さな小さな声。
「なぁに?ヨウゼン」
やわらかい声に瞳を閉じる。この女性(ひと)が本当に自分の母であるかのように。
胸の温かさと手がくれる安心感。
(母上って……こんな感じなんだろうな……)
手を伸ばせば感じられる暖かさに、こぼれる涙。
「こら。男だったら簡単に泣くな」
「道徳さま……」
「呼びたかったら親父でもかまわねぇけどな」
少し照れくさそうに笑う唇。
この二人に手を引かれる子供はきっと幸せだろう。
惜しみない愛情は、降り注ぐ優しい雨のように慈しみ育てる。
「父上……」
「ん?」
「母上……」
「はぁい」
小さな小さな幸せの色。
魔法のような時間をそっと抱きしめた。





「お風呂ぐらい自分で入れますからっっ!!」
「ちっちゃいんだから自分で頭なんて上手に洗えないでしょ?」
抱きかかえられて浴室へと運ばれる姿。
こんなときに何を言っても無駄だからと、男は耳を塞いだ。
手早く衣類を剥ぎ取れば、逃げるように浴室へと入り込む。
ゆっくりと追いかけて、後ろからそっと抱きしめた。
「!?」
素肌に感じる乳房の柔肉に、どくんと心臓が脈打つ。
「ふふふふ普賢さまっっ!!」
「捕まえたー。ちゃんと肩まで浸かろうね」
まともに振り返ることができなくて真っ赤になったままうつむく姿。
「どうしたの?」
「だ、だって……そんなっ!!」
顎をとられて、少女のほうを向かされる。
「風邪引かないように、ちゃんとあったまろうね」
「普賢さま……僕はヨウゼンですよ」
「うん。でも今は子供だからね」
愛情がほしいとは、言葉にすることは難しいから。
自分を表現するのが苦手な子供に、安心していいよとささやく。
「お母さんと一緒のお風呂は嫌?」
少しだけ困ったような表情。
「嫌じゃ……ないです……」
「ボクもこんな風に……子育てで悩んだりしてみたいな……」
もしかしたら永遠に見ることのできないわが子を重ねているのかもしれない。
小さな手を伸ばして、そっと乳房に掛けてみる。
「母さま……」
その言葉に唇が綻ぶ。
「なぁに?」
「もっと……くっついても良いですか……?」
小さな背中を抱いて、頬を擦り寄せる。子供特有の柔らかいそれに普賢は瞳を閉じた。
「可愛いー……ヨウゼンはいい子だね」
「くすぐったいです、母さま」
伸びた髪をそっと括り上げる指先と、湯の温かさ。
髪や身体を洗われて、大きく息を付く。
肩までしっかりと浸かって、あれこれと話すのは普段では考えられないようなことばかり。
野路で見た兔やら、魚に似た形の雲。
明日の天気が願い通りなら、草原を歩いて小さな丘を目指そう。
二人に手を引かれて幸せの歌を奏でながら。
「どうしたの?ヨウゼン」
まごつく指と、おずおずと見上げてくる二つの瞳。
「その…………」
胸の谷間に埋めるように、抱きしめる。
両手を乳房に掛けて安心したかのように目を閉じる姿。
心音と暖かさ。そして柔らかいものと甘い香り。
思い出せないものを確実な形に変えて、母親というものに心を寄せた。
「吸ってみる?」
「えええええええええっっ!?」
「ちっちゃい子って、赤ちゃんじゃなくても吸うし。ボクもそういう感覚知りたい」
耳の先まで真っ赤に染めても少女はお構いなし。
青年の姿などまったく見ずに小さな子供として接しているのだ。
「お母さんのおっぱい、嫌い?」
静かに横に振られる首。
「おいで、ヨウゼン」
そっとその先端を口に含む。赤子がするように吸わぶって、ぎゅっと乳房を掴んだ。
こぼれてくる涙もそのままにしてただ唇だけを動かした。
腕に抱かれる暖かさと、守られることの安心感。
確かな愛情は得ては来たが、この柔らかさだけは知らずに育ってきた。
「いい子だね、何も怖いものなんてないんだからね」
小さく頷けば、愛しげに髪を撫でてくれる。
恋人は中世的であるがゆえに、母性よりも父性が強い。
太公望とはまったく違う少女の暖かさ。
手のひらに感じる優しさに、ただ目を閉じた。





枕を引きずりながら、男を見上げるまっすぐな目。
「母さまと一緒に寝ます」
「男だったら一人で寝ろ」
ここから先には一歩も踏み込ませんとばかりに、腰に手を置いて男は視線を合わせてくる。
「一緒に寝ますっ!!」
子供の頭に手を置いて、少女はくすくすと笑うばかり。
「じゃあ、三人で一緒に寝よう?仲良くね」
「はい!!」
もう一度、育てなおされているかのように普賢に抱きつく姿。
もしも自分たちが親になることがあるのならば、きっとこんな風景が待っているのだ。
「ヨウゼンは父さまよりも、母さまのほうが好きです」
にこっりと笑って、普賢の腕に抱きつく。
「本当?嬉しいな」
寝巻き装束をゆるりと着込んで、寝台の上に腰掛ける。
「明日はお天気が良かったら向こうのほうまで遊びに行こうね」
「はい、母さま」
仕方ないと笑って、男も子供の頭に手を置く。
「雨降ったら、俺と一緒に厨房の棚の修理だぞ」
「はいっ」
偽物でも他人同士でも。
「お父さまとお母さまと一緒なら、ヨウゼンはそれだけで嬉しいです」
今はこうして親子でいられるのだから。
「湯冷めしちゃうね。早めに寝ようか」
腕の中に子供を抱いて、普賢は静かに目を閉じる。
聞こえてくる寝息に目を細めて、隣の恋人を見上げた。
「寝ちゃった」
「ちっちゃくなってから、体力も子供なんだろうな」
少女を抱き寄せて、その額に唇を落とす。
「道徳」
「ん?」
「赤ちゃん欲しいねー……」
腕の中で眠る小さな身体を、愛しげに見つめる灰白の瞳。
「そうだな……」
「貴方をお父様にしてあげられなくて、ごめんね……」
泣き出しそうなこの夜に、優しすぎる恋人を守れるのならば。
「俺は子供よりもお前がそこにいてくれればそれで良いんだ。一緒に笑って、喧嘩して
 ずっと二人で楽しく生きていければ」
触れるだけの接吻は、甘い魔法。
月さえも顔を隠すこの夜に、二人で願いを掛けよう。
「これから先、何千年も一緒にいるんだ。そのうち気まぐれに……」
両手で頬を包んで、額がこつんと触れた。
「子供だって普賢の腹に入るさ。俺たち、気は長いだろ?のんびり行こうな」
「うん……」
男の腕に頭を乗せれば、背中を抱き寄せられる。
「俺さ、女の子が欲しいなーって思ってたんだけど息子も悪くないな」
「男の子だったら道徳が二人みたいな感じなんだろうなー……楽しそう。毎日、お菓子とか
 いっぱい作って、それから一緒に出かけて……いいなぁ」
二人と一人で描く幸せの空。
隣にいつもいてくれる君を守りたいから。
「……母さま……?」
「何でもないよ。寝ようね」
おやすみなさい、は明日を迎えるための呪文。
薔薇色の次の日と手をつなぐために。




霧雨がつくる風景を見つめて、青空を思う。
けれども雨の日でも悲しいことなど何一つ無くて、自分がここに居られることが嬉しかった。
「ヨウゼン、これ持ってな」
「はい」
内木を抱えて、小さな瞳が男の手元を見つめた。
扉の開閉がうまくいかないと不満をもらす唇の主は、のんびりと炉に火をくべている。
小気味良い金槌の音が響き、内木を手渡せば嬉しそうに男が笑う。
きしきしと悲鳴を上げていた扉は小一時間ほどで滑らかに開閉するようになった。
「助かったよ。俺一人じゃもっと時間が掛かった」
「いいえ。父さまもお役に立てればヨウゼンも嬉しいです」
くしゃくしゃと頭を撫でる大きな手。
ほんのりと漂う甘い匂いに、二人は顔を見合わせた。
「おやつできたよー。二人ともご苦労様」
焼きたての小さな餅が小豆の中から顔を覗かせる。
仕上げに黄金の栗を載せて二人の前に差し出す。
「もうちょっとで月餅と焼き林檎も出来るからね。ちゃんと手を洗ってからだよー」
小言も含めての愛情に、二人揃って手を洗う。
「本当の父さまと母さまみたいです」
「玉鼎に乳は無いもんな」
「!?」
にやりと笑って襟首を掴んで持ち上げる。
「今日は俺と風呂だな。たまにはとーちゃんと風呂入んのもいいだろ?」
「はい、父さま」
肩車で回廊をゆっくりと進み行く。見上げる世界は普段の自分の視界ともまったく違う。
自分たちを呼ぶ声に笑いあって、厨房へと向かった。






「凄い……」
普段見ることの無い男の身体に、小さなため息が飛ぶ。
同じ剣の使い手でも自分の師匠と彼とではこうも違うのだ。
隆起した筋肉と厚い胸板。日に焼けた肌に漂う精悍さ。
「筋肉馬鹿とか言われるけどな」
「格好良いと思います。僕も……そんな風になれたら師叔にちゃんと見てもらえるのかな……」
その言葉に道徳は小さな頭を湯船にざぶん、と押し込んだ。
「!?」
顔を上げてふるる…と振れる首。
「自分に自信持たなきゃ女は振り向かねぇぞ。周りから見て馬鹿にされるくらいで丁度なんだよ」
「僕でも大丈夫ですか?」
「お前がもうちょっとでかくなると、やけに天才ぶるようになる気がするな。ま、隠れて
 努力したり、人知れず悔しさで歯軋りしたり。そんな男になりそうだ」
まるで本当の父親のような優しい眼差しに、胸が締め付けられる。
「……ぅ……ぇっ……」
「男だったら簡単に泣くな。この先もっと泣きたくなるようなことが山のようにでてくるんだぞ」
その言葉にただ頷くことしか出来ない。
「ガキのうちしか泣けないからな。どんなつらくても男だったら女の前では泣くなよ」
「ばい……っ……どうざま……っ」
仮面をまだ知らない子供にだけ許される号泣。
「お前はきっと周りがびっくりするような功績を残すんだ。楽しみだな」
「父さま……っ……」
この人はきっと自分にしてくれたように子供に接するのだろう。
愛弟子の天化を同じように育て上げ、剣士とする。
上がる武功の一つ一つに目を細めて恋人と喜び合う。
「俺を越えろよ、ヨウゼン」
「はい……っ!!」
男同士でしかいえないこともある。
「肩まで浸からないと俺が普賢に叱られる。ほれ、浸かれ」
「はいっ」
からら…と扉が開いて覗く少女の顔。
「二人とも、お夜食に小豆餅作ったから早めに出てきてね」
「はい!!母さま!!」
窓の外に銀色の月。幸せの影が三人分そこに映っていた。




「普賢様!!」
自分を呼ぶ声に振り返る。
あれから数日が過ぎてヨウゼンは元の姿に戻っていた。
「何?」
「この間はお世話になりました。それに色々と……」
ぷい、とそっぽを向く横顔。
「あれは違うヨウゼンだもん……ちっちゃくて可愛いほうのだもの……」
寂しげな瞳の色と秋の風。
「……母さま……」
すい、と手を伸ばす。
小さな小さな影と指先。
「泣きたくなったら……時々母さまの所に行ってもいいですか?」
抱き上げてそっと頬を寄せる。
「いつでも帰っておいで。二人で待ってる」





笑って泣いて背は伸びていく。
暖かい家に帰ろう。





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22:29 2005/10/03

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