◆忘れ路の思い◆






「世界は見えない卵、まだ生まれ出ぬ。朝焼けに生まれて……」
男の傍らでそんな歌を女は口ずさむ。
「君は姚天君として最後まで僕を守ってくれたからね。今度は僕が守る番だ」
八卦図を敷いて圧縮した空間を切り開いていく。
ずば抜けた妖気を持つ姚天君に普賢真人が依頼したのは空間歪曲だった。
歪みを八方に仕掛けて封神台の内部を外界から完全に切り離す。
魂の収監は偽物の空間に閉じ込めてしまおうという算段だった。
「私の方はもう大丈夫。あの女の子も大丈夫」
落魂陣を分散させたのは教主たる彼の手腕。
最後の魂を収監すべく少女は二人に封神台の警護を一任した。
「世界が変わるよ、楊延」
二人の血を持つ青年はその真中で天を仰ぐだろう。
己の存在意義を知り、自分というものをもう一度見つけるために。
「あの子もよくやってくれた。君と僕の子供だ」
「うん」
「いつか会えたら、離れていたぶん大事にしてあげればいい」
落魂符はさながら桜のように舞踊り、教主たる彼はまさに息子と同じ姿に。
花は盃とばかりに周辺の妖怪すべてを吹き飛ばした。
「金鰲の教主の力、甘く見るな!!狐の使い魔!!」
両手を前で組み合わせれば生まれ出る衝撃波。
それに絡まるように呪符は的確に光を消していく。
「教主!!私も手助けいたします。奥方はお下がりください」
その声に振り返れば愛弟子の姿。
「聞仲、お前はいい。お前は……」
「我が信念は貫き通しました。今度はあなた方への恩義を返す番です」
教主の肩に手を着いて女は舞い散る花弁を掻き集めた。
吐息を吹けばそれはたちどころに押印に変わる。
「ちょうどよかった。君は向こうを頼むよ。それに……君が思うほど十天君は弱くは
 ない。僕もこの体が元に戻った……戦うには十分だ」
教主の声に呼応して女の体が鏡面を称えた刀身に変わる。
「六魂旙だけが僕の宝貝じゃない。武器は身近に隠すものさ」
一振りすれば生まれる紫の光。
宝貝紫電槌に変化できるのもまた彼女の特性だった。
「うっかり妲己の色香にかかったばっかりに僕は浮気者の汚名をつけられてね。
 悪女は好みじゃないんだ」
桜花結界とばかりに生まれる光は次々にそれを撃ち落して行く。
かつて対峙したことのある彼の息子と重なるその姿。
(なるほど……ヨウゼンとやらの強さはこの二人の……)
迷いのないその太刀筋は彼を精悍に映す。
小さく頷いて男は岩場を蹴った。







「あっちは派手にやってんなぁ」
符印を抱えなおして普賢は天を仰いだ。
予定調和の最後の犠牲は避けることができなかったとため息をついて。
「怒ったりしたら駄目だからね」
「ん?あいつが盗み食いしたことは責めるぞ」
浮かぶ光がまっすぐ降りてくる。
それはやがて人の形を成して少年の姿に変わった。
「……っへ?ここが封神台さ?」
目を擦れば懐かしい顔ぶれ。
自分がその命を失ったことをぼんやりと認識する。
「ってコーチ!!普賢さん!!」
「お疲れ様、天化」
「……俺っち、最後まで師叔の言うこと聞けなかったさ……へへ……」
ぽふ、と少年の頭に乗せられる男の手。
「よくやったな。俺はいい弟子を持ったよ」
「……コーチ……」
後に刻まれる歴史に埋もれてしまうとしても。
神として祀られるにはまだ幼い武神となり後世に語られる。
「普賢さん太ったさ?」
「うん。ちょっとお腹でてきたの。生まれたら面倒見てね」
「生まれたら……産まれたら!?あーた、人が戦ってる間に何子供仕込んでるさ!!」
今度は頬を男の手が抓る。
「あだだだだだだだあっっ!!」
「馬鹿野郎。仕込んだのは聞仲とやりあう前だっつーの。お前が戦ってる間も
 俺たちはそれなりに動いてんだよ。今もお前が無事にここに来れるように向こうで
 ヨウゼンの親父さんと御袋さんが敵の足止めしてる」
「へ、ヨウゼンさんのとーちゃんとかーちゃんって!?」
「順を追って説明しないとね」
天化の手をとって邸宅へと戻る。
仙界大戦の最中にあったことを伝えられて彼は呆然とした。
それと同時に感じるもどかしさ。
「けど、もう俺っち何もできねぇさ……」
出された果林茶に口をつけて一口飲み込む。
甘い香りは自分が死人だということを忘れさせる。
「まさか。天化、ボクが動けなくなる代わりにいっぱい動いてね」
「何考えるさ?普賢さん、コーチ」
「目障りな歴史の道標を撃ち落すことかな?」
彼女の細い指先を見つめる。
目の前で彼が散るのを見つめていた彼女はどんな思いだったのだろうと。
それは自分を腕の中で送った恋人にも通じる。
「望ちゃんもまだまだ休めないしね。今までの相手よりもずっと酷いよ」
その言葉をさえぎる様に浮かび上がる画面。
「緊急通信だ。はい、普賢です」
画面に浮かび上がるのは銀鼠の髪の女。
「姚天君だ。塵は片付けたぞ」
「ありがとう。こっちも無事に天化を収監できたよ」
「天化君?ああ、あの子の友達か」
浮かぶ男の姿に今度は天化が息を呑んだ。
「ヨ、ヨウゼンさんっ!?」
「ああ、ごめん。それはうちの息子だ。はじめまして、金鰲の教主、鴉環……
 じゃなかった、通天教主と言います。ヨウゼンが随分とお世話に……」
彼よりもずっと物腰の柔らかな青年に驚きは隠せない。
しかも隣に並ぶ女の姿は師表の一人と瓜二つなのだから。
「ってことは……ヨウゼンさんは本物の王子様さ!?」
「そんな良いものじゃないと思うけどなぁ。手元におけたのはほんの数百年だったし」
ふわふわと浮かぶ女が小さく笑う。
灰白の髪に石榴の瞳。それは半妖態の彼に酷似した物。
「はあ……あの人、いいトコ取りさねぇ……コーチの子供も普賢さんに似れば綺麗
 なのが産まれてくるさ」
「なんだか分からないけども褒められてるのかな?それと普賢真人、相手はとんでもないものを
 持ってたよ。おそらくは物体の存在確立を狂わせる」
それはあるものをないことにしてしまえる恐るべき武器。
同じように空間歪曲を使う姚天君を盾にしなければ応戦できなかったことからの推測。
「聞仲が随分と変わってくれた。君たちのおかげかな」
「いえ、どういたしましてさ……」
「あとで使いを出すよ。面倒だったら僕たちが出向く」
ぷつん、と消えた画面を収束する。
この邸宅は普賢真人が作り出した封神台の管理部屋だった。
「ボクもあんなふうに浮かべるようになりたい」
「道行に聞くしかないな。それは」
「なんであーたら落ち着いてられるさ!!」
少し膨れてきた腹部を撫でる男の手。
「そんだけ戦った。俺はこいつのためにももう少し戦うぞ」
武器を手にして前に進むだけが戦ではない。
誰かを守るための行為もまた形を変えた戦いの一つなのだ。
それは離れる彼女を少しでも擁護できるのならば。
「俺っち、師叔のために何かできるさ?」
その言葉に少女が小さく頷く。
「君にしかできないことがあるんだ天化。だからあの二人に頼んで君を無事にここに
 迎えるようにした。歴史の道標……ジョカは邪魔をするのが分かってたからね」
騙し合い応酬、此度の軍配は彼女に。
負けはありえないと笑む唇に見えるは意志の強さ。
彼女もまた命を捨てて強くなったのだ。







目覚めれば頬を撫でる風に、その移ろいを指先で捕まえる。
「おはようございます、老子」
ゆっくりと開かれる相貌は、大仙人の風合い。
「夢が亡くなったんだ」
「ほう」
「あるものが失った。だからそれは死んだことだろう?夢が死んだ」
羊の上に腰掛けて老子は指を組み合わせる。
「申公豹、私のところに来たあの子はどうした?」
それが恋人だと理解するまでに時間はかからなかった。
「太極図をもって歴史を少し動かしました」
「そうか。だから目が覚めたんだ……面倒だなぁ、働きたくない」
もう代わりの瞳は必要ない。
その証明のように彼女たちは己の意思で動き始めている。
「もう一人の可愛い子はどうしてる?」
「妲己ですか?さあ、もっと可愛い人の所にいるかもしれませんね」
黒点虎の髭を撫でる細い指先。
「おはよう、老子」
「黒ちゃんおはよう。元気だった?」
「うん。老子も寝すぎだよ」
追い風に重ねる歴史の重み。
「ちょっと掛け合いに行って来る」
「どこに、です?」
「昔王様をしてた子の所。幽冥教主の秘書になってるはずさ」
幽冥境を渡ることができるのは三大仙人にもこの太上老君ただ一人。
その強さは眠り続けてなお衰えることはない。
「お供いたしましょうか?」
眠たげに欠伸をかみ殺す。
軽く自分で頬を打って二度ばかり頭を振った。
「君はやるべきことがあるだろう?これは私の仕事さ」
「ええ。ならば私は戻ります。またすぐに逢うことになるでしょうから」
「申公豹」
差し出された手をぱん!と打ち合う。
「我が愛弟子として恥じぬ子になったね」
いまや自分に追いつかんばかりの強さを手にした最強の道士。
「雷公鞭をあげた甲斐があったよ」
にやり、と笑って消える姿。
老子の考えだけはいまだに読めないと申公豹は首を振った。
「老子どこったんだろうね?」
「簡単に言えばあの世です」
「え!?老子、死んじゃったの!?」
「いいえ。生きながらにして幽明境を渡ることができるのがあの人の能力です。
 だから普段はああやって寝てますが……あの強さ、いずれ本気で戦ってみたいですね。
 もしかしたら私は死ぬかもしれませんけれども」
その言葉に霊獣が驚く。
「老子、そんなに強いの?」
「太極図を使って眉一つ動かさない。とんでもない人です」
その彼の姿を写し取った女二人も往々にして強い。
絡まる新しい風に申公豹は静かに瞳を閉じた。






王都を朝歌に移すべく官僚たちは寸暇を惜しまずに動き回る。
その中には太公望の姿もあった。
いまや、この国に軍師の偉業を知らないものは居ない。
「ナタク!!君は修理しなきゃ駄目だって!!」
「平気だ!!」
その声に光の輪が生まれて少年の体を拘束する。
「ナタク、壊れる前に直してもらえ」
「道行は俺が直ったほうが良いか?」
「当たり前じゃ。直ったら儂が稽古をつけてやる」
その言葉に少年は渋々太乙真人の後ろをついていく。
「道行!!匿ってくれ!!」
「ハニー!!待って!!」
この国に仙道はあまりにも馴染み過ぎた。
王宮に住まうその姿も見慣れたものになり違和感すらもない。
それは本来あってはならない出来事だった。
「師叔」
「ヨウゼン……」
「顔色が悪いですよ。少しお休みになられたほうが……」
あの日を境に少女は口数が少なくなった。
自戒の念は止む事無く後悔は繰り返すばかり。
「大丈夫じゃよ。まだやれる」
「……師叔……」
夕闇が迫れば静かに自室にこもる姿。
釣瓶落としの夜は更けて、月も無い深淵たる漆黒。
小さな明かりを消せば広がる闇夜はやさしくて涙さえも出ない。
「誰じゃ?」
「僕です、開けてもらえますか?」
その声に扉を開く。
招き入れて明りを灯せば、やはり顔色のよくない少女が一人そこに佇む。
「もう、後悔させたくないんです」
「……………………」
「繰り返すのは終わりにさせたいんです」
ゆっくりと青年の姿が変わっていく。
「だから、一度だけ僕はこの姿になります」
懐かしい香りと暖かさ。
「師叔」
「……天……化……」
両手で抱きしめてその存在を確かめる。
何もかもが彼と同じ。
「どうして……どうして、私を残した!!あれ程私を残しはしないと……っ!!」
本当に彼女が涙をこぼせるのは彼の腕の中だけ。
その願いをかなえることができるのは彼だけだった。
子供のように泣きじゃくるのも今夜が最後。
少女はいよいよ女に変わる。
ただ抱きしめることしかできなくて。
(……天化君、今夜だけ君の姿を借りるよ……)
歴史の影にはいつも犠牲が多すぎる。
彼女の涙もその中に消えていくもの。
今夜一晩だけ少女に戻って、明日からはまた風を追わなければならない。
この腕の中でただ一度だけの逢瀬を重ねて。







欄干に座る女が珍しいと男はその隣に立った。
「師匠、何考えてんですか?」
手のひらに載せた花弁を銀色の鳥に変える。
その術に彼は感嘆のため息を吐いた。
「この世界のことを、少しな」
「お姫さんは無事ですし、まあ……人は減っちまいましたけども……」
その横顔に思い出した疑問。
「そういえば、師匠と同じ顔の人が居ました。あの人は……」
「儂らが偽者じゃ。本物は……別にいる。偽者でも長く生きれば本物になり、本物は
 化け物になった。いやはやに世界は恐ろしいな」
緋色の瞳に長い睫。
除く素足の白さが目に眩しい。
「元気だしてくださいってのは、おかしいですよね」
「太乙真人も同じことを言ったな」
「んじゃ、これあげます。さっき貰ったんで」
「飴で騙される年は過ぎたが……騙されるかな」
男の手からそれを受け取って口に放り込む。
「儂を雲中子のところまで運んでくれ」
「いーですけど、師匠は空中浮遊できるじゃないですか」
「おぬしに背負われたい気分だ。ほれ」
「わかりましたよ。あんたの頼みは断れない」





それぞれの深け行く思い。
忘れ路に咲く小さな花の如し。





0:23 2008/11/25

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