仙界大戦―落下する太陽、消え行く星―







「師叔!!」
懐かしい声に振り向けば、そこにはヨウゼンの姿。
「どうした?何かあったのか?」
きりりと結い上げられた髪。美貌の道士は嬉しそうに太公望に駆け寄ってくる。
「西周の方は良いのか?」
「僕がいなくとも、武王が上手く統治していますよ。随分と彼も大人になったものです」
「わしらが、年を得ぬだけであろう、ヨウゼン。わしは……」
言いかけた言葉を飲み込む。
「いや、それはいいのだ。して、何用じゃ?」
「ええ。そのことなのですが…………妲己の姿が殷から消えました。妲己だけでありません。王貴人、胡喜媚
 などの妲己の手下も居なくなってるんです」
その言葉に太公望は眉を寄せた。
妲己は一つの策で多数の結果を生み出す天才的な策士。
その妲己が何の考えもなしに姿を消すはずがないのだ。
短期間の消失ならば、王貴人や胡喜媚といった義姉妹を殷に置き紂王に対する誘惑(テンプテーション)を
解くことはないはず。
しかし、誰もおかずにまるで何もなかったかのように消えてしまった。
(何をするつもりだ…………いや、何をさせるつもりだ、妲己?)
同じ策士、同じ女として太公望は妲己の思考を読み取ることは出来る。
しかし、その裏にある計画まではまだ探ることは出来なかった。
「ヨウゼン、近いうちに一度そっちに帰る事にする。それまで周のことは頼んだ。わしは……少し探りを入れてみるよ」
短く切られた髪は、まるで少年のよう。
伸びた髪はずっと彼女を大人に見せる武器だった。
打神鞭を手に、空を見据えて伸びた背中。
細く頼りないのに、誰よりも強く見える。
その背中には、気高き真白の翼。
誰にも、何にも汚される事のないその翼で彼女は光を追いかける。
まだ見知らぬ誰かのために。








アイゴーグルをたくし上げて、太乙真人は首を回す。
こきこきと軽い音。
「太乙」
「ああ、道行。どうしたの?」
すとん、と隣に座って道行天尊は画面を立ち上げた。
モニターいっぱいに映される王天君の姿。
「………………この子は?」
「昔、忘れられた子供じゃ。寂しくて、哀しい子供」
緋色の瞳がゆっくりと閉じられる。
「太乙。儂はずっと考えていた。自分の存在理由を。何故、こうしているのかを。どうして、生きているのかを」
一度は失いかけた命は、目の前の男の手で再生された。
「儂もナタクもそう変わらぬ。思わぬか?」
「……どうなんだろうね。僕もあの子を作ったのは封神計画のためではあったけれども……それだけじゃ割り切れない
 ものがあるよ。君が、あの子のことを思うように」
体の半分以上を宝貝に変えた女。
宝貝を基盤とし、蓮の化身として生まれた少年。
それでも、同じように一つの命を宿して明日を見つめる。
「ナタクも、儂の子供のようなものじゃのう……最近では大分懐いてきた」
「そっか……なんだかナタクが羨ましいよ」
横座りした道行の膝に、太乙真人は頭を乗せて目を閉じた。
その髪をそっと撫でながら、道行は小さく笑う。
哀しいことがこれ以上起きないように、明日が無事に来ます様に。
誰ひとり欠けることなく、今日を終われる事の愛しさ。
「太乙、何もかもが終わったら……今一度、儂に子育てをさせてくれぬか?」
「霊珠はもう作らないよ……僕は、あの子の運命を狂わせてしまった……」
兵器として、産まれた子供は感情を表すことが滅多にない。
それでも、彼は自分の生きる理由を彼なりに見つけようとしていた。
何のために?
誰のために?
たった一つの答えを求めて、幼子は手を伸ばす。
「体だけは育っても、あれはまだ七つの子供じゃて……母親も恋しいであろう?」
「君は……優しいね。弟子にも、ナタクにも分け隔てない。韋護も君の命じることだけは従う」
ため息は、かすかに嫉妬交じり。
その手に、女の細指が重なる。
「君がね、何か言うだけで強くなれる気がするよ。でも……君が居なくなることが酷く恐いんだ」
人は些細な言葉で傷付いて、癒される感情の生き物。
誰かを殺すのは、刀でも毒薬でもない何気ない一言なのだから。
細く小さな鈴のような声。
もしも。
もしも、願いが叶うのならば。
「…………君に、惚れられるくらいの男には、なれたのかな…………?」
君を守るための力をこの手に。
「気弱に……生きることは辛いか?」
時間は緩やか過ぎて、時に残酷だ。
彼女との間には埋められない年月がある。
「僕は、あの子に両親を与えたかったんだ。例え、戦地に赴くことが運命だったとしても。誰かの暖かさと、
 優しさを教えたかった。命の尊さ、意思、思考、あと……愛情……」
子供をあやすように、髪を梳く指先。
「ナタクは優しい子じゃ。おぬしの理想までは叶わぬかもしれぬがな」
崩れていく光と画面。あとどれくらいこうしていられるのだろう。
「例え、宝貝でもナタクはヒトじゃよ。だが……」
翳る瞳。伏せた睫。
「あの子供は……ヒトであることを放棄した。いや、あれは儂ら古き者の罪じゃ……」
「罪?」
「蒔いた種は、自分で刈らねばならぬ。それは儂の仕事じゃ」
「……どこまでも、あの御老人は君を縛り付ける。ああ、仙人に有るまじき嫉妬の塊だよ、僕は」
柔らかい胸。罪を抱きしめてどこまでも身体は堕ちて行く。
真実を探すために。
この罪に彩られた忌まわしき計画を実行するために。
絡んだ糸は複雑すぎて、どれを断ち切ればいいのかさえも分からない。
合わせ鏡のような運命は二つ。
人間も、仙道も、何もかもが「二」という数字に支配される。
少しだけ身体を起こして、そっと彼女の頬を包む。
「君だけに、罪を負わせるなんて出来ないよ、道行」
そっと触れる唇。
まるで初めての接吻のような甘さだった。
「君が時間を越えて生きてきたのは、僕に逢う為だって思ってるから」
「おぬしと一緒に老いるのも悪くはないと思うよ」
二人には出会うだけの理由があったのだから。
相反するようで似ている。一歩引いた位置で全体を見渡す目を持つ姿勢。
「ナタクはおぬしによく似ておるよ……」
「そうかなぁ……ちっとも懐いてくれないよ。君のいうことは聞くのに」
くすくすと笑って道行は男の額に唇を当てた。
「儂とナタクだけの秘密にしておくかのう」








攻撃をひらひらとかわす女の姿に、ナタクはぎりぎりと歯軋りする。
気配を消しても、道行はいつの間にか自分の後ろに立ち飄々とするのだ。
口元を小さな手で押さえて、欠伸を噛み殺す顔。
「貴様……強いな」
「まさか。ナタク、ぬしの方が強いぞ」
羽衣を腕に絡ませて、ふわふわと宙を舞う姿。数少ない仙女は絶えず笑みを浮かべている。
昼寝をしているところに奇襲をかけても、片手で防護壁を張って起きようともしない。
書物を紐解き、夢中になっている時でもひらりとかわされる。
「なら、何故俺はお前に勝てない!!」
「……ナタク、ここに」
道行はちょこんと座って自分のほうにナタクを呼び寄せる。
そっと手を伸ばして、その頭を親が子にするように撫でていく。
「何のつもりだ!!」
「そう騒ぐな。耳はよく聞こえる。太乙のおかげでな」
体の半分以上を宝貝で補修された女はそう笑った。
「あいつが人のためになるような事をするのか?」
両手で頬を包んで、こつんと額をあわせる。
「儂もおぬしと同じ宝貝人間かもしれんな。おぬしのほうが高性能じゃがのう」
ナタクにすれば素性の知れない道行は、興味の対象の一つだった。
自分よりも強いものにだけ、彼は目を向ける。
そして、もう一人、彼が興味を抱く女が居た。
「貴様も、太公望も何故同じことを言う。俺のほうが強いなら、俺が勝つはずだ」
乾元山にふらりと現れたのを見つけては、道行に攻撃を仕掛けてみる。
まるで木の葉でもかわすかのように振り向きもせずに彼女はそこに佇むのだ。
元から、なにもなかったと言わんばかりに。
「それが分かれば、儂にも太公望にも勝てるぞ」
ふわふわと揺れる髪と、外されることのない視線。
「汗をかいておるな。どれ、風呂にでも入れてやるか」
「誰が貴様と!!」
指先がくるりと円を描いて、光の輪がナタクの四肢を縛り上げる。
「!!」
「おぬしの風呂嫌いはよく聞いておる。気持ち悪いよりは、気持ちよいほうがいいであろう?」
見えない紐でも繋いだように、道行はナタクを引いていく。
もがいても逆らうことの出来ない光の糸。
浴室の扉を開いて、湯船の中にナタクを放り込む。
浴巾で髪を巻いた姿になって道行も同じように体を湯船に。
二人分の重みを受けて、流れ出す温水。
「眼の色が、右と左で違うぞ」
その言葉に道行は目を瞬かせた。
「腕も、左右で違うぞ。脚もな。あとは、耳と、指も。もう、気にもならん」
継ぎ接ぎだらけの身体に似合わない幼い顔つき。
目の前の裸の女は今この瞬間でさえ、隙がないのだ。
「………………」
「どうした?」
何か気まずいのか、ナタクは道行から視線を外す。
「傷が恐いか?」
「そうじゃない……これは、何だ?刀でも、宝貝でもない傷だ」
鎖骨の下と乳房に付いた赤い痣をナタクの指先がなぞる。
「そのうちに分かる。まぁ、今は知らずとも……な?」
「お前の身体は柔らかい。少し力を入れればお前は死ぬぞ」
「そうじゃな。おぬしのほうが余程強い」
濡れた手が髪を撫でる。
子供を設けたことのある道行にすれば、ナタクは心身ともに子供として扱えるのだ。
その手を取って、彼女は自分の胸に当てる。
「子供は、母にまだ甘えたい頃じゃろう?母にはなれぬが、おぬしの甘える場所にはなれるぞ」
「…………………」
柔らかい肌の感触は、昔母が与えてくれたもの。
蓮の化身となったはずでも、未だにその女性を母と思う『心』がナタクにはあった。
それは人工的に作られたものは存在しないはずの感情。
誰かを思う気持ちは、まぎれもない『人間』の『証明』なのだから。
「儂には娘が一人おってな……今は逢うことが出来ぬが、いつかは会えると信じておるよ」
母と子供。互いに思うものは傍には置けない。
「ナタク。強さは力だけではないぞ」
指先が、ナタクの胸にそっと触れた。
とくん、とくん、と流れる音色。
霊珠は息衝き、感情というものを付随させた。
太乙真人は限りなく人間に近いものを創造したのだ。
「こころ。それが強さの元じゃ。ナタク」
欲しかったのは自分を肯定してくれる言葉。
戦うために作られた自分が、戦う事に疑問を感じたときに産まれた感情。
存在意義を、存在理由を。
誰かに説いて欲しかった。
自分は必要のないものではないと、愛される資格があるのだと。
「儂にとってもおぬしは子供じゃよ、ナタク」
柔らかい体を持つ女はそう囁く。
「俺は……一体何なのだ?人間でも、宝貝でもない……」
不安に沈む瞳。子供が親を求める時のような色合い。
「おぬしはおぬじじゃ、ナタク。代わりなぞ居ない。たった一つのものじゃよ」
ぽたり。頬を伝う何か。
その初めての感触にナタクは自分の指先をまじまじと見つめた。
指先を濡らすものの暖かさ。
「これは……何だ?」
「涙、じゃよ。嬉しい時に、哀しい時に溢れるものじゃ……」
君は、子供。
まだ、甘えることを許された七歳の子供なのだから。





音の無い空間、緑の光だけがぱらぱらと崩れ落ちていく。
「ねぇ、道行。いっそ二人でどこかに逃げようか」
それは不可能だと分かっていることでも。
「君と二人だけ。この空間で閉鎖的に過ごすのも悪くないね。誰も来ないし、何もない……」
膝の上で目を閉じる男。
その唇にそっと彼女はじぶんのそれを当てた。
ただ、触れるだけの接吻。
「好きだよ、道行……君を愛してる……」
この思いが、彼女の胸に届くのかは分からないままでも。
「何か言ってよ……君の声が聞きたいんだ……」
ただ、二人。
閉じられた世界で過ごしていたいだけ。
「太乙……おぬしをこれ以上縛り付けるわけにはいかぬ……新しい太陽、新しい風がおぬしには似合うよ……」
「要らないよ。君以外の何も」
細い身体をぎゅっと抱きしめる。
「君が、何を考えているのか僕には分からない。それに知ったところで君はきっとそれをやめることはしない」
「……………………」
「僕は、君を守るよ。僕なりの方法で。それくらいは出来るだろう?そこまで弱い男じゃない……」
互いの手を鎖で縛った。
慕情という名の鎖と、恋という名の枷。
外すことは叶わず、外すことも望まず。
身体を起こして、頬に手をかける。
「……っ……ふ……」
舌先を絡ませて、きつく抱きしめあう。
離れ際、繋いだ糸を断ち切ることが哀しくて。
「ここではないところで……」
「うん……君の顔が見えるところが良い……全部みたいから、君の顔を……声を……」
絡めた指先。
離さないと誓いたいのに。
離れてしまう、その前に―――――――伝えたいたった一つの言葉。
言えないままに、喉の奥で殺した言葉。
片道の恋と思うのは、いえないままの互いの気持ちのまま。
「聞かせて、君の声を……」



ただ、愛しただけ。
いえないままの言葉を抱きしめた。




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22:33 2004/03/23

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