◆モーニングスター◆








月に踊るは二つの影。
竹林に注ぐは望月の光。
「師叔、胸おっきくなってるさ」
後ろから乳房を鷲掴みする少年の指先。
「わしのよりも、わしの体のことを知っておるな」
夜着を羽織って窓を開ける。
入れ替えた空気の冷たさはどこか清々しい。
「おぬしと歩んできた道は、色鮮やかで眩しいな」
願うのは本当に小さなことなのに、どうして二人、叶えられないのだろう。
続くこの永遠たる夜は誰のためにあるのか。
遠い空から誰かが攫ってしまう前に。
「天化」
両手を前に出す。
「今一度飛べるか?」
この地に留まることを許されない命たち。
残ることはすなわち罪となり、彼女はその刑を執行するべきものとなる。
その手にある力は誰を守り、誰を導くべきか。
この雲間に覗く月の光が、傾き影を成すように。
「師叔」
「わしもおぬしもいずれ仙となる。そうすれば自力でも飛べるのだろうがな」
「んじゃ、コーチや普賢さんも飛べるさ?」
「ああ。道徳なぞよく……こんな月夜に普賢を連れ出しておったな……」
思いは伝えたら壊れてしまうように。
「俺っちも仙人になるのか……うーん……コーチ見てるとなんか威厳がないっつーか」
「そうか?わしのしるところの道徳は立派に仙人だがな。行ってみるか?崑崙に」
夜を二人で飛べる今ならばと。
羽衣一枚手繰り寄せて離れないように結びあった。
触れる秋風の冷たさ、冬の手前の季節。
温もりを分け合えるならば寒さも悪くないと思えるように。





青峯山に灯るのは小さな明かり。
洞府の主は八卦陣を敷いて、静かに瞳を閉じていた。
宝剣を構え座して思うは憂うこと無き未来。
「コーチもあんなことするさねぇ……」
「もともとはあれが道徳の姿じゃ。普賢の気配もないことだ、仙人らしく行をするのだろうて」
月にかかる天狗の羽。
「あちこち見てみるか」
「バレたら殺されるさ」
「天狗の扇は気配を殺す。なに、夜ならば闇のせいだと言えばいい」
そのまま馴染み深い白鶴洞を目指せば、庭先に少女の姿。
今と咲き誇るように掌から生まれた光が月下宝珠を成す。
「ほえ……普賢さんも仙人してるさ……」
離れないように指先を絡ませて。
金庭山には一組の男女。縁側で差向い水晶の碁をぱちん、と打つ音。
「道行さんと文殊師伯さ」
艶姿とばかりの夜着も変わらぬと呟く唇。
その清しい音に引き寄せられた月精たちが勝負を覗き込む。
「碁や麻雀の音は邪気払いになる。大仙二人の気もあって引き寄せられたな」
乾元山では太乙真人の隣に雲中子。
互いに薬を押し付け合って飲ませようとするのを止めるのは黄竜真人。
宮の上を飛べばそこには大法師二人がのんびりと月見をしている。
「あ、玉鼎真人さんさ」
「書庫に籠ってたのだろうな」
ぐるりと鳳凰山を見ればその一角で肩を寄せ合うのは慈航道人と赤雲娘々。
恋は様々な形でこの地におりたつ。
「仙人になるのも悪くないさね」
「わしとふたりで目指すか?仙人を」
「そうさね。一緒ならいいさ」
丸く狂おしい月に描く影絵は、恋人たちの接吻。
望月さえも恥ずかしそうに逃げ出すほどに、甘く重ねて。
「!!」
頬に触れた蝶の一羽。
「紫紺の反魂……道徳に呼ばれておるぞ。天化」
降り立てば長椅子に腰を下ろして手を振る。
「お前が飛行できるとは思わなかったぞ」
「天狗の羽さ」
「ああ。俺もいま万華鏡作ってるところだ。お前に負けるわけにはいかねぇしな」
掌を開けばそこに転がる鮮やかな輝石。
「風神だけじゃ同じだろ?」
「綺麗だけどもどーしたさ」
「そこらを飛んでる雷神とか豊穣の神をとっ捕まえた。うちのお姫さんは普通のものじゃ
 陥落できなくてな……なのに、お前らは俺の前でいちゃつきやがって」
その中でも出来の良いものを瓶に押し込める。
破片を振りまけば瞬時にして数多の蝶に変わった。
「すげぇ……」
「女口説くならこの程度はできるようにしておけ」
その一片を拾い上げて、少女がふう…と息吹を注ぐ。
一羽の銀の鳥が闇夜を舞って静かに溶けていった。
「お前の口説いてる女は遊びであんなこともできんだぞ。修行しろ、修行」
「やっぱそうくるさねぇ」
「大方、ここに普賢がいると思ってただろ。そこまで怠惰な関係じゃないぞ」
「今しがた蝶で何かを送ったのは誰かのう」
「俺は普賢を口説くだけの能力があんだよ。お前、仮にも俺だって十二仙だっつの」
それでも、彼が伸びやかに育ったのはきっとこの青年の力だろう。
「ま、たまにはお前らと飲むのも悪くはねぇな」
もうひとつ加わる小さな灯り。
「騒がしくて、こんな夜は月も逃げちゃうよ」
「普賢」
届かない思いを胸に隠せば、苦しくて息もできないのに。
どうして出会ったその瞬間に全てが解けてしまうのだろう。
「万華鏡できたの?」
「いいや」
「うん」
いつかこんな空気をつむげるようになるまで。
このままの気持ちで自分を誤魔化し続けるのはきっと寂しさのせいだろうと。
この人と同じ顔で同じ性格の人がいればこんなに苦しくなかっただろうか?
それでも唯一無二のこの人だからこそきっとは恋はこんなに悲しく愛しい。
「はい。帰りはこれがないと不便でしょう?」
鬼灯に閉じ込めた赤い実一つ。
「十五夜のつきじゃ物足りないかもね」
「天狗の扇が効力なくす前に帰れよ」
都へ導くその明かり。
遠い空から聞こえる声に耳を塞いでさあ、歩こう。
その深淵たる望月の呪いなど無いかのようにして。
魂を閉じ込めた酸漿はどこまでも赤い。
「もういいよ、出てきたら?」
「お手数をお掛けしました。呂望はしっかりしてるようで抜けてるので」
ひょっこりと顔を出したのは申公豹その人。
酸漿を普賢に手渡し、帰京を促したのもまた彼だった。
「あなたなら呂望の親友ですから」
「久々に顔を見せたらそれか、お前は」
「相変わらずですね、清虚道徳真君。幾分か女遊びは静かになったようですが」
「殺すぞ」
「物騒な。私は男の手にかかって死ぬ予定はありませんから」
摘み上げた酸漿に一つ、小さな接吻を。
最強の道士は霊獣の背に乗り、月を負って美しい。
笹の葉掠れる音色と懸かりだす雲。
「うらやましいですね、あなたはいつも一途に思われる」
「そうでもないだろ。俺がこいつを追いかけてる」
ともすれば道徳のほうが大人に見えても、実年齢は彼のほうが上なのだ。
悠久幻想を生きるのは月光を追いかけるが如く緩やかなもの。
「酒でもどうだ?」
「他の十二仙よりはあなたのほうが話はしやすいですね」
ひょい、と黒点虎から飛び降りる。
今度は少女が霊獣の鼻先を撫でた。
「霊獣可愛いなぁ……ボクも欲しいなぁ……」
「遊びにこようか?普賢真人。ボク、女の子に毛梳(ブラッシング)してもらうの好きなんだ」
「来て。お昼寝とか一緒にしようよ」
ふわふわの毛並みが心地よいと、ぎゅっと抱きしめれば霊獣もうれしげな月夜の遊び。
「呂望はあなたの弟子と遊んでるみたいですね」
「まぁな。よくいろんな揉め事をここに持ってくるよ」
「弟子を取ることは面白いですか?」
「そこそこにな。子供みたいなもんだろう」
杯を酌み交わすにはこれくらいの間柄でも悪くは無い。
慰めのいらない関係は月夜にもってこいだ。
「私も呂望とあなた方のような関係でいたいのですが……うまくはいきませんね」
最強といわれる彼が見せる、憂い顔。
それはどこか幼さを残しそれでいて何かを悟ったような表情だった。
「ボクたちだって最初からこうじゃなかったしね」
「そうですか?」
「最初、この人ね……ボクのことすごくひどい扱いしてくれたの。でも、どうしてかな……
 今こうして一緒にいると離れるのが怖くて……初めころの気持ちがわからなくなる」
酸漿の赤は魂にも似た色。
茜は秋をまとめあげる豊穣の神が纏うべき衣。
「天才でも最強の男でも、本気の恋はそうないもんだろ?」
髪にかかる紅葉一枚。
拾い上げて吐息を掛ければそれは一筋の美しい簪に変わる。
「道徳、見習って」
「作ったってお前、留めるほど長くないだろ」
「帯に挿すもん。じゃなかったら霊獣ちょうだい、霊獣」
「お前……どこまで俺に罠を仕掛ければ気が済むんだ」
杯を一つ少女にも手渡して、清酒を注ぐ。
酒に浮かぶ月は幻の都のよう。
五千年前に彼が捨てた夢がそこに淡く映し出される。
「そういえば、あなたもまだ百にもならないんでしたね」
「九十ちょっと」
「呂望よりも少し上なんですね。ふふ」
浮かぶ月に手を伸ばせば月光は彼の手のひらで猫目石に変わっていく。
降り注ぐ星を輝石に変えて、卓上へと転がした。
「どーうーとーくー」
「へいへい……お前の万華鏡は気合入れて作るから」
ぽかぽかと男の肩を打つ小さな手。
こんな風に二人だけでただより添えたらいいのに。
五千年生きてきても恋は思うようにならない。
「綺麗……」
大粒の猫目石をつまみ上げて月に翳す。
「これを使って道徳の剣につける飾り作ろう」
「ああ、そんな石欲しいって言ってたもんな」
「風神の万華鏡に見合うお返し作るね」
その言葉に申公豹が顔をあげた。
「風神の万華鏡ですって?」
「ああ。天化が作ったんだ。教えたのはこっちだけど」
「ううむ……ならば私も何か作らねば……」
ここに向かう途中で見た光景。
それは月下宝珠を作り出す少女の姿。
「普賢真人、宝玉はもっとあったほうが良いですか?」
「あれば色々と作って遊べるね」
「では……取引をしませんか?」






両手に抱えた花はどこにも存在することの無い逸品。
仙気を華としてそれは誰かの幸せを望んだものを形とする。
創造主たる少女はごっそりと仙気を削がれ、恋人の腕で眠りこけてしまった。
介抱は任せて彼はひたすらに西を目指す。
途中に寄り道をしてその一本を捧げて。
もう一度月を追うようにしてただあの人の元へと。
「呂望」
自分を呼ぶ声に瞳を開く。
窓から差し込む月明かりはまだ煌々と美しい。
「申公豹」
「これを」
差し出された花束は今までに見たことの無いもの。
彼女を思う親友だからこそ生み出すことのできた幻の華。
「綺麗……どうして……」
「何をあげたらいいのか……どうやったらあなたに喜んでもらえるのか……」
どこか不安げに笑う彼の唇。
少女の腕の中で華は艶やかに咲き誇る。
「黄天化は?」
「天狗の扇を使い疲れて寝とるよ」
朝までゆっくり眠れるようにと焚き詰められた人払いの香り。
それを何も無かったかのように打ち破れる彼の力。
「あなたの一族の墓標にも一本置いてきました」
「……………………」
彼は知っていたのだ。
今日だけは彼女が勤めて明るく振舞うひだと言う事を。
七十年前の復讐を誓ったあの日の月も、同じように狂いたいほどの望月だった。
「多少、やりすぎだと私ですら思いました」
復習に駆られた少女は誰よりも美しい。
無垢ゆえに手にすることのできた発狂じみた血塗れた感情。
「ただ、あの行為がなければ私はあなたに出会うことができなかった」
弧を描いた眼差しの奥に見た光。
「あなたの不幸が、私に幸福をもたらした」
ぎゅっと花束を抱きしめる。
「私は……どうしてあなたを幸せにしたらいいのでしょう。あなたの心に隠した
 復習はきっとそれを遂げるまで消えることは無い」
ぽたり。零れ落ちる涙が一筋。
「そして……あなたはすべてが終わったならば自分自身に決着をつけてしまう」
消えた星に祈りを捧げて、空を築いた。
「私は……どうやってあなたを救えばいいのでしょう」
差し伸べられた手をとることは簡単なのに。
そうしてしまえば弱くなってしまいそうな自分がここにいる。
「救うことはできるのでしょうか?」
風に揺れるはこの思い。
傾くは光の影。
「できないならば……私も一緒に落ちるだけです」
「お父様もお母様も……今の望を見たらどう思われるだろうな……」
項垂れる姿に痛む胸。
霊獣から飛び降りて彼女の前に降り立つ。
「望だけが生き延びてしまった。あの日……骸になれればどれだけよかった事か……」
光と闇の中、夢現と命の花を咲かせてきた。
彼女の強さの深層に隠された弱さ。
手を伸ばしてその細い肩を抱きしめることしかできなくて。
「あなたはきっと、生き延びたことを悔いるんです」
耳元でささやくその低く優しい声。
「あなたが眠れないほど悔いることが、私にあなたを与えてくれました」
視線を重ねれば、赤くなった瞳が彼を捉えた。
月に住まう兎は、その赤眼で人を狂わせるという。
「兎みたいに真っ赤ですね」
指先が目尻の涙を払う。
「時々で良いんです。私にもあなたの呵責を分けてくれませんか?」
それはきっと彼にしかできないこと。
雨の中を歩く彼女の隣、傘は要らないと並んで。
「おぬしもわしに風神の万華鏡をくれるのか?」
その言葉に彼は静かに首を振った。
二番煎じを喜ばないことを何よりも知っていたからだ。
「だから、月下宝珠を持ってきました。その華はこの世のどこにも存在することの無きもの」
「すべて光でできてる……」
「あなたの幸せを願えばこのかたちになるんです」
触れるだけの接吻(キス)がこんなにも甘い。
肌を重ねるだけが愛情ではないと伝えてくる体温。
「泣き顔よりはやっぱり、笑ってくれるとうれしいですね」
「申公豹」
伸びた黒髪が風に揺れた。
艶やかなそれは飾りなど無くとも十分に美しい。
それでも乙女十七、可憐なものを嫌うものなど無いならば。
「!!」
月光を集めば、垂れ帯を絡ませた簪が一本。
猫目石を銀細工がくるりと取り囲み、房が揺れる。
「あなたに」
「……嬉しい……」
あの日、あなたに出会わなければ愛しさもしらないままだった。
空回りするこの純情な感情の行方などしれないまま。
「呂望」
伝えられずに悔やみたくない。
「好きです」
「……………………」
「赤くならないで何とか言ってください」
「だぁほが……」
世界が回り、めまぐるしくとも。
ここに存在することに気付いて欲しくて。
両手を二人組み合わせて、笑いあう。
「風邪を引く前におやすみなさい」
胸を焦がすようなこの思いは、きっと彼女だからこそ与えられたもの。
「ここで朝まで過ごせば良い」
「いいえ。肌を合わせるだけが愛情ではありませんから」
「おぬしにしか言えぬことよのう」
「でしょうね。それはそれで今度じっくりと手合わせ願いますよ」
もう一度だけ触れ合う手。
離れてつぶやいた唇が「おやすみ」と。
「待て、これを」
「薄と蒲ですか。ずいぶんと」
「まだ、わしには仙術で何かを成すことが……」
「秋ですね。ありがたく受け取りますよ」
月に浮かぶ道士の手に揺れる薄の穂。
さらら、と砕ける穂を輝石のかけらに変えた。
降り注ぐそれは幻想的な美しさを奏でて、夜更かし上等の恋人たちに小さな優しさを。
本物の仙道は意図せずともにその行為が幸となす。
「黒点虎、これをもって帰って庭に移植しましょう」
「蒲の穂はおいしくないよ」
「誰が食べるといいました。お月見には薄と蒲が綺麗でしょう」





伸びた黒髪を束ねれば、そこに覗く猫目石。
いざや、彼女もやはり乙女。




1:47 2008/11/05

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