◆空蝉◆





この岩場は不思議と二人で過ごすには良い空間だった。
尋ねる者も無ければ小川のせせらぎと虫の声だけの清しさ。
「虹鱒じゃ」
釣り上げた川魚の腹は七色。
みっしりとした身は焼けばさぞ美味であろう。
「望ちゃんは考え事をするために釣りをしてるんでしょ?」
「まあな」
「それに、お魚なんてぼくたち食べれないよ」
仙道は生臭となるものを食してはいけない。
それこそ霞を食して生きている者も平気に居る世界だ。
「戻すがな。単なる趣味の一環じゃ」
自由を再び得た虹鱒は水の中を楽しげに泳いで行く。
その影が反射して季節を二人に告げた。
「そのために魚が痛い目見るのはどうかなあ……だから、これあげる」
手渡されたのは鉤部のない一本の縫い針に似た物。
これでは魚は引っかかるわけがない代物だ。
「これでは釣れぬ」
「考え事するには良いでしょ」
「おぬしは根っからの善人じゃのう……そこまでして犠牲は出したくない、と」
素足を水の中に入れて少女は岩場に座る親友を見上げた。
「善人じゃないよ、言うほどには」
一人は犠牲を少なくするためには己の痛みを厭わない。
もう一人は犠牲を少なくするためには多少の損失は切り捨てる。
二人は似ているようで違い、本質は近いものがあった。
違うのは彼女は己を犠牲にして最大多数の幸福を願う。
そしてもう一人は最大多数の為に他所の犠牲はやむなしとするところだった。





まるで全てが対になるように生まれてしまった存在。
白と黒、動と静、光と闇。
ただ一つ同じ器で生まれてしまった悲劇。
きっと違えたならば最高の恋人になれただろう。
そして異なる悲劇を巻き起こしただろうに。
たったひとりの神様が投げる小さな白い矢。
それは青い光を纏いながら彼女を撃ち堕とす。




最大の理解者は時に最大の不理解者に成り得る。
止まる秒針と刻まれる過去の時間のように。
無意識に研ぎ澄まされた殺気は二人が離れてからのものだろう。
「普賢真人」
形なき心を持つ者たちは感情という鎖に縛られる。
「遂行者であるものが道を外れるならば、おぬしが粛清するのだ」
始祖の言葉は絶対にして厳守されるべきもの。
少女は静かに頷いた。
「もしも、ボクが道を外れたならば誰がボクを粛清するのでしょうか?」
望む終わりなどかなわないとしても。
「他の仙道が手を下すだろう」
この頃からだろうか、彼女の瞳は片眼だけ僅かに赤が混ざるようになった。
人ならざる身体を持ち人として生まれ出たもののように。
回廊を歩けば熱気の風が頬を撫でてすっかりと夏模様。
(夏服だそう……こんなに暑いし……)
額の汗を軽く拳で拭う。
きらきらと眩しい太陽は誰のために存在するだろう。
夜空に輝く星の光は遥か昔にその命を失ったものの名残かも知れない。
「普賢!!」
「太乙」
宮であうにしては珍しい相手に唇が綻ぶ。
「こうも暑いとやってられないよね。研究室(ラボ)を冷却してるんだけども遊びに来ないかい?」
「じゃあ、着替えてから行っても良い?暑くてね」
「待ってるよ。道徳は朝から伸びてる。こんな熱くちゃ宝貝も作れないって」
「宝貝?」
動かないものが動けばそれは異変の始まり。
これから巻き起こる大戦争に備えてそれぞれが準備をしていた。
「じゃあ、太乙と道徳に差し入れも持っていかなきゃね」
「助かるよ。じゃあ、後でね」
「……そうだ、太乙にお願いがあるんだけども良い?」
うなじに纏わりつく銀髪も、この湿度には敵わないらしい。
払いのけた指先に薫る幼さ。
「僕でよければ受けるけど?」
「ありがとう。じゃあ、それも後でね」



凍らせた蜜柑を持ち寄れば嬉しそうな笑顔が二つ。
夏の暑さにはさわやかな甘さが一番にきまっているもの。
「道徳を冷やせば白熊になるんじゃないかな」
「おまえはそこまで俺を熊にしたいのか」
対極符印は体感温度を下げることもできる宝貝だ。
使い方一つであらゆる包囲を攻撃することのできる広範囲拡散型の機能が強い。
その反面、超近距離での一撃を与えるには術者もそれなりの被弾を覚悟しなければならない。
懐剣代わりとは言えないが、呉鉤剣を彼女が作り出しのたのはそれもあってのことだった。
「僕にお願いって?」
その言葉に道徳真君が顔をあげた。
「こいつに頼みごとすると、禄なことになんねーぞ」
くすくすと笑って、二人の前に対極符印を差し出す。
「これの制御装置を解除してもらおうと思って」
始まりの七つ以外の宝貝は人工的に作られた。
それゆえに所有者の能力に合わせて制御する装置を付けることもしばしばだった。
「いいけども、今までよりもずっと負担は大きいよ。なにせ、この宝貝は特殊だ」
そうは言うものの、球体の表面を滑る手が中央から符印を二つに割り開く。
犇めく回路と人工知能、蛍火の疑似生命は彼にとって興味をそそるには十分だった。
「改良もできる?」
「この容量(スペック)なら全然いけるね。操作性の誤差の修正、機能特化も」
「じゃあ、これ使って」
そっと卓上に薄紅の包みを乗せて広げる。
そこにあったのは幻といわれる星屑と不死鳥の羽根、死蝶の蛹、そして……何かの破片だった。
「これは?」
骨にも似たその破片を透かして見つめるようにして、太乙がつぶやく。
「神様の欠片ってところかな」
「……君ら、何をやってるんだ?」
「塵掃除ってとこだな。本当に、まめに掃除しねぇと汚ねぇのなんの……」
封神計画の前後からこの二人には不可解な行動が多くなっていた。
日に日に増える傷跡。
それは次第に十二仙全体にも静かに広がっていた。
肉弾戦を得意としない太乙真人だけを除いて。
「できそうだったらお願いしたいんだ」
「……できなくはないけども……でも……ずいぶんと危険なモノに変わるね……」
「余ったら道行にでも使って」
覚悟は静かに熟して、彼女もふわりと大人になった。
「ニ、三日預かっても良い?」
「うん」
その思いが不惑のものであれば、汲まないわけにもいかない。
戦いに赴く者への礼儀を欠くことは義に反する。
それは夏の暑い日のことだった。






人工回路は差し詰め自爆で辺り一帯を焦土化させる力を得る。
使いこなすために普賢真人は封印牢で修業中だ。
「似てるね」
「?」
「太公望と普賢だよ」
「……………………」
同じ影を持つ二人の少女。同じ思いを持ち行く道が違える存在。
「この間、太公望も来たんだ。打神鞭の出力を上げることができるかって」
大きな大きな運命に向かう小さな小さな少女。
まだ水辺に座って明日を占う姿。
「似てるねぇ……似てるのに全然違うんだから面倒だ」
細い瓶に刺された一輪の水仙。
「いい花だな」
「呑気だね、君は」
「俺もさ、花なんて食えないしどうでもよかったんだけども最近は綺麗だって思うんだ」
それは小さな変化の一つだった。
もしかしたら奇跡なんてものが起きて世界は劇的に変わるのかもしれない。
でもそれはもっともっと遠い未来のお話。
「すべて必然だったのか、仕組まれたことなのか」
二つに絞られた選択肢。
「どっちでも俺はいいんだ。今のこの結果だけが真実だし」
「……だからこんな仕事嫌いなんだ。女っていきものはいつもとんでもないことを平気でやる」
「いーじゃねぇの。女って生き物は柔らかくて気持ちいいもんだぜ」
繰り返す日々はいつからかその動きを急速に早めて。
この夏の暑さはその隙間に存在する虚構の真実。
仙道は人から見れば異物で幻。
「なるようにしかならねぇ日々を打破すための改良だろ?」
「……………………」
「ついでに俺のこいつも頼む。普賢の余りで」
最大限ま引き上げられた破邪光を持つ宝剣。
「俺もあいつもお前を信じてる。馬鹿げた遊びは終わりだぜ」
「………………………」
「負ける要素なんてねぇだろ。何せこっちには策士と天才科学者がいるんだからよ」
突き立てられる親指、破顔一笑。
それが悲しい笑みでも断ることなどできない。
「まかせな。僕に不可能はない!!」
「あちぃ……まじ死ぬ……」





「水はきらきらしてるし、絶好の釣り日和だね」
「まったく釣れんがな」
しかしのちに彼女はかつてない大物を釣り上げることとなる。
それもまたもう少しだけ先のお話。
「釣れたらどうする?」
「そうだな、何かくれてやるわ。まったく釣れん」
「何貰おうかな〜、釣れる気がするんだよねぇ」
笹の葉掠れて夏が来て。
揺れる水面に見る遥かなる未来。
蓮花蝶は舞い踊り世界の憂いなど無き如く。
「その針はボクの特性だからね。絶対に釣れる」
ふわふわのこの思いをどう名前をつければいいのだろう。
彼女の時間はもう限られたものだった。
夏に日差しはそんなことさえも隠してしまい、悲劇など嘘だと囁く。
「大物が釣れるよ、きっと」





溶鉱炉の前の熱さは夏のそれなどとは比較にもならない。
骨まで解けそうだと言いながら男は炉の中に銀砂を投げ込んだ。
「で、普賢は制御解除、君は破邪光引き上げ。身体に悪いったらありゃしない」
「お前、俺の莫邪さわんのはじめてだろ?それは余計な細工はしてない宝貝だぜ?」
柄の部分に埋め込まれた水晶体が直接に使い手の仙気を吸収する。
その精神状態が乱れれば宝剣の光は発生しない。
どんな戦場でも、どんな相手でも向かうことのできる者にしか持つことの許されないのが莫邪の宝剣だった。
「ちょっと分解させてもらうよ」
造りが簡素な分だけ破壊力をあげることは使い手の能力を吟味することになる。
「どこまで引き上げれば良い?」
「んー……女狐か聞仲ぶっ飛ばせる程度……あちぃ……」
「限界まで引き上げるよ」
「おう」
それは道徳真君にしか扱うことのできない唯一無二の剣。
「虹色の光が生まれるよ。ただし、君の負担は五割増える」
「俺がその五割を乗り越えたら?」
「宝貝事体が進化するようにするよ。君が強くなればなるほどこの宝剣も輝きを増す」
闘うことを不得意とする親友は、代わりにありったけの知識を詰め込んだ。
華やかさの欠けた剣を艶やかに変貌させて。
「これ、起動時に銀色の光が出るよ。それだけでも弱い妖怪なら瞬殺できる」
高炉から銀砂を取り出し溶けた銀瑠璃を混ぜ合わせていく。
光源に打ち込まれたのは件の神様の欠片。
一振りであらゆるものを切り裂くことのできる宝剣。
(持ってるだけで眩暈がする……まだ光も出してないのに……)
目の前でうだるような暑さにだらける親友は恐らく無理をしてこれを振り回すだろう。
彼は進化型の戦士。負荷をかければかけるほどに成長していく。
(長生きできない性質(タイプ)だね……君も僕も……)
明確な敵の姿は自分たちの寿命に時限を見据えた。
師表である以上前線に赴くこと必死だ。
感情が築く幻想は魔天となりこの世界を飛び回る。
幸となるか厄となるかは受け止めたもの次第。
「ほら、試験体(テストタイプ)だよ」
持つだけで精神を疲弊するはずのそれを構え、彼はため息を一つ吐いた。
「すげぇな……」
感じているだろう眩暈など微塵も見せない。
それが彼の美学。
「本体はまだ時間が掛かるから。でも……何も無いのも落ち着かないだろ?普賢のも
 一緒に仕上げる予定だから」






彼の飾柄に刻んだのは彼女の名で、彼女の宝珠の核に刻んだのは彼の名。
それに気がつくのは彼でも彼女でもなく、のちに残された者たちだった。
「もってるだけで眩暈する……」
「おう……俺も出力と火力を最大まで上げてもらったんだけど……正直吐きそうだ……」
それでも手をつないで歩けばその疲れさえも消えてしまいそう。
「帰ったら膝枕してくれ」
「いいよ。氷菓子もあるし」
「あー……いいねぇ……理想、至福」
もう少しだけこの時間をゆっくりと進ませて。
二人の彼女に優しい時間を。
「虹色の光が出るんだとさ」
「素敵!!ボクのもそんな風になればいいのに」
夢色の摩天楼をのぼりつめて空の果てまで飛んで。
君の左手がこの手をとってくれる限り。
きっと恐怖なんてものは迷信にすぎないと言い切れるのでしょう。
「あっちいな」
「うん」
それでも手を離すことなど考えられない。
空蝉の欠片を拾うにはまだ少し早いと。
「ああそうだ、望ちゃんに釣り針作ってあげたの」
その言葉に道徳は首を傾げた。仙道は殺生禁があるのに、釣りを趣味とする少女もいるのだ。
「何も釣れないんだけど、すごいのが釣れるよ」
「俺にはお前の言ってることが分からないんだが……」
「あの針、銀瑠璃で作ったんだ。絶対に折れないし、釣れるものは運命を変える大物だけ」
普賢の唇がゆっくりと横に開いて僅かに笑った。
「そりゃ大物が釣れそうだな。銀色の針ってのはよく釣れんだ」
「?」
「俺も銀色の針で一本釣りされたクチだからな」
「……大物だったのかな?」
「お前……師表一人捕まえていうか、そういうこと」
「どうかな?」
後世、信仰される神々はかくも可笑しく愛おしかったと。
それは始まりの人として存在した本物の神様が呟く言葉となる。
虹色の摩天楼を乗り越えた世界。
美しくも優しい人の世の物語。




12:17 2009/08/19










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