◆滅びゆく世界の始まりで◆





天に命などを捧げたいと思ったことはない。
誰に忠誠を誓おうと思ったこともない。
ただ君の隣に立つにふさわしい男になりたかった。
その光に負けないように、その手を取って走れるように。
願いは叶ったのだろうか?
たとえそうだったとしても君を随分と苦しませてしまった気がする。
最後まできっと君は悲しそうな顔をするんだろう。
願いは成就することはなく、この花とともに散っていくんだろう。
照らされた月の向こうに見えるおぼろげなあの太陽。
もう一度だけ二人で追いかけてみたかった。
きっとこの思いも振り返れば春の夜の夢なのだろう。
変わりゆくこの世界の渦の中の一編として存在するような。







「行くさ!!紂王!!」
斬りつけるというよりも撃ち合うと言った方が正しい一戦が始まる。
道士を多く排出してきた殷王朝最後の皇帝と純粋なる道士の少年。
過去は違えども抱える思いは酷似していた。
(さっすが紂王……親父とやりあっただけあるさ……)
求めたものは己の存在意義。
それを戦いの中にだけ見出してしまったのは彼にとって少しだけ不幸だったのかもしれない。
しかし、それを恋に見出してしまったもう一人の彼はいまや木偶の王として嗤われている。
「その程度では…………」
垂直に掲げられた剣が少年の頬を斬る。
「余は倒せぬぞ!!黄天化ァァッッ!!」
大地を蹴って剣を交える二人の男。
少年は立派な男に成長しいつしか誰かを守りたいと感じるようになっていた。
それは幼いころから彼を見守ってきた中央が一番に知るところ。
もう誰も大切な人は傍にいなくなてしまったのだから。
そして今や国さえもなくなろうとしている。
「俺はあんたを倒して……ッッ……」
どうしても負けられない戦いが此処にある。
散っていった師とその仲間たちに笑われるような死に方だけはしないとあの時に決めた。
この剣は二人の男が授けてくれた。
偉大なる父親、黄飛虎と天才剣士の清虚道徳真君。
その二人の名を汚すことは死しても拭えぬことと彼は位置付けたのだから。
「親父を超えるさっっ!!」
舞い散る桜だけが夢のように美しく、世界はいよいよ終わりを迎えようとしている。
剣舞は華麗にその命を散らせて天に捧げるように続く。
この名を歴史に刻もうなどとは思わない。ただ、彼女だけが忘れないでいてくれればそれでいい。
(やべぇ……目……見えなくなってきたさ……)
命の終わりと歴史の終わりとどちらが早いのだろう。
今できることはただ精一杯に戦うことだけ。
(黄飛虎の息子か……同じ眼をしている……)
懐かしむはあの日の自分たちの姿。
彼にも愛した家族が確かに存在していたのだ。
(余は……息子たちに何かを残せたのだろうか……お前がうらやましいぞ……)
まるでかつての親友と戦っているような錯覚さえも覚えるその太刀筋。
その血は仙道として確かに鮮やかに狂おしく花開いたのだ。
「俺っち……絶対ぇ負けられねぇさァァッッ!!」









「おぬしのそれは洗っているのか?」
のんびりと天化を押さえつけてその黒髪を柘植櫛で梳くのは少女の指先。
嫌がることでも彼女がすればある程度はおとなしくなるのはまさしく恋の魔法。
「ん?頭帯なら洗ってねぇさ。たまに買い換える」
「そうか」
それから数日して彼女は小さな袋を少年に手渡した。
開ければそこには浅黄色の頭帯が鎮座している。
慣れない機織りと染色は少し時間がかかってしまったと笑う唇。
「これ、師叔が作ってくれたさ?」
「慣れぬゆえ、目が不ぞろいかも知れ……!!」
ぎゅっと抱きしめてくる腕と寄せられる頬。
「天化、苦しい……っ」
「すっげ嬉しいさ!!師叔!!」
人目もはばからず回廊で軍師を抱きしめる姿は傍から見れば滑稽だったかも知れない。
それでも真っすぐに誰かを愛することには彼は誰にも負けなかっただろう。
時に盾となり時に剣となり、支え合って守り合って二人で進んできた。
「大きさもちょうどいいさ」
「おぬしの頭の大きさは大体分かるからのう」
「俺っちそんなに脳味噌入ってないさ?」
「違うよ。こうしておるから」
少し屈めと言われてそれに従う。
すい、と少女の腕が少年の頭を掻き抱いた。
「いつもこうしておれば、大きさなど間違えぬだろう?」
「そうさね……へへ……」
少しだけ前を進む少女に遅れたくないと仙界に戻り修業を積んだ。
彼女に相応しい男になりたい。その思いは彼に強さを与えてくれた。
しかしその強さは狂気を孕んだ儚いもの。
復讐を抱いて孕み育てる少女のそれは彼のものとは深さが違い過ぎた。
桜を背にしたあの寒気すら覚えるような美しさを知れば、彼女から離れられる男など居ないだろう。
傾国の美女とはまさしくこの少女だと思わせるような禍々しさ。
「師叔」
「なんじゃ?」
「ここに、ちゅーして」
頬を刺す少年に、そっと接吻する。
「気力補給完了!!兵士たちに稽古付けてくるさ!!」
手を振って走り去る姿に零れる笑み。
彼は武人としても才がある。
「ご主人、天化君嬉しそうだったっすね」
「あまり天化に物など送ったことがなかったからな……何か身につけるものでも考えては
 いたのだが……慣れぬことをすると肩が凝るな。はは」
「美味しいお茶とお菓子をもらってくるっす。ご主人は部屋に戻ってるっすよ!!」
ぱたぱたと飛んでいく霊獣とそれを追いかける愛弟子の姿。
腰に手を当てて少女も満面の笑み。
「みな、わしを甘やかす天才じゃのう」
舞い散る桜が頬に触れる。
すべては春の中の幻と。






覚悟無き者の剣は覚悟あるものに傷をつけることなどできない。
失うことを恐れていては誰も前には進めないのだと。
ただ一度だけ感じたあの永遠たる夜はとうとう明けてしまった。
この思いはもう止められない。
「うあああああああっっっ!!」
ぎりぎりと鋼が擦り合って刃先がこぼれ始める。
その瞳の中に見た未来と真実は彼自身がからっぽだったことを自覚させた。
「余の負けだ……黄天化……」
すべての力を捨て去った皇帝の肩から斜めに男の剣が切り裂く。
噴き出す血液が飛び散り頬を頭帯を真っ赤に染める。
「初めから……勝敗など決まっていたのだ……」
その守るべきものを背負った瞳を持つものに傀儡の王は悟っていたのだ。
これが最後の戦いならばと受けるのが己の使命だと。
「……もういいさ……俺っちにも……戦う理由なんてなくなったさ……」
青と紫の融ける空の色。
まるで風のようにすり抜けていく歴史の足跡。
かすかに香る彼女の匂い。
「随分……困らせたさ……大人しく今度は言うこと聞いて過ごすさ……」
今度はきっと大丈夫。もう願いは叶ったから。
貴女のすぐ傍で一緒に笑っていられるように。
この空の下でいつまでも笑ってくれるようにいつまでも願おう。
その瞳が悲しみに染まらないように。
(……望……)
指先が布地に触れる。
ずっと離さずに大切にしてきたこの心を。
この花に乗せて君に届けられればどんなに素敵なことだろう。
血飛沫を浴びた桜はきっと何よりも美しい。
「!!」
男の身体を深く貫く一筋の太刀。
唇から零れ落ちる温かく赤い体液が石畳に文様を描いた。
痛みなどもうわからないほどにこの体は疲弊しきっていた。
ただわかるのはこの命の終焉が来てしまったということだった。
「わ……我が一族は……い、殷王家に忠誠を……」
高貴な魂を持つものに傷をつけることは恐怖と発狂を伴う。
故に殺し合えるのは同格のものでしかありえないというこの事実。
「流石に……この終わり方は予想して……なかったさ……」






朝焼けを背にして目指したのは嘗ての王都。
忌まわしい思い出だけがそこには残されていた。
「ご主人!!天化君っす!!」
「急いでくれ!!」
飛び降りて駆け出す。
君が抱きとめてくれたあの日をどうして忘れることができるだろう。
涙は風に零れて時の狭間に消えていく。
「天化!!」
君が笑って振り向いてくれたならば、もうこれ以上の我儘なんて言わない。
石畳を踏みしめて。
ただ君を。
「……天化……ッ……」
本当に悲しいと思うときには、どうして涙さえも出ないのだろう。
本当に苦しいと思うときには、どうして叫ぶこともできないのだろう。
ただその身体を抱きしめることかできない。
「……私を……残しては逝かないと……天化…ッ!!」
唇が小さく刻む言葉。
「天化!!」
この腕の中でどれだけ命を見送ればこの戦いは終わるのだろう。
舞い散る桜の中、一番愛しい男を失わなければならないのだ。
この暖かさがゆっくりと腕の中で消えていく。
「……天…化……」
もう一度だけ夜を止めて、あの日をこのまま抱きしめたい。
こんな思いをするならば朝なんて来ないままでいい。
歴史の流れよりも何よりも君だけが大事なのだから。
「嫌あぁああああああっっ!!」
その体がぼんやりと輝きだす。
さよならはそこまで来てしまった。
「嫌だ!!嫌だぁぁあああっっ!!」
離すまいときつく抱きしめる。
それが無駄だとわかっていてもそうすることしかできなくて。
浮かぶ魂魄がそっと彼の姿を映し出す。
「……望……」
「……天…化……」
指先が触れ合った瞬間にはじけ飛ぶ光の塊。
これ以上の別れなどきっと存在しないほど。
物語に紡がれるほど一番に素敵なさようなら。
「いやああああああああっっっ!!」
それは絵空事だからこそ美しい。
別れなどいつだって残酷で人を狂わせるだけのものなのだから。




どれだけ君と笑い合っただろう。
二人で歩んできた道にはこんなにも狂おしく桜が咲き乱れていた。
まるで春の嵐だと錯覚するように咽返るはその芳香。
一筋の光が描くのはどんな未来図なのだろう。
君なきこの世界に何の価値があるのだろうか?
(あの光は……まさか、紂王!?)
暗い暗い空から降り注ぐような小さな悲鳴。
(それとも……師叔は……)
それは二人が会ったあの日まで戻れば簡単な結論だった。
ただあまりにも悲劇的過ぎただけで。
この胸を貫く矢は死という安らぎを与えることなく、何度でも何度でも。
痛みなど忘れていたはずなのに、君がもう一度与えてくれた。
決して止むことのないこの罪。






春は妖々、雲間に於いて。
風立ち去りぬは望月の美しさ、桜花満開にしてこの命を君に捧げた。






12:55 2008/10/29

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