◆その後の杏◆
「さてどうするよ、普賢」
黒髪の美少女は灰白の髪の少年の横でため息をついた。
「どうするも何も……雲中子を待つしかないよ」
杏の力で二人の性別は逆になっている。
それでも何も無かったかのように普賢は書簡に目を通していた。
(こーゆーとこ、分かんないよな……動じないというか……)
筆を進めながら疲れたのか首を回す。
「お茶入れるね」
「あ、うん……」
慣れた動作はいつもと変わらないはずだった。
「普賢、それ……白胡麻だろ……」
「あ……」
冷静さを装ってみても、内心はやはり動揺している。
(予想以上に動揺してるな……普賢も)
へたへたと座り込んでため息をつく。
「早めに戻してもらわないと困るよ〜〜〜っ」
珍しく泣き言まで出る始末。細い手首は相変わらず。
中性的な姿はそれはそれで魅せられるものがあった。
「だって落ち着かないよ。こんな……」
「俺も……この胸ってどうすりゃいいんだ?
「さらしでも巻くしかないよ。邪魔ならね」
普段感じることの無い重みと柔らかさ。女の身体は触れるものであって自分がそうなるとは思ってもみなかった。
「その格好じゃ動きにくいでしょ?ボクの服でも着てたら?」
「あー……そうするか」
細身の筋肉で形作られた身体は均整が取れていて、健康的な魅力がある。
形の良い胸を普賢は普段自分がしていたようにさらしで巻いていく。
白い長衣を身に付け、道徳真君は鏡に映る自分の姿を改めて見てみた。
「可愛いよね。道徳もそうしてると」
「あんまり嬉しくないな。そりゃ」
愛用のバンダナを巻きつけて、邪魔な前髪を払う。
「この身体じゃ、なんも出来ないしな。紫陽洞(うち)戻ってもあれだしなぁ」
「しばらく白鶴洞(ここ)に居たら?色々大変みたいだしね」
姿が変わってもするべきことは同じで、普賢は書庫に。
道徳は宝剣を手にトレーニングの再開である。
日が暮れるころ、いつものように夕食をとり二人でのんびりと過ごす。
見上げる景色も、目線の高さも普段の自分とはまるで違う。
「お風呂先に入ったら?」
「そうする……やけに疲れた……」
鏡に映る姿は自分であって自分ではない。
上向きの乳房も、括れた腰も。それは本来の自分にはあるべきではないもの。
(しっかし、女ってなんでこんなに柔らかいんだ?)
しげしげと乳房を見つめて、触れてみる。
少し力を込めれば指は沈み、その形を変えていく。
「…っ!」
感覚的に習慣も合わさって普賢のそれに触れる時のように。
(やばい……妙な感覚に目覚めるとこだった……)
湯船に入ってあれこれと考える。
当面の問題は雲中子が解毒剤を何時完成させるかだ。
それまでは嫌でもこの身体と付き合う羽目になる。
(まぁ、考えても仕方ないか……)
すらりと伸びた脚。己のものでないならばそれなりに堪能できたであろう。
「道徳、着替え置いておくから」
「おー、って普賢、俺のじゃでかいだろ?」
「だからボクのだよ。道徳のはボクが借りるから」
夜着に着替えて今度は入れ替わりに普賢が浴室に消える。
窓を開けて、夜風を入れれば茹で上がった身体が心地よく冷えていく。
「や、やだーーーーーーーーっ!!!!!」
「つくづく面白いやつだよな、普賢って……」
「嫌ぁーーーーーーっっ!!!!!」
風呂場から聞こえてくる悲鳴と叫び声に道徳真君はにししと笑った。
「風呂入るだけで体力消耗したか?普賢」
「……覚悟決めて行ったんだけどね……慣れてるつもりだったんだけども……」
はぁとため息をついて枡に入れた清酒を飲み干す。
「慣れてるつもりって、なんだよ」
「……誰かさんので見慣れてるつもりだったんだけどね」
「あーそうですか。俺も見慣れてるつもりだったんだけどな」
身体の立場は逆転。
伸びた指先が黒髪に触れて、雫を払う。
「風邪引くよ。ちゃんとしておかないと」
「結局俺らは俺らなんだよな」
「そうだね……」
時間は何時ものように甘く流れて。
普賢の腕の中で道徳真君は目を閉じた。
普段とは逆に抱かれる形。
(なんか安心できる……普賢も普段こんな感じなんだろうか……)
「眠れないの?」
背中を抱かれて、心音が聞こえるくらいに密着する。
「いや、寝れそうだ……」
「そう、良かった」
(身体が柔らかいと……気持ちも弱くなるものなのかなぁ……)
包み込まれて知る『安定』と『共有』
考えることをやめて目を閉じた。
目の前には杏。忌々しい果実。
「今更食べてもこのままだしね」
指で摘んで普賢は口をつける。
「俺、杏は見るのも勘弁して欲しい」
「まぁ、二人ともそう落ち込まないでさ。どうせなら楽しんじゃえば?せっかくだし」
太乙真人の声に普賢は対極府印を。
道徳真君は莫夜の宝剣を手にぎろりと睨んだ。
「いや、だからさ。お互いに知らない感覚を知るチャンスじゃないか。他の奴ならいざ知らず、
君らは一応恋人同士だろ?だったら問題は無いと思うんだけども」
宝剣の切先が太乙の髪を掠める。
はらはらとこぼれる頭髪。
「ほら、女は男よりも十倍イイっていうじゃないか」
「ふざけんなよ、太乙」
「その顔で凄まれても恐くないな。今なら君にも勝てそうだよ」
「んだと?」
「宝剣のデータは十分に揃ってる。体力的にも今の君は普段の君の半分以下って所だね」
その間合いを斬り裂いたのは普賢の声。
「太乙、剣が最高の力を発揮するのはね、良い剣士に出会えたときだよ」
「ああ、そうだろうね。だけどそれがどうかしたのかい?」
「例え半分の能力であったとしても補佐するものが居るならば話は別だよね。十二仙の中で
攻撃力の数値を見るなら道徳は最高位にいるはずだけど。女の子になってても欠けた半身の分を
補佐するものが居れば……どうなるかな?」
青年の微笑みは慈愛と警告。
「どういうことだ?」
「道徳とボクが組んでるのに勝てる気でいるの?ってこと」
道徳真君は杏を一つ取って口にする。
「太乙、さっき女は男よりも十倍イイって言ってたよな?」
「あ、ああ……言ったけど」
「だったらお前が試して来い!玉鼎あたりで!!」
顎を取って強引に口移しで杏を飲み込ませる。
喉仏が上下するのを確認して、道徳真君は口を拭った。
「普賢!!頼むぞ!!」
「強制転移。性質の悪い冗談は身を滅ぼすよ、太乙」
「ああああっ!!!それだけはっ!!!」
最後に見た風景は二人がにこやかに笑う姿。
『いってらっしゃい』
乾元山からの帰り道、ふいに太乙の言葉が頭を過ぎる。
「なぁ、普賢……さっき太乙が言ってたことって本当なのか?」
ばちばちと対極府印が音を上げる。
「撤回します。質問の仕方に問題がありました。すいません」
「試してみる?そんなに気になるなら」
「え……?」
「でもね……あの痛みに耐えられるかどうかが問題かな。例えるなら……爪に穴を開けて糸を通して
そのまま生爪を引き剥がす感じ……だったな……それに芥子を塗りこめたような……」
「もういい!!そこまでして試したくは無いっ!!!」
ぶんぶんと頭を振り、道徳真君は力一杯否定する。
「そう?」
「世の中そんなに甘くは無いって……ことか」
その後雲中子の解毒剤を飲み、落ち着いた二人。
そして金輪際二人をからかうのはやめようと決めた太乙真人の姿があったという。
EXIT