◆幸せについて本気出して考えてみた◆




「太乙!!緊急召集だ!!」
試験管片手に明日の天気を占っていた男は、女の声で振り返る。
「雲中子、どうかしたの?僕は昨日もまともに寝てなくて……」
「いいから来い!!元始様からの召集だ。医療班全員に!!」
ばたばたと白衣をなびかせながら回廊を走る二つの影。
太乙真人に雲中子。
共に研究開発班に属する仙号を得たばかりの若き仙人だ。
厳密に分ければ医療班ではないこの二人。
太乙真人は汎用宝貝の開発を、雲中子は薬剤開発を。
その二人にも声が掛かったのだからそれは尋常ではない事態だった。
「雲中子様、こちらへ!太乙様は奥にお進みください!」
道士に誘導され、二人はそれぞれの場所へと急いだ。
(何なんだろう……雲中子はともかく、僕は医療班に来てもそんなに出来ることはないはず)
疑問を抱きながらも太乙は扉に手を掛けた。
「早かったのう、太乙真人」
「元始様…………!!」
室内の中央には硝子の箱。その中には一人の女が横たえられていた。
いや、正確には培養液の中に沈められていたといったほうがいいだろう。
抉られた様な腹部に、削ぎ取られた左足。
眼球の潰れた左目と血で固まった右目。
右手の指は何本かが欠けて、骨とそれに絡むような濃桃色の肉。
肉の焼ける匂いと、血液の鉄の匂いが室内に充満していた。
吸い込むだけで吐き気をもよおす様な匂い。
進み始めた腐敗具合から、一刻も早く適切な処置を施さねばならないのは明白だった。
「元始様、これは…………」
「師表の一人じゃ。先の金鰲との使者との一戦でやられた」
「僕に、どうしろと?」
「人体に対応できる宝貝合金の開発をしておるだろう?いい試験体じゃ」
目の前の女は今ここで何とかしなければ確実にその命を失う。
しかし、傷と継ぎはぎだらけの身体で生きろと女性に告げるのも余りにも酷な話だ。
「おぬしに全て任せるぞ」
瀕死の彼女と二人きり、硝子の器に近寄って声をかける。
「……君の体に傷を残さない方法は、現段階では無いよ。命は繋がってもその身体を晒して
 生きることになるんだ。それでも良いかい?」
薄い唇が微かに動く。
「君のような人が……周りの好奇の視線に……」
開かない目を、どうにか声のするほうに向けようとする動作。
「……それ……でも……生きて……」
喉に血が絡むのが、声さえも詰まってしまう。
「分かった。僕に出来る限りのことはするよ。全部任せて」
血のこびり付いた唇が小さく笑う。
それは彼女なりに彼に向けた信頼の証だった。




最初にしたことは壊死した場所の切断だった。
それによって彼女はからだの半分以上を失った。
麻酔は宝貝合金を取り付ける際に腐蝕させてしまう可能性から使用は出来ない。
青い炎が傷を焼くたびに、骨を砕くたびに上がるかすれた声。
赤銅色の宝貝合金を取り付けていく。
問題は潰れて使い物にならない左目だった。
(取るしかないけど……義眼じゃあまりにも可哀想だ……なんとかできないかな……)
摘出した眼球を、保存液に浸す。
元は鮮やかな栗色だったであろうそれは、今や名残も無い。
(なんとか……これを改良できれば……)
繋ぎ目は赤黒く腫れ、白く柔らかい肌にその存在を誇示するかのように走る。
「痛む?」
小さく横に振られる首。
嘘は、彼女なりの優しさと気付くには彼はまだ若すぎて。
ただ鵜呑みにして治療を施すしかなかった。
「……目は、明日までは加工できるよ。今日だけは我慢して」
欠けた爪。小さな呼吸。
「大丈夫。僕が君を…………助けるから」



遅めの朝食を雲中子と取りながら、太乙真人は鞄の中の硝子瓶を覗く。
「そういえば、お前さ……自分が担当してる仙女の名前聞いたのか?」
匙を碗におとし、雲中子は眉を顰めた。
「誰?ちゃんとは聞いて無いんだ。ただ、相当格のある仙女だとは思うけれども……」
「教主の側近。道行天尊。お前の患者の名前だ」
「!!」
話だけは聞いていた崑崙の才女の一人。
始祖が側に置いて話さないのも納得できるその容姿。
前時代からの師表の一人として、崑崙の大幹部に座する女。
「えらい物件当てられたね、太乙」
「…………失敗(ミス)は出来ないってことか。まぁいいさ。失敗なんて無いから」
出来る限りのことは施した。あとは彼女の生命力を信じるしかないのだ。
「僕、道行様のところに行くから。また後で」





潰れた眼球は、中央に宝貝をいれて形を整えた。
視覚的には問題は無いはずだが、どうしてのその外見は人工物であることを雄弁に語る。
栗色だったそれは赤錆色の深さ。
「早く、全部が身体に馴染むといいですね。道行様」
ゆっくりと開く瞳。
焼け焦げた睫と、瘡蓋に塗れた頬。
「…………………」
唇が小さく「ありがとう」と呟く。
彼と彼女の時間が交差した瞬間だった。



時間を掛けて道行の身体は宝貝と融合していく。
その経過を見ながら、彼は彼女を観察していた。
ふわふわと宙を舞う姿。体中に巻かれた包帯が痛々しくも、本人は穏やかに笑っている。
「命があるだけでもありがたい。おぬしには大きな借りを作ったのう、太乙」
凛とした声は、身体が欠けたことなどに臆することなく。
窓を開けて、おもむろに鋏を取り出して道行はばさばさと髪を切りはじめる。
「ど、道行様!?」
胸の辺りまであった亜麻色の髪は顎の辺りまで切り取られ、彼女の顔を幼く変えた。
焼け焦げたままの髪で過ごせるほど、まだ彼女も女を捨てられなかったのだ。
「少しは、若返ったか?」
笑う唇と瞳。
(この人……こんな顔で笑うんだ……)
太陽に向かって咲き誇る夏の花のような笑顔。
恋とは唐突に降って来て、心を暖かくしてくれるのだと知った瞬間。
「ありがとう。太乙」
「…………うん」
すい、と伸びる手。
「儂のことは道行で構わぬ。おぬしは儂の命を繋いでくれた」
「そんな……当然のことをしたまでです。それに、師表の一人を呼び捨てになど……」
「誰も居らぬ所なら、構わぬだろう?太乙」
光を受けて、切りたての髪がきららと笑う。
「そうだね……道行」
光の中から伸ばされた手。
その暖かさは何にも変えられないものだった。



それから彼は彼女の過去の話を耳にする。
おそらくは大部分が真実なのだろうが、それを問うことはなかった。
過ぎてしまった時間は取り戻せない。
けれども、今からの時間を少しでも幸福なものに変えられたならそれが大事だと。
その光を閉ざさぬようにと祈りを込めた。
「太乙真人!」
白い羽をばたつかせ、舞い降りたのは白鶴童子。
「こんにちは、白鶴。何か用かい?」
「元始天尊さまがお呼びですよ」
道行天尊の処置に問題はなかったはず。
自問自答を繰り返しながら太乙は謁見の間へと足を運んだ。
「此度の道行への処置、見させて貰った。おぬしのその腕を見込んで十二仙の一人とする」
「え…………」
「今後も宝貝開発に励み、崑崙のために屈力してくれ」
唐突な格上げに太乙は呆然とするしかなかった。
思い当たるのは道行の口添え。
始祖と切れぬ縁を持つ女の存在。
(玉屋洞に……行かなきゃ、彼女のところに……)
宝貝の製作技術だけで師表に入るなどとは前代未聞。
誰かの意思が関わらなければありえないことだった。
「道行!!」
勢い良く朱塗りの扉を開く。
木蓮の枝葉を手に、道行は窓から外を眺めていた。
「昇格、心より祝福しようぞ。崑崙十二仙が一人、道行天尊として」
少しだけ伸びた髪は、肩に当たってくるりと丸まる。
「そうじゃない!宝貝開発だけで師表になるなんてありえないよ!」
「儂もそうだと言った。ならば雲中子のほうが先に上がるべきだろうと」
振り返らずに道行は続けた。
「儂の身体が欠けたのは、あれの失策だそうだ。それに対する罪……いや、あれが何を意図して
 そうしたかは分からん。ならば、受ければいいだろう?不便はないだろうし」
白い花弁がはらりと落ちる。
「太乙」
振り返り、くすくすと笑う小さな唇。
「これで、儂のことを道行と呼べるな」
「え…………?」
「同じ師表として、共に歩もうぞ。太乙真人」
あの日と同じように伸ばされる手。
その手を取って彼女を抱きしめる。
「太乙?」
「もう少しだけ、僕が……勇気をもてたら、君に伝えたい言葉が……っ」
伸びた手が、男の頭を優しく抱く。
過去の話よりも、何よりも。
今こうしていることが真実なのだから。
「ゆっくり考えればいい。時間だけはあるからのう」
それは、晴れた日の昼下がり。
幸せということを少しだけ本気で考え始めた瞬間。
「あ…………」
「どうしたの?」
「花が、折れた。困った、瓶に挿す予定だったのだが……」
困ったように、首を傾げる。
「僕が、取ってくるよ。道行」
些細なことも、大事なことも。
この先に束ねて同じ時間を共有できるのならば。
それがきっと「幸せ」というものなのかもしれない。


今日も一人の仙人が金庭山を訪れる。
彼女の好きな白い花を、一輪持って。




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23:51 2004/07/25

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