◆スノースマイル――温かいくせに冷たい――◆





「頭痛ぇ……」
「少し、熱あるみたいだけど、大丈夫?」
平気だと言う男の額には、少女の小さな手。
「早めに休んだほうがいいよ。悪くなる前に」
「あー……そうするか……」
重い身体を引き摺って、夜着に袖を通す。
言われるまま、たまには大人しく身体を休めるために布団を被る。
寝付けないまま、ぼんやりと天井を見上げては目を閉じて眠りを手繰り寄せて。
「寝付けない?熱があるからかな?」
ひんやりとした手が、額に触れる。
「薬作ってくるね。待ってて」
「すまない……」
「いつもそれくらい静かだといいのにね」
くすくすと笑いながら、消える姿。
(俺ってそんなに煩いのか……?ちっちゃい声じゃ聞こえないだろ?愛の言葉は
 ちゃんと伝えたいんだよ……)
あれこれ迷っても、全部を伝えることは無理だから。
声だけは大きく、視線は外さずに、手を伸ばして。
後ろから抱きしめて、甘えさせてやりたい。
「道徳?朦朧とするほど熱、上がっちゃった?」
その声にはっと我に返る。
(お前のこと考えて、朦朧としてました……)
細い指が、頬に触れる。
こつん、とあたる額が二つ。
「んー……微熱だけど、やっぱり発熱してる。治るまで紫陽洞(こっち)にいるから」
林檎は兎に早変わり。
「薬、これとこれでいいかな?飲み難い?」
赤い丸薬が一つ、薄緑が二つ。
飲み下して、口元を押さえた。
「……美味いもんじゃないな」
「望ちゃんみたいに、糖衣錠が良かった?」
「そこまで子供じゃないが、苦いのも好きじゃない」
毛布を掛けなおして、額をくっつける。
「いい子にしてると、すぐに治るよ」
まるで、母親が子供に言い聞かせるような声。
土に還った母親と、そして、まだ見ぬ子供のことを思う。
(お前、いい母親になれるぞ。俺もいい親父になれるようにがんばるよ)
そのうちに、うとうとと意識は溶けていってしまった。
「……寝ちゃった。熱、下がるといいな……」
絞った巾を換えながら、読みかけの本の頁を捲って。
久しぶりに取れた読書の時間は、眠りを誘う魔法の粉。
折り重なるように、普賢もまた、眠りの中に落ちていった。






「……っ…?……」
奇妙な感覚に道徳は目を覚ました。
(……風邪ひくぞ、お前まで……)
寝息が指先にかかる。
「!!」
ぞくり、と背筋に走る何か。
(な……なんだ、今のなんか……やばめな感じは……)
どっちにしても、このまま普賢を放置すれば風邪を引くのは確定的だ。
抱き上げて、自分の隣に横たわらせる。
(気にしないで、寝るか……)
いつもの癖で、小さな頭を腕に乗せてその背を抱いてしまう。
隣に居ない夜でも、腕を伸ばして眠るようになった。
二人で居ることが、当たり前になって。
何気ない時間の中に、彼女の存在が刻まれていく。
「……ん……道徳……」
薄い唇が、自分の名前を呼ぶこと。
それが当たり前になったことに、甘えてしまう。
それでも、恋人を誘う声は未だに止む事を知らず。
仙界入りしたての不埒な道士が、彼女のことを知らずに声を掛けるのだ。
(かーわいいなぁ……大事にするから、早く嫁に来なさい)
柔らかい髪に触れる指。
「!?」
その感触が、ざわざわと神経を舐めるように嬲っていく。
普賢が身体を動かすたびに、その肌が、頬が触れるたびに。
ぞくぞくという甘い痺れが身体を走り抜ける。
(……お前、本当に風邪薬作ったのか?襲うぞ?)
普段ならば自分が一服盛る側で。
「……どうしたの?道徳?」
とろん、とした瞳が見上げてくる。
「お前、薬に何か入れたか?」
「ううん。望ちゃんに貰った頭痛薬とボクが作った解熱剤だよ?」
(た……太公望が薬を作れるわけがない……となると……)
脳裏に浮かぶのは恋敵の愛弟子の顔。
(……ヨウゼン……っ……なんつーことを……)
心配げに覗き込んでくる普賢の顔に、作った苦笑い。
「……お前も薬飲んでたほうがいいぞ。移ってからじゃ遅いしな」
「そうだね。そうしようかなぁ……」
小さな唇が、赤い丸薬を咥えて。
こくん、と喉が上下する。
「……おやすみ、道徳……」
賭けは何時だって、大きく出して仕掛けたい。
君の身体も、心も、乾かないように。





ごそごそと這い回る指の感力に、目を開く。
「……何、してるのかな……?」
「ん?悪戯」
あっさりと答える声に、ため息が一つ。
「風邪ひいてるんだから、大人しく寝なさい」
「寝れません。お前がここにいるのに、なんで寝なきゃなんねー……」
そう言う間にも、ごほごほと咳き込む有様。
背中を摩る手の優しさが、少しずつ苦しさを取り払っていく。
「今日は、寝たほうがいいよ。ね?」
「……そうだな……」
手探りで探して、見えない道を歩くことも。
君が、隣にいてくれるだけで心強く思えるから。
朦朧とする意識が認識して、視界が捉えるのは浮き出した汗を拭く指と。
何かを囁くように動く薄く小さな唇。
その手の冷たさに、安堵して。
寝息が安定したものに変わっていくのに、彼女は小さく笑った。
知らない間に、自分たちは夏を過ごして秋を置き去りにしてきた。
もうすぐ一面真白な世界に変わって、君の好きな季節になる。
兎には南天の赤い眼を、降りしきる雪を見ながら甘い寝酒を。
寒さのせいにして寄り添って、暖めあって。
(薬、効いてきたのかな……良かった……)
そして、ぺろりと舌を出して赤い丸薬を手に吐き出す。
(前に、コレ飲んで頭痛は治まったけど……変な感じになったんだよね)
恋人たちのだましあいは、今回は彼女に軍配が。
(治ったらね……気持ちだけは嬉しかったよ。下心はともかくとしてね)
窓の外。冷えた空気が生み出す白い魔法。
(……雪……)
二人で作る足跡の平行線。寒さを理由に、手を繋ごう。
冬のこの寒さを愛しいと思えるこの気持ちを、抱きしめて。抱きしめて。
上掛けを直して、音も無く降り行くそれを見上げる。
白鶴洞にも、紫陽洞にも同じように雪は降るのだ。
離れても、結び付けてくれるように。






それから、三日。道徳真君の風邪は相変わらずだが、咳き込むことは少なくなってきていた。
雲中子に処方してもらった薬の効果も相まって、徐々にだが回復傾向に。
「んー……熱は無いかな?」
こつん、と触れる額。
閉じた瞳と長い睫。布地越しに浮かぶ胸の曲線がやんわりと誘う。
「……お前、他に方法で測ろうとか思わないのか?」
「これが一番簡単なんだもん。モクタクにもそうしてたし」
(あのガキ……今度あったらみっちりと鍛えなおして……)
「天化のときもだったよ?」
(……戻ってきたら、がっちりと叩き直してやる)
薬膳粥と、水を入れた玻璃。
甲斐甲斐しく世話を焼かれては感じる幸せに口元が綻ぶ。
「あれ?誰か来たかな?」
器に盛られた果実と、氷菓子。
口中で溶ける甘さに嫌味は無く、体に染み渡る味わいだ。
「風邪うつってもいいなら、どうぞ」
「道徳さま、お久しぶりです」
入ってきたのは書間片手のヨウゼン。
「師叔からの預かり物です」
受け取って、目を通す。どうやら道士連中への課題を作って欲しいとのこと。
うんうんと頷きながら、丁寧に書かれた文字を一つ一つ読み込んでいく。
「お前じゃ駄目なのか?ヨウゼン」
「僕も忙しい身ですから」
「ああ、自信ないわけだな。自分のことで手一杯で」
切られた果実には楊枝が刺され、その先端を摘んで男はくるくると指で回す。
「食べ難い?」
「いや。丁度良いよ」
「そう?もっと食べる?」
「ん。もうちっ食いたい気はする」
「今、持って来るね」
その光景に、ヨウゼンは小さなため息をついた。
何気ない光景でさえも、羨ましく思ってしまう。
彼女は、自分ひとりに縛られることを由としない。
「……道徳さまが羨ましいです。普賢さまを独占できる」
「普賢になんかしてみろ。封神台に直行させてやるぞ」
「そうじゃないんです。僕が病気になったら師叔も普賢さまみたいにしてくれるんだろうか
 って思ってしまって……」
最後の一切れを口にして、道徳は首を捻る。
「んー……天化だったら丹薬飲めで終わらせるだろうけどな。お前だったら合間合間に
 看病するんじゃないか?なんとなくだけど」
「けど、普賢さまみたくずっとは無いと思うんですよ」
「今回のは俺の不注意だからな。普賢には悪いことしたと思ってる。あいつも色々抱えてるからな」
それは、太公望とて同じこと。
少女二人は密接な光と影で、同じように未来を見つめる。
その傍らに立ち、手を取りたいだけなのに。
いざとなれば、その勇気が出ない。
「太公望を独り占めしたいのか?」
「それは……」
「即答で『そうだ』って言えないようじゃ、まだまだ道は遠いな」
ただ一度きりの人生ならば、それがどれだけ長い時間だとしても。
思い切り、自分の花を咲かせたい。
その光となり、注ぐものが『愛』と呼ばれるものならば。
華となり、光となり、彼女を慈しむ存在でありたいのだ。
「俺は、正直言えばモクタクの弟子入りには反対した男だからな」
「嫉妬……ですか?」
「子供が子供育てるのは無理だと思ったんだ。共倒れになるのが見えてた。余程
 お前のほうが弟子を育てることだけなら、普賢よりも出来はいいだろうな」
「……………………」
「能力を磨くのは、ただ闇雲に痛めつければいいって物じゃない。上手くは言えないが……
 俺がおもうよりもずっと大人の女だったんだな、とは感じたよ。まぁ、まだ子供だけどな」
嬉しそうに、唇は笑う。
彼女の名前を口にするだけで、彼の目が細まる。
「傷つくのは怖いよな。けどな、傷付けあって、嫌な所もぶつけ合って、それでも
 まだ好きだ!!っていえるのが、俺の理想だ。だから、喧嘩ばっかりしてんだけどな」
恋は残酷で美しいもの。
それゆえに古から人を虜にしてきた。
「変な薬ばっか作ってないで、たまには城から連れ出せ。男なら勝負してみろ」
「はい!!」
「よし、合格」
ヨウゼンと入れ替わりで果実の入った器を持った普賢が入ってくる。
「帰っちゃった」
「ハッパ掛けてやった。男ならやるときゃ決めなきゃなんないってな」
「あんまり変なこと教えないほうがいいよ。望ちゃんに怒られちゃう」
額に手を当てて、普賢はくすくすと笑う。
この笑顔を守れるなら、世界中を敵に回せるのだから。
たった一人が、側にいてくれればそれでいい。
「普賢」
頬に手を当てて、そっと引き寄せる。
乾いた唇が重なって、ゆっくりと離れた。
世界中に二人きりだと、錯覚できるこの幸せを。
離す事など、出来ない。
「愛してる」
「…ぇ……あ……」
「何だよ。耳まで真っ赤にして」
いつもよりも、ずっと深く沈む声。
じっと見つめられて思わず視線をそらしてしまう。
からかい半分の愛の言葉はなれているはずなのに。
「そんなに可笑しいか?」
「違うよ……だって……」
狼狽する姿は、恋になれない少女のそれで。
少しだけ不器用な子供であることを証明する。
「あ!!」
腰をぐっと抱かれて、心音が重なって。
「やー…………」
耳に触れる唇に、ぎゅっと閉じる瞳。
冬近し、それでもここはいつでも炎天下。
「俺だって、たまにはちゃんとお前に伝えたいんだよ」
茶化さないで、ありのままの心を。
君の好きなこの冬の少し前の季節にこめて。
小さな肩を抱いて、二人で見上げる景色は。
「……あ、雪……」
幸せの空より舞い降りし、白き想い。
「何回目の冬?」
「二十七回目の冬だよ」
「憶えてたんだ…………」
「忘れるわけ、無いだろ?」
きらきらと光を受けて、手を繋ごう。
「今日は、道徳の好きなもの……張り切って作るね」
「んー……好きなものはここにある。たっぷり食わせてもらえれば……痛っ!!」
手の甲を抓る、細い指。
「もう、しょうがない人なんだから」
「だって、好きなもの食わせてくれっていったから。俺は好きなものを言ったまでだぞ」
「風邪が治ったらね。治るまでは……」
耳元で囁く小さな声。
くすくすと笑って、ゆっくりと離れる。
「大人しくしててね。夕食、美味しいもの作るから」
唇の触れた、耳朶がまだほんのりと熱い。
それは熱のせいではないことだけは、はっきりと分かった。
(あのな……お前は仙人っていうよりも、悪魔だぞ)
囁いた言葉。
『治ったら、いっぱい食べてね。飽きるまで、たくさん』
布団を被って、湧き上がる笑みを堪える。
(食わせていただきますよ。飽きるまで、一生掛けてずーっと)




肌の暖かさと相反する空気の冷たさ。
「あったかーい……」
「風邪ひくぞ。おいで」
「そうだね。風邪ひいちゃったら、変な薬飲まなきゃいけないもんね」
その言葉に、道徳真君は目線を逸らす。
「別に、風邪じゃなくても、いいんだけどね」
「え?ちょ……ちょっと待て!!もう一回!!」
「やーだ。もう言わないよ」





冷たいけれど、温かい冬の夜。
二人で作る夢物語。





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19:46 2004/10/30

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